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戦いの火蓋
しおりを挟む遠くに住んでる訳でもないのに普段は来ない市街地の方に、そのホテルは立っている。
ホテルコンスタンシアヴィラージェ京都。
京都の市街地は意外にもビルが多い。
景観保護は叫ばれているが、人間の利便性もまた追及されるから悩ましい所だ。
そのホテルは駅からも近く観光地へのアクセスもいい。
そして近代的な設えと、和の趣が混在している正に一流だと一目で解るホテルとなっていた。
外側の外観も鉄筋なのにどこか和の趣をなくしておらず、中に入ると贅沢な木材や京都らしい華やかな織物や染め物を利用した調度が品よく格式ある雰囲気を作り出す。
適度にざわめき、明らかに上流だと解る男女が行きかう。
訓練されたホテルマンたちの応対も一流で、外国人とみられる客も多い。
かと思うと市街地らしく、バックパッカーっぽい雰囲気の外国人もいたりする。
その外国人たちもスルリと受け入れてしまえる柔軟性が何となくここにはある。
(…ここはうちにはない強みやわ…近代ホテルやから出来るいう所なんかな…)
一条はもっと、つんけんした冷たさを持ってるというか、京都のいいところも悪い所も併せ持ってる感じがする。
けどここには伝統は確かに感じるのに、居丈高な感じはない。
客がするっとこっちに馴染んでくるような感覚。
(見習う所……あるなぁ…)
瑠璃がエントランスを通り抜けながら指定された階へと向かう。
客室部分になると途端に人の気配も無く静かになる。
知らずに体に緊張が走る。
(まだ今日は愛人契約は発行してへん。明日からやもん…まだ大丈夫や……)
ど、自分に言い聞かせる。
それでも1365のドアプレートを見ただけで、くらくらしそうになる。
(…だめや…しっかりせえへんと…負けたらあかん!)
と、どこかの演歌歌手みたいな気合をついつい入れる。
それでも意を決してドアをノックする。
コンコン、と消え入りそうなノックの音がして、心臓が飛び出そうなぐらいにドキッとした。
半分は来ないとタカを括って居て。
半分は来てほしいと願っていた。
ドアの向こうに瑠璃が居ると思うだけで、足元がふわふわの綿の上に居るような気がした。
でもそれを隠して無表情でドアを開けた。
唇を引き結んで、背筋をピンと伸ばして、いかにも若女将らしい上品な和装を着こなして、彼女は立っていて。
でもどこか不安そうな風情が見えていた。
それを必死で強く見せようとしている。
そんな気配。
「どうぞ」
と、敢えて丁寧に招き入れる。
瑠璃は背筋を伸ばしたままで自分を無視するように室内へと入った。
「座ればいい」
昔のように砕けたままの言葉で言った。
瑠璃が無言のまま、ソファスペースの一つへと座る。
部屋はセミスイートだが余計な心配をさせないように居間スペースと寝室が分離しているタイプを選んだ。
「飲み物は?」
藤堂が聞いた。
瑠璃が無言で首を振る。
(出来るだけ口もききたくない…ってことか。……まあそうだよな)
自分がしたのは、考えられない程、破廉恥な提案なのだ。
軽蔑されても仕方ないと今なら痛いほど解るのに。
藤堂だけがペリエとグラスを二つ持って座った。
二人分のペリエを注いで、藤堂だけが口をつける。
暫くの重い沈黙。
それを破る様に瑠璃が口を開いた。
「条件を詰めたくて来たの。うちの条件は絶対に誰にも知られへんこと。女将の仕事に支障が出る様にしてもろたら困るいう事、三か月で絶対に終わる言う事」
瑠璃が事務的な口調で言った。
「三か月で資金繰りできなかったら?」
藤堂が聞いた。
「それは貴方には関係ないことやおまへんか?」
と、瑠璃が冷たく拒絶する。
藤堂がそれにムッとする。
「三か月待ってもろて。個人分の返済と一番最初の手形の決済が出来たら、あとの残りの債権については期日までは待ってくれはるいうはる事でいいんですよね?」
瑠璃が聞いた。
「…条件を変えたい、と言ったら?」
藤堂が不意に聞いた。
瑠璃が警戒したように藤堂を睨む。
「結婚、してくれと言ったら?」
瑠璃がそれに目を見開く。
「じ、冗談やないわ!絶対に嫌やわ!」
瑠璃がソファーから立ち上がり部屋を出ようとする仕草を見せる。
それを藤堂が腕を掴んで引き戻す。
「離して!嫌!」
暴れる瑠璃を藤堂が一瞬だけ見つめた。
「冗談だ。座れよ」
瑠璃をもとの椅子に促す。
「たちが悪すぎやわ!」
瑠璃がホッとしたように元の椅子に座る。
「そうだな…条件は。明日から週に二度。このホテルの最上階のオーナースイートで。月に一度だけは朝まで過ごす事。愛人をしている間は俺以外の男を寄せないこと」
藤堂が言った。
「週に二回もなんて無理やわ!」
瑠璃が言った。
「却下。出来ないなら明日までに耳揃えて個人債権分を持ってくるんだな。途中でお金ができましたなんてのも却下。一度走り出したら三ヶ月は、変更はできない。ただし三ヶ月後には俺は東京に戻り、お前とは二度と関わらない」
藤堂が言った。
瑠璃がグッと体に力を入れる。
目の前で悪魔みたいなセリフを吐いている男を引っ叩きたい気分だった。
(ちょっと見ぃひん間にどんな下品な人間に成り果てたんよ!そんなにもウチが憎いんか!?)
