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十二話 二人の食卓
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食卓に朝食が並んだ。ご飯にインスタントの味噌汁。おかずは卵焼き。このラインナップなら焼き魚でも付けたい所だったが、生憎切らしている。後は、冷蔵庫にあった納豆や明太子、漬物、海苔といったものを小鉢に移して並べた。
「完成だ。悪いな、こんなもんで」
「何を言う……!十分過ぎるぞ!白飯がこんなに……」
椅子の上に正座で座り、前のめりになって目を輝かせている。自然と口元が緩んで笑顔を覗かせた。そんな累の様子に思わず笑みがこぼれる。
「さあ、食おうぜ」
九十九が箸を取った所で、累が目を瞑って手を合わせた。
「頂きます」
「……いただきます」
累に倣う。そう言えば、久しく言っていなかったなと思いながら朝食を食べ始めた。
(うん、まぁ……いつも通りだな)
母親のいない阿原家では、家事は当番制を採用している。父親も仕事で家を空けることが多いので実質、姉の律と二人で回していた。洗濯や掃除などは苦手だが料理は別だ。作るのは嫌いじゃない。何より上手いし美味いと自負していた。事実、姉からはすこぶる高評価を頂いている。九十九の料理レパートリーの中でも、低価の卵を使った料理は作る頻度が非常に高い。故に、口は味を覚えてしまって飽きを感じさせるのだ。ふと、累に視線を向けると卵焼きを一口食べた所で俯いてしまった。
「え?お、おい。どした?」
「うっ……」
「う?」
「うっみゃぁー!」
「!?」
九十九はビクッと身体を震わせた。累は、勢い良く頭を上げて背を反らせて天を仰いでいる。頬は紅潮し表情は蕩けているようだ。そのまましばらく感動を噛みしめているのか、じっとしていたかと思うとはっとしたように居住まいを正した。
「お、おほんっ……うむ。良い味だ」
「……ふっふふっ」
あの絶叫の後で渋い顔をしても締まらない。おまけにまだ赤い顔をしている。堪えきれず噴き出してしまった。
「んんっ!笑うなっ、九十九!」
「くっふふっ……美味いか?」
「……ああ、美味しい」
笑う九十九を咎めるように睨むが、味に文句の付けようがないのだろう。降参だとでも言うように微笑を湛えた。
「九十九には才があるな。台所頭にもなれるぞ」
「なんだよ、それ」
「将軍様が召し上がる御食事を御作りする役人のことだ」
「んな大袈裟な……こんなもん誰にでも作れるよ。飯おかわりも出来るからな」
「すまない、有難う」
二人は暫し食事に集中した。累の空腹は留まるところを知らなかった。「んまい……んまい」と小さな声で呟きながら箸を進めていく。三杯目のおかわりをした頃には、おかずは無くなっていたが、白飯だけでももりもりと食べ、用意した朝食は綺麗に平らげていた。九十九は、男前な食いっぷりの彼女を見ているだけで腹が満たされる。累の体型からはそうは見えないが健啖家なのかもしれない。それとも、現代の初体験の味に箸が進んだだけか。どちらにせよ、作った身としては嬉しい限りであった。
「ご馳走さまでした」
「お粗末さん」
食べる前と同じように手を合わせて礼を尽くす。ふうっと満足そうに息を吐いた。
「本当に美味しかった……す、すまない、九十九。食べ過ぎてしまった……」
「なに言ってんだよ、作った甲斐があったぜ。卵焼いただけだけどな」
「何を言うか。感謝するぞ。いや、私はこう見えても……その……食べる方でな……良く、いよにも食べ過ぎだと言われたものだ」
累は気恥ずかしそうに、口の前に手を当てて話す。
「いよって?」
「私の剣術道場に奉公に来ている娘だ。身の回りの世話をしてくれている。気の利く娘でな、口五月蠅いのが玉に瑕だが」
「へぇ……」
まだ、それほど時間は経っていないのに懐かしむように話す。口五月蠅いなどと言っているが、可愛がっているのは優し気な表情からも窺える。
