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43 擦れ違いの果て
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「くそっ、何処行ったんだあのバカ……!」
暗く寒い夜道を駆けながら悪態を吐く。
探し始めてからさほど時間は経っていないが、全く手がかりが掴めないことに焦りを感じていた。
このままがむしゃらに住宅街を駆け回っていても埒が明かない。せめて、方向だけでも突き止めなくては。
奥歯を噛みしめて立ち止まり、じっと周囲の音に耳を澄ませる。
住宅街を抜けた先から、誰の物とも判別のつかない男の声が聞こえてくる。
「頼むから合っててくれ……!」
声がする方へ足を向け、徐々に街灯が少なくなっていく路地を駆け抜けていく。細い路地を進むのは心許なかったが、程なくして視界が急激に開けた。
どうやら、小高い丘の上に抜けたようだ。走ってきた勢いを殺しきれずガードレールに手をつくと、その向こうには崖と見まごうほどの急斜面が広がっていて肝が冷えた。
「兄貴は昔からオレなんてどうでも良かったんだろ、見下しすらしないで……」
周囲を見渡すと、ようやく二人の姿を見つけることができた。
彼らの言い争いは、今や兄弟間の過去の確執にまで及んでいるようだ。
「腹が立つのを堪えて来たんだ、お前はいつも自分勝手な我儘を巻き散らして! 私がどれだけの物をお前に譲ってきたと思っている!」
「譲った? 奪ったの間違いだろうが!」
「馬鹿を言うな、私は……ッ」
「アンタは知りもしないんだろうな、完璧な兄貴と比べられるオレの気持ちなんて!」
月島の怒りを、玲二がそれ以上に苛烈な憎しみで塗りつぶしていく。
掴み合いながら潰れかけた怒声を浴びせ合う二人は、互いに感情を煽り合っているようだった。
「どれだけ努力しても兄貴の弟なのにと失望されて、オレ自身を見て欲しくてもこの顔は憎たらしい程兄貴にそっくりで! それなのに、当の兄貴とは喧嘩すら出来ず! 日陰で腐り続けるしかできなかった俺の気持ちなんて、アンタは知らないだろ、知ろうとも思わなかっただろ!」
「お前の勝手な劣等感など知るものか! お前こそ何も知らないだろう、次男という立場で重圧にも晒されず、何でも人の物を好きに奪い、のうのうと自由奔放に生きてきたお前に、私の苦しみが理解できるものか!」
「何が自由だ、俺はずっと兄貴の影に囚われてきたんだ!」
どちらも相手にぶつけられないまま二十年以上溜め込んできた怒りだ。
一度堰を切ってしまった以上、抑え込むことは難しいのだろう。けれども、互いに相手の言葉を噛み砕く余裕がない状態で意見をぶつけ合っても、何も生まれることはない。
かくして、相手を糾弾するだけの言い争いは延々と平行線を辿っていた。
これ以上の争いは、続けるだけ無意味である。
「おい二人共、いい加減にやめろ!」
駆け寄りながら叫ぶが、俺の声など今の兄弟には届かない。相手への憎しみで一杯になり、すっかり目が眩んでしまっていた。
その時、一際大きな声が空気を震わせた。
「兄貴さえ……兄貴さえいなければ!」
「……っ!」
玲二が月島の胸を突き飛ばし、月島が踏み止まりきれずにその長身を大きく揺らがせる。かしいだ先には、何処まで続くか見えない階段があった。
あの先は、この丘の下まで続いているのだろうか。
だとしたら。浮かび上がった想像に背筋が冷たくなる。
「月島ッ!」
無我夢中で駆けつけ、半ば階段に飛び込むようにして、落ち行く月島に手を伸ばす。
「――――!」
まだ、間に合う。
互いに精一杯手を伸ばせば届く距離だ。そう、思っていた。
その後の出来事は、やけにゆっくりと感じられた。
月島は、一度は伸ばした手を、引いた。
必死に伸ばした手が、空を掴む。
「な、」
何故と問いかけることも出来ず、落ちていく月島と目が合った次の瞬間には、激しい衝撃が全身を襲っていた。
飛び込んだ勢いのまま石段に叩きつけられ、その角に身体中が抉られて痛みが走る。
前後不覚になりながらも、なんとか手すりの脚に腕を絡ませて、下まで転がり落ちることだけは避けられた。
しかし、痛みも安堵も感じる余裕はない。軋む身体に鞭を打ち、すぐさま顔を上げて階下に目をやる。
夜の闇に沈んだ一帯で、皮肉にも、そこだけが街頭に照らされていた。
