相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴

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52 篠崎聡の証明

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「ああ、本当に。とても長い間、離れていた気がするよ」


 月島は疲れ果てた顔で首を振る。心なしか丸まった背中を見て、俺は目論見が上手くいったというのに喜べずにいた。
 本当は今すぐ飛びついて慰めてやりたい。月島に悲しげな顔なんてさせないでやりたい。けれども、ここで有耶無耶にしてしまっては同じことの繰り返しになってしまう。

 きちんと話し合わなければ。嫌な話も、忌避せずにしなければ。

「どうだった、この一週間は。ひとり残される気持ちは分かったか?」
「そう、だな。もう……痛いほどに」

 いつも滑らかに動いている舌を鈍らせ、月島は孤独に打ちひしがれている。
 憂いを帯びた瞳は、少し滲んでいた。

「ひとりになって、色々考えたよ。君に会ったら話したいことが沢山あったんだ。けど、君の顔を見たら、また会えて良かったと思って、もう一杯になってしまって……っ」

 そこから先は言葉になっていなかった。孤独が、余程堪えたようだ。
 そうだ、それでいい。打ちひしがれてくれなくては、何の為に姿を眩ませたのか分からない。これで少しは俺の気持ちが分かっただろう。孤独を理解しただろう。もうひとりで幸せになってくれなんて馬鹿なことは言わせない――

 ……なんて。
 いくら偽悪的な言葉を思い描いてみても、今の月島に追い打ちをかけるような真似は出来なかった。

「とりあえずこっちに来いよ。話し辛いだろ」

 扉の前で立ち竦んだまま動かない月島の腕を取り、ベッドへと腰かけさせる。
 そして、俺も隣に座り、久しぶりに触れる広い背中を撫でながら、月島が落ち着くのを待った。

「……篠崎君」
「うん?」

 何度か深呼吸をして、息を整えた月島が俺を呼ぶ。
 その心細そうな響きに、つい応じる声が甘くなってしまうのを抑えきれなかった。

「君を、ひとりにしてしまって……すまなかった」
「……おう」

 深い悔恨が滲む声を聞いた瞬間、俺は月島がどれほど悩み苦しんできたかを悟った。

「逆の立場になって初めて、君の気持ちが分かったよ。とても不安で、何も手につかなくて、幸せになどなれやしないと思った」
「うん」
「君も、同じだったと思っていいのか? 私が苦しんだのと同じくらい、君も、私と離れて苦しんでいたと考えても、いいのか?」

 未だ確証を得られないまま、自信なく揺れる言葉を裏付けてやるべく、深々と頷く。

(全く物分かりの悪い……いや、そうじゃないな)

 くしゃくしゃに顔を歪めた男を照れ隠しに詰ってやろうとして、寸でのところで思い直す。つい憎まれ口を叩きたくなってしまうのは俺の悪い癖だ。今日くらい、素直になれるよう努力しようではないか。


「俺も、お前を失いかけて怖かった。ひとりで寂しかった。不安で仕方なかったんだよ、月島」

 赤裸々な弱音を聞いて、月島が僅かに目を見開く。
 驚きと喜色の滲んだ顔は直視できなかったが、言葉だけは真っ直ぐに紡ぎ続けた。

「俺にとっても、お前はかけがえのない存在なんだ。だからこそ、自分を大事にしようとしないお前に腹が立った。お前が居なくて、寂しくて苦しくて、耐えきれなくなって、怒鳴り散らしてしまったんだ。ごめんな」

 俺の謝罪を受けて、月島はゆるゆると首を横に振る。

「いいや。君が怒るのも、もっともだ」

 私も、と口の中だけで呟いた月島は、すぐにハッと息を飲んで「何でもない」と取り繕ってしまった。
 顔を覗き込むと、月島は俺と目を合わそうとしないまま居心地悪そうに身じろいだ。

