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11 祖父の姿

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「ここだ。」

「うん。」


 ランメルトに連れられて来た、屋敷の東側にある建物の棟は少し奥まっている。本邸は色とりどりの花が咲く庭園と噴水が見渡せたのだが、ここは林のような木々が廊下の窓から見え、枝葉も屋敷へと伸びていて少し薄暗く感じた。
 ランメルトも、祖父であるレオポルトの部屋の前に来ると緊張するのか、扉を叩く手をなかなか動かそうとしない。

 それでも、ややもして控えめに叩くと中からは侍従が応対し、部屋の中へと入った。


「先週、倒れてからずっとベッドから起き上がれないでいるんだ。
 …じいさん、俺、ランメルトです。」


 部屋の中央には大きなベッドがあり、そこに横たわって寝ている人がレオポルトだろうと思う。
 が、そのベッドから少し離れた所に立っている、髪を首元で一括りに丸めた、レオポルトよりも随分と若そうな丸顔の優しそうな女性の霊が立っているのが、フレイチェには気になった。
 悲しそうな目で、レオポルトをじっと見つめている。手にはハンカチを持ちギュッと握り締めている。


 ベッドの上のレオポルトは、目だけを僅かにこちらへと動かし、手を伸ばそうとしたが、ガタガタと上下左右に揺れてすぐに下へと下ろす。どうやら思うように動かせないように見えた。時折ヒューヒューという音が、口から聞こえる。


「呼吸は辛うじて出来てるみたいだけど、空気が漏れているような音がするだろ。それに、手足が震えたりするみたいだ。」

「そう…。」


 フレイチェは痛々しいその姿に、胸が締め付けられ涙が出そうになる。それは、レオポルトの隣にいる女性の感情に引っ張られているのかもしれない。
 フレイチェはベッドへと近づき、少し腰を屈めて視線を合わせる。と、なんとなくであるが、レオポルトは表情を和らげたように見えた。


「こんにちは。私、フレイチェと申します。ボーハールツ家からやって来ました。昨日、ランメルト様と夫婦になりました。よろしくお願い致します。」


 一言一言ゆっくりと、フレイチェは語りかけるように言うと、レオポルトは頷くような仕草をしたが上手く動かないのか痛みがあるのか、次の瞬間目をギュッと瞑り険しい顔をした。


「じいさんが紹介してくれたフレイチェは、とても素晴らしい女性です。
 これから、夫婦となってこの家を盛り立てていきますから、どうぞ見ていて下さい。」


 目をギュッと瞑ったまま、右腕をどうにか少しだけ上げて首も若干上下に動いたように見せたレオポルトに、ランメルトは無理をさせてしまったかと思いフレイチェへと視線を向け、部屋を出ようと言った。

 対してフレイチェは、それに素直に応じるべきか迷った。レオポルトには挨拶が済んだし、これ以上負担を掛けすぎてもいけないだろうと思う。それ程、体調が良く無さそうであったから。
 しかし次にこの部屋に来る時はいつだろうか、その時ここに立っている女性の霊はまだいるのだろうかと、疑問に思う。


「あの、ランメルト様。少しだけ、お時間をもらってもいいかしら?」


 意を決してランメルトに少しだけ待って欲しいと伝える。ランメルトなら嫌な顔をしない、そうなんとなくであるが思ったからだ。


「ん?大丈夫だが、どうした?」


 案の定、ランメルトはフレイチェがどうしたいのかを聞いてくれた為、フレイチェは微笑むと、ベッドの隣に立つ霊へと視線を向け、自身も曲げていた腰を上げて声を掛ける。


「こんにちは。お辛いですね。」


 《え!?私に話し掛けているの?》


 その女性の霊は、フレイチェが自分に視線を向けて話し掛けて来た為に驚き、今までレオポルトに向けていた視線をフレイチェへと向ける。


「はい。お話しても構いませんか?」

 《ええ、もちろんよ。あなた…ディアンナの所の?》

「え、お祖母様をご存じなのですか?」

 《うふふ…ディアンナの若い頃にそっくりね!私とディアンナはお友達だったの。それでね、結婚してもごくたまにお手紙のやり取りをしていたのよ。》

「そうなのですか…。」

 《私は早くに死んでしまったから、それからはここにいるの。レオポルトや、子供達、ランメルトの事が心配でね…。》


 フレイチェは、頷いて先を促している。優しそうな顔で、穏やかに話す口振りであった。

 ランメルトは、フレイチェの独り言のように話す断片的な言葉だけで、死者と話しているのだろうと思った。
 それを実際に見て、ランメルトにはその死者が何処にいるのか全く分からないし、フレイチェの言葉だけしか聞こえない。だが、フレイチェの視線の先にが居るのだろうとそれを温かく見守る事とした。異質な出来事であるのに、何故だかそれをすんなりと受け入れたランメルトは、このオルストールン家のさまざまな不幸の出来事を解明したいという思いなのかもしれない。

 ランメルトはフレイチェが話している人物は誰なのだろうと断片的な会話から推測し、会話を聞き逃さないようにしようと見つめていた。


 《私達の子供達は、小さな頃はみんな仲良かったのよ?それがいつの間にか悪くなって…長男のカスペルは侯爵家の嫡男であるべく育てたはずだったのに、平民の女を娶ってしまってね…長女のヨランダだって、何処か良いところに嫁がせようとゆっくり吟味してたのに何を血迷ったのか随分と年下の男性を囲っちゃって…。
 その兄姉を反面教師にしたのかしら。クラースがレオポルトの跡を継いでくれたのは良かったのだけれどどこからか拗れちゃったのよね…。》

