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41 招かれざる人間
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月島の家を訪れるのは何度目になるか分からないが、こんな気持ちで玄関の前に立つのは初めてだった。
そもそも、こんなに緊張したのは何時ぶりだろうか。
精神に引きずられて身体までもがやられており、胃がきりきりと不調を訴えていた。
「俺、実は繊細なのかもしれん……」
「え、今まで自覚無かったのか?」
ふと零した弱音に驚かれ、不思議に思って月島を見つめる。向こうも信じられないものを見たような顔をしていた。
月島の俺に対する認識に思うところはあったが、今はその間抜け面に少し緊張がほぐれたので良しとしよう。
「……いいかね?」
「おう」
俺の返事を待って、月島がインターホンを鳴らす。間も無く、家の中からぱたぱたと足音が近づいて来て玄関の扉が開かれた。
「いらっしゃい。篠崎さん。うちの亮介からお話は伺っております」
中から上品な物腰の女性が顔を出し、深々と頭を下げる。
たれ目気味の瞳と薄めの唇で柔らかく微笑む様子は、月島とそっくりであった。
その顔に一瞬目を奪われてしまったが、慌てて気を取り直し、こちらも礼を返す。内心の動揺も今は心の隅に追いやり、仕事用の笑顔を浮かべた。
「初めまして、篠崎聡と申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」
「こんなところでは何ですから、まずは上がってください」
「はい」
月島の母親に先導されて見慣れた廊下を歩く。
早まっていく鼓動を抑えつけ、指の先まで神経を張り巡らせながらリビングの扉をくぐった。
リビングの入口では、月島の父親が待っていた。互いに挨拶を交わし、名刺を交換する。そのまま社交辞令を済ませ、促されるまま席に着き、改めて月島の両親と対峙した。
真正面から二人の顔を見つめていると、ついつい顔が硬くなってしまいそうになる。
今は表面上、冷静を保って薄く笑顔を浮かべていたが、自分の表情筋が何時まで持つか自信がなかった。
ちらりと横目で伺えば、涼しい顔で隣に座る月島も机の下では膝を強く握りしめている。
お互い、何度も場数を踏んで来たハズだ。
しかし、今日の緊張感は一味違っていた。
「ご紹介します。今、お付き合いさせていただいている、篠崎さんです」
場が整ったことを確認した月島が、ついに口火を切る。話を振られて、俺は表情筋を総動員して柔らかく微笑んだ。
「改めまして。現在、亮介さんとお付き合いさせていただいております、篠崎聡と申します。本日はお忙しい中こうしてお時間を作っていただき、ありがとうございます」
俺の表情筋は、今のところ従順に言うことを聞いてくれているようだ。
挨拶を受けて月島の両親が軽く会釈し、月島の父親が代表して口を開いた。
「亮介の父の、貴亮と申します。こちらは妻の玲香です。本日はご足労いただきありがとうございます」
「こちらこそ、お会いしていただけて嬉しいです。よろしくお願いします」
月島よりもいくらか低い落ち着きのある声に、そんな場合ではないのに聞き惚れてしまいそうになる。
一しきり自己紹介を済ませたところで、月島が俺たちの馴れ初めを簡単に説明し始めた。
「彼と私は同期で、今は同じ課に配属されて共に働いております。私から彼に想いを打ち明けて、付き合うことを承諾していただきました。最初はぶつかることも多かったのですが、徐々に打ち解けていきまして……」
月島が語る馴れ初めは、それはもう綺麗なもので、一瞬誰の話かと我が耳を疑った。相当、伝え方を悩んできたに違いない。
端折り方が絶妙で、嘘は言ってないのだけれども、真実を語ってもいなかった。
いや、もちろん本当のことなんて言う訳にはいかないんだが。
息子が連れてきた相手が男だった上に、出会い系サイトで知り合った同僚でしたなんて話、出来る訳がない。
それに、綺麗にオブラートで包み倒したこの内容でも、親御さんにしてみればさぞ衝撃的な話に違いない。
月島の両親は、どんな心境でこの話を聞いているんだろう。俺には想像もつかなかった。
「そして今日、彼を紹介させていただきたいと思い、この場を設けさせていただきました」
