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38 月島亮介の覚悟
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半年後。
彼と机を並べることになり、一時はどうなるかと思っていたが……私は辛くも平静を保っていた。
欲望を満たす別の手段を見つけた為である。
最も、それも褒められた手段では決してなかったが。
「亮介、そろそろ別の方法を考えた方がいいと俺は思うぞ」
「毎度すまない。けれども、今更彼との関係を変えられなんてしないのだ……」
カズが紙束を持って私の家を訪れる姿は、すっかり馴染みのものとなっていた。
篠崎君と共に働くことになり、半月もしない内に限界を迎えた私は、彼に懸想していることをカズへと明かしていた。
話を聞いたカズは大層驚いていたが、偏見も無く受け入れてくれた。
私はそんなカズの優しさにつけ込んで願ったのだ。この想いが決して報われないことは理解している。それならせめて、彼のことを知りたい、と。
それからカズは、私の願いを聞いて篠崎君の情報を集めてくれていた。
どんな些細な話も彼に関することなら興味深くて、私は夢中になってカズの報告を待ちわびていた。
いつか当然訪れる終わりの日を忘れて。
「倫理的にもそうなんだが……いい加減、調べられる情報は調べ尽くしてしまってな」
「……!」
カズの言葉を聞いて弾かれたように顔を上げる。
私の視線を受けた彼は、何とも言えない物憂げな表情を浮かべていた。
「そう、か」
呆然とした響きが口から零れ落ちる。落胆を隠し切れない私を見てカズが目を反らした。
駄目だ、そうではない。もっと他に言うべき言葉があるだろう。
慌てて頭を振り、気を取り直してカズへと向き直った。
「すまない、今まで我儘を聞き続けてくれてありがとう。無理をさせてしまった」
「少しでもお前の力になれたら良かったんだが……亮介、苦しくなったら何時でも言えよ?」
「悪いな。カズには甘えっぱなしだよ」
大丈夫だ、カズが調べてくれた情報で充分満足できる。
あの時、確かにそう言ったハズだった。
「ふ、はは」
薄暗い自室に篭り、己の貪欲さを責めることにも醜さを嘆くことにも疲れて、静かに自嘲する。
何度も何度も読み返して一言一句違わず覚えてしまった報告書を、今日も飽きずに手に取っていた。
まるで依存症患者のようだと、どこか他人事のように思う。
……駄目だ。このままでは駄目だ。
日に日に彼へ突っかかる回数が増えていく。もはや彼を空想で汚すことにも躊躇いが無い。
幾重にも重ねてきた、理性的な仮面が剥がれかかっていた。
何か、打開策を見つけなければ。継続的に欲望を発散出来る方法を見つけなければ。
そうしなければ、私はいつか彼を……
「……」
思い立って立ち上がり、パソコンの前へと向かう。
そして、やや躊躇しながらもあるサイトを開き、半ば自暴自棄になりながら登録を済ませた。
開いたのは、同性愛者向けの出会い系サイトだ。
「まさか、自分が出会い系サイトを利用する日が来るとはな」
額を押さえながら、しかめっ面でサイトを眺めていく。
一時間ほどサイトを眺めた私は、深い溜息をついてパソコンの電源を落としていた。
予想通り、男の裸体など見ても何も感じない。
むしろ、己の欲望を満たす為にこのようなサイトを利用している人間に軽蔑すら覚える。
自分もその一人だからこそ、その嫌悪感は尚更強い。
「やはりこの手は厳しいか……」
精神的な疲労に肩を落として、背もたれへとぐったり寄りかかる。
いや、諦めるのはまだ早い。何せ、諦めたとして他に取れる手段も思いついていないのだから。
とにかく、他のサイトを回って試してみるとしよう……
◆
年が明けて春になっても、私と篠崎君は変わらず共に過ごしていた。
心から異動の内示が出てくれないかと願っていたが、それは叶わなかったようである。
……無理もない。
