復讐の甘い罠

藤木兎羽

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翡翠と堅悟 犬猿の仲

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瑠璃と拓馬のド修羅場が起きる一日前に、北関東の病院で、コンコン、とドアが鳴った。

「どうぞ」
中から返事が来て、久我の当主が心底ホッとする。

「失礼するで」
声をかけて入ると、中の女性がギョッとしたように久我の当主を見た。 

「堅悟はん…」
一条の大女将である翡翠が呟いた。
思ったよりも元気そうな姿。
自分と丁々発止とやりあっていた時と姿はほぼ変わらず、黒くて艶やかな髪も以前のままだった。

「髪の毛抜けてへんのやな」
堅悟が言った。
「最近のは抜けへんのもあるのや。それより何しに来はったん?久我にだけは知られんようにしたはずやのに」
翡翠が可愛げのない物言いで返す。

「相変わらずの可愛くない女やな。」
堅悟がいつもの様に忌々しそうに言った。
それでも視線が彼女の腕に刺さっている抗がん剤投与の為の注射針を見て、そのまま黙る。
何個も腕に残る注射の跡と、頭に巻かれた包帯が痛々しい治療を物語っていた。
堅悟が椅子に座りながら翡翠をじっと見る。

「頭手術やいうのに、毛ぇ剃らんのか?」
と、聞いた。
「えらい髪の毛に拘るお人やな?最近のはちょっとしか穴あけんよってに全部は剃らんでええのやて」
翡翠がつっけんどんに答える。
「そうか…」
堅悟がちょっとホッとしたように呟く。
「何しに来はったん?」
翡翠が聞いた。
「何て。そら見舞いやろ?」
堅悟が言った。

「くたばるところ見よう思て、意気揚々来はったんちゃうのん?」
いつもの様に憎まれ口を叩いて堅悟を見た翡翠が、彼の表情が固まったように凍っていたから黙った。
白い無機質な病室にいくつか飾られた花を、まだ秋には少し早い風が窓から入って揺らした。

「それで、病状は…?」
堅悟が聞いた。
「敵にいちいち教えますかいな」
それでも翡翠が言った。
「翡翠!」
いつになく真面目な顔で堅悟がそれを遮る。
「堅悟はん…」
翡翠がじっと堅悟を見つめ返す。 

「後生やから素直に病状教えてくれ…。病院に聞きたかったけど他人には…教えられん言われて…」
堅悟が言った。
「ウチにもまだよう解らへん」
翡翠か答える。
堅悟がそれに反応した。

「何でや?何で解らへんのや?」
と、聞き返す。
「抗がん剤がイマイチ合わんのやて。効きが悪いとまあ、あと半年やろて。上手く効いたら長いこと生きられるかもてお医者には言われたわ」
と、翡翠が答える。 

「半年…?」
堅悟が呟く。
そしてそのまま俯いた。

「嘘や…」
と、呟く。

「嘘言うてどないしますのん…」
言いかけて翡翠が彼の膝元で握られている拳が震えているのに気がついた。
「堅悟はん…」
翡翠が呟く。

「嘘や…」
堅悟が俯いたままで言った。
翡翠がじっと堅悟を見つめる。

「ライバルの腐れ女でも死ぬとなったら、ちょっとは同情してもらえますのん?」
俯いたままの堅悟に翡翠が言った。
堅悟が不意に顔を上げる。
その顔にもう翡翠が何も言えなくなる。
ただ黙って彼の視線を受けて、そして返すことしかできなくなる。

「翡翠…後生や……結婚してくれ………」

いきなり堅悟が言った。

「結婚!今更してどないしますのん!」
翡翠が聞き返す。

「後生やから、俺をもう、お前の人生から締め出さんといてくれ………」

堅悟が言った。
そう言ってから、そっと傍まで行って、壊れ物のように翡翠を抱き寄せる。

「後生や…残り半年のお前の人生に俺を居らせてくれ…」
堅悟が呟く。
「堅悟はん………」
翡翠が呟く。

ずっと昔に喧嘩別れして以来、憎まれ口しか互いに叩いて来なかった。
ライバルとして互いに牽制し合って、会話してもぎすぎすしたものばかりで。
その彼の懐かしい感触。

「お前の病状一つ教えてもらえん。何かあった時にお前の為に動くこともでけへん……」
堅悟が呟く。
翡翠が彼の腕の中でそっと目を閉じる。

ここのホスピタルは長期療養が目的だから、家族滞在型の施設もある。
そこで仲良く過ごしている家族を見るたびに想像していた。
やけくそを起こして選んだ挙句に浮気三昧で死んでいった亭主ではなく、若かりし日に些細なことで行き違って放してしまった人が傍に居たらどうなっていただろうと。

「堅悟はん………」
翡翠が呟く。
何度も何度も後悔した。
最初に彼が謝って来た時にどうして許さなかったのか。
どうして当てつけのように結婚なんてしてしまったのか。
彼もその後すぐに結婚して。
遠く隔たってしまった道。
自分が夫を亡くす前、夫の浮気ですったもんだしてるとき、丁度彼も二番目の妻と別れたばかりで。

その時に彼が
「貰い手無いなら貰ろてやってもええで」
と、言ったのに怒ってひっぱたいたら、彼は当てこすりのように三人目の妻と再婚した。

そこからはもう意地の張り合いばかりで。

「髪…綺麗なままやな……」

堅悟が言った。
そして髪をそっと撫でる。
彼が好きだった長い髪。
セミロングが好きだと夫に言われても頑として切らなかった。
以前にもこうして髪を撫でてくれた。

「俺はこの綺麗な髪がいっちゃん好きや…」
と、何時も言ってくれていた。
だから手術の時も髪を残せないかとしつこく聞いた。
墓の中に綺麗な髪のままで入りたいと何となく願った。

「堅悟…はん…」
翡翠が震える声で答えて堅悟にぎゅっとしがみ付く。

「後生や………」
堅悟が答える様に翡翠をぎゅっと抱いた。


「………あんた30年遅いんどすえ?」

抱かれたままで翡翠が言った。
堅悟が腕の中の翡翠を見る。
何時もの小憎たらしい表情で自分を睨んでいる。

「ほんまにぐずぐずしいなんやから。さっさと婚姻届け持ってきなはれ」
翡翠が言った。

堅悟がそれに凄く嬉しそうに笑った。

その堅悟の笑顔に翡翠がぽーっと紅くなる。
まるで少女のように。
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