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Ⅱ
エルマ視点 失敗
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エルマが生まれたのはオルドナ伯爵家という中堅ぐらいの貴族家であった。中堅と言っても領地の維持で手一杯の貧乏貴族に比べれば十分裕福であるが。
エルマの父であるオルドナ伯爵は大変野心的な人物であった。
そして、娘は家を大きくさせるための道具としか思っていなかったし、エルマや二人の姉にもそのような教育をしてきた。エルマが教わったのは学問とか歴史よりも料理やお裁縫、音楽といった嫁入りに必要なことばかりだった。
エルマが学園に入る直前、父は言った。
「いいか? わざわざ学園とかいう何の意味もないところに、若いころの貴重な四年間を使って通う理由は何だと思う?」
「幅広い教養を身に着けて様々な貴族の方と人脈を作るためですか?」
「三十点だ。確かに教養があって困ることはないが、世の中の男が女を選ぶときに教養を基準にすることなどほとんどない」
「それは確かに」
あったら感心されるしなければ白い目で見られるが、逆に言えば白い目で見られる程度だ。
女の教養がなさすぎて喧嘩したとか、婚約破棄されたなんて話は聞いたことがない。
「正解は格上の家の男を捕まえることだ。学園にいる間はどんな生まれでもおおむねいっしょくたに扱われる。こんな機会は学園にいる間だけだ。学園外で爵位が違う貴族の子女が対等に接することが出来る場面などそうそうない。爵位が上の相手に対等に接するだけで無礼になってしまう。逆に言えば学園であればどんな男を捕まえることが出来ると言う訳だ」
「でも仮に本人の心を掴んだとしても相手の家が了承しなければ意味がないのでは?」
エルマは疑問に思った。
政略結婚では本人同士の意志が反映されることはあまりない。
「そうだ。だが既成事実を作ってしまえば相手も後で問題になることを恐れて結婚を了承するだろう」
「は、はあ」
これまで自分が家のために結婚することが当然と教わり続けてきたエルマも、さすがにその言葉には素直に頷くことは出来なかった。それではまるで貴族というよりも娼婦ではないか。
だが父は厳しい表情で告げる。
「とにかく、学園を卒業するまでの四年間で爵位がうちよりも高い男を一人捕まえろ。そうでなければお前はもううちの敷居は跨がせない」
「そんな!」
突然の無茶な命令にエルマはぎょっとした。
が、父は厳しい表情を崩さなかった。
「そんな、ではない。お前の姉であるリンサは第四王子殿下と、シンディーは侯爵家令息と交際している。大丈夫だ。お前の美貌と愛嬌なら男ぐらいどうとでもなる」
「わ、分かりました」
そんな飴と鞭のような言葉をかけられてエルマは学園に入ったと言う訳である。
学園に入って色々な生徒と話すうちに、同じように将来の相手を見つけるために入学してきた生徒が一定数いることを見つけて、やはり父の言うことは正しかったのだと思い知った。
しかしそれと同時にそれを達成することは難しいということも思い知らされた。
いい生まれの男は大体すでに婚約者が決まっているか、しっかりした性格の者が多かった。エルマが近づいてもきちんと一線を引いて応対してくるのである。
皆がいい生まれの男を狙っている以上、男側もそれに惑わされないよう教育されているのは当然と言えば当然だった。
そんな中、クリフだけは違った。エルマが挨拶をするとわずかにではあるが鼻の下を伸ばして話しかけてくるのだ。クリフにはリアナという身分も性格もしっかりして、しかもクリフのことを愛している婚約者がいると知ったときは心が折れそうになったが、その反応を見てエルマは希望を抱いた。
この男なら落とせるかもしれない、と。
それからエルマはクリフに近づいて何でもいいから話しかけた。
話してみると、どうもクリフは思考が全体的に幼い。そのためきちんとした考えではなく目先の快不快に従って行動しているようだった。だからエルマは自然と彼に会う時にお菓子を作ってきたり、事実でも事実でなくても彼を褒めるような言葉を積極的にかけるようにした。
するとクリフは次第にエルマを見た目だけではなく中身にも好意を抱くようになってきた。明らかに他の人と話すときと自分と話す時では態度が違うのだ。そんなクリフを見てエルマはかかった、と思った。
また、クリフと話しているとどうも彼は婚約者であるリアナに劣等感のようなものを抱いているようだった。