この一年、彼とぶつかり合いながら仕事を進めてきた成果は、素晴らしいものだった。
考え方の真逆な人間同士が叩き合った案は、我ながら一分の隙も無く、自分一人では辿り着けない境地を彼と共に見ていた。
これはきっと、当分一緒に働かされることになるだろう。
「……ふう」
憂鬱な気分で溜息を吐きながらも、心のどこかでそれも良いかと思っている自分がいた。
当初に望んでいた形からは大きく外れてしまったが、彼と対等に意見を交わし、切磋琢磨し合う関係は、とても贔屓目で見れば好敵手と呼べるかもしれない。そう、思っていたから。
それに、と彼を盗み見る。
後輩の神原君と打ち解けてからというものの、篠崎君はその眉間の皺を緩め、幾分か柔らかい雰囲気を醸し出していた。
彼にそんな表情をさせているのが自分以外の人間であることは口惜しかったが、新しい彼の表情を日々眺められるのは素直に嬉しい。
(また一緒に菓子をつまんでいるな)
子犬の様に無邪気に慕ってくる神原君の前では、流石の彼も毒気を抜かれるのか。気の抜けた仕草をよく見せるようになっていた。
篠崎君は甘いものが好きだと聞き及んでいたが、実際に菓子を食べる姿が見られるようになったのは今年からである。
ちらりと覗いた引き出しの中に、筆記用具に紛れて駄菓子が隠されていたのには驚いた。
彼と共に働き、新しく知れたことはそれだけではない。
例えば、彼は紅茶を好んでよく飲んでいる。それも茶葉を持参するほどの凝りようだ。
意外と抜けているところもあって、連休後には遊び疲れているのか寝癖が付いているときもある。
そして、意識を切り替える時には深呼吸をする癖があった。彼なりのおまじないのようなものなのだろう。
癖と言えば、深く考え事をしている時には口元を揉む癖もあるようだ。本人は無自覚のようだが、気付いた時には愛おしくて写真を撮りたくなった。
どれも他愛のない情報である。
けれども私は、そんなささやかな発見を指折り数えては慈しんでいた。
(やはり私は、彼だから好きなのだ)
しばらくは義務的に閲覧していた出会い系サイトの数々も、今ではめっきりと閲覧頻度が下がっていた。惰性で確認を続けているが、誰一人として琴線に引っかかる者はいない。
自分は男ではなく、篠崎聡が好きなのだ。彼以外で、満たされることはない。
そう自覚するには、充分過ぎる時間が経っていた。
長い時間をかけて嫉妬や征服欲などの不純物が沈殿していき、深い自己嫌悪の果てにようやく見えてきたこの想いは――恋と、そう表現しても許されるだろうか。
どう呼び名が変わっても、彼にしてみれば迷惑な感情ということに違いはないが。
それが分かっているからこそ、この間違った想いを彼に伝える気はなかった。
いや、彼の為にというのは半分本心で、もう半分はただの欺瞞だ。
もし、この想いが知れてしまったら、彼がどんな反応を示すのか。恐ろしくて仕方がなかった。
気持ち悪いと嫌悪されるだろうか。感情に流される愚かな男だと軽蔑されるだろうか。相手にする価値のない低俗な人間だと見損なわれるだろうか。
彼にだけは、醜く矮小で傲慢な克己心が弱くて嫉妬深い大嫌いな自分の本性を知られたくは、なかった。
(これで、良い。どんなに歪んでいても、彼の隣に並び立てるのなら)
やっと制御出来るようになった感情に封をして、心の奥へ仕舞い込み、僅かな喜びを見出しては大切に噛み締めて過ごす日々。
随分と遠回りをして来たが、どうにか正しい在り方を見つけられた気がしていた。
仕事を終えて帰宅し、出来合いの弁当で空腹を満たしてからパソコンの前へと座る。
ここ一年近く続いている日課だが、どうせ今日も無意味に終わる時間だろうと、そう思っていた。
「……?」
いつものようにサイトを流し見ていたところ、一つの書き込みに目が留まる。
《とーる:二十七歳会社員、関東在住。細身のネコ専。月一くらいでセフレ募集》
何の変哲もない内容だ。だというのに、妙に気を惹かれた。
どこかぶっきらぼうで、必要な事柄だけを淡々と書き連ねているその様が、有り得ないことに彼を思い出させた。