「さて……腹も膨れたことだし、風呂入るか……累もシャワー浴びた方がいいぜ」
食器を流し台へと片しながら言った。朝から慌ただしかったし、腹も減っていたので後回しになっていたが、服は昨夜のままである。土埃と血に塗れた服と汗臭い身体に今更ながら不快感がこみ上げる。累も似たようなもので、黒の羽織はさほど目立たないが藤色の小袖には血の跡が滲む。
「しゃわー?」
「風呂だよ、風呂」
「風呂があるのか?」
「うん。あるよ」
「しかし、そこまで世話になる訳には……」
遠慮する累に、腰に手を当てて「まったく……」と呟いてから続ける。
「なに言ってんだよ。今日、明日帰れるわけじゃないだろ?」
「それはそうだが……」
「助けてもらったし、しばらく家にいてくれても構わないぜ?」
「いっ……いいのか?」
当然、過去の人間である累に行く当てがあるはずがない。それに恩を感じているのも事実だった。累がいなければ確実に二度目の死を迎えていた。なにより、刀をぶら下げて街中を歩かせるわけにはいかない。昨夜の出来事を、九十九しか目にしていない以上、阿原家に匿う他ないのだ。
「別に一人増えるぐらい構いやしねぇって。姉貴も文句は言わないだろ。それに、もう家の飯をたっぷり食っちまったしな」
九十九は意地悪く笑った。
「お前な……ふふっ、有難う」
累は、九十九の冗談に苦笑しながら礼を言うがすぐに厳しい面持ちへと変わった。
「実を言うとな……九十九のもとで世話になる事を頼むつもりでいたのだ。九十九の……右手の事でな」
「……そう……だよな」
九十九の右手。あの『開闢』と書かれた謎の金属を手にした事によって、その身体に異常をきたしていた。今は表面上には何も起きていない。昨夜、水野と対峙した折に金属はその形を変えた。水色の奇妙な形の剣に。水野の手から逃れた時、その剣は消えた。消えたというよりも、融解し九十九の身体に溶け込むように一体化してしまったようだった。それから今に至るまで、あの金属は実体を見せることはなかった。
「あれを……持っているのだよな?」
累は窺うように尋ねた。
「ああ、持ってる……って無いんだけど。なんていうか、俺の身体の中にあるような感じなんだ。それに……ほら」
九十九は、半袖Tシャツの袖を捲った。肩から二の腕にかけて、刺青のようにあの金属に描かれていた二重螺旋模様が渦を巻くように刻まれていた。累は目を瞠った。
「面妖な……」
顔を近づけて、なぞるように模様を撫でる。九十九は慌てて腕を引っ込めた。
「ま、まあ……今は何ともないけどなっ」
「うむ、痛みはなしか。より不気味だな……身体から取り出すことは出来ないのか?」
「それが、どうしたら良いのやらさっぱりだな」
肌をつねったり引っ搔いてみたり、心の中で呼びかけてみたりしても応答はなかった。どうやら、完全に九十九の身体の一部になってしまったらしい。
「そうか……それを引き剥がす手段が分からない以上、ここを離れる訳にはいかないな」
そう言いながら、累は九十九の腕に視線を向ける。
「一体なんなんだろうな、累も分からないんだよな?」
「すまない。だが、恐らく何らかの儀式に使うもののようだが……」
「儀式?」
「いや、確証があるわけではない。呪いの類は門外漢だからな」
累は、顎の辺りを触りながら思案顔だったが、それ以上は語らなかった。総じて情報が少なすぎる。後は、何かを知っていると思われる者に聞くしかない。昨夜出会った水野や、現代に来ていると思われる旗本奴の頭領達が有力だろう。本音を言えば、会いたくはないものだが。
「だあっ!考えててもわからん。とにかく風呂入ってさっぱりしてぇ」
「ふふっ、そうだな」
九十九の右手については、ひとまず脇に置いておくことになった。今はとにかく汗を流したい。
◇
「ここが風呂な」
九十九は、累を浴室まで案内していた。案内と言ってもすぐ近くだ。玄関を入って左手側にリビング、反対側に二階へ続く階段がある。その階段の先にトイレがあり、横に洗面所と浴室だ。九十九は浴室のドアを開けて中を見せた。