フツフツと怒りが湧いてくる。
前の拓馬は切れるタイプだけど優しかった。
人の気持ちをはかれる人だったのに。
(人間て…変わるんやな…)
瑠璃が寂しそうに視線を落とす。
(…無茶苦茶言ってるのは解ってる…)
ここに瑠璃が来なければ無かったことにして帰るつもりもあった。
けど現実の瑠璃を前にして、頭より心が悲鳴を上げた。
欲しくて堪らないんだと頭より先に心が答えを出してた。
瑠璃を苦しめたくないと思う反対側で、どんなことをしても瑠璃が欲しいと心が暴走していた。
(今、言うべきなのに…なんの条件もなしで三ヶ月は待つからと…あの男と予定通り結婚しろと)
なのに口をついて出たのは結婚したいという言葉だった。
契約にかこつけた最低のプロポーズだったけれど。
多分あれが本心だった。
瑠璃と結婚したいんだと、あの言葉が思考の外側から勝手に口をついて出た時に理解できた。
欲しい女は瑠璃だけだったんだと。
今更すぎて泣けてくるようなお粗末ぶりだと自分でも情けなくなる。
そして瑠璃はそれを死んでも嫌だと言った。
嫌われているとわかっているのに、それでも心は瑠璃が欲しいと今この瞬間も叫んでいる。
今すぐに抱きしめてキスして、抱きたいと。
未だ知らない瑠璃の本当に乱れる姿を俺だけのものにしたい。
「ほなら…お客様の少ない月曜の夜と水曜の夜。時間は夜の九時から。貴方が来れへん日があっても一回とみなします。月一回の日は朝六時にはここを出さしてもらいますけど、ええのん?」
瑠璃が聞いた。
「問題ない。」
藤堂が頷く。
「あと、他の人にこの関係を貴方が漏らしはったら、その時点で契約は違反いうことで残りは何があってもきまへん。ウチかて体面言うものがありますから」
瑠璃が言った。
「いいだろう」
藤堂がまた頷く。
「あんたはんも酔狂なお方やな!自分のこと心底嫌ろてる女のどこがええのん?」
瑠璃が睨みつける様に聞いた。
「別に?昔回収しそこねた債権回収のようなものだと言ったろ?」
藤堂が答える。
今更好きだなんて言える雰囲気ですら無かった。
「最っ低やわ!軽蔑するわ!」
瑠璃が吐き捨てるように言う。
「別に?お前に嫌われたからって俺の生活には影響はない」
心とは全く違うことを藤堂が答えた。
瑠璃に冷たい言葉を投げつけられるたびに心臓は切りつけられるような痛みに襲われているのに。
平気だという仮面を被ることでしか自分を保てなかった。
もう、自分でも何をしたくて何をしてるのか、解らなくなりつつあった。
瑠璃をこんなふうに抱いていいはずがないと思いつつ、それでも抱きたいという欲望は止められなくて。
抱いてみてどうなるのかすら予測がつかなかった。
「最初の日は…朝までにしてくれ。明日が嫌なら週末までのどこかを指定していい。夕方七時に来てほしい。」
藤堂が言った。
最初に瑠璃を抱く日だけは少しでも特別にしたかった。
本当の愛人のようにホテルの部屋で抱くだけ抱いて送り出すのをしたくなかった。
(例え一過性の関係だとしても…)
そう言われて瑠璃が藤堂を睨む。
(何を考えているの?何かの罠?)
言うだけ言ってから藤堂は窓の外を見ている。
(あ…)
それで瑠璃がふと思い出した。
拓馬の癖の一つ。
彼は不安だったり、これでいいのかと考えを巡らせるときによく窓の外をを見る癖があった。
付き合っていたときに、「窓の外に何かあるん?」と、聞くと大抵は考え事をしてたという回答が来た。
あとは一条に来てから彼がここに残るべきかを悩んでいたときに、今と同じ仕草を良くした。
それで気がついた。
望まない世界で無理をしている彼に。
だからあの時、彼を自由にしなくてはと思った。
(何か迷ってる?若しくはなにか嫌なことがある?)
瑠璃が藤堂を見つめる。
瑠璃の視線に気がついて、藤堂がフッと瑠璃を見る。
まっすぐに自分を見る瑠璃に言いようのない感覚が来る。
「いつにするんだ?」
藤堂が気持ちをごまかすように聞いた。
問われて瑠璃が覚悟を決めたように答えた。
「では明後日の水曜日に」
まっすぐに藤堂を見て告げた。
「解った。ならこれがその部屋のカードキーだ。三ヶ月は何時でも好きに使っていい。」
藤堂が金色のカードキーを渡す。
それには部屋番号は書かれて居なかった。
「最上階は解るけど、何号室なん?」
瑠璃が聞いた。
藤堂がクスっと少し笑う。
「何がおかしいのん!?」
瑠璃が、またちょっと怒る。
「いや、馬鹿にしたんじゃない。最上階は一つしか無いんだ。正確にはそのカードキーをエレベーターにかざさないと最上階のボタンは押せない。エレベーターのosのボタン」
と、藤堂が答える。
「ホテル従業員もお前が来る時間には近寄らせない。偽装が必要なら、ここのエステサロンに通ってるとか、そういう理由でもつけるといい」
と、藤堂が付け加えた。
「慣れてんのやね?何時もしてはる言うことやんな」
瑠璃が少し嫌味を混ぜて聞いた。
多分全国あちこちにある彼のリゾートには彼が許したものだけが泊まれるこういう部屋がやたらあるのだろう。
そして彼はそこで女を好きなだけ抱いて、飽きたら捨てる。
今の自分の有様を見る限りそうなのだとしか思えなかった。
藤堂は瑠璃の質問には答えずに黙っていた。
瑠璃も、だから黙る。
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