相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

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最終話 相性最高な最悪の男

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 柔らかい春の日差しと、鳥の鳴き声。
 俺たちは新しい季節を、新しい住居で迎えていた。

 これから幾日と続いていく、日常。今日がその一ページ目である。


「ん……」

 朝寝坊気味な俺の為、良く朝日が入る位置に設けた寝室で目を覚ます。
 珍しく目覚ましが鳴る直前に目が覚めたが、まだ微睡みの中から抜け出すには惜しくて、カーテンの隙間から差し込む光から逃げるようにシーツの海を泳いだ。

 隣に眠る月島の腕の中に潜り込み、暖を取りながら再び目を瞑る。

「ふ、あったか……」

 この朝の穏やかな時間は、何物にも代えがたい。

「……さとる?」

 しばらく夢と現の境を彷徨っていると、遅れて目を覚ました月島が長いまつげを震わせてその目に俺を映す。
 そして、ふわりと花が綻ぶような笑顔を浮かべた。

「おはよう」
「ん、はよ」

 何度朝を迎えても飽きないくらい、幸せな瞬間だ。
 誘い込まれるようにして薄い唇に口付け、胸に頬を擦り寄せる。
 月島はくすぐったそうに笑って俺を抱き締め、やがて鳴り響いた目覚ましの音を合図に、名残惜しそうにしながらも身を起こした。

「そろそろ起きなくては。引っ越して早々、遅刻と言うのは笑えない」
「昨晩、俺もそう言ったのに」
「ふ、悪かった」

 痛む腰をさする俺に、月島が全然反省していなさそうな様子で謝罪を口にする。
 昨晩同じことを言って制止した俺を、新品のダブルベッドの上で抱き潰したのは、他ならぬこの男だった。

「ご所望なら、会社まで抱きかかえていくのもやぶさかではないが」
「やめろやめろ、馬鹿なこと言ってないでさっさと準備しろよ」

 軽口を叩く月島の腕を解き、布団から抜け出す。
 下着一枚の姿には、朝方の冷えた空気がよく染みた。

「こら、冷えるぞ」

 月島が少し慌てた様子で追いかけてくる。
 ガウンでくるむようにして捕らえられ、温かい腕に包まれる。少し過保護だと思うのだが、愛されていると実感して悪い気はしない。
 それでも、少し照れくさくって頬を掻く。

「すぐに着替えるだろ」
「それでもだ。まったく、君は目を離すとすぐにだらしない恰好でうろうろするからな」
「ううん」

 返す言葉も無く、大人しくガウンを羽織ったまま身支度を進める。
 顔を洗って髪を整え、シャツとネクタイを選び、新しく仕立て直した濃紺のスーツへと身を包んだ。
 鏡を見つめて出来栄えを確認していると、後ろから月島が顔を覗かせて満足気に頷く。

「やっぱり君にはその色が似合うな。とても爽やかで、凛々しいよ」
「まあ、お前の見立てだし。間違いないよな」

 今しがた身に纏ったこのスーツも、ネクタイも、月島によって選ばれた品だった。
 何だか最近、身につける品が月島に選ばれた物ばかりになっている気がするのだが。

(それは、お互い様か)

 きらりと月島の薬指に宿る輝きを見やって、目を細める。
 愛した相手が自分の贈った品を身に着けてくれている幸せは、俺も日々噛み締めていた。


「そこの色男。ネクタイが曲がってるぞ」
「む」

 鏡に映り込んだ月島の胸元を見咎めて、手を伸ばす。
 相変わらず上手く結べていないネクタイを直してやれば、月島は照れくさそうに身じろいだ。

「ありがとう」
「どーいたしまして」

 はにかむように笑った月島が眩しくて、釣られて微笑む。

(いっそ、ずっと上手く結べないままならいいのに)

 そんな少し意地の悪いことを考えてしまったのは、秘密だ。


 ◆


 月島にプロポーズをしてから一ヶ月が経ち、俺の部屋での共同生活にも馴染んできた頃。
 月島の怪我の完治をきっかけに、俺たちは新しい住居への引っ越しを検討していた。流石に一人暮らし用の部屋で、男二人が暮らすには無理があった為である。

 引っ越し先の選定で本気のプレゼン勝負を繰り広げたり、荷造りを玲二に邪魔されたりして、思いの外時間がかかってしまったが、昨日ようやく新居に荷物を運びこむことが出来た。