「……うむ、もう騒ぐまい。据え風呂のようだが……これが桶として竈は何処にある?」
累は驚くのを辞め、累なりに過去のものと現代のものの擦り合わせをしていくことにしたらしい。これと指さしたものは浴槽だった。累の言わんとしていることは想像できた。竈の上に大きな桶を置いて、湯を沸かすものを言っているのだろう。
「いや、竈はない」
「えっ、どうやって湯を沸かす?」
九十九は何も言わず、蛇口を捻り浴槽へと湯を流した。
「なんと!水がっ」
「触ってみ」
「お、おう……これは……温かいっ、湯だ!」
ズズッ。
累は、両手に水を溜めるとそのまま飲んでしまった。
「飲むな」
「う……うまい。これは下に人がいるのか?」
「怖いこと言うな……ガスで沸かしてるんだよ」
「がす……?」
「うん……まあ、勝手に湯になるんだ」
九十九は、説明を省いた。ただ単に面倒になっただけだ。
「これもどこにでもあるのか?」
「そうだな。普通の家だったらあるぞ」
「なんてことだ……」
累は、そう呟いて浴槽に溜まる湯を眺めていた。江戸の庶民が住む長屋には風呂はなかった。いくつもの平屋が連なる集合住宅的な木造の長屋では、火の取り扱いが禁じられていたこともあって銭湯が一般的だった。その銭湯においても毎日通う訳ではない。それが未来では、こんな身近に風呂が楽しめるようになっている。
「じゃあ、累。先に入っていいぞ」
九十九は、浴室を後にしようとしたが、後ろから袖を引っ張られ止められた。
「な、なんですか」
「一緒に入ればいいだろう」
真面目な顔で累が言うのでぎょっとしてしまう。
「なに言ってんだ!一人で入れるだろっ」
「勝手がわからん」
「えぇ……いや、一緒にってわけには……」
確かにシャンプーやボディソープなどは分からないだろうが、口で説明すればいいのではないか。いや、シャワーすら分からないだろうし……などと考えて固まってしまった九十九に、累は笑顔で言った。
「なに、恥じることはない。私は剣術家であって女ではない。それに男女が一緒に入るなんて当たり前のことだぞ?」
「完成だ。悪いな、こんなもんで」
「何を言う……!十分過ぎるぞ!白飯がこんなに……」
椅子の上に正座で座り、前のめりになって目を輝かせている。自然と口元が緩んで笑顔を覗かせた。そんな累の様子に思わず笑みがこぼれる。
「さあ、食おうぜ」
九十九が箸を取った所で、累が目を瞑って手を合わせた。
「頂きます」
「……いただきます」
累に倣う。そう言えば、久しく言っていなかったなと思いながら朝食を食べ始めた。
(うん、まぁ……いつも通りだな)
母親のいない阿原家では、家事は当番制を採用している。父親も仕事で家を空けることが多いので実質、姉の律と二人で回していた。洗濯や掃除などは苦手だが料理は別だ。作るのは嫌いじゃない。何より上手いし美味いと自負していた。事実、姉からはすこぶる高評価を頂いている。九十九の料理レパートリーの中でも、低価の卵を使った料理は作る頻度が非常に高い。故に、口は味を覚えてしまって飽きを感じさせるのだ。ふと、累に視線を向けると卵焼きを一口食べた所で俯いてしまった。
「え?お、おい。どした?」
「うっ……」
「う?」
「うっみゃぁー!」
「!?」
九十九はビクッと身体を震わせた。累は、勢い良く頭を上げて背を反らせて天を仰いでいる。頬は紅潮し表情は蕩けているようだ。そのまましばらく感動を噛みしめているのか、じっとしていたかと思うとはっとしたように居住まいを正した。
「お、おほんっ……うむ。良い味だ」
「……ふっふふっ」
あの絶叫の後で渋い顔をしても締まらない。おまけにまだ赤い顔をしている。堪えきれず噴き出してしまった。
「んんっ!笑うなっ、九十九!」
「くっふふっ……美味いか?」
「……ああ、美味しい」
笑う九十九を咎めるように睨むが、味に文句の付けようがないのだろう。降参だとでも言うように微笑を湛えた。