階段の終着点。ぐったりと動かない月島が転がっている、その場所だけが。
「……ぁ」
自分の中から、何が抜け落ちた感触がした。
ぽっかり穴の空いた胸の内に冷たいものが入り込み、背筋が凍る。
「……月島?」
誰にも聞こえないような小さな呟きが、無意識の内に零れ落ちた。
次の瞬間、湧き上がった焦燥感に胸を貫かれる。
両親が亡くなったあの日、ひとり残されて味わった孤独が、昨日のことのように思い出された。
そうだ。大切なものは、いとも簡単に、何の前触れもなく失われてしまう。
「つき、しま……?」
どうして忘れていたんだろう。
日常なんて、幸せなんて、薄氷の上のまやかしに過ぎないのに。
それを、忘れていたのは。
それを、忘れさせてくれていたのは。
「つ、き……」
全身を蝕む痛みを無視して、血の滲んだ手で手すりを掴む。よろめきながらも立ち上がり、暗い階段を蹴つまずきそうになりながら駆け下りていく。
俺の胸中は、焦りと怒りと絶望感でぐちゃぐちゃになっていた。
許さない。
散々逃げてきた俺を捕まえて、温もりを思い出させたくせに。
失うことを恐れていた俺に、その手を掴ませたというのに。
この先、共に歩んでいく決意をさせたのに。
俺を放り出して遠くに行くなんて、許さない。絶対に許さない。
「……ッ亮介!」
俺を離すな。
俺をひとりにするな。
頼む。俺を、置いていかないでくれ。
倒れ込むように月島の傍らに跪き、衝動のまま抱き上げようとして……止まる。
恐らく頭も強く打っているハズだ、動かさない方が良い。
一周回ってどこか冷静にそう判断した俺は、月島に触れられないまま、伸ばした手を冷えたアスファルトへと下ろした。
眼下に転がる月島の顔色は、青白い。
それが月明りのせいか、寒さのせいか、もっと別の何かのせいかは分からない。
それでも。月島の体温を確かめることが、この上なく恐ろしかった。
「……駄目だ、駄目だ、そんなの駄目だ」
うわ言の様にぶつぶつと呟きながら、上着を脱いで月島の身体にかけてやる。
少しでもその身体から熱が奪われてしまわないように。気休めにもならない措置だけれども、そうせずにはいられなかった。
そして、ポケットに手を伸ばし、取り落しそうになりながら携帯を引っ張り出して、震える指先で画面をなぞっていく。たった三桁の番号を間違えそうになりながら入力し、ようやく響いたコール音に耳を澄ませた。
冷静じゃない、けれども冷静だった。
衝撃に凍り付いた感情を置き去りにして、理性が勝手に身体を動かしていく。
『はい、一一九です。火事ですか、救急ですか』
「……救急です」
『場所は何処ですか』
「――区の――です、長い階段の側で……」
救急隊員の質問に答える自分の声を、俺は何処か遠くで聞いていた。
冷たい地面に座り込みながら、俺の口は淡々と受け答えを行っていく。
怪我人の氏名、性別、年齢。
しかし、呆然としていた意識は次の質問で急速に現実へと引き戻された。
『どんな様子ですか、意識はありますか』
「っ」
今まで淀みなく返答していた声が詰まる。
そこで初めて、自分が月島の姿を視界から外していたことに気が付いた。
ゆっくりと視線を下ろし、目を逸らし続けていた現実を目の当たりにする。
「……ぅ」
あちこち擦り切れたスーツを纏った月島の身体は、そこら中に血が滲んでいた。
特に、手が酷い。
転がり落ちる中で藻掻いていたのか、指先は皮が剥け、爪が剥がれている指もある。
そして、顔には血の気が無く。目は閉じられ、額には痛々しい青あざが出来てしまっていた。
『……どうしました、大丈夫ですか。救急車はもう出動していますので、落ち着いて容態を教えてください』
救急隊員の声で、知らず知らずのうちに止めていた呼吸を再開する。
歯の根が合わないのを食いしばることで誤魔化し、ぐったりと横たわる月島の肩を控えめに揺さぶった。
「…………りょうすけ?」
反応は、ない。
状況を正しく把握していく毎に、どんどん息が荒くなっていく。
空気を吸っているハズなのに息苦しく、冬なのに汗が止まらない。シャツ一枚になっているにも関わらず、背中がじっとりと濡れていた。
それでも目を逸らす訳にはいかない。
他でもない、月島の為に。
「意識は、無いです。脈は……」
恐怖心を捻じ伏せて月島の手首を掴む。
触れた肌の冷たさに竦みそうになる心を、無理矢理抑えつけて脈を確かめた。
しばし意識を集中させるが、全く動きは感じられない。
違う。
違う!