月島はそう締めくくり、一礼して話の終わりを示した。
俺たちの話を聞いた月島の両親は、互いに視線を交わし、小さく頷き合っていた。
「……」
視線が泳いでしまわないよう、腹に力を入れて、乾ききった喉で唾を飲み込む。
今日に向けて、俺たちが月島の両親について話をしてきたように、月島の両親も俺たちのことを話し合って来たのだろう。
二人の話はどういう結論に至ったのだろうか。そして、実際に俺を見てどう感じたのだろうか。大事な息子を預けるに足る人間だと、認めてもらえただろうか。
俺と月島、そして玲香さんの視線が貴亮さんへと集まる。
腕を組んで黙り込んだ貴亮さんの表情は、月島が職場で浮かべていたような無表情とそっくりであり、その内心を伺い知ることは出来なかった。
たった一瞬の沈黙が、果てしなく長く感じられる。このまま何処までも続くかと思われた重苦しい沈黙は、貴亮さんの静かな言葉によって唐突に打ち砕かれた。
「亮介」
「はい」
名前を呼ばれた月島は、硬い声で答えて背筋を伸ばし、次の言葉を待つ。
「お前が篠崎さんを大切に思い、真面目に将来を考えていることは分かった」
「はい」
「同性愛であることについて、何も思わないと言えば嘘になるが……先日お前と話し合い、私も飲み込んだつもりだ」
「……はい」
「改めて確認する。お前に、篠崎さんと添い遂げる覚悟は出来ているのか」
「勿論です」
間髪入れずに断言した月島に、胸が熱くなる。
鼻の奥にツンとした感触が広がっていくのを感じながら、震える吐息で深呼吸をして、早る胸を抑え付けた。
「お前は、責任を持って篠崎さんを幸せに出来るのか」
「必ず。生涯をかけて幸せにします」
そう言い切った月島のひた向きで力強い声に、堪え切れずに視界が滲んでいく。
笑みを浮かべる余裕も無くなり、水滴が零れてしまわないようきつく唇を噛みしめた。
……駄目だ、こんなところで泣いては。
頭では分かっているのに、身体は言うことを聞いてくれない。
貴亮さんは月島の言葉を受け、噛みしめるように目を瞑って何事か考え込んでいる。
その様子を食い入るように観察していると、ふと瞼が薄く開かれ、心の内まで見通さんばかりの瞳が俺を見据えた。
あの瞳に自分がどのように映っているかは分からない。
けれども、精一杯虚勢を張って視線を受け止めた。
「なら、良いだろう」
やがて、ふっと微笑んで顎を引いた貴亮さんは、腕を解いて膝の上に置き、机に付かんばかりに頭を下げて俺に言った。
「篠崎さん。どうか、うちの亮介をよろしくお願いします」
「はい、大切にしま――」
そこまで言うのが精一杯だった。
口を開いた瞬間にぽろぽろと涙が零れ落ち、喉が詰まる。
一度綻んでしまった涙腺はもう制御することが出来ず、両手で押さえても次から次へと雫が溢れていく。
やってしまったと思う余裕も無い。頭の中は真っ白になっていた。
俯いて静かに震える俺の背を月島が優しく撫で、月島の両親がもらい泣きしそうになりながら見守ってくれている。
その温かさに、余計涙がこみ上げてくるのだった。
◆
「それでは篠崎さんは高校生の頃からお一人で?」
「ええ。とはいえ、大学に進学するまでは叔母の家で世話になっておりましたが」
月島に宥められて何とか落ち着きを取り戻した俺は、玲香さんに淹れ直してもらった緑茶を飲みながら自分の来歴について話していた。
俺の両親が既に亡くなっていることを聞いた貴亮さんと玲香さんは、沈痛な面持ちで俺の話に耳を傾けている。
「両親を失った時の私は、酷く取り乱しておりまして。誰の養子にも入りたくないと、自分の親はあの二人だけだと、叶わない我儘を言っていたんです」
「……」
「当然、高校生の子どもが一人で生きていける訳がありません。ですが叔母は、そんな私の意地を尊重してくれました」
話しながら当時の心境を思い出してしまい、少し声のトーンが暗くなる。
そのまま沈み込んでしまいそうになる心を引き留めて、話を続けた。
「叔母は……弁護士をしているのですが、私を養子にするのではなく、未成年後見人となってくれたのです。そうして私に、一人で生きるための全てを教えてくれました」
「苦労をなされたのですね……」
「もう、過去の話です」
ごほんと咳払いをして、暗くなり過ぎた場の雰囲気を散らそうと試みる。
そして敢えて声の調子を明るくして言った。