「九十九には才があるな。台所頭にもなれるぞ」
「なんだよ、それ」
「将軍様が召し上がる御食事を御作りする役人のことだ」
「んな大袈裟な……こんなもん誰にでも作れるよ。飯おかわりも出来るからな」
「すまない、有難う」
二人は暫し食事に集中した。累の空腹は留まるところを知らなかった。「んまい……んまい」と小さな声で呟きながら箸を進めていく。三杯目のおかわりをした頃には、おかずは無くなっていたが、白飯だけでももりもりと食べ、用意した朝食は綺麗に平らげていた。九十九は、男前な食いっぷりの彼女を見ているだけで腹が満たされる。累の体型からはそうは見えないが健啖家なのかもしれない。それとも、現代の初体験の味に箸が進んだだけか。どちらにせよ、作った身としては嬉しい限りであった。
「ご馳走さまでした」
「お粗末さん」
食べる前と同じように手を合わせて礼を尽くす。ふうっと満足そうに息を吐いた。
「本当に美味しかった……す、すまない、九十九。食べ過ぎてしまった……」
「なに言ってんだよ、作った甲斐があったぜ。卵焼いただけだけどな」
「何を言うか。感謝するぞ。いや、私はこう見えても……その……食べる方でな……良く、いよにも食べ過ぎだと言われたものだ」
累は気恥ずかしそうに、口の前に手を当てて話す。
「いよって?」
「私の剣術道場に奉公に来ている娘だ。身の回りの世話をしてくれている。気の利く娘でな、口五月蠅いのが玉に瑕だが」
「へぇ……」
まだ、それほど時間は経っていないのに懐かしむように話す。口五月蠅いなどと言っているが、可愛がっているのは優し気な表情からも窺える。
「さて……腹も膨れたことだし、風呂入るか……累もシャワー浴びた方がいいぜ」
食器を流し台へと片しながら言った。朝から慌ただしかったし、腹も減っていたので後回しになっていたが、服は昨夜のままである。土埃と血に塗れた服と汗臭い身体に今更ながら不快感がこみ上げる。累も似たようなもので、黒の羽織はさほど目立たないが藤色の小袖には血の跡が滲む。
「しゃわー?」
「風呂だよ、風呂」
「風呂があるのか?」
「うん。あるよ」
「しかし、そこまで世話になる訳には……」
遠慮する累に、腰に手を当てて「まったく……」と呟いてから続ける。
「なに言ってんだよ。今日、明日帰れるわけじゃないだろ?」
「それはそうだが……」
「助けてもらったし、しばらく家にいてくれても構わないぜ?」
「いっ……いいのか?」
当然、過去の人間である累に行く当てがあるはずがない。それに恩を感じているのも事実だった。累がいなければ確実に二度目の死を迎えていた。なにより、刀をぶら下げて街中を歩かせるわけにはいかない。昨夜の出来事を、九十九しか目にしていない以上、阿原家に匿う他ないのだ。
「別に一人増えるぐらい構いやしねぇって。姉貴も文句は言わないだろ。それに、もう家の飯をたっぷり食っちまったしな」
九十九は意地悪く笑った。
「お前な……ふふっ、有難う」
累は、九十九の冗談に苦笑しながら礼を言うがすぐに厳しい面持ちへと変わった。
「実を言うとな……九十九のもとで世話になる事を頼むつもりでいたのだ。九十九の……右手の事でな」
「……そう……だよな」
九十九の右手。あの『開闢』と書かれた謎の金属を手にした事によって、その身体に異常をきたしていた。今は表面上には何も起きていない。昨夜、水野と対峙した折に金属はその形を変えた。水色の奇妙な形の剣に。水野の手から逃れた時、その剣は消えた。消えたというよりも、融解し九十九の身体に溶け込むように一体化してしまったようだった。それから今に至るまで、あの金属は実体を見せることはなかった。
「あれを……持っているのだよな?」
累は窺うように尋ねた。
「ああ、持ってる……って無いんだけど。なんていうか、俺の身体の中にあるような感じなんだ。それに……ほら」