 そして、新調したダブルベッドではしゃぎ倒し、ほとんど荷解きをしないまま眠りについたのが昨晩のこと。
 今日は、初めて新居から出社する日である。だが。


「お、おはようございます!」

 通勤時間を読み誤ってしまい、俺と月島は、息を切らしながらオフィスへと飛び込んでいた。そんな俺たちの姿を、神原が呆れたように眺めている。

「先輩、引っ越し早々重役出勤ですか? 後輩に悪い見本を見せないで下さいよ」

 そう一丁前の口を叩くようになった神原の隣には、この春から入社してきた新人の姿があった。新卒の彼女は神原の下につき、手厚過ぎるくらいの教育を受けて、日々業務を学んでいる。
 コイツも先輩という立場になって一皮剥けたのだろうか。新年度に入ってから、何だか俺の扱いが粗雑になっているような気がしていた。
 いや。よくよく考えると、今に始まった話でもないかもしれないが。

「お前、後輩が出来てから俺にキツくなったよな……」
「しっかりした、と言って下さい。僕もいつまでも新人じゃありませんからね」
「おーおー、頼もしいことで」

 すっかり可愛げが無くなってしまった後輩から目を逸らして、その隣に目をやる。俺と目を合わせた新人は、びくりと肩を揺らした。
 怖がられている。初めて神原と会ったときを思い出す。

「この目付きは生まれつきでな、勘弁してくれ」

 肩を竦めてぎこちなく笑うと、神原が言葉の後を引き継いだ。

「大丈夫だよ。篠崎先輩はこう見えて結構優しいし、この目に慣れておけば大抵の人は怖くなくなるから」
「は、はぁ」

 フォローになっていないフォローに、新人はどう反応して良いのか図りかねて曖昧な笑みを浮かべている。

「何を変なことを吹き込んでるんだ。お前だって最初は半泣きだったくせに」
「そういう話はやめて下さい、僕にも先輩の威厳ってものがあるんです!」
「ほう、お前に威厳ね」

 そうかそうかと大袈裟に頷けば、多少緊張の解れたらしい新人はくすりと笑った。
 それを横目に、神原が俺に向けて挑発的な笑みを浮かべる。
 何時からこんな表情をするようになったのか。一体誰の影響だろう?

「人のことを揶揄ってますけど、一番大きな弱みを抱えてるのは篠崎先輩じゃないですか」
「何?」
「月島さんのことですよ」

 月島の名前を聞いた新人が、はたと何かを思い出したような表情を浮かべる。

「月島さんというのは……篠崎さんの『天敵』と呼ばれている方ですよね。そんなに怖い人なんですか?」
「普通に良い人だよ。ただし、篠崎先輩が絡まなければ」
「……」

 『天敵』という呼称がすでに新人にも広まっている事実を知って、俺は額を押さえた。
 不思議なことに、俺と月島が和解してからもその呼称は会社内に定着したままだった。一度浸透した呼び名というのは、なかなか変わってはくれないらしい。

 しかし、呼び方が変わらずとも、その言葉が意味するところは大きく変化している。

「篠崎先輩に何かされたらこう言えばいいんだ。月島さんに言いつけますよ、ってね」
「やめろ、面倒臭くなるから!」

 その台詞は、「奥さんに言いつけるぞ」というものと大差がない。
 聞けば、月島も同じようなことを周囲には言われているらしい。何時からそんな扱いになってしまったのだろうか。

 冷やかし混じりに笑う神原を睨み据えていると、不意に後ろから肩を掴まれた。
 件の『天敵』の登場である。

「呼んだかね?」
「うげ、りょう……月島、何時からそこに居たんだ」
「つい先ほどだよ。なんだ、亮介とは呼んでくれないのか」
「職場だろうが」

 わざとらしく拗ねて見せる月島の手を払い、照れ隠しに目を逸らす。
 月島も場所は弁えているのか、それ以上食いつくことは無く真面目な顔をして言葉を続けた。

「まあいい、それより篠崎君。今月末のプレゼンについてなのだが」
「ああ、まだ詳細を詰めてなかったよな。やっぱりお前の企画ってさ、どうも新鮮味に欠けるんだよな。もっと遊び心を持とうぜ」
「革新的なのは結構だが、実現可能性を無視してはいけないよ。いくら素晴らしいアイデアでもただの空想になってしまっては意味が無い」

「お前の言いたいことも分かるが、こればかりは譲れないぞ?」
「いいだろう、私にも私の主張がある。今日こそ頷いてもらうからな」
「こっちの台詞だ」

 そんなジャブから仕事モードに切り替えて睨み合った俺と月島の間には、バチバチと火花が散っていた。互いに一歩も引かずに相手の案を叩き合っている内に、 論戦は熱を帯びていく。