確かにリアナはクリフと違ってしっかりしているし、成績もいい。言っては悪いがクリフのような幼稚な男が一緒にいては、劣等感を抱くのも無理はない。そこでエルマはそんなクリフの劣等感を癒すように、クリフよりも頭が悪い振りをして勉強を教わるようになった。
そう言えば父は「教養はいらない」というようなことを言っていたが、確かにそうだ。もしクリフを落とすのであれば教養は役に立たないどころか、ない方がいいだろう。
そんな訳でエルマは頭が悪い女の振りをしてクリフの承認欲求を満たそうとした。そしてそれはうまくいき、ついにリアナとクリフは喧嘩した。
あと少しでクリフは落ちる。そう思ってエルマは傷心のクリフに声をかけた。
が、最後の一手を誤ってしまった。
本当はもっと点数が高かった歴史のテストの点を65点と言ったのだが、それでもクリフよりも高かったらしい。そのせいで、クリフはエルマが馬鹿な振りをしていたことに気づいてしまったのだ。
「待ってクリフ! 違うの、私は本当にクリフのことを頼りにしていたのに……」
「嘘だ! どうせお前も自分が成績が悪い振りをして俺が勉強を教えるのを内心あざ笑っていたんだろう?」
そう言ってクリフは走り去っていくのだった。
後に残されたエルマは呆然とした。
せっかくここまでやったのに、あと少しでうまくいかないなんて。
しかもエルマがクリフにアタックしている間、他の男は大体恋人が出来てしまった。残っているのは家柄が低い男ばかり、そしてクリフに誘いをかけて破局したという事実だけだ。これでもううちに帰ることも出来なくなる。
すべてが終わりだ。
そう思ったが、不思議とエルマは自分がそこまで落ち込んでいないことに気づいた。
「でも、冷静に考えればもうあんな面倒なことをしなくていいってことか。いい加減あの男に媚びへつらうのも面倒になってきていたところだし」
そう考えるとエルマは少しだけ気分が晴れた。
エルマはエルマで自分のしていたことに良心の呵責がない訳ではなかったし、クリフが婚約者をほっぽらかして自分にデレデレしているのは嬉しかったが、一方でこの男と結婚すると思うと不安になってきていたところだった。
それに、同じ学年にはあまりいい相手は残っていないが、来年になれば学園にはまた新しい生徒が入ってくるし、上級生にもまだいい相手がいるかもしれない。
「そうだ、逆に言えばもっといい相手を見つけるチャンスかもしれない」
こうしてエルマは一人で心機一転したのである。
エルマの父であるオルドナ伯爵は大変野心的な人物であった。
そして、娘は家を大きくさせるための道具としか思っていなかったし、エルマや二人の姉にもそのような教育をしてきた。エルマが教わったのは学問とか歴史よりも料理やお裁縫、音楽といった嫁入りに必要なことばかりだった。
エルマが学園に入る直前、父は言った。
「いいか? わざわざ学園とかいう何の意味もないところに、若いころの貴重な四年間を使って通う理由は何だと思う?」
「幅広い教養を身に着けて様々な貴族の方と人脈を作るためですか?」
「三十点だ。確かに教養があって困ることはないが、世の中の男が女を選ぶときに教養を基準にすることなどほとんどない」
「それは確かに」
あったら感心されるしなければ白い目で見られるが、逆に言えば白い目で見られる程度だ。
女の教養がなさすぎて喧嘩したとか、婚約破棄されたなんて話は聞いたことがない。
「正解は格上の家の男を捕まえることだ。学園にいる間はどんな生まれでもおおむねいっしょくたに扱われる。こんな機会は学園にいる間だけだ。学園外で爵位が違う貴族の子女が対等に接することが出来る場面などそうそうない。爵位が上の相手に対等に接するだけで無礼になってしまう。逆に言えば学園であればどんな男を捕まえることが出来ると言う訳だ」
「でも仮に本人の心を掴んだとしても相手の家が了承しなければ意味がないのでは?」
エルマは疑問に思った。
政略結婚では本人同士の意志が反映されることはあまりない。
「そうだ。だが既成事実を作ってしまえば相手も後で問題になることを恐れて結婚を了承するだろう」
「は、はあ」
これまで自分が家のために結婚することが当然と教わり続けてきたエルマも、さすがにその言葉には素直に頷くことは出来なかった。それではまるで貴族というよりも娼婦ではないか。
だが父は厳しい表情で告げる。
「とにかく、学園を卒業するまでの四年間で爵位がうちよりも高い男を一人捕まえろ。そうでなければお前はもううちの敷居は跨がせない」
「そんな!」
突然の無茶な命令にエルマはぎょっとした。
が、父は厳しい表情を崩さなかった。
