陰陽剣劇譚―カミナリ―

黄坂文人

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七話 右手に宿るもの

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「水野っ、やめろ!」
 叫び声が聞こえる。水野越しに累を見た。やっと痛みが引いたのか、こちらへ駆け寄ろうとしている。しかし、間に合わないだろう。切先が心臓へと近づいてくる。その刹那は極めて緩やかに感じられた。自分がいる空間がスローモーションに過ぎていく感覚。死の間際特有のものなのかもしれない。
(死んだか……)
 そう確信して、迫りくる切先をただ眺めていた。ゆっくり、ゆっくりと心臓へ近づく切先が……止まった。何だ。何が起きた。そう思って鬼面の方へ目を向ける。その視線は九十九の顔には向いていなかった。
「なんだこりゃあ……」
「つっ……九十九?」
 水野がぽつりと呆けるように呟き、累が動揺の声を上げた。視線の先を追う。九十九の右側、あの金属が握られている右手だった。右手をみて九十九は目をみはった。
(はっ……?なんだこれ……こんなもんいつ)
 その右手に握られているのは、あの金属ではなく剣だった。それは刀と呼ぶには少々形容が特殊だった。右手が握っている柄に当たる部分は、通常その柄に納められている筈のかなごがむき出しになったような形状をしている。裸の金属を握っているというのに、違和感は全く感じられなかった。刃長は打刀うちがたなと大差ないが、その身幅はかなり広く威圧感を感じられる。透き通った空のような水色の刀身。刃、刃文、鎬等は見られずその刀身は特殊と言える最たるものだろう。その刀身の周囲が青い炎のように揺らめいている。そして異常は剣だけではない。九十九の手と腕。それに這うように二重螺旋が張り巡らされていた。模様が刻まれているのではなく、皮膚の上を何かが覆っているようだ。二重螺旋は液体のように流動し、蠢いていた。
 九十九は、自分の右手に驚愕するも、すぐに水野の様子を窺う。切先は止まったまま、視線もまだ右手に注がれている。この剣が使えるかどうかは分からない。しかし、一矢報いるとしたらここしかない。水野が意表を突かれているこの瞬間しか。九十九は、その剣を持った腕を鬼面目掛けて振り上げた。その速度は決して速くない。だが、不意の反撃に水野の反応が遅れた。
「……!!」
 水野は九十九の首から手を離し、眼前に迫る剣を咄嗟とっさに首を振り避けようするも躱し切れない。九十九が振り上げたそれは、図らずも先の戦闘で累が鬼面に付けた傷をさらに抉った。鬼面が欠け、左目の周辺が露になる。赤く、濁った眼が揺れている。それは動揺からか、はたまた怒りからか。咥えていた煙管がカランと音を立てて落ちた。
「ぶあぁっ、げっほ、げほ……うえぇ」
 水野の手から逃れた九十九は、橋の欄干に背を仰け反らせ呼吸を整えた。
「やってくれたな……餓鬼……」
 水野は鬼面に手を遣って九十九を睨み付ける。さらに周囲を取り巻く煙が濃密になった気がした。蛇に睨まれた蛙のように動けない。その怒気に呼吸すらままならない。水野は一歩足を踏み出して刀を振り上げた。
(やべえっ!)
 欄干に背を預けたまま、その身が震えて避ける事が出来ない。身体全体が緊張して硬直してしまっている。こうなってしまっては、右手の剣もただの飾りでしかない。ただ、天を突かんばかりに掲げた妖刀を見ている事しか出来なかった。そんな九十九を鬼は冷徹に見下ろしている。
 刹那、両者の間に黒い物体が割り込んできた。それと同時に聞こえたチリン、チリンという鈴の音。猫だ。黒猫が首輪の鈴を小気味よく鳴らし、二人の間に飛び込んできたかと思うと着地してすぐさま水野に向かって飛び掛かった。
「ぶふっ」
 黒猫は鬼面に飛びつき、しがみ付いた。頭を振り、猫を掴んで引き剝がそうとする水野。しかし、そのしがみ付く力は存外に強く、激しい鈴の音と猫の鳴き声が空間に響く。状況は混迷し、あっけに取られてしまう九十九だが、そこへ累が駆け寄ってきた。
「累っ!大丈夫なのか?」
「九十九……御免っ」
「へっ?」
 累は九十九の目を真っ直ぐに見てから一言そう言うと、九十九の両脇を掴んだ。軽々と身体を持ち上げ、肩に担ぐ。
「ちょ、おい、何を……」
 欄干に足を掛けると、躊躇せず橋を飛び降りた。
「嘘だろおぉっ!」
 二人は空中へと投げ出された。あれこれと考える間もなく、重力はその身体を暗闇へと引きずり込む。九十九はただ叫ぶ事しか出来ない。落ちながら見た夜空にはもう星々は無く、暗澹あんたんたる虚空が広がっていた。
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