 お前と対等にありたい、という俺の願い通り、月島とは今も全力で向かい合っていた。
 一周回って、変わり映えのしない『天敵』同士の日常に逆戻りした形だが、こちらも変わった点がある。

「ああ、また始まりましたね」

 神原は呆れたように独り言ちて、我関せずにパソコンに向かい始める。周囲の反応も似たようなものだ。

 以前は俺たちが口論を始めると蜘蛛の子を散らすように逃げて行った同僚たちも、今は平然と仕事を続けるようになっていた。怯えているのは新人くらいなものだ。
 気圧されて縮こまる新人を宥めて神原が言う。


「アレは夫婦喧嘩だと思って気にしない方がいいよ。どうせ最後には丸く収まるから」

 言い方に引っかかる物があったが、大方神原の言葉通りである。
 やってる事こそ変わってはいなかったが、俺と月島の間柄は、決して相容れない敵対関係から、お互いの不足を補い合う相棒へと変化を遂げていた。

 昔は嫌というほど織り交ぜられていた皮肉や嫌味も、今は最小限に抑えられている。
 抑えていても、言わずにはいられないのは、俺と月島の性だ。
 手を取り合った今も、互いの主義主張が正反対であることには変わりがない。だからこそ一分の隙も無い案を生み出せるのだが、その過程での衝突は避けられなかった。

「まったく、相変わらずの石頭だな!」
「君に言われたくはないね。……少し、熱くなり過ぎたようだ。一度頭を冷やそう」
「賛成だな」

 加熱した論戦を途中で切り上げて、月島は何処かへと去って行く。
 その背中を見送りながら、すっかり頭に血を上らせた俺は、苛立ち交じりにガシガシと頭を掻いていた。

 おのれ月島。あの分からず屋の額には安全第一とでも書いてあるに違いない。

「くそ、月島め。たまには黙って頷けないのか」
「あの月島さんが黙る訳ないじゃないですか。物理的に喋れないようにしないと」
「よし神原、ネクタイ貸せ。アイツの口塞いでくるから」

 神原の冗談を真に受けて差し出した俺の手に、ネクタイではなく飴が乗せられる。
 遠慮なく口に放り込む。

「やるなら僕のじゃなくて、自分のを使ってください」
「俺のはアイツの手を縛るのに使うんだよ。ついでにもう一本あると足も縛れて完璧だな」
「はいはい。そういう特殊なプレイはご自宅で、二人きりの時にやってください」
「……!?」

 八つ当たり混じりの軽口に強烈なカウンターを返され、飴の包み紙を取り落とす。神原にやり込められるのは初めてだった。

「神原、何処でそんな皮肉を覚えてきた? 月島に毒されたのか?」
「間違いなく篠崎先輩の教育の賜物なので、安心してください」

 力強く言った神原は、にっこりと笑みを浮かべて席を立った。
 俺や月島に振り回されている内に、随分と逞しくなってしまったようだ。今更ながら後輩の行く末が心配である。

「僕は外回りに出掛けて来るので、ちょっと失礼しますね。篠崎先輩も気分転換に行かれたらどうですか?」
「おー……」

 未だ呆気にとられたまま、間の抜けた声でおざなりに返事を返す。後輩の成長が嬉しいような不安なような、複雑な心境だった。

 まあしかし、何時までもこうして燻っている訳にもいくまい。神原の言う通り、俺も気分転換に外の用事でも済ませて来るとしようか。
 しかし、席を立とうとした瞬間、手元の内線が鳴った。

「はい篠崎です。……何?」

 名乗るや否や慌ただしく伝えられたその報告は、現在進めようとしている企画を頓挫させかねない内容だった。以前の俺なら、今頃冷や汗の一つもかいていただろう。けれども、今は不安など欠片も無かった。

 何故なら。


「篠崎君! ……電話中か」


 頼れる相棒が居るからだ。
 俺と月島が協力して出来ないことなどない。その信頼感が俺を落ち着かせていた。

 別口から情報を仕入れてきたらしい月島が、出かける準備を進めているのを視界の端に捉えつつ、俺も電話の片手間に身支度を整えていく。
 そして、必要事項を聞き取って通話を終えると、すぐさま立ち上がった。

