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急を要する出来事

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「リューリ様!!?リューリ様ぁ!!!」


 マイサが驚き、悲痛な声を上げるとそちらに向かってリューリも聞こえるほどの声で叫んだ。


「マイサ、念のため扉を閉めてちょうだい!ね、お願い!」


 そう言うと、リューリは体を起こして辺りを見回す。後ろと前に挟むように騎乗して付いてきていた警備隊員がギョッとしてリューリを見る。そして二人共馬から慌てて降りようとしていた。

 リューリはしかしそれよりも、と瞬時に考える。
 ヴァルトと馬に乗って一度通った道だった為、なんとなく距離を推し量っているのだ。


(もう少し行った先が警備塔ね。
 でもそれより手前で声がするわ、きっとそちらで訓練をされてるのね。)


 だったら人の居ない方に向かわなければと、一度馬車の小窓がある方へと回りこみ、ハチミツの小瓶の蓋を開けるとトリバチを見ながら誘うように少し振って匂いを風に乗せる。そしてトリバチがこちらを見たと思ったリューリは木や熊笹が生えている獣道へと戸惑う事なく入っていく。


 ブーン


 リューリの思惑通り、トリバチはゆっくりと付いてきている。リューリは少し早足になり、駆け出す。そして少し行った所で後ろを振り返ってトリバチとの距離を見ようとした所で足元を木の根に引っ掛け転んでしまった。


「きゃ…!」


 膝から倒れ込んだリューリは、小瓶からハチミツがこぼれ、持っていた手の甲に少しだけついてしまった。

 そこへ、後ろからトリバチが勢いよくやって来る羽音が聞こえる。


(あぁ、こぼれちゃった。ごめんなさい、ハチミツ…)


 そのまま地面に小瓶を置くと、リューリはそこから遠ざかろうと身を低くしたままの姿勢でズリズリと四つん這いで進み熊笹が生えている横に逸れた。


(お願い、小瓶の方に行って!)


 と、自分よりも奥からガサガサと言う茂みを歩いているような音が聞こえた。

(?)


 顔を上げたリューリは、驚いた。そこに居るはずもない、オークランス領の警備隊のテイヨが居ると思った。が、こちらへと近づいてくる内に、テイヨではなく黒い毛で覆われた大きな熊だと分かり今度は別の意味で驚いた。


(!!!)


 リューリは、話には聞いていたオオヒグマと遭遇してしまった為、驚いた勢いで地面に尻もちを付くようにしゃがみ込んでしまい、そこから動けなくなってしまう。


(た、立てない…どうしよう……ヴァルト!)


 ここで終わりかと思ったその時。


「グオー!」


 オオヒグマは一声叫ぶと、しゃがみ込んでいるリューリを一瞥し、小瓶からこぼれたハチミツへと飛んでいくトリバチに向かって進み、手をブンブンと振って格闘しだしたのだ。


(…良かったぁ。
 縄張り争いみたいなものかしら?)


 トリバチは突然やって来たオオヒグマを蹴散らすように右へ左へとちょこまかと飛んでいるが、オオヒグマが何度か手を横に払った先に当たったらしく、トリバチが宙を舞い、バタンと地面へ叩きつけられた。

 オオヒグマはそんなトリバチへと近づき手に取ると、なんとバリバリと食べ出した。


(驚いた…熊って、蜂を食べるのね…)


 リューリは自分の今置かれている状況も忘れ、それを見ていると声が聞こえた。


「リューリ!!」


 ガサガサと茂みを掻き分けてくるのはヴァルトと、その後ろには警備隊員もいた。焦ったようなその顔は、リューリの後ろにオオヒグマを見つけると一層気色ばみ、帯刀していた剣を鞘から素早く出し振り上げて駆け寄ってくる。