「いや、それは無いだろう」
願望の入り過ぎた所感を否定するため、敢えて声に出して自分を律する。それでも、書き込んだ主のプロフィールを確認せずには居られなかった。
プロフィールには、男の嗜好が理路整然とした文章で書き連ねられていた。
その文脈にやはり既視感を覚え、震える指で男の写真を拡大する。
そこに映っていたのは、ジーパンだけを身に着けた男の、首から下の姿だった。
晒された白い肌を見て、どくりと心臓が跳ねる。
やや解像度の荒い写真を見ても、男が誰だか分からない。けれども、私は確かに欲情していた。
この男なら。
彼ではなくとも、この男なら、私の行き場のない欲望を満たしてくれるのではないか。
救いを見出したような心境で、初めてサイトへと書き込みを行う。
《りょう:はじめまして、りょうと申します。プロフィールを拝見しました。気が合うと思うのですが自分は如何でしょうか。良ければご連絡ください》
正直、ろくな偽名を考える余裕もなく返信を行ってしまった。
まあ構わないだろう。広大なインターネットの海で、それもこんなサイトの中で、知人に会う確率など限りなく低いのだから。
なんて。呑気なことを考えていた自分を絞め殺したくなった。
現に私の目の前には、最も会いたくて、最も会ってはならない人物が居た。
取り繕うことも忘れて完全に固まった私に、彼が――篠崎君が震える指先を突き付ける。
「ど、どうしてお前がここにいる!?」
その言葉を聞いた瞬間、叫び返してやりたくなった。
君の何倍も強くそう思っていると。
けれども、実際に私の口から出てきたのは震えて無様に裏返った声だった。
「それは私の台詞だ! 君は、同性愛者だったのか!? まさかこんな形で知るなんて……」
「それを言うならお前だってなぁ……!」
途方に暮れて頭を抱える。
彼を汚さないように必死で足掻いて苦しんで、やっと地獄の抜け道が見つかったと思っていたのに、どうして当の本人がこんなところに来てしまったのか。
長い時間をかけてようやく自分の気持ちに折り合いを付けかけたというのに、何故今更全てをひっくり返すのか。
口に出すことも出来ない恨み節が次々と胸中に溢れる。
もう、どうしていいか分からなかった。何が正解か分からない。そもそも正解を選べば良い結果に繋がるとも分からない。
今まで正しいと思われる道を探し続けて、悩んで、藻掻いて、そうして全てが崩れ去った今、私は行動の規範を見失っていた。
なんだかもう、悩み疲れて考えることが面倒になっていた。
どうせ考えても良い結果が得られないのなら、今日くらい、自分の感情に素直になってもいいのではないだろうか。
自分がどうしたいのか。それもまた、悩ましい問いかけだが。
「とにかくだ、今夜のことは忘れて帰ろうぜ。お互い、その方が都合良いだろ?」
「お、おい待て!」
彼が踵を返したのを見て、反射的にその腕を掴んでしまった瞬間に気が付いた。
篠崎君の姿を見た瞬間から、このまま何もせずに帰るという選択肢は消え失せていた。
そうだ。
この機を逃したら、二度と彼を抱くことなんて叶わないだろう。
抱きたい。一夜の夢でもいい、彼と一つになりたい。
それが自分の偽らざる本音だった。
「……何だよ」
そう問われて、どう返答すべきか迷う。
彼は、私が抱かせてくれと素直に頼んだところで、頷いてくれるような男ではない。
馬鹿正直にそんなことを言ったら、恐らく満面の笑みで断られるだろう。
天邪鬼でプライドが高く、負けず嫌いな彼をベッドに引きずり込むにはどうすればいいか。一瞬で答えをまとめて、不敵な笑顔を形作って彼を見下す。
「逃げるのか?」
「あ?」
「それとも怖いのか?」
鼻で笑うようにしながらあからさまな挑発の言葉を吐くと、篠崎君はゆっくりとこちらへ向き直った。
……かかった。
内心ほくそ笑みながら、慎重に言葉を選んで毒を吐く。
時には彼の優越感を煽り、わざと情けない表情で懇願して見せる。
もちろん彼には私の演技などお見通しだろう。
