ウミウシわだつみ語り

まめ

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第二幕 神輿が担がれる

少女巫女と天才ロックシンガー

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「何を考えている!」
「何って――何も考えちゃいねーが。こういうのにぐだぐだ悩んでるのは苦手なんだ。実際、何とかなっただろ。俺だからな、何とかなるんだ」

 自信満々に胸を張った至につばきは眉を顰め、溜息を堪えた。表浦島の中央付近、さまざまな時代の建物がごった煮になったような空間の一角に、彼女たちはいた。建物の屋根から隣の建物の屋根へ飛び移るなんて映画の中のような行動を、あまりに躊躇なく成し遂げて至は笑っている。

「ほら、落っこちて来い。俺が受け止める。背丈はともかく腕力は信用しろよ」
「男が島巫女である私に触れれば……いや眼に映すだけで大罪だぞ――今更遅いがな。良いだろう」

 つばきは腹を決めて巫女装束をたくし上げて飛び降りた。危なげなく受け止めた至は彼女を下ろし、さっさと行く先を決めてしまう。アッシュグレーの髪を靡かせて、せっかちなだけに迷いがなかった。

 ――話に聞くより男というものは女と変わらないように見えるが、誰しもこんなに乱暴な思考をするのだろうか。つばきは首を傾げた。社から外に出たことのない彼女は至のその風体が男性としては特異だということがわからない。一目見ただけでは性別を特定できない、西洋の美術品を想像させるような整った美しい顔立ち。しかし男はこういうものであるという判断ができない彼女は、単純に社の巫女たちやいのりの振る舞いとは全く異なる故に、至が男だと判断しただけだった。

 躊躇いなく進む至の背にはギターケースがある。逃走の最中だろうが至は手放さなかった。彼の相棒の遺していったものは大事に背負われている。

「なかなか――キツイな。なんでこんなに動きにくくて息苦しいんだ。島巫女さんは平気か?そんな格好だし、女だろ……平気だとしたらすげえな。俺がへばるのは相当なもんだぞ」

 ウミウシから逃走した時も、今も、力一杯走ったりジャンプしようとするとどうにも普段通りではない変な抵抗があり、妙に疲れるのだった。至はアッシュグレーの髪が汗で張り付くのをかき上げる。つばきは首を傾げた。

「私は招かれているから――かもしれぬな。私にはそのような感覚はない」
「なるほどな、そりゃ納得だ」
「無理はするな、目指す海神の居城は見えているのだから。力になれずとも私は許そう。すでに良い働きをしているぞ、とつくにの歌唄い」
「いーんだよ。相棒を探そうにも当てがないんだ。丁度良いだろ。――こういう時は運命が味方してくれるもんだぜ、流れに身を任せるのも悪かないだろ。俺みたいなスーパースターには、神様の方から良い偶然を分配してくれるって相場が決まってるんだからな」

 ともすれば傲慢な台詞を当然のように言って、くすくすと女が密かに笑うような声で笑ってみせた。どこから声を出しているのかさっぱりわからないほどの声の変化。つばきは目を瞬いて、肩を竦めた。口先ばかりではなく彼の技量は本物なのだから、大物であるのは確かなのだろう。

 彼等が目指しているのは島の中央にそびえる塔――いや塔というのは正確ではなく、見上げても全容が見えないほど強大な巻貝だった。海神の居城――つばきの目指す場所である。

 至からすると見慣れた住宅地、つばきからすると見慣れない角ばった建物の群れの中、ウミウシに出くわさないように彼等は進んでいた。人気が極端にない街並みはまるで沢山の人間が消えてしまったかのようにも錯覚する。不気味な静寂の街並みを、太陽がないために時間感覚が曖昧なまま、彼等は進み続けた。至の大胆なルート決定のおかげか、ウミウシに出くわすことはなく彼女たちは島の最深部へとたどり着いた。

 そして海神の居城を前にして、つばきは文机を見つけた。不釣り合いな場所に文机が寂しく一つだけ。誰かが書き残したらしい文が、その相手に確実に届くように捧げ置かれているように見えた。その宛名は――島巫女。彼女は驚き、至に声をかけることすら忘れて、文を手に取る。



『島巫女殿

 血の繋がらない、芸への魂で繋がる一族、我らの同胞へ真実を告げよう。

 いにしえより我らの真の使命は化け物に永劫芸を捧げ続け、対価として化け物から島を守ることである。

 囀る美しき籠の鳥となり、囲われよ。終わりなく繰り返されてきた茨の定めにのっとり、人の幸を捨てよ。民を守るために一族の仇、島の脅威に傅く屈辱を忍べ。

 誇り高き我らが同胞、誇り高くあることを願う。とどめておけるかは我らの至高の芸にかかっている。我らの芸で魅了し楽しませ、決して島に目を向けさせぬ。

 もし人の幸を捨てきれず、全てを裏切るならば、今、逃げることを許そう。
絶望の檻から引き返すならば、今しかない』



 手が震える。唇がわなないて、あまりの衝撃に眩暈がして、つばきはその場に座り込んだ。指の一本も動かせないように硬直してしまった手が、呪われたかのように文を手放せずにいる。――どういうことだ、と。思考はすり抜けて、耳の裏に血液が流れる音が響く。

 何も彼女にはわからなかった。わからなかったけれど、ただ一つだけ確かなのは、まだ年若い彼女の人生は、信じてきた全ては、努力は、苦労は――徹底的に台無しにされたということだけ。島一番の芸に秀でた巫女として、島を束ねる島巫女として、掟に縛られ、長として責任を負い、誰よりも芸を磨いた彼女。その全てはそんなことのために――島民の身代わりに化け物に対する贄になり、囲われるためにあったのか、と。

つばきは蒼白になった顔でただ力が抜けるままに天を仰いだ。あまりに報われなくて、自分のことであるのに他人事のようだった。至が驚いて声をかけて駆け寄るのも、彼女には見えなかった。全てが遠い。遠くて白々しくて凍えるほどに寒かった。

 彼女は選ばねばならない。島巫女として誇り高く生きてきた彼女のこれまでのあり方を貫いて、島のために化け物のもとへ行くか。これまで積み重ねた全てを否定して、全てを裏切って、逃げてしまうか。どちらを選んでも、光は見えない。どちらの選択も彼女の心を砕くようだった。

 彼女は息を忘れている。小さな唇が震え、喉が渇いて張り付く。幼い子供のように、背負った全てを放り出して泣いてしまいたいほどだった。血が滲むほど噛み締めて堪えた彼女は、瞼の裏に思い出す。

 表浦島の風景、社の巫女たちの修練する姿、可愛がっていた馬、日が暮れるまで舞った檜の舞台、慕っていた先代の美しい歌声。そして、ずっと彼女を支えていた側仕えの肌の荒れた手。ただ一度しか握れなかったその手と、優しい微笑みをを思い出して――。

 つばきの瞼の裏、凛とした立ち姿の側仕えのいのりが温かに笑っている。彼女は砕けるほど歯を噛み締めた。彼女はどうしても、その幸せを捨てることができない。だから、つばきは手にした文を引き裂いて、きっと前を見た。島巫女は涙は零さなかった。
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