 その先は、言いたくないのだろう。
 だが、俺は聞きたくて仕方なかった。月島の、取り繕うことのない本心が。

「お前も、怒ったのか?」
「まさか、私が君に怒る訳ないだろう。大体、私が先に君を傷付けたというのに、同じことをされて怒るなんて、そんな身勝手なこと……」

 月島の返答は素早かった。まるで、あらかじめ答えを準備していたかのように。

「いいんだよ、身勝手でも。お前にはそれくらいが丁度いい」

 月島の手を握り、動揺を誘って会話の主導権を取り返す。
 頑なに俺を優先しようとする月島に言い聞かせるべく、少しゆっくりとした口調で言葉をつづけた。

「俺は、お前に譲られてばかりではいたくないんだ。付き合う前みたいに、もっと遠慮なくぶつかってきてくれよ」
「しかし……」
「お前の気持ちを押し殺して、全部俺の思い通りにしてくれても嬉しくない。俺は素のままのお前が見たいし、本心が知りたい。例えそれが身勝手な感情でも、どれほど醜かったり弱かったりしても、そんなところまで引っくるめて愛したいんだ」
「……ッ」
「俺は、お前の綺麗な面だけを見て惚れた訳じゃない。嫉妬深いところも、執着心が強いところも、不器用なところも、妙なところで自信がないところも含めてお前が好きなんだ」

 胸がむず痒くなるような感触を堪えながら、正直に心情を吐露すると、月島は息を詰まらせて眉を顰めた。
 そして、長い逡巡の後。未だ躊躇いが拭い切れない素振りを見せながらも、口を開く。

「君の、言う通りだ。私も、あまりにも苦しいものだから怒りすら覚えたよ。こんなことを言う資格が自分に無いことは分かっているが、私を残していった君に腹が立った……ッ」
「……! ああ、ごめんな」

 謝罪を口にしながらも、頬が綻むのを抑えられない。
 やっと月島の本心を引き出すことができた。アイツにとっては醜いのだろうが、俺には月島の信頼の証に感じられた。

 綺麗な自分だけを見せていないと嫌われてしまうと思っているのなら、それは俺の愛情を見くびり過ぎだ。そんなに舐めてもらっては困る。
 俺なら、この男の重さを全て受け止められると、自負しているのだから。

「こんな話を口にしてもいいのか? 自らの所業を棚に上げて君に怒りを抱くなど、身勝手もいいところだ」
「だから、お前はそのくらいで丁度いいんだって。包み隠さず曝け出してくれよ。素直なお前を見れるのは、俺の特権だろ?」

 深刻な顔をした月島の頬をつまみ、無理矢理表情をほぐしてやる。
 好き勝手された月島が困り顔で笑ったのを見て、俺も挑戦的な笑みを返した。

「ただし。お前の意見を全部優先してやる訳じゃないからな。聞いた上で気に入らなかったら容赦無く論破してやるから、本気で来やがれ」
「ほう、君は私の転がし方を良く分かっているね。そう言われた方が、我儘を通してみたくなる」
「当たり前だろ、何年お前の相手をしてると思ってるんだ」

 挑発混じりの軽口に、月島も応じて嫌味な笑みを浮かべる。昔は嫌気しか感じなかった言い合いが、今は不思議と懐かしくて心地良かった。
 ふ、と息を吐くように笑って顔を上げ、月島が流し目で俺を見やる。


「それならお言葉に甘えて。早速、一つ我儘を言ってもいいか?」
「……なんだ?」

 不意に切り出した月島は、俺の様子を伺いながら、舌先で唇を湿らせていた。

「とても、酷いことを言うのだが」
「……」
「私を、君の最初で最後の恋人にして欲しい」

 そう言い切った月島は、自己嫌悪に揺れる瞳の奥に、剥き出しの独占欲を漲らせていた。
 俺が握っていた手を、今度は逆に強く握り込まれる。
 もう、絶対に離さないと言わんばかりに。

「もし……もし、君がこの先ひとりになっても、私のことだけを変わらず想い続けて、誰の物にもならないで欲しい。そして、ずっと、ずっと、私のことを考えて、私に囚われていて欲しい」