「ヴァルト!あ、止めて!殺さないで!!」

「!?」

「お願い!!」


 リューリは、オオヒグマは自分を見たが危害を加えようとはしなかった為、悪いものだとはどうしても思えなかった。


「…あれは、ハチミツか?」


 剣を再び鞘に戻したヴァルトは、押し殺したような声でリューリへと問う。


「えぇ、ごめんなさい。」

「いや…」


 ヴァルトはそう言うと、ハチミツの小瓶を手に取り、地面にこぼれたハチミツを近くに落ちていた蓋で素早く小瓶にかき集め、小瓶をオオヒグマがいる側の茂みへと投げた。

 それに気づいたオオヒグマは、食べて半分形が無くなったトリバチを手に持ちながらハチミツの匂いに誘われたのか小瓶が落ちた方へとゆっくり歩いていった。

 未だ座り込んでいるリューリに近寄り、自身もしゃがみ込むとヴァルトが声を掛けた。


「大丈夫か?話は向こうへ行ってからだ。」


 そう言うと、さっと流れるような動きでリューリを横向きに抱えて元来た茂みを戻って行こうと背中側と膝裏に手を滑り込ませようとする。


「あ、歩けます!!」

「いい。この方が早い。またオオヒグマが戻って来ても困る。
 ん?手に何か付いてるぞ。ハチミツか?…舐めるぞ。」


 そう言うと、リューリの手首を優しく掴み、手の甲に付いていたハチミツをペロリとヴァルトは舐め上げ、リューリを横抱きにして抱え立ち上がった。


「~~~!!!」

「また変な奴に寄って来られても困るからな。」


 リューリはこの上なく恥ずかしく、顔をヴァルトの胸へと埋めた。
 その隙にズンズンと歩みを進め、馬車の近くまで来たヴァルトは、ハンネレが何やら叫んでいるがそれを無視し、マイサと御者に『警備塔へ行く』と言って更に進んで行った。





 ☆★

 警備塔に着くと、ヴァルトはリューリを手洗い場に連れて行き、洗い終わるとまた横抱きにして食堂の一角に座らせた。
 すぐ近くだし、歩けると言ったリューリにヴァルトはしっかり掴まってて、と言っただけだった。


「で、どうしたんだ?」


 ヴァルトは、リューリの傍にしゃがみ込み、リューリの体を上から下まで確認する。着ていたワンピースは全体的に汚れてしまっていて、踝は熊笹で切れたのか血が薄く流れている。それを見て、自分が怪我をしたかのように顔を顰めると、もう一度リューリの顔を見つめる。


「ご、ごめんなさい。」


 リューリはなんだか怒られている気分で、肩を落とした。こんな風に叱られたのは、領地でこっそりと討伐隊に加わろうとして父親にばれた時以来だと項垂れる。


「それはさっき聞いた。何故あの獣道に入ったのか、説明出来るか?」


 先ほどよりも少し優しい声でヴァルトはもう一度問いかける。


「きっと、我々を助けて下さったのだと思います!」


 ヴァルトのその質問に、遅れて到着した馬車に乗っていた一行が食堂へ入って来てすぐマイサが答えた。


「ハンネレ様がいらっしゃいまして、ヴァルト様に会わせて欲しいと再三言うものですから、リューリ様がヴァルト様に是非を委ねる為にこちらまで来たのです。」


 そこまでは、ヴァルトは先の知らせで聞いていたので一つ頷き、その後を促す。


「それで、馬車でハンネレ様もご一緒に来られたのですが、その…にトリバチが寄ってきたのだと思われます。馬車の小窓に入ろうと何度もぶつかって来たのです。」


 マイサも、ハンネレの香りがきつかったがそこはどうにか濁してそのように説明する。


「わ、私のせいというの!?」


 後ろにいたハンネレは抗議の声を上げるが、ヴァルトは全く無視し、マイサもそれには返答をせずに続けて説明する。


「そこで、リューリ様は私の持っていたバスケットの中に入っていたハチミツを手に取り、トリバチを引き離そうとしてくれたのでしょう馬車から遠くに走って行かれた次第です。
止められず、申し訳ありませんでした。」


 そこまで言うと、マイサは腰をしっかりと曲げて謝罪をする。


「マイサは悪くないわ!私が勝手にやった事だもの!トリバチが小窓を壊して馬車に入ってきたら大変だと思って、急を要したのよ、だから…!」

「分かった。だが、リューリが無茶をすると、こうやって皆が心配するんだ。
…俺だってリューリがオオヒグマに食べられるんじゃないかと気が気じゃなかったんだぞ?」


 ヴァルトは立ち上がり、リューリの頭をポンポンと触れると、座っているリューリを確かめるように腰を屈めて抱き締める。そして、リューリの耳元でヴァルトは囁いた。


「本当に無事で良かった…。
リューリ、俺に確かめに来てくれたんだよな?これからは、俺が居ない時に誰かが先触れも無く訪問して来た時には、リューリがどうするかを決めて構わない。追い返すなどして相手が抗議してきても俺が後から全て対処する。それだけの力が俺にはあるから。」