俺の手が震えているせいだ。
今すぐ胸の内の絶望感を吐き出したくなりながらも、月島の手首から手を離す。
「う……う……っ」
そのまま震える手に齧り付き、口内に血の味が広がるほど強く噛み締めた。
怖気づく自分を痛みで制して、再び手を伸ばす。
今度は、月島の首元へ。
「……!」
温かかった。
指先に感じた熱に、涙が零れる。
触れているのも躊躇うほど弱々しい脈動だが、確かに月島は生きていた。
「脈は、あります……!」
抑えつけていた心が安堵感に震え、ぼろぼろと涙が零れ月島の身体を濡らしていく。
良かった。そう思ったのも束の間、指先にぬめり気を感じて表情を失った。
「……ぁ」
ぬたり、と粘り気を持ったその感触に、何も考えられないまま眼前に手を持ち上げる。
薄暗い街灯に照らされた俺の手は、べったりと赤く染まっていた。
頭が真っ白になり、力を失った左手から携帯が滑り落ちる。
ガシャリと音を立ててひび割れたのは、携帯だけではない。
俺の心も、限界だった。
「――――ひっ、」
そして、夜の住宅街に男の悲鳴が響き渡った。
暗く寒い夜道を駆けながら悪態を吐く。
探し始めてからさほど時間は経っていないが、全く手がかりが掴めないことに焦りを感じていた。
このままがむしゃらに住宅街を駆け回っていても埒が明かない。せめて、方向だけでも突き止めなくては。
奥歯を噛みしめて立ち止まり、じっと周囲の音に耳を澄ませる。
住宅街を抜けた先から、誰の物とも判別のつかない男の声が聞こえてくる。
「頼むから合っててくれ……!」
声がする方へ足を向け、徐々に街灯が少なくなっていく路地を駆け抜けていく。細い路地を進むのは心許なかったが、程なくして視界が急激に開けた。
どうやら、小高い丘の上に抜けたようだ。走ってきた勢いを殺しきれずガードレールに手をつくと、その向こうには崖と見まごうほどの急斜面が広がっていて肝が冷えた。
「兄貴は昔からオレなんてどうでも良かったんだろ、見下しすらしないで……」
周囲を見渡すと、ようやく二人の姿を見つけることができた。
彼らの言い争いは、今や兄弟間の過去の確執にまで及んでいるようだ。
「腹が立つのを堪えて来たんだ、お前はいつも自分勝手な我儘を巻き散らして! 私がどれだけの物をお前に譲ってきたと思っている!」
「譲った? 奪ったの間違いだろうが!」
「馬鹿を言うな、私は……ッ」
「アンタは知りもしないんだろうな、完璧な兄貴と比べられるオレの気持ちなんて!」
月島の怒りを、玲二がそれ以上に苛烈な憎しみで塗りつぶしていく。
掴み合いながら潰れかけた怒声を浴びせ合う二人は、互いに感情を煽り合っているようだった。
「どれだけ努力しても兄貴の弟なのにと失望されて、オレ自身を見て欲しくてもこの顔は憎たらしい程兄貴にそっくりで! それなのに、当の兄貴とは喧嘩すら出来ず! 日陰で腐り続けるしかできなかった俺の気持ちなんて、アンタは知らないだろ、知ろうとも思わなかっただろ!」
「お前の勝手な劣等感など知るものか! お前こそ何も知らないだろう、次男という立場で重圧にも晒されず、何でも人の物を好きに奪い、のうのうと自由奔放に生きてきたお前に、私の苦しみが理解できるものか!」
「何が自由だ、俺はずっと兄貴の影に囚われてきたんだ!」
どちらも相手にぶつけられないまま二十年以上溜め込んできた怒りだ。
一度堰を切ってしまった以上、抑え込むことは難しいのだろう。けれども、互いに相手の言葉を噛み砕く余裕がない状態で意見をぶつけ合っても、何も生まれることはない。
かくして、相手を糾弾するだけの言い争いは延々と平行線を辿っていた。