「月島」
「ああ、聞いてる」
「資料は?」
「抜かりない。交渉は私がするから、経緯の説明は君から頼む」
「任された。さぁ、軽く丸め込みに行くぞ」

 打てば響く短いやり取りで打ち合わせを済ませ、月島と共にオフィスを出て行く。そこにはつい先程まで言い争っていた姿は見る影もなく、息の合った相棒の姿があった。
 「行ってらっしゃい」と軽く送り出す同僚の声に、片手を挙げて応える。

 二人で連れ立って出て行く様を当然のように見送られながら、俺は半年前のことを思い出していた。

(初めて月島と共同戦線を結んだ時には、大騒ぎだったっていうのに)

 課内の人間は俺たちにさほど興味も示さず、黙々と己の仕事をこなしている。もう、俺の隣に月島が陣取っている風景が見慣れたものとなっていた。
 俺たちの関係が当たり前に受け入れられてることに感慨を覚え、そんな場合では無いのに笑みが溢れる。
 そっと盗み見れば、月島も似たような顔付きをしていた。

「何をこんな時に笑ってんだよ」
「それを言うなら、君もだ」

 軽く笑って小突き合いながら廊下を抜け、社用車に乗り込んでエンジンを始動する。
 そして走り出そうとしたとき、月島が柔らかく俺の手を制した。
 何かと思って助手席を見やると、唇についばむような口付けを落とされる。

「おい……仕事中だぞ」
「今は二人きりなのだから、少しくらい良いだろう?」

 小首を傾げ、月島が甘えた様子で俺の目を覗き込む。ついつい二つ返事で了承しかけたが、ぐっと堪えて身を離した。
 少し不満そうな月島へ、にやりと挑発的に笑いかける。

「ご褒美は、仕事をきちんと終わらせてからだ」
「む」

 片眉を挙げて俺の挑発に乗った月島は、わざとらしく嫌味な顔をして言った。

「おあずけにされてしまうと期待してしまうが、良いのかな?」
「それは、お前の働き次第だ」

 売り言葉に買い言葉で返せば、すっかりやる気になった月島は、顔を引き締めて手を離した。
 この男の転がし方も、大分堂に入ってきたものである。

「任されたよ、聡」
「頼りにしているぜ、亮介」

 冗談交じりに、甘く囁き合う。
 ほんの一時、恋人の時間を満喫しながら、俺は取引先へと車を走らせた。


  ◆


「はぁ、今日は疲れたな」
「月曜日から散々だったね」

 慌ただしい一日を終え、俺たちは揃って夜の住宅街を歩いていた。
 これから何度も肩を並べて歩くことになる、自宅への道を。

「やろうとしてた仕事は一つも進まないし、先方の担当者はいまいち間抜けているし……」
「挙句の果てには、他の企画の手伝いまで任されてしまうしな」
「仕事をしているのに、仕事が増える一方なのは何故なんだ」
「不思議だな」

 ずっしりとした疲労感に苛まれながら愚痴り合う。
 今日の問題は無事に解決出来たものの、まだまだ課題は山積みだった。

「あっちもこっちも問題ばかり、まったく嫌になるな」
「本当にね。……ん?」

 月島が俺に同調して肩を竦める。しかし、ふと俺の顔を見やって不思議そうに片眉を上げた。

「なんだ、愚痴を言っている割には機嫌が良さそうではないか」
「そうか?」

 とぼけてはみたものの、月島の指摘通りである。台詞とは裏腹に、俺の唇は弧を描き、足取りも軽やかなものだった。
 何故かなんて、問う方が野暮だ。


「お前が隣に居るからな」
「……!」

 わざとらしいまでに甘い声を出せば、月島は眉を跳ね上げて息を詰まらせた。
 素直な反応に気分を良くして、追い討ちをかけるように言葉を続ける。

「なんか、こんな日常が続いていくんだろうなって考えたら、少し嬉しくなってさ」
「今日は散々な一日だったのに?」
「そうだよ。多分、明日も明後日も、来年になっても変わらず大変だろうけど……それでも、今日と同じようにお前が隣に居るなら、何があってもいいと思えるんだ」

 自分でも言ってて恥ずかしいような台詞を聞いて、月島が頬を紅潮させていく。
 街灯の弱い明かりでも、その頰が赤く染まっていることが見て取れた。

「私も同じ気持ちだよ。君となら、どんな日常だって輝いて見えるのだ。それが例え、残業終わりの帰り道だって……ね」
「……!」

 不意に左手を絡め取られ、月島の節くれ立った指が俺の手を撫ぜる。
 一瞬躊躇ったが、周囲に人気が無いことを確認しておずおずと手を握り返した。
 繋いだ手からじんわりと伝わる熱に、心まで温められていく。