それでも揺れている様子が、手に取るように分かった。
そして、攻防の末。
「どうだ?」
「……仕方ない、な」
とうとう部屋から出ることをやめた彼が、私の元へと歩み寄ってくる。
そして自らシャツを脱ぎ捨てると、ベッドの縁に腰かけた。
私を待つように見上げるその瞳に、胸が掻き毟られる。
微かに震える手で彼を押し倒し、確かめるようにその肌を撫でた。
夢では、ない。
もう荒れ狂う感情を隠すことも出来ず、知らず知らずのうちに獰猛な笑みが浮かび上がる。
そんな表情を見て口元をひくつかせた彼の気が変わらないうちに、私はその滑らかな素肌に唇を落とした。
情けない話だが、男を抱くのは初めてだったので、彼を満足させられるか一抹の不安を抱いていた。
しかし、それはただの杞憂であったとすぐに思い知る。
「君、少し敏感過ぎやしないか?」
「うるさい、お前の触り方がねちっこいのが悪いんだよ……!」
篠崎君の身体はどこもかしこも敏感でいやらしく、戯れになぞるだけでびくびくと肩を跳ねさせた。
快楽に従順な彼の身体を可愛らしく思うと同時に、憎たらしくも感じる。
慣れた様子でセフレを募集していた彼が、今まで多くの人間にその身体を開発されてきたという事実を、まざまざと見せつけられた為だ。
私以外の男に、私の知らないところで、私の見たことのない表情を浮かべて抱かれてきたのだ、彼は。
嫉妬で腸が煮えくり返りそうだった。
出会い系サイトを利用しているくらいだ、彼には決まった相手が居ないのだろう。
……誰でも良かったというのなら、私でも良かったではないか。
沸々と、必死で抑えつけていた執着心と独占欲が噴き出してくる。
そんな身勝手な考えを押し殺そうとして、失敗して。
ぷっつりと、何かが切れる音がした。
「月島……! ちょ、がっつき過ぎだろ!」
「いつも余裕でいられる訳ではないのだよ、私も……ッ」
性急に組み敷いた彼の身体に、今まで抱いた悔しさと憎たらしさと愛しさを全てまとめてぶつけてやる。抵抗しようと足掻く身体を抱き締めて、奥の奥まで侵入していった。
至極幸いなことに、彼との身体の相性は最高だった。
今まで感じたことのない快感にすぐに果てそうになるのを堪え、夢中で彼を貪る。
彼の方も同じように快楽を得てくれているのが、何よりも嬉しい。
押し殺した吐息に恍惚とした響きが滲んでいくにつれ、胸の熱が高まっていくのを感じていた。
「あっ……ん、んぐ……ッあ!」
「……ッ!」
余裕を無くし、口数の少なくなった彼が、突如背中を逸らして絶頂に打ち震える。
一秒でも長く繋がっていられるよう唇を噛んで耐え忍んでいたが、その衝撃に釣られて呆気なく私まで吐精してしまった。
まだだ。
まだ、全然足りない。
もっともっと彼を感じて、新しい彼の姿を知りたい。
強い飢餓感に急かされながら、使い終わったゴムを手早く捨てて性急に次のゴムに手を伸ばす。
「おい、待て……!」
そんな私の様子を見逃さなかった彼は、焦った顔をして身を起こした。
当然、たった一回で逃がすつもりなど毛頭ない。
絶頂を迎えたばかりで力が入りきらない様子の彼をベッドに押し倒し、許可も取らずに再び熱を突き入れる。
「は……あ……っ! この野郎ッ!」
「っと!」
間髪入れずに鋭い拳が飛んでくる。
しかし、そんなことは織り込み済みだ。ご丁寧にも事前に予告していてくれたのだから。
本当に一回で終わると思っていたのなら、彼にも随分と可愛いところがあるではないか。
危なげなく拳を受け止めて、ベッドに腕ごと縫い付けて囁く。
「これを言うのは二度目だが……私がみすみす逃がすと思うか?」
「――ッ!」
我ながら嫌らしい笑みを浮かべて顔を寄せれば、彼は心底悔しそうな表情を浮かべた。
その顔に征服欲が満たされていく。
「話が……違っ……!」
遠慮の欠片も無く一気に欲望を突き込めば、抗議の言葉は半ばで途切れ甘やかな嬌声へと変わっていく。
先ほどよりも余裕の無い表情を見て心が躍り、そして深い嫉妬に苛まれた。
叶うことなら、私が手ずから快楽を教え込みたかった。