「叔母のおかげで、家事は一通りこなせるようになりましてね。こう見えて料理が得意なんですよ」
「ほう、それは心強い。実のところ、男二人の生活となると家事が疎かになってしまうのではないかと不安に思っておりましてね。何せ、私自身酷いものでしたから」
「そうだったんですか」
「ええ、妻に教わるまではろくに自炊も出来ず……迷惑をかけてしまいました」
雰囲気を変えようという俺の意図を酌んだ貴亮さんが、大袈裟に肩をすくめて自身の失敗談を語る。
月島も貴亮さんと同じ道を辿っていることを話のネタにしようとして、続く玲香さんの言葉に固まった。
「ふふ、貴方と亮介を比べては可哀想よ。亮介は掃除も洗濯も、料理だって出来るもの」
「……ほう?」
料理も出来たという発言に驚いて、月島の顔を横目で盗み見る。まさか、あの馬鹿丁寧な調理風景を両親に披露していたのだろうか。
隣に座った月島は、何とも言えない表情で黙り込んでいた。
「私たちが夜遅いときには、よく作り置きのおかずを準備していてくれたわよね。そういえば、目の前で作っているところは見たことが無かったけれど……」
「そんなことも、ありましたね」
何だか早めにこの話題を切り上げたがっている様子の月島を見ながら考える。目の前で作っている姿を見たことがないと聞いて、玲香さんの話が腑に落ちた。
月島は全く料理が出来ないという訳ではない。レシピに正確過ぎるくらい正確に調理を行っているせいで、恐ろしく時間と手間がかかっていたのだ。
恐らく、普通に作る何倍も時間と手間をかけ、『料理も出来る息子』を演じていたのだろう。思わぬところで白鳥の水面下の足掻きを見てしまい、微笑ましいような心苦しいような妙な感想を抱いてしまった。
「……」
「……」
俺の生暖かい視線を受け、月島は気まずそうに視線を泳がせている。
まあ、何年も隠し通してきた努力をここでバラしてやるのも気の毒なので、俺は話を合わせてやることにした。
「亮介さんには、よく朝食を作っていただいておりまして。お恥ずかしい話ですが、私は朝が弱いもので助けられています」
「ふふ、互いに支え合っていらっしゃるようで、安心しました」
俺の軽口を受けて、玲香さんが上品に笑う。
釣られて笑った俺と月島の顔を交互に見やって、玲香さんは感慨深げに呟く。
「貴方のそんな嬉しそうな顔、私も初めて見たわ。良い人に出会えたのね」
「ええ。彼に出会って、変わることが出来ました」
月島の言葉を聞いた玲香さんは、安堵した表情を浮かべた。
「良かったわ。貴方はとても利口な子だったけれど、あまり人と深く関わろうとしていなかったから心配していたの。本当に変わったわね、亮介」
「……彼のおかげです」
そう柔らかい声で述べた月島は、優しい瞳で俺を見つめた。
嬉しそうな月島に釣られてついつい顔が綻んでしまい、恥ずかしくなって慌てて目を反らす。
「……ごほん」
突如湧いたむず痒い雰囲気は、貴亮さんのわざとらしい咳払いによって振り払われた。
「ついつい話し込んでしまったが、もうこんな時間だ。今晩は一緒に食事でもいかがでしょうか」
「ぜひ、ご一緒させてください」
「それでは我々は少し準備をしてきますので。亮介」
「はい。……ああ、分かりました」
身支度の為に立ち上がった貴亮さんは、何事かを月島に囁いてから玲香さんを伴ってリビングを後にした。
ようやく緊張感から解放され、ずるずると机へ崩れ落ちる。
疲労困憊と言った体の俺を見て、月島もぐったりと椅子にもたれかかりながら苦笑していた。
「流石の君も緊張したようだな」
「その言葉、そのままそっくりお前に返すぜ、月島。……ああ、お前に相手に敬語って想像以上に疲れるわ」
「同感だな」
長い間「亮介さん」と呼び続けていたせいで口の中がむず痒く、舌先を甘噛みして気を紛らわす。
何せ入社以来、互いにさん付けで呼び合ったことなど一度も無い。慣れなさすぎる響きに終始舌を噛みそうで仕方がなかった。
「そういや、さっき最後に何話してたんだ?」
「ああ、君の目がまだ少し赤いから、冷やしてあげなさいと言われて……お、おい、そうへこむな。心証は悪くなかったと思うぞ」
「不甲斐ない……」
月島の父親だけあって、細かい気配りも完璧だった。そんな気遣いをさせてしまったことが恥ずかしくて仕方がない。