「……」
「……」

 静かな住宅街に響く、ふたり分の靴音が耳に心地良い。いつもよりゆったりとした歩調で、しばし言葉も無く並んで歩いた。

 同じ道を並んで歩けること。帰る場所が同じであることが、この上なく嬉しい。
 素朴な幸せを噛み締めて笑みを浮かべた俺を、月島が目を細めて見つめている。
 そして、しみじみと呟いた。

「君は変わったな、聡」
「お前が変えたんだよ」

 照れ隠しに繋いだ手をわざと引いて、月島を軽く振り回す。
 バランスを崩された月島は、少し唇を尖らせながらこちらを見つめていた。

「そういう意地の悪いところは変わっていない」
「はは」

 むくれた月島を宥めながら、ふと去年を思い出す。
 あの頃、向かい合っていた男は隣に並び、跳ね除けた手は繋がれている。
 過去の自分は、変わることを恐れていたというのに。今は、互いの変化がこんなにも愛おしい。

「お前だって、変わっただろ」
「……君のおかげでな」

 すっかり仮面を脱ぎ捨てた月島が、自然な笑顔を浮かべる。
 そこには卑屈な自己嫌悪も、盲目的な執着もなく、澄んだ愛情だけで満たされていた。

「この一年は……今までで一番長く感じたな」
「色々あったからね」
「主にお前のせいだろ」
「ふ、否定はしないよ」
「このやろ」

 まったく悪びれる様子の無い月島をもう一度振り回してやろうと腕に力を込める。
 しかし、同じ手が二度も通じる訳がなく。今度は俺がよろめかされる番だった。


「ふ」
「はは」

 あまりにも子どもっぽい応酬に堪え切れなくなり、声を上げて笑う。
 この一年で濃厚に積み上げられた月島との思い出は、決して楽しいものばかりではなかった。

 いがみ合った過去があった。変わる関係から逃げ出した夜があった。温もりに怯えた朝があった。月島の手を取った日の希望も、それを離された日の絶望も、鮮明に覚えている。
 悩み苦しみ、戸惑い逃げてきた。

 けれども。その全てごと、月島の愛情が俺を包みこんで離さなかったのだ。
 おかげで、今は月島と歩む未来がある。

「出会ったばかりのお前のことを、今でもたまに思い出すんだ。始めはさ、何処までも馬の合わない最悪な男だなって思ってたんだぜ」
「それはお互い様だね」
「まあな。……でもお前は、ただの最悪な男じゃなかった」
「ほう?」

 話に興味を惹かれたらしい月島が、俺の方を向いて首を傾げる。
 その小憎たらしくて愛おしい顔を横目で見やりながら言葉を続けた。

「確かにお前は爽やかそうな面して実は性格も意地も口も悪い悪魔のような男で嫌味しか喋れない上に嫉妬深い鬼畜野郎だったけどさ」
「おい、息継ぎもせずに凄い言い草だな」

 皮肉を続けようとする月島を無言で制して、「でも」と続ける。

「きっと、そんな強情で執着の重たいお前が相手だったからこそ、俺も変わることが出来たんだ。お前が相手じゃなかったら、俺はとっくに逃げ出していたよ」
「何を言っているのだ。散々逃げ回ってくれただろう」
「それなのに、追いかけて囲って逃がしてくれなかっただろうが」

 少し責めるような口調で言った月島に、同じトーンで言い返す。
 並の男が相手なら、その手を取ることは無かったという確信があった。月島の並々ならぬ執着心だけが、筋金入りの臆病者だった俺を動かせたのだ。

「きっと、お前じゃなきゃ駄目だった。臆病で逃げたがりな俺と、執念深いお前との相性は最高だったんだ。だから――」

 月島に向き直り、心の底から笑みを浮かべる。


「お前は、相性最高な最悪の男だったんだよ」
「……ふ、たまには素直に褒めてくれてもいいのに」
「気が向いたらな」
「やれやれ、何時になることやら」

 他愛もないやり取りを繰り広げながら、月島と共に夜道を歩いていく。

 冷えた風も、月島が隣に居れば寒くない。
 暗い道も、手を繋いでいれば迷うことはない。
 時には離れることがあっても、帰る場所が同じなら……もう、寂しくない。
 こうして何時までも、互いの手の温もりを、互いの標として歩いていこう。

 何処までも遠く、未来へと続く道を。
 ふたりで。
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