どこの誰とも知らぬ男にこんな顔を見せていたことが許せない。
彼を抱いている喜びと、違う男に抱かれていた憎しみでぐちゃぐちゃになりながら、ただひたすらに彼を味わう。
胸を食み、精を舐め、彼の全てを脳裏に刻み付けていった。
「つき、しま……! 待て、止まれよぉ……!」
彼の制止をことごとく無視して、跳ねる身体を押さえつけ、うねる体内を蹂躙し尽くす。
悪態を吐き続けていた彼の目に涙が浮かんでも、休む暇を与えず容赦なく突き上げ続けた。
次第に蕩けていく彼を見て、思わず舌舐めずりする。普段の強く鋭い瞳と、涙で蕩けた瞳とのギャップは、反則的な破壊力をもって私の理性を打ち崩していった。
「やだ、や……っ! 聞けよ……もう無理だって!」
「まだだ。たったこれだけで満足できるものか」
彼が私の胸を殴りつけながら泣き言を零し始めても、私の欲望は依然膨れ上がるばかりだった。
何年も満たされなかった、底なしの飢えが彼を求めて暴れまわる。
やがて、何度目か分からない絶頂を迎えて耐え切れなくなった彼は、救いを求めるようにベッドの端へと手を伸ばした。
「も、むりぃ……! ひいっ、ひ……ッ! た、頼む、も、やめてくれ……っ」
「逃げるな……ッ!」
彼が私から逃げようとした瞬間、頭に血が上るのを感じた。自分でも驚くほど低い声が腹の底から絞り出される。
逃がさない、絶対に逃がすものか。
這いずる彼の腰に指を食い込ませ、力ずくで引きずり戻し、背後から覆い被さるようにして奥を抉る。
往生際悪くシーツに縋りついた指先を荒々しく引きはがして、彼の身体が軋むほど強く突き上げた。
この短い間に暴き立てた彼の弱点を徹底的に責め倒し、抵抗しようとする気力を根こそぎ削ぎ落としてやる。
鋭敏な身体を虐め抜かれては流石に堪らないのか、彼はとうとう涙ながらに懇願を始めた。
「悪かった……ッ! あッ、も、逃げな……逃げな、から、許してくれ……ぇ!」
「口先だけなら、何とでも言えるだろう」
「あひ、ひいっ! やだ、やだってばぁ……! 許して、月島ぁぁ……!」
くずおれた彼のうなじに噛みついて、背中に執着の跡を残していく。
逃がすものか。他の誰にも渡したくない。
彼が流す涙の一滴すら舐めとって、自分のものにしたかった。
「うああ……! うっ、ひぃ……ッも、無理ぃ……!」
まともな思考能力を失って、ぐずぐずと泣き崩れる彼の姿に燃えるような興奮を覚える。
衝動のままに塩辛い頬を舐め、唾液でべたべたになった口に指を捻じ込んだ。
もっともっと崩したら、どんな姿を見せてくれるのだろう。
知りたくて仕方がない。この先が。先が――
「あっ、あう、ひぃ……! んぁぁ……ッ!」
言葉を紡ぐことも出来なくなり、ただただ喘ぎ声と唾液を垂れ流している彼を更に追い詰める。
焦点の合わない目は虚ろで、ここではない何処かを見つめていた。
私も熱に浮かされるまま、理性を放棄してただただ欲望を満たすことに注力する。
彼を知りたい。
彼を独占したい。
彼を感じていたい。
「篠崎……しの、ざき……!」
「う……あ……ッあひ、あ、あ、ああ……!」
既に泣き叫ぶことも出来なくなった彼が、静かにがたがたと震えて果てる。僅かに吐き出された精液は薄まり切っており、彼の限界を伝えていた。
私も、限界だった。
荒い呼吸を繰り返し、早鐘を打ち続ける心臓を宥めすかし、頬を伝う汗を乱暴に拭う。
しかし、全身が悲鳴を上げていても、彼を求めることを止められなかった。
……もしかしたら、これが最初で最後になるかもしれない。
そう思ったら腕の中の熱を手放しがたくて、その腰に残る指先の跡に再び手を重ねた。
彼はもう、抵抗することすら出来ずに力なく揺さぶられている。
「……ッ……は、――――ッ」
気付けば、声も出せなくなった彼が弱々しく震えて、ぷつりと糸の切れた人形のように崩れ落ちたところだった。
気を、失ったようだ。
「はぁ……は……っ……ぐ」
汗と涙と精液でぐちゃぐちゃになった彼の上に、疲れ切って倒れ伏す。