 この男は――、

「万が一、私が先立つときには……君の心も一緒に持って行かせてくれないか」

 死んでも俺を手放さないつもりだ。

「――――」

 鼻先が触れるほど間近に迫った月島の、恐ろしさすら感じる深い執着にぞくりと身が震える。
 握った手の熱と共に伝えられたのは、確かに酷い言葉だった。
 だが。

「ふ、はは」

 そんな言葉を聞いて、喜びを覚えてしまう自分がおかしくて笑い声がこぼれる。
 「自分が居なくなっても幸せになってくれ」とか「さっぱり忘れて新しい人生を生きてくれ」とか、もっと恋人に言うのに相応しい綺麗な言葉はいくらでもあるだろう。

 けれども、俺には月島の言葉が嬉しかった。
 俺を突き放して孤独に放り出すような綺麗な言葉よりも、一生、いや、死んでも離さないという覚悟に満ちた、執着に塗れた言葉の方が、余程。

「何だよ、お前。酷い男だな。死んでも俺を手放さないつもりかよ」
「そうだ」

 月島は一片の躊躇いも見せずに、力強く言い切った。

「死んでも、君を手放さない」
「っ、そうかよ」

 月島の言葉が、俺の胸を熱く満たす。
 胸の奥を冷やしていた孤独感を焼き焦がす程の熱量に、今度は視界が滲んでいった。

「……死んでも離れないのか、お前」

 泣き笑いで歪む俺の目を真っ直ぐ見つめ返して、月島が深く頷く。
 そして、柔らかに微笑んだ男の顔を見て、何かが吹っ切れた感触がした。

 こんな言葉で安心してしまう俺も大概だという自覚はあった。
 しかしまあ、割れ鍋に綴じ蓋というヤツだ。
 最初の印象こそ最悪だったが、実は相性が良かったのだろう、俺たちは。

「分かったよ。他ならぬお前の頼みだ、約束する」

 小さく息を飲んだ月島の顔を見上げ、甘えた声で囁く。

「お前以外の恋人なんて、いらない。お前だけでお腹一杯だしな」
「篠崎君……!」

 気恥ずかしくなって目の前の胸元に顔を埋める。最後に少し憎まれ口が交じってしまったのは許して欲しかった。
 互いの背に腕を回し、強く、強く抱き締め合う。

「死が二人を分かつまで、ではなく。死が二人を分かっても……私は君を、手放さない」
「ふ、臭い台詞だな」

 相変わらず気障すぎる台詞に苦笑いが浮かぶ。まったく、月島にしか言えないような台詞である。
 しかし。ふと思い立って、俺も月島の言い回しに乗っかることにした。

「あー、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、だったか?」
「おや、君がそんなことを言ってくれるなんて珍しいね」
「自覚はあるからほっとけ。後はそうだな、お前が嫉妬に狂ったときも、鬱陶しく纏わりついて来るときも、頑固に人の話聞かないときも……」
「おいおい……」
「とにかく、どんなときもだ。お前を愛し、慈しむことを誓うよ。亮介」

 俺の言葉を受けて、月島は眩しそうに目を細める。

「ならば私も誓おう。君が素直になってくれないときも、寂しさの余り拗ねてるときも、嬉々として私に嫌がらせをしてくるときも、何があっても君を愛し、慈しみ続けるよ。聡」
「結構な言い草だな」
「君に言われたくはないね」

 小うるさい口を塞いでやろうと思い、顔を寄せる。
 どうやら同じことを考えていた月島と、どちらからともなく口付け合った。

「……っは」

 唇を離し、一瞬後を引いた銀の糸が切れるのを見届けてから、月島へと向き直る。
 一度深呼吸をして、羞恥心を心の隅に追いやり、精一杯気障な表情を作り上げてから口を開いた。

「さて、」
「ん?」
「誓いの言葉とキスだけじゃ、何かが足りないとは思わないか?」

 意味深に言って立ち上がると、月島は驚きと疑問が入り混じった表情で俺の顔を見上げる。
 俺の意図を薄々察しているのか、あからさまに狼狽した様子を見て気分を良くしながら、俺は月島の前に片膝を着く。