九十九は、半袖Tシャツの袖を捲った。肩から二の腕にかけて、刺青のようにあの金属に描かれていた二重螺旋模様が渦を巻くように刻まれていた。累は目を瞠った。
「面妖な……」
顔を近づけて、なぞるように模様を撫でる。九十九は慌てて腕を引っ込めた。
「ま、まあ……今は何ともないけどなっ」
「うむ、痛みはなしか。より不気味だな……身体から取り出すことは出来ないのか?」
「それが、どうしたら良いのやらさっぱりだな」
肌をつねったり引っ搔いてみたり、心の中で呼びかけてみたりしても応答はなかった。どうやら、完全に九十九の身体の一部になってしまったらしい。
「そうか……それを引き剥がす手段が分からない以上、ここを離れる訳にはいかないな」
そう言いながら、累は九十九の腕に視線を向ける。
「一体なんなんだろうな、累も分からないんだよな?」
「すまない。だが、恐らく何らかの儀式に使うもののようだが……」
「儀式?」
「いや、確証があるわけではない。呪いの類は門外漢だからな」
累は、顎の辺りを触りながら思案顔だったが、それ以上は語らなかった。総じて情報が少なすぎる。後は、何かを知っていると思われる者に聞くしかない。昨夜出会った水野や、現代に来ていると思われる旗本奴の頭領達が有力だろう。本音を言えば、会いたくはないものだが。
「だあっ!考えててもわからん。とにかく風呂入ってさっぱりしてぇ」
「ふふっ、そうだな」
九十九の右手については、ひとまず脇に置いておくことになった。今はとにかく汗を流したい。
◇
「ここが風呂な」
九十九は、累を浴室まで案内していた。案内と言ってもすぐ近くだ。玄関を入って左手側にリビング、反対側に二階へ続く階段がある。その階段の先にトイレがあり、横に洗面所と浴室だ。九十九は浴室のドアを開けて中を見せた。
「……うむ、もう騒ぐまい。据え風呂のようだが……これが桶として竈は何処にある?」
累は驚くのを辞め、累なりに過去のものと現代のものの擦り合わせをしていくことにしたらしい。これと指さしたものは浴槽だった。累の言わんとしていることは想像できた。竈の上に大きな桶を置いて、湯を沸かすものを言っているのだろう。
「いや、竈はない」
「えっ、どうやって湯を沸かす?」
九十九は何も言わず、蛇口を捻り浴槽へと湯を流した。
「なんと!水がっ」
「触ってみ」
「お、おう……これは……温かいっ、湯だ!」
ズズッ。
累は、両手に水を溜めるとそのまま飲んでしまった。
「飲むな」
「う……うまい。これは下に人がいるのか?」
「怖いこと言うな……ガスで沸かしてるんだよ」
「がす……?」
「うん……まあ、勝手に湯になるんだ」
九十九は、説明を省いた。ただ単に面倒になっただけだ。
「これもどこにでもあるのか?」
「そうだな。普通の家だったらあるぞ」
「なんてことだ……」
累は、そう呟いて浴槽に溜まる湯を眺めていた。江戸の庶民が住む長屋には風呂はなかった。いくつもの平屋が連なる集合住宅的な木造の長屋では、火の取り扱いが禁じられていたこともあって銭湯が一般的だった。その銭湯においても毎日通う訳ではない。それが未来では、こんな身近に風呂が楽しめるようになっている。
「じゃあ、累。先に入っていいぞ」
九十九は、浴室を後にしようとしたが、後ろから袖を引っ張られ止められた。
「な、なんですか」
「一緒に入ればいいだろう」
真面目な顔で累が言うのでぎょっとしてしまう。
「なに言ってんだ!一人で入れるだろっ」
「勝手がわからん」
「えぇ……いや、一緒にってわけには……」
確かにシャンプーやボディソープなどは分からないだろうが、口で説明すればいいのではないか。いや、シャワーすら分からないだろうし……などと考えて固まってしまった九十九に、累は笑顔で言った。
「なに、恥じることはない。私は剣術家であって女ではない。それに男女が一緒に入るなんて当たり前のことだぞ?」
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