「そうだったのですか…。」


 久し振りに誰かと話せるのが嬉しかったのか、その女性の霊はため息を吐きながら話し出す。
 だが、感情が高ぶったのか一転、ハンカチを持った手をブンブンと振って怒りを滲ませ、声を張り上げた。


 《カスペルとあの女よ!レオポルトをこんな風にしちゃったのは!!》


「ええ!?」


 先ほどまでは穏やかに話していた姿とはほど遠く、あまりの勢いに驚き、フレイチェは一歩後ろへと後退る。だがそこにはランメルトがいて、上半身で受け止めるような形となり、ランメルトが不思議そうにフレイチェへと声を掛ける。


「おっと。大丈夫か?」


 その声に振り返れば、すぐランメルトの体があり、見上げるとランメルトの顔が思ったよりも近くにあった為、途端に顔を赤らめる。フレイチェは二重に驚きながらもなんとか返事をした。


「う、うん…」


 その豹変振りに少しだけ恐ろしいと感じてしまったフレイチェだったが、ランメルトに後ろから支えられるような体勢となった事で、恥ずかしいと同時に安心もしたフレイチェ。


 《あの女がこっそりとお茶に似た何か違う液体に取り替えたのよ!自分達が作ったジャスミンティーと言ってたけど、あんなのジャスミンティーなんかじゃなかったわ!あんなに色が黄色のお茶なんて、おかしいわ!》


 その声に、フレイチェはまた女性の霊へと視線を向けると、透けている膝をついて座り込み涙を流していた。


 《私はこんな姿だもの、見ているだけしか出来なかった…どんなに助けたくても、触れられないのがもどかしくて。
 カスペルとあの女が、その液体を飲んで倒れたレオポルトを見て上手くいったと笑ったのよ!どうしてレオポルトを…許せないわ!!うっうっ……》


 フレイチェは傍に駆け寄り背中をさすろうと思い手を伸ばしたが、それは適わず空を切った。フレイチェは姿を見たり、会話は出来るが触る事は出来ないのだ。


 《どうしてよ…昔はあんなにかわいい子だったのに……そんなにお金が欲しかったのかしら…せめてもと余っていた子爵の爵位を与えたのに……うっうっうっ…》


「…教えて下さりありがとうございます。私がランメルト様に伝えて、どうにかなるようにしますから。」


 触れる事が出来ず悔しいと思うフレイチェは、もどかしいと唇を噛みながら自分に出来る事を伝えると、女性の霊はフレイチェへと視線を向けた。


 《…あなた、名前は…?》

「フレイチェです。
 悔しいかもしれませんが、どうか気を落とさないで下さい。」

 《そうね…フレイチェ、お願い。お願いね……ああ、レオポルト…》


 その女性は、どうにか立ち上がると、レオポルトのベッド際へと行き、崩れ落ちるようにしゃがみ込み、レオポルトを見つめ始める。


 それを見届けたフレイチェは、切ない思いを抱えながら、レオポルトにもその女性の霊にも聞こえるか聞こえない程の声で失礼しましたと言って、ランメルトと部屋を出た。


「…聞いても、いいか?」

「うん。私も、ランメルト様に話したい事があるの。」

「そうか。じゃあ…どうする?食事を一緒に摂るか?それとも食事を別々にした後、話をしようか?」


 そうやってランメルトは、フレイチェにどうしたいかを聞いた。

 ランメルトは逸る気持ちもあったが、食事を一緒にするのはどうなのだろうと迷った。オルストールン家では、食事を別々に摂っていた。それは、ランメルトの父親の世代の兄姉弟の仲が悪かった名残である。
ランメルトが幼い頃は一緒に食べていたような気もするが、ランメルトの四歳上のハブリエルが失踪した十一年前から、家族仲がだんだんと崩れていった。近年、祖父レオポルトも父クラースも、侯爵当主から退いたとはいえ少し仕事もしていた為、それぞれ仕事の合間に食事を摂っていたのだ。
 その為、共に食事をしていいものなのかランメルトは良く分からなかった為、フレイチェへと聞いてみる事としたのだ。


「あの…私ね、一人で食事を摂ってて寂しいと思ってたの。だから、ランメルト様さえ良ければ、私は一緒に食べたいの。」


 フレイチェは、自分の境遇を話すべきか迷った為、気持ちだけを吐露した。


「!
 そうだったのか!それは済まなかった!だったら、これからも一緒に摂れる時には一緒にしよう。」

「本当?嬉しいわ!」

「そうやってフレイチェの気持ちを言ってくれると有難い。やはり、言わないと分からないものだな。」

「ランメルト様は、私の気持ちや、どうしたいかを聞いてくれるから、私も言いやすいの。
 ランメルト様も、私に言ってね?」

「そうか?それは良かった。
 あぁ、そうしよう。」


 そう言って、どちらからともなく笑い合い、先ほどまでの暗い雰囲気を吹き飛ばすように手を繋ぎ合い食堂へと向かった。
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