 そう言い、もう一度力を少し込めて抱き締めると、ヴァルトはゆっくり手を緩めて立ち上がる。そしてハンネレへと体を向けると、リューリと話していた時とは全く違い、低く怒気の孕んだ声を出した。
 そんな声はリューリは聞いた事もなく、一瞬本当にヴァルトの声なのか疑って、隣にいるヴァルトを見上げた。すると自分の傍から確かに聞こえる声に、自分には向けられていない事は分かるが身が縮こまる勢いだった。


「おい、お前!昨日も来たんだよな?連絡も寄越さず。」

「え?え、ええ…ヴァルト…様に会いに来たのよ、私…」

「俺は名前で呼ぶ許可をしていないが?」

「は?ち、小さい頃に遊んだでしょ?その時に話したじゃない!」

「子供の頃と、大人になった今とは対応が違うのは当たり前だろう。それに、お前と会ったのは、一度…いや、二度だったか?しかも、父親同士の仕事の話をする為に付いてきたお前と小一時間ほど相手してやっただけだ。別に親しくも何ともない。それをあたかも親しい間柄のように吹聴するなんて、信じれん!
しかも婚約者と言ったそうじゃないか!?誰がそんな事認めた?」


 そう言うと、ヴァルトはリューリよりも一歩前に出てさらに怒気を強めた。


「ひ…!そ、そんな…!だってお父様が言ったのだもの!私が、ヴァルト様と遊んだ帰りに『素敵だった』って言ったら、『確かに結婚するならああいうやつがいい。』って!だから私、ヴァルト様と結婚出来るのだって嬉しかったのに!
でもそこから何も言ってこないから、成人してお父様に『いつになったら結婚出来るの』って聞いたら、『確認する』って言ってくれて、でも『ヴァルト様は結婚されたそうだから、違うやつにしろ』って…だから確かめに来たのよ!!」


 リューリには見えなかったが、ヴァルトはハンネレを、まるで射殺す勢いで睨んでいる。それにも負けじと話すハンネレを、傍にいたマイサは何とまあ恐いもの知らずなのかと呆れながら見ていた。


「…とにかく、そんな一度や二度会ったくらいで適当な事を言われては困る。正式に抗議したいくらいだ!」

「ええっ!?」

「まぁだが…俺だって大事にしたくないからな。今ならまだ内々の話として処理出来る。リューリに謝れば、無かった事にしてやるが?」 

「…わ、悪かったわね。」


 ふて腐れながらも、ヴァルトに大事にはしないと言われた為、ハンネレは目線はリューリに合わさずに謝罪を口にした。


「…はい。一ついいですか?ハンネレ様。」

「な、何よ?」

「今後の対策としてお伝えいたしますが、その…香水はあまりつけすぎない方がいいですわ。」

「はぁ!?」

「趣味や嗜好はそれぞれありますから、そこまでは申し上げませんが、自然豊かな場所に出向く際はお気をつけ下さい。今日みたいにその香りに、引き寄せられる虫がいないとも限りませんから。」

「…そうね、肝に銘じておくわ。その…ありがと!」


 そっぽを向きながらも礼を口にしたハンネレに、良い方向に少しだけ心変わり出来たのかそれともヴァルトに言わされたからなのかどちらだろうと思うリューリ。


「いえ。」


 それだけを口にしたリューリは、身をもって体験した為にきっとハンネレなりに反省出来たのかもしれないと考える。もう会うことはないとは思うが、これで少しは変わるといいと思いながら。


「リューリ、不快な思いをさせて済まなかった。」


 ヴァルトに言われ、フルフルと頭を横に振ったリューリに、再び優しく頭を労うように撫でると、視線をハンネレへと向け、リューリに掛けた声とは全く違う冷たい声色で吐き捨てる。


「未だ居たのか。もう二度と、俺らに近づくなよ。さっさと帰れ!」

「!!」


 ハンネレは悔しそうに唇を噛むと、ドレスの裾をギュッと握り締めそのまま食堂を去った。





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