初対面の、それも恋人の両親の前でぐずぐずに泣き崩れるなど、一刻も早く忘れ去ってしまいたい失態だった。
「……これを使ってくれ」
「さんきゅ」
月島に手渡された濡れタオルを目元に押し当てる。
ともすれば冷たいタオルがあっという間に温まってしまいそうなほどの顔の熱に苛まれながら、俺はしばし机の上に突っ伏した。
タオルを押し当てたまま、しばし無言の時を過ごす。
貴亮さんと玲香さんは、まだ戻ってくる気配がない。きっと、俺が落ち着くのを待ってくれているのだろう。
その温かい心遣いの数々に、俺がここに居ることを認められているような気がして、また胸が熱くなる。
戸惑いながらも俺の存在を受け入れてくれた月島の両親には、頭が上がらなかった。
「……月島」
「ん?」
「いい、両親だな」
「ああ」
ぽつりと呟いた月島の声の柔らかさが心に響いて、ひっそりと、濡れタオルの裏で涙を滲ませた。
そんな時である。
突如、玄関の扉が開かれる音がしたのは。
「……?」
「――ッ!?」
不思議に思って顔を上げた俺の隣で、月島が恐ろしい形相で勢いよく立ち上がった。
そのまま微動だにせず、表情を強張らせたままリビングの扉を凝視している。
チャイムも鳴らさずに玄関を開けた何者かは、ゆっくりとした足取りで廊下を進み、やがて擦りガラスの向こうに姿を覗かせた。
初めて見ると同時に、見慣れた姿形をした男は、乱暴さを滲ませる動きでリビングの扉を開け放つ。
「よう、兄貴」
扉の向こうには、月島と瓜二つの男が立っていた。
そもそも、こんなに緊張したのは何時ぶりだろうか。
精神に引きずられて身体までもがやられており、胃がきりきりと不調を訴えていた。
「俺、実は繊細なのかもしれん……」
「え、今まで自覚無かったのか?」
ふと零した弱音に驚かれ、不思議に思って月島を見つめる。向こうも信じられないものを見たような顔をしていた。
月島の俺に対する認識に思うところはあったが、今はその間抜け面に少し緊張がほぐれたので良しとしよう。
「……いいかね?」
「おう」
俺の返事を待って、月島がインターホンを鳴らす。間も無く、家の中からぱたぱたと足音が近づいて来て玄関の扉が開かれた。
「いらっしゃい。篠崎さん。うちの亮介からお話は伺っております」
中から上品な物腰の女性が顔を出し、深々と頭を下げる。
たれ目気味の瞳と薄めの唇で柔らかく微笑む様子は、月島とそっくりであった。
その顔に一瞬目を奪われてしまったが、慌てて気を取り直し、こちらも礼を返す。内心の動揺も今は心の隅に追いやり、仕事用の笑顔を浮かべた。
「初めまして、篠崎聡と申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」
「こんなところでは何ですから、まずは上がってください」
「はい」
月島の母親に先導されて見慣れた廊下を歩く。
早まっていく鼓動を抑えつけ、指の先まで神経を張り巡らせながらリビングの扉をくぐった。
リビングの入口では、月島の父親が待っていた。互いに挨拶を交わし、名刺を交換する。そのまま社交辞令を済ませ、促されるまま席に着き、改めて月島の両親と対峙した。
真正面から二人の顔を見つめていると、ついつい顔が硬くなってしまいそうになる。
今は表面上、冷静を保って薄く笑顔を浮かべていたが、自分の表情筋が何時まで持つか自信がなかった。
ちらりと横目で伺えば、涼しい顔で隣に座る月島も机の下では膝を強く握りしめている。
お互い、何度も場数を踏んで来たハズだ。
しかし、今日の緊張感は一味違っていた。
「ご紹介します。今、お付き合いさせていただいている、篠崎さんです」
場が整ったことを確認した月島が、ついに口火を切る。話を振られて、俺は表情筋を総動員して柔らかく微笑んだ。
「改めまして。現在、亮介さんとお付き合いさせていただいております、篠崎聡と申します。本日はお忙しい中こうしてお時間を作っていただき、ありがとうございます」
俺の表情筋は、今のところ従順に言うことを聞いてくれているようだ。
挨拶を受けて月島の両親が軽く会釈し、月島の父親が代表して口を開いた。
「亮介の父の、貴亮と申します。こちらは妻の玲香です。本日はご足労いただきありがとうございます」
「こちらこそ、お会いしていただけて嬉しいです。よろしくお願いします」
月島よりもいくらか低い落ち着きのある声に、そんな場合ではないのに聞き惚れてしまいそうになる。