「そんな、ではない。お前の姉であるリンサは第四王子殿下と、シンディーは侯爵家令息と交際している。大丈夫だ。お前の美貌と愛嬌なら男ぐらいどうとでもなる」
「わ、分かりました」
そんな飴と鞭のような言葉をかけられてエルマは学園に入ったと言う訳である。
学園に入って色々な生徒と話すうちに、同じように将来の相手を見つけるために入学してきた生徒が一定数いることを見つけて、やはり父の言うことは正しかったのだと思い知った。
しかしそれと同時にそれを達成することは難しいということも思い知らされた。
いい生まれの男は大体すでに婚約者が決まっているか、しっかりした性格の者が多かった。エルマが近づいてもきちんと一線を引いて応対してくるのである。
皆がいい生まれの男を狙っている以上、男側もそれに惑わされないよう教育されているのは当然と言えば当然だった。
そんな中、クリフだけは違った。エルマが挨拶をするとわずかにではあるが鼻の下を伸ばして話しかけてくるのだ。クリフにはリアナという身分も性格もしっかりして、しかもクリフのことを愛している婚約者がいると知ったときは心が折れそうになったが、その反応を見てエルマは希望を抱いた。
この男なら落とせるかもしれない、と。
それからエルマはクリフに近づいて何でもいいから話しかけた。
話してみると、どうもクリフは思考が全体的に幼い。そのためきちんとした考えではなく目先の快不快に従って行動しているようだった。だからエルマは自然と彼に会う時にお菓子を作ってきたり、事実でも事実でなくても彼を褒めるような言葉を積極的にかけるようにした。
するとクリフは次第にエルマを見た目だけではなく中身にも好意を抱くようになってきた。明らかに他の人と話すときと自分と話す時では態度が違うのだ。そんなクリフを見てエルマはかかった、と思った。
また、クリフと話しているとどうも彼は婚約者であるリアナに劣等感のようなものを抱いているようだった。
確かにリアナはクリフと違ってしっかりしているし、成績もいい。言っては悪いがクリフのような幼稚な男が一緒にいては、劣等感を抱くのも無理はない。そこでエルマはそんなクリフの劣等感を癒すように、クリフよりも頭が悪い振りをして勉強を教わるようになった。
そう言えば父は「教養はいらない」というようなことを言っていたが、確かにそうだ。もしクリフを落とすのであれば教養は役に立たないどころか、ない方がいいだろう。
そんな訳でエルマは頭が悪い女の振りをしてクリフの承認欲求を満たそうとした。そしてそれはうまくいき、ついにリアナとクリフは喧嘩した。
あと少しでクリフは落ちる。そう思ってエルマは傷心のクリフに声をかけた。
が、最後の一手を誤ってしまった。
本当はもっと点数が高かった歴史のテストの点を65点と言ったのだが、それでもクリフよりも高かったらしい。そのせいで、クリフはエルマが馬鹿な振りをしていたことに気づいてしまったのだ。
「待ってクリフ! 違うの、私は本当にクリフのことを頼りにしていたのに……」
「嘘だ! どうせお前も自分が成績が悪い振りをして俺が勉強を教えるのを内心あざ笑っていたんだろう?」
そう言ってクリフは走り去っていくのだった。
後に残されたエルマは呆然とした。
せっかくここまでやったのに、あと少しでうまくいかないなんて。
しかもエルマがクリフにアタックしている間、他の男は大体恋人が出来てしまった。残っているのは家柄が低い男ばかり、そしてクリフに誘いをかけて破局したという事実だけだ。これでもううちに帰ることも出来なくなる。
すべてが終わりだ。
そう思ったが、不思議とエルマは自分がそこまで落ち込んでいないことに気づいた。
「でも、冷静に考えればもうあんな面倒なことをしなくていいってことか。いい加減あの男に媚びへつらうのも面倒になってきていたところだし」
そう考えるとエルマは少しだけ気分が晴れた。
エルマはエルマで自分のしていたことに良心の呵責がない訳ではなかったし、クリフが婚約者をほっぽらかして自分にデレデレしているのは嬉しかったが、一方でこの男と結婚すると思うと不安になってきていたところだった。
それに、同じ学年にはあまりいい相手は残っていないが、来年になれば学園にはまた新しい生徒が入ってくるし、上級生にもまだいい相手がいるかもしれない。
「そうだ、逆に言えばもっといい相手を見つけるチャンスかもしれない」
こうしてエルマは一人で心機一転したのである。
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