これ以上の争いは、続けるだけ無意味である。
「おい二人共、いい加減にやめろ!」
駆け寄りながら叫ぶが、俺の声など今の兄弟には届かない。相手への憎しみで一杯になり、すっかり目が眩んでしまっていた。
その時、一際大きな声が空気を震わせた。
「兄貴さえ……兄貴さえいなければ!」
「……っ!」
玲二が月島の胸を突き飛ばし、月島が踏み止まりきれずにその長身を大きく揺らがせる。かしいだ先には、何処まで続くか見えない階段があった。
あの先は、この丘の下まで続いているのだろうか。
だとしたら。浮かび上がった想像に背筋が冷たくなる。
「月島ッ!」
無我夢中で駆けつけ、半ば階段に飛び込むようにして、落ち行く月島に手を伸ばす。
「――――!」
まだ、間に合う。
互いに精一杯手を伸ばせば届く距離だ。そう、思っていた。
その後の出来事は、やけにゆっくりと感じられた。
月島は、一度は伸ばした手を、引いた。
必死に伸ばした手が、空を掴む。
「な、」
何故と問いかけることも出来ず、落ちていく月島と目が合った次の瞬間には、激しい衝撃が全身を襲っていた。
飛び込んだ勢いのまま石段に叩きつけられ、その角に身体中が抉られて痛みが走る。
前後不覚になりながらも、なんとか手すりの脚に腕を絡ませて、下まで転がり落ちることだけは避けられた。
しかし、痛みも安堵も感じる余裕はない。軋む身体に鞭を打ち、すぐさま顔を上げて階下に目をやる。
夜の闇に沈んだ一帯で、皮肉にも、そこだけが街頭に照らされていた。
階段の終着点。ぐったりと動かない月島が転がっている、その場所だけが。
「……ぁ」
自分の中から、何が抜け落ちた感触がした。
ぽっかり穴の空いた胸の内に冷たいものが入り込み、背筋が凍る。
「……月島?」
誰にも聞こえないような小さな呟きが、無意識の内に零れ落ちた。
次の瞬間、湧き上がった焦燥感に胸を貫かれる。
両親が亡くなったあの日、ひとり残されて味わった孤独が、昨日のことのように思い出された。
そうだ。大切なものは、いとも簡単に、何の前触れもなく失われてしまう。
「つき、しま……?」
どうして忘れていたんだろう。
日常なんて、幸せなんて、薄氷の上のまやかしに過ぎないのに。
それを、忘れていたのは。
それを、忘れさせてくれていたのは。
「つ、き……」
全身を蝕む痛みを無視して、血の滲んだ手で手すりを掴む。よろめきながらも立ち上がり、暗い階段を蹴つまずきそうになりながら駆け下りていく。
俺の胸中は、焦りと怒りと絶望感でぐちゃぐちゃになっていた。
許さない。
散々逃げてきた俺を捕まえて、温もりを思い出させたくせに。
失うことを恐れていた俺に、その手を掴ませたというのに。
この先、共に歩んでいく決意をさせたのに。
俺を放り出して遠くに行くなんて、許さない。絶対に許さない。
「……ッ亮介!」
俺を離すな。
俺をひとりにするな。
頼む。俺を、置いていかないでくれ。
倒れ込むように月島の傍らに跪き、衝動のまま抱き上げようとして……止まる。
恐らく頭も強く打っているハズだ、動かさない方が良い。
一周回ってどこか冷静にそう判断した俺は、月島に触れられないまま、伸ばした手を冷えたアスファルトへと下ろした。
眼下に転がる月島の顔色は、青白い。
それが月明りのせいか、寒さのせいか、もっと別の何かのせいかは分からない。
それでも。月島の体温を確かめることが、この上なく恐ろしかった。
「……駄目だ、駄目だ、そんなの駄目だ」
うわ言の様にぶつぶつと呟きながら、上着を脱いで月島の身体にかけてやる。
