私の旦那様は、鬼でした

寒桜ぬも

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鬼への嫁入り

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「私を、イサナギ様に会わせてください」
 天は小夜の言葉に驚いた。初めて挨拶した時も、中庭で会った時も、イサナギは小夜を冷たくあしらったというのに。それでも小夜はイサナギに会いたいと言う。

「もちろんです」
 明日、夫婦となる二人には一度顔を合わせて話をしてほしいと思っていた天は快諾した。

 天は小夜をイサナギの自室の前へと案内すると、襖越しにイサナギに声をかける。
「イサナギ様、少々よろしいでしょうか?」
一呼吸間を置いてイサナギが答える。
「入れ」
 襖の向こうから聞こえる低い声に、小夜は一歩下がりそうになる。そんな小夜の背中を天が優しく支え、微笑みながら頷いた。

「失礼します」
 小夜がスッと襖を開け中に入ると、天が来るものだと思っていたであろうイサナギは、驚いた様子で小夜を見た。
 初めて二人が視線を交えた瞬間だった。
 ほのかに窓から差す月明かりがイサナギを照らす。
 整った顔立ちに薄い藍色の髪、琥珀色の瞳、藍色の着物、そして額には立派な二つの角。そのすべてが、幻想のように綺麗だった。

 天の姿はすでに無く、この場にいるのは小夜とイサナギの二人だけだった。
「どうした」
 イサナギは初めて小夜から視線を逸らさずに問いかける。冷たさの中に、どこか優しさを感じるような声色だった。小夜はイサナギを真っ直ぐ見て答えた。

「お話が、したいです」
「話?」
 怪訝そうな表情でこちらを見るイサナギの圧に体が縮まりそうになるのをグッと堪え、小夜は言葉を続ける。
「……はい。明日、私とイサナギ様は祝言を挙げ、夫婦となります。その前に、少しでもお互いのことを知ったほうが良いと思いました」

 少しの間を置いてイサナギが口を開く。
「良いだろう。座れ。何を話したい?」
 話をしてくれるというイサナギの言葉に小夜はほっとするが、同時に緊張も込み上げる。
 何を話すか、など全く考えてもいなかった。
 イサナギは小夜から目を離すことなく、小夜の言葉を待つ。

 小夜はイサナギの傍へ座ると、絞り出すように問いかける。
「あの……あ、藍色が、お好きなんですか?」
 小夜の部屋の襖、イサナギの服、髪の色までもが藍色だったこともあり、悩んだ末に出た言葉がそれだった。

 イサナギは予想もしていなかった小夜の問いかけに一瞬驚く。
「も、申し訳ありません。無理に聞くつもりは……」
 小夜が言葉を詰まらせていると、イサナギが少し考えた後、静かに呟いた。
「藍色は……お前が好きな色だろう?」

「え……?」
 イサナギの声はあまりにも小さく、小夜には届かなかった。
「今、なんと……」
 聞き返す小夜の言葉を制するようにイサナギが言葉を被せる。
「私もひとつお前に聞きたいことがある」

 小夜は、まさかイサナギが自分に問いかけてくるとは思ってもみなかった。
「なんでしょうか……?」
 何を聞かれるのかと、緊張で胸が締め付けられるような感覚がする。
「お前は、今回の婚姻をどう思っている?」
 イサナギは真剣な目で真っ直ぐ小夜を見る。

 どう思っているとは一体どういう意味なのか……いや、むしろそのままの意味なのだろうか……。
 小夜の頭の中にはそんな考えが巡っていた。答えを見つけ出すことができずに俯いてしまう。

 小夜の様子を見て、イサナギは更に言葉を続ける。
「普通、婚姻というものは好いている者同士がするものだ。お前は私と、本当に夫婦になることができるのかと聞いている」

 確かに、イサナギの言う通りだ。自分がイサナギを好いているのかと言われれば、今日会ったばかりの、しかも鬼を、好きですとは言えない。

「わかりません……。ですが、私には行くところがないのです。イサナギ様のお傍しか、ないのです……」
 イサナギは小夜のその言葉を聞き、静かに呟いた。
「そうか」

 お互いそれ以上口を開くことはなく、小夜はイサナギの自室を後にした。

 小夜の座っていた場所を見ながら、イサナギは軽く息をついた。

 小夜が部屋へ戻ると、天が布団の準備をしていた。
「小夜様! イサナギ様とのお話はもうよろしいのですか?」
 思ったよりも帰りが早かった小夜に、天は心配そうに声をかける。
「何かありましたか?」

「いいえ……」
 その言葉とは裏腹に、小夜の表情は暗かった。

 結局、なぜ婚姻のことを聞いてきたのか分からないまま小夜は布団に入る。

 今日は新しいことに触れた一日だったため、疲れからかすぐに眠気に襲われた。眠りに落ちるとき、天の言葉が頭を過った。

『祝言に関してもご自分から名乗り出たのですから』

 本当にイサナギが自分から小夜を妻にすると申し出たのであれば、それは一体なぜなのか……。イサナギの考えていることがまるで分らず、小夜は深いため息をついた。

 その夜、小夜は夢を見た。満開の桜が散る中、母と父が小夜の目の前で切られ、倒れたあの日のことだった。目の前には真っ赤に染まる母と父がいる。
『お母さん……! お父さん!!』
 小夜は涙を流しながら、動くことのない両親に向かって叫ぶ。

『お母……さん……。お父さ……』

 その時、ふわっと桜が舞い、低い声と共に、突然目の前が見えなくなる。
『見るな』

 背中にほのかな温もりを感じ、小夜が振り返る。逆光で顔はよく見えないが、後ろから小夜を優しく包むように抱きしめ、着物の袖で両親の姿が見えないようにしてくれていた。
『だれ……?』
 涙で瞳が潤み、その人の表情すらも見えない。

『また会える。その時には何でも教えてやろう。私が誰なのかも……』
『え……』
 瞬きをした小夜の目から大粒の涙が零れた。目の前にはすでにその人の姿はなかった。

 はっと目を開けた時に見えたのは、昨日眠りにつく前に見た天井だった。
 今のは、夢だけど夢じゃない。
 忘れていた記憶が蘇る。確かにあの時、あの人は『また会える』と言った。
 あの時のあの人の声、今の小夜には聞き覚えがあった。

 その時、襖の外から声がかけられる。
「小夜様、天でございます」
「はい、どうぞ……」
 スッと襖が開き、天が部屋へと入ってくる。

「昨晩は眠れましたか?」
「はい。おかげさまで」
 その言葉に天は嬉しそうに微笑んだ。

「ええ、顔色も昨夜よりよろしいようで、安心しました。これから祝言のため着付けいたしますので」
「はい、お願いします」
 小夜がどこか嬉しそうな、柔らかい表情をしたことに天が気づいた。

「小夜様、なにか良い夢でも見られましたか?」
「え……」
 小夜は天の言葉にドキッとする。
「昨日はずっと強張っていたお顔が、今日はなんだか優しそうなものでしたので」
 外に舞う桜の花を見ながら小夜は答えた。
「……はい。とても懐かしい夢を見ました」

 そこで小夜は気づく。
「あれ……。中庭の雪が……」
「はい。今日は祝言だからと、イサナギ様が雪を止ませたのです。雪の降っていない中庭は私も初めて見ますが、桜の木もあったようで。綺麗ですね」
「そうですね……」

 母と父がいなくなってしまったあの日以来、小夜は初めて桜が綺麗だと思った。
 満開の桜の木からは、ひらひらと花びらが舞っていた。
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