一しきり自己紹介を済ませたところで、月島が俺たちの馴れ初めを簡単に説明し始めた。
「彼と私は同期で、今は同じ課に配属されて共に働いております。私から彼に想いを打ち明けて、付き合うことを承諾していただきました。最初はぶつかることも多かったのですが、徐々に打ち解けていきまして……」
月島が語る馴れ初めは、それはもう綺麗なもので、一瞬誰の話かと我が耳を疑った。相当、伝え方を悩んできたに違いない。
端折り方が絶妙で、嘘は言ってないのだけれども、真実を語ってもいなかった。
いや、もちろん本当のことなんて言う訳にはいかないんだが。
息子が連れてきた相手が男だった上に、出会い系サイトで知り合った同僚でしたなんて話、出来る訳がない。
それに、綺麗にオブラートで包み倒したこの内容でも、親御さんにしてみればさぞ衝撃的な話に違いない。
月島の両親は、どんな心境でこの話を聞いているんだろう。俺には想像もつかなかった。
「そして今日、彼を紹介させていただきたいと思い、この場を設けさせていただきました」
月島はそう締めくくり、一礼して話の終わりを示した。
俺たちの話を聞いた月島の両親は、互いに視線を交わし、小さく頷き合っていた。
「……」
視線が泳いでしまわないよう、腹に力を入れて、乾ききった喉で唾を飲み込む。
今日に向けて、俺たちが月島の両親について話をしてきたように、月島の両親も俺たちのことを話し合って来たのだろう。
二人の話はどういう結論に至ったのだろうか。そして、実際に俺を見てどう感じたのだろうか。大事な息子を預けるに足る人間だと、認めてもらえただろうか。
俺と月島、そして玲香さんの視線が貴亮さんへと集まる。
腕を組んで黙り込んだ貴亮さんの表情は、月島が職場で浮かべていたような無表情とそっくりであり、その内心を伺い知ることは出来なかった。
たった一瞬の沈黙が、果てしなく長く感じられる。このまま何処までも続くかと思われた重苦しい沈黙は、貴亮さんの静かな言葉によって唐突に打ち砕かれた。
「亮介」
「はい」
名前を呼ばれた月島は、硬い声で答えて背筋を伸ばし、次の言葉を待つ。
「お前が篠崎さんを大切に思い、真面目に将来を考えていることは分かった」
「はい」
「同性愛であることについて、何も思わないと言えば嘘になるが……先日お前と話し合い、私も飲み込んだつもりだ」
「……はい」
「改めて確認する。お前に、篠崎さんと添い遂げる覚悟は出来ているのか」
「勿論です」
間髪入れずに断言した月島に、胸が熱くなる。
鼻の奥にツンとした感触が広がっていくのを感じながら、震える吐息で深呼吸をして、早る胸を抑え付けた。
「お前は、責任を持って篠崎さんを幸せに出来るのか」
「必ず。生涯をかけて幸せにします」
そう言い切った月島のひた向きで力強い声に、堪え切れずに視界が滲んでいく。
笑みを浮かべる余裕も無くなり、水滴が零れてしまわないようきつく唇を噛みしめた。
……駄目だ、こんなところで泣いては。
頭では分かっているのに、身体は言うことを聞いてくれない。
貴亮さんは月島の言葉を受け、噛みしめるように目を瞑って何事か考え込んでいる。
その様子を食い入るように観察していると、ふと瞼が薄く開かれ、心の内まで見通さんばかりの瞳が俺を見据えた。
あの瞳に自分がどのように映っているかは分からない。
けれども、精一杯虚勢を張って視線を受け止めた。
「なら、良いだろう」
やがて、ふっと微笑んで顎を引いた貴亮さんは、腕を解いて膝の上に置き、机に付かんばかりに頭を下げて俺に言った。
「篠崎さん。どうか、うちの亮介をよろしくお願いします」
「はい、大切にしま――」
そこまで言うのが精一杯だった。
口を開いた瞬間にぽろぽろと涙が零れ落ち、喉が詰まる。
一度綻んでしまった涙腺はもう制御することが出来ず、両手で押さえても次から次へと雫が溢れていく。
やってしまったと思う余裕も無い。頭の中は真っ白になっていた。
俯いて静かに震える俺の背を月島が優しく撫で、月島の両親がもらい泣きしそうになりながら見守ってくれている。
その温かさに、余計涙がこみ上げてくるのだった。
◆
「それでは篠崎さんは高校生の頃からお一人で?」
「ええ。とはいえ、大学に進学するまでは叔母の家で世話になっておりましたが」