……どう考えてもやり過ぎだ。
酸欠でぼうっとする意識の中、未練たらしく彼の身体を掻き抱いて、熱く火照った胸元に縋りつく。
とくとくと小さく響く彼の心音を聞きながら、決意した。
もう、絶対に諦めるものか。
二度と他の男に彼を抱かせるものか。
セフレでもいい。身体だけでもいい。彼を独占していたかった。
「篠崎君……」
どろどろした欲望を吐き出し切って軽くなった胸の内に、新しく彼への愛情が湧いて溢れる。
少し冷静になった頭で、これからのことを考えていた。
悩んで苦しんで諦めるのはもうやめだ。どうせ悩むなら、もう少し建設的な内容について考えるとしよう。
例えばそう。彼を手に入れる為の、算段とか。
「……ふ」
まだ、迷いはある。恐れもある。
彼が私の気持ちに気付いてしまったとき、どう思うのか分からない。想像するだけで怖気づく。
しかしそれなら、知っていけばいいのだ。
彼を知って、やはり駄目なら、少しずつでも変えていけばいいのだ。
もう何年も待ち続けた。あと何年待つことになってもいい。
彼を、手に入れられるなら。
「君と出会ってから、私は悩んで苦しんで振り回されてばかりだ。……それでも」
彼を失って、あの凪いだ人生に逆戻りすることだけは嫌だった。
傷付くことを、傷付けることを恐れていては何も手に入れることは出来ない。
覚悟を決めるべきなのだ。
「絶対に、諦めない。だから覚悟していてくれ」
愛しくて憎たらしい、唯一無二の存在。
「篠崎聡」
彼と机を並べることになり、一時はどうなるかと思っていたが……私は辛くも平静を保っていた。
欲望を満たす別の手段を見つけた為である。
最も、それも褒められた手段では決してなかったが。
「亮介、そろそろ別の方法を考えた方がいいと俺は思うぞ」
「毎度すまない。けれども、今更彼との関係を変えられなんてしないのだ……」
カズが紙束を持って私の家を訪れる姿は、すっかり馴染みのものとなっていた。
篠崎君と共に働くことになり、半月もしない内に限界を迎えた私は、彼に懸想していることをカズへと明かしていた。
話を聞いたカズは大層驚いていたが、偏見も無く受け入れてくれた。
私はそんなカズの優しさにつけ込んで願ったのだ。この想いが決して報われないことは理解している。それならせめて、彼のことを知りたい、と。
それからカズは、私の願いを聞いて篠崎君の情報を集めてくれていた。
どんな些細な話も彼に関することなら興味深くて、私は夢中になってカズの報告を待ちわびていた。
いつか当然訪れる終わりの日を忘れて。
「倫理的にもそうなんだが……いい加減、調べられる情報は調べ尽くしてしまってな」
「……!」
カズの言葉を聞いて弾かれたように顔を上げる。
私の視線を受けた彼は、何とも言えない物憂げな表情を浮かべていた。
「そう、か」
呆然とした響きが口から零れ落ちる。落胆を隠し切れない私を見てカズが目を反らした。
駄目だ、そうではない。もっと他に言うべき言葉があるだろう。
慌てて頭を振り、気を取り直してカズへと向き直った。
「すまない、今まで我儘を聞き続けてくれてありがとう。無理をさせてしまった」
「少しでもお前の力になれたら良かったんだが……亮介、苦しくなったら何時でも言えよ?」
「悪いな。カズには甘えっぱなしだよ」
大丈夫だ、カズが調べてくれた情報で充分満足できる。
あの時、確かにそう言ったハズだった。
「ふ、はは」
薄暗い自室に篭り、己の貪欲さを責めることにも醜さを嘆くことにも疲れて、静かに自嘲する。
何度も何度も読み返して一言一句違わず覚えてしまった報告書を、今日も飽きずに手に取っていた。
まるで依存症患者のようだと、どこか他人事のように思う。
……駄目だ。このままでは駄目だ。
日に日に彼へ突っかかる回数が増えていく。もはや彼を空想で汚すことにも躊躇いが無い。
幾重にも重ねてきた、理性的な仮面が剥がれかかっていた。
何か、打開策を見つけなければ。継続的に欲望を発散出来る方法を見つけなければ。