少しでもその身体から熱が奪われてしまわないように。気休めにもならない措置だけれども、そうせずにはいられなかった。
そして、ポケットに手を伸ばし、取り落しそうになりながら携帯を引っ張り出して、震える指先で画面をなぞっていく。たった三桁の番号を間違えそうになりながら入力し、ようやく響いたコール音に耳を澄ませた。
冷静じゃない、けれども冷静だった。
衝撃に凍り付いた感情を置き去りにして、理性が勝手に身体を動かしていく。
『はい、一一九です。火事ですか、救急ですか』
「……救急です」
『場所は何処ですか』
「――区の――です、長い階段の側で……」
救急隊員の質問に答える自分の声を、俺は何処か遠くで聞いていた。
冷たい地面に座り込みながら、俺の口は淡々と受け答えを行っていく。
怪我人の氏名、性別、年齢。
しかし、呆然としていた意識は次の質問で急速に現実へと引き戻された。
『どんな様子ですか、意識はありますか』
「っ」
今まで淀みなく返答していた声が詰まる。
そこで初めて、自分が月島の姿を視界から外していたことに気が付いた。
ゆっくりと視線を下ろし、目を逸らし続けていた現実を目の当たりにする。
「……ぅ」
あちこち擦り切れたスーツを纏った月島の身体は、そこら中に血が滲んでいた。
特に、手が酷い。
転がり落ちる中で藻掻いていたのか、指先は皮が剥け、爪が剥がれている指もある。
そして、顔には血の気が無く。目は閉じられ、額には痛々しい青あざが出来てしまっていた。
『……どうしました、大丈夫ですか。救急車はもう出動していますので、落ち着いて容態を教えてください』
救急隊員の声で、知らず知らずのうちに止めていた呼吸を再開する。
歯の根が合わないのを食いしばることで誤魔化し、ぐったりと横たわる月島の肩を控えめに揺さぶった。
「…………りょうすけ?」
反応は、ない。
状況を正しく把握していく毎に、どんどん息が荒くなっていく。
空気を吸っているハズなのに息苦しく、冬なのに汗が止まらない。シャツ一枚になっているにも関わらず、背中がじっとりと濡れていた。
それでも目を逸らす訳にはいかない。
他でもない、月島の為に。
「意識は、無いです。脈は……」
恐怖心を捻じ伏せて月島の手首を掴む。
触れた肌の冷たさに竦みそうになる心を、無理矢理抑えつけて脈を確かめた。
しばし意識を集中させるが、全く動きは感じられない。
違う。
違う!
俺の手が震えているせいだ。
今すぐ胸の内の絶望感を吐き出したくなりながらも、月島の手首から手を離す。
「う……う……っ」
そのまま震える手に齧り付き、口内に血の味が広がるほど強く噛み締めた。
怖気づく自分を痛みで制して、再び手を伸ばす。
今度は、月島の首元へ。
「……!」
温かかった。
指先に感じた熱に、涙が零れる。
触れているのも躊躇うほど弱々しい脈動だが、確かに月島は生きていた。
「脈は、あります……!」
抑えつけていた心が安堵感に震え、ぼろぼろと涙が零れ月島の身体を濡らしていく。
良かった。そう思ったのも束の間、指先にぬめり気を感じて表情を失った。
「……ぁ」
ぬたり、と粘り気を持ったその感触に、何も考えられないまま眼前に手を持ち上げる。
薄暗い街灯に照らされた俺の手は、べったりと赤く染まっていた。
頭が真っ白になり、力を失った左手から携帯が滑り落ちる。
ガシャリと音を立ててひび割れたのは、携帯だけではない。
俺の心も、限界だった。
「――――ひっ、」
そして、夜の住宅街に男の悲鳴が響き渡った。
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