月島に宥められて何とか落ち着きを取り戻した俺は、玲香さんに淹れ直してもらった緑茶を飲みながら自分の来歴について話していた。
俺の両親が既に亡くなっていることを聞いた貴亮さんと玲香さんは、沈痛な面持ちで俺の話に耳を傾けている。
「両親を失った時の私は、酷く取り乱しておりまして。誰の養子にも入りたくないと、自分の親はあの二人だけだと、叶わない我儘を言っていたんです」
「……」
「当然、高校生の子どもが一人で生きていける訳がありません。ですが叔母は、そんな私の意地を尊重してくれました」
話しながら当時の心境を思い出してしまい、少し声のトーンが暗くなる。
そのまま沈み込んでしまいそうになる心を引き留めて、話を続けた。
「叔母は……弁護士をしているのですが、私を養子にするのではなく、未成年後見人となってくれたのです。そうして私に、一人で生きるための全てを教えてくれました」
「苦労をなされたのですね……」
「もう、過去の話です」
ごほんと咳払いをして、暗くなり過ぎた場の雰囲気を散らそうと試みる。
そして敢えて声の調子を明るくして言った。
「叔母のおかげで、家事は一通りこなせるようになりましてね。こう見えて料理が得意なんですよ」
「ほう、それは心強い。実のところ、男二人の生活となると家事が疎かになってしまうのではないかと不安に思っておりましてね。何せ、私自身酷いものでしたから」
「そうだったんですか」
「ええ、妻に教わるまではろくに自炊も出来ず……迷惑をかけてしまいました」
雰囲気を変えようという俺の意図を酌んだ貴亮さんが、大袈裟に肩をすくめて自身の失敗談を語る。
月島も貴亮さんと同じ道を辿っていることを話のネタにしようとして、続く玲香さんの言葉に固まった。
「ふふ、貴方と亮介を比べては可哀想よ。亮介は掃除も洗濯も、料理だって出来るもの」
「……ほう?」
料理も出来たという発言に驚いて、月島の顔を横目で盗み見る。まさか、あの馬鹿丁寧な調理風景を両親に披露していたのだろうか。
隣に座った月島は、何とも言えない表情で黙り込んでいた。
「私たちが夜遅いときには、よく作り置きのおかずを準備していてくれたわよね。そういえば、目の前で作っているところは見たことが無かったけれど……」
「そんなことも、ありましたね」
何だか早めにこの話題を切り上げたがっている様子の月島を見ながら考える。目の前で作っている姿を見たことがないと聞いて、玲香さんの話が腑に落ちた。
月島は全く料理が出来ないという訳ではない。レシピに正確過ぎるくらい正確に調理を行っているせいで、恐ろしく時間と手間がかかっていたのだ。
恐らく、普通に作る何倍も時間と手間をかけ、『料理も出来る息子』を演じていたのだろう。思わぬところで白鳥の水面下の足掻きを見てしまい、微笑ましいような心苦しいような妙な感想を抱いてしまった。
「……」
「……」
俺の生暖かい視線を受け、月島は気まずそうに視線を泳がせている。
まあ、何年も隠し通してきた努力をここでバラしてやるのも気の毒なので、俺は話を合わせてやることにした。
「亮介さんには、よく朝食を作っていただいておりまして。お恥ずかしい話ですが、私は朝が弱いもので助けられています」
「ふふ、互いに支え合っていらっしゃるようで、安心しました」
俺の軽口を受けて、玲香さんが上品に笑う。
釣られて笑った俺と月島の顔を交互に見やって、玲香さんは感慨深げに呟く。
「貴方のそんな嬉しそうな顔、私も初めて見たわ。良い人に出会えたのね」
「ええ。彼に出会って、変わることが出来ました」
月島の言葉を聞いた玲香さんは、安堵した表情を浮かべた。
「良かったわ。貴方はとても利口な子だったけれど、あまり人と深く関わろうとしていなかったから心配していたの。本当に変わったわね、亮介」
「……彼のおかげです」
そう柔らかい声で述べた月島は、優しい瞳で俺を見つめた。
嬉しそうな月島に釣られてついつい顔が綻んでしまい、恥ずかしくなって慌てて目を反らす。
「……ごほん」
突如湧いたむず痒い雰囲気は、貴亮さんのわざとらしい咳払いによって振り払われた。
「ついつい話し込んでしまったが、もうこんな時間だ。今晩は一緒に食事でもいかがでしょうか」
「ぜひ、ご一緒させてください」
「それでは我々は少し準備をしてきますので。亮介」
「はい。……ああ、分かりました」