そうしなければ、私はいつか彼を……
「……」
思い立って立ち上がり、パソコンの前へと向かう。
そして、やや躊躇しながらもあるサイトを開き、半ば自暴自棄になりながら登録を済ませた。
開いたのは、同性愛者向けの出会い系サイトだ。
「まさか、自分が出会い系サイトを利用する日が来るとはな」
額を押さえながら、しかめっ面でサイトを眺めていく。
一時間ほどサイトを眺めた私は、深い溜息をついてパソコンの電源を落としていた。
予想通り、男の裸体など見ても何も感じない。
むしろ、己の欲望を満たす為にこのようなサイトを利用している人間に軽蔑すら覚える。
自分もその一人だからこそ、その嫌悪感は尚更強い。
「やはりこの手は厳しいか……」
精神的な疲労に肩を落として、背もたれへとぐったり寄りかかる。
いや、諦めるのはまだ早い。何せ、諦めたとして他に取れる手段も思いついていないのだから。
とにかく、他のサイトを回って試してみるとしよう……
◆
年が明けて春になっても、私と篠崎君は変わらず共に過ごしていた。
心から異動の内示が出てくれないかと願っていたが、それは叶わなかったようである。
……無理もない。
この一年、彼とぶつかり合いながら仕事を進めてきた成果は、素晴らしいものだった。
考え方の真逆な人間同士が叩き合った案は、我ながら一分の隙も無く、自分一人では辿り着けない境地を彼と共に見ていた。
これはきっと、当分一緒に働かされることになるだろう。
「……ふう」
憂鬱な気分で溜息を吐きながらも、心のどこかでそれも良いかと思っている自分がいた。
当初に望んでいた形からは大きく外れてしまったが、彼と対等に意見を交わし、切磋琢磨し合う関係は、とても贔屓目で見れば好敵手と呼べるかもしれない。そう、思っていたから。
それに、と彼を盗み見る。
後輩の神原君と打ち解けてからというものの、篠崎君はその眉間の皺を緩め、幾分か柔らかい雰囲気を醸し出していた。
彼にそんな表情をさせているのが自分以外の人間であることは口惜しかったが、新しい彼の表情を日々眺められるのは素直に嬉しい。
(また一緒に菓子をつまんでいるな)
子犬の様に無邪気に慕ってくる神原君の前では、流石の彼も毒気を抜かれるのか。気の抜けた仕草をよく見せるようになっていた。
篠崎君は甘いものが好きだと聞き及んでいたが、実際に菓子を食べる姿が見られるようになったのは今年からである。
ちらりと覗いた引き出しの中に、筆記用具に紛れて駄菓子が隠されていたのには驚いた。
彼と共に働き、新しく知れたことはそれだけではない。
例えば、彼は紅茶を好んでよく飲んでいる。それも茶葉を持参するほどの凝りようだ。
意外と抜けているところもあって、連休後には遊び疲れているのか寝癖が付いているときもある。
そして、意識を切り替える時には深呼吸をする癖があった。彼なりのおまじないのようなものなのだろう。
癖と言えば、深く考え事をしている時には口元を揉む癖もあるようだ。本人は無自覚のようだが、気付いた時には愛おしくて写真を撮りたくなった。
どれも他愛のない情報である。
けれども私は、そんなささやかな発見を指折り数えては慈しんでいた。
(やはり私は、彼だから好きなのだ)
しばらくは義務的に閲覧していた出会い系サイトの数々も、今ではめっきりと閲覧頻度が下がっていた。惰性で確認を続けているが、誰一人として琴線に引っかかる者はいない。
自分は男ではなく、篠崎聡が好きなのだ。彼以外で、満たされることはない。
そう自覚するには、充分過ぎる時間が経っていた。
長い時間をかけて嫉妬や征服欲などの不純物が沈殿していき、深い自己嫌悪の果てにようやく見えてきたこの想いは――恋と、そう表現しても許されるだろうか。
どう呼び名が変わっても、彼にしてみれば迷惑な感情ということに違いはないが。
それが分かっているからこそ、この間違った想いを彼に伝える気はなかった。
いや、彼の為にというのは半分本心で、もう半分はただの欺瞞だ。
もし、この想いが知れてしまったら、彼