「は? いや、え?」
「亮介」


 意味の無い音をこぼし続けていた月島は、名前を呼ばれた瞬間、弾かれたように背筋を伸ばして口を閉ざした。

「俺もこの一週間、考えてきたんだよ。どうすれば、お前に俺の気持ちを伝えられるのか」

 痛いくらい突き刺さる視線を焦らしながら、懐から拳大の箱を取り出す。
 そして、ゆっくりと小箱の蓋を開け、銀色に輝く揃いの指輪を眼前に掲げた。

 月島を想う、俺の心の表れを。

「これが、俺の気持ちだ。放さないでいてくれるか? 亮介」
「君、は……!」

 感情を溢れさせた月島が、言葉も紡げずに喘いでいる。
 取り繕う余裕も無くした男を見て、俺は思わず笑みを浮かべた。
 それが少し意地の悪い笑顔になってしまったことは否めない。月島はそんな俺の表情に目敏く気付くと、顔を真っ赤にして眉を釣り上げた。

「君は、ズルい」
「何がズルいんだよ」
「どれだけ私を掻き乱したら気が済むのだ……!」

 悔しそうに吐かれたその悪態は、考えるまでもなく照れ隠しであると分かっていた。
 図らずも、いつもとは逆の立場に回った形だ。

「はは、お前も照れ隠しに怒ったりするんだな。こりゃ用意して来た甲斐があるぜ」
「面白がらないでくれ!」

 俺の言葉一つで忙しく表情を変える姿を見ていると、愉快で堪らなくなる。
 いつもしつこく揶揄ってくる月島の気持ちも、今なら分かる気がした。

「嫌だったか?」
「そんなことはない! すごく、嬉しい」
「ふ、素直だね」

 食い気味の否定に対して、小憎らしい男の顔と口調を真似て返してやると、月島は一層頬を赤らめた。
 一杯一杯で何も考えられないのか、わなわなと震えて言葉も無く恨みがまし気な目を俺に向けている。
 いつも振り回される俺の気持ちも、ちょっとは思い知っただろうか。

「ふははっ、悪かったよ。この辺にしておくから拗ねるなって」
「ぐ、君ってヤツは……!」
「ほら」

 こちらをじとりと睨めつけてくる視線の前に手を突き出して、恨み節を打ち切る。
 虚を突かれた月島を催促するように指先で招き、重ねて言った。

「手、出せよ」
「!」

 俺の意図を悟って、月島がおずおずと左手を差し出す。
 いつもより熱いその手を柔らかく握って、俺は万感の想いを込め、銀の指輪を月島へと捧げた。

「さ、とる……!」

 ぴたりと薬指に収まった輝きを見つめ、月島が目からぽろりと水滴をこぼした。
 もう片方の指輪を月島に握らせ、左手を差し出す。

「俺にも、つけてくれるか?」
「……っ、勿論だ」

 震える声でそう言った月島は、恭しく俺の手を取り、そして同じように薬指へと指輪を嵌めた。
 そして、しばし愛おしげに俺の手を眺めた後、軽く音を立てて指輪へと口付けた。

「まさか君から指輪を貰えるとは、思っていなかった」

 月島は、夢ではないことを確かめるかのように、しきりに指輪を撫でている。
 その表情が今までになく安らかであることに気付き、俺も胸を撫で下ろした。
 ようやく、ちゃんと伝えられたようだ。俺の想いが。

「告白はお前からだっただろ。なら、プロポーズは俺に譲ってくれなきゃ不公平だぜ」
「ふ、違いない」

 その言葉と共に、握った手を引かれて月島の上へ倒れ込む。
 縺れ合いながら二人でベッドに横たわり、気付けば自然と手の平を合わせていた。
 互いの指に煌めく輝きを目にして、頬が緩む。
 見れば、月島も俺と同じく蕩けた表情を浮かべていた。

「これで分かったか? 俺は、俺の意思で、お前の隣を選んだんだよ。誰に強制された訳でもない」
「ああ」
「お前が必死に縛り付けていなくたって、何処にも行きやしないさ。離れろって言ったって聞かないからな」
「ああ、私もやっと理解したよ。君に、愛されているということを」

 穏やかな声音に、月島が満たされてくれたのを感じて嬉しくなる。
 そして、溢れんばかりの愛おしさを、そのまま素直に言葉で表した。


「亮介。……愛してる」
「私も、愛している」

 愛の言葉を伝えるのはやはり慣れなかったが、月島の笑顔の前では、他のことなんてどうでも良いと思えた。
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