身支度の為に立ち上がった貴亮さんは、何事かを月島に囁いてから玲香さんを伴ってリビングを後にした。
ようやく緊張感から解放され、ずるずると机へ崩れ落ちる。
疲労困憊と言った体の俺を見て、月島もぐったりと椅子にもたれかかりながら苦笑していた。
「流石の君も緊張したようだな」
「その言葉、そのままそっくりお前に返すぜ、月島。……ああ、お前に相手に敬語って想像以上に疲れるわ」
「同感だな」
長い間「亮介さん」と呼び続けていたせいで口の中がむず痒く、舌先を甘噛みして気を紛らわす。
何せ入社以来、互いにさん付けで呼び合ったことなど一度も無い。慣れなさすぎる響きに終始舌を噛みそうで仕方がなかった。
「そういや、さっき最後に何話してたんだ?」
「ああ、君の目がまだ少し赤いから、冷やしてあげなさいと言われて……お、おい、そうへこむな。心証は悪くなかったと思うぞ」
「不甲斐ない……」
月島の父親だけあって、細かい気配りも完璧だった。そんな気遣いをさせてしまったことが恥ずかしくて仕方がない。
初対面の、それも恋人の両親の前でぐずぐずに泣き崩れるなど、一刻も早く忘れ去ってしまいたい失態だった。
「……これを使ってくれ」
「さんきゅ」
月島に手渡された濡れタオルを目元に押し当てる。
ともすれば冷たいタオルがあっという間に温まってしまいそうなほどの顔の熱に苛まれながら、俺はしばし机の上に突っ伏した。
タオルを押し当てたまま、しばし無言の時を過ごす。
貴亮さんと玲香さんは、まだ戻ってくる気配がない。きっと、俺が落ち着くのを待ってくれているのだろう。
その温かい心遣いの数々に、俺がここに居ることを認められているような気がして、また胸が熱くなる。
戸惑いながらも俺の存在を受け入れてくれた月島の両親には、頭が上がらなかった。
「……月島」
「ん?」
「いい、両親だな」
「ああ」
ぽつりと呟いた月島の声の柔らかさが心に響いて、ひっそりと、濡れタオルの裏で涙を滲ませた。
そんな時である。
突如、玄関の扉が開かれる音がしたのは。
「……?」
「――ッ!?」
不思議に思って顔を上げた俺の隣で、月島が恐ろしい形相で勢いよく立ち上がった。
そのまま微動だにせず、表情を強張らせたままリビングの扉を凝視している。
チャイムも鳴らさずに玄関を開けた何者かは、ゆっくりとした足取りで廊下を進み、やがて擦りガラスの向こうに姿を覗かせた。
初めて見ると同時に、見慣れた姿形をした男は、乱暴さを滲ませる動きでリビングの扉を開け放つ。
「よう、兄貴」
扉の向こうには、月島と瓜二つの男が立っていた。
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穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
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家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
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モブなのに執着系ヤンデレ美形の友達にいつの間にか、なってしまっていた
マルン円
BL
執着系ヤンデレ美形×鈍感平凡主人公。全4話のサクッと読めるBL短編です(タイトルを変えました)。
主人公は妹がしていた乙女ゲームの世界に転生し、今はロニーとして地味な高校生活を送っている。内気なロニーが気軽に学校で話せる友達は同級生のエドだけで、ロニーとエドはいっしょにいることが多かった。
しかし、ロニーはある日、髪をばっさり切ってイメチェンしたエドを見て、エドがヒロインに執着しまくるメインキャラの一人だったことを思い出す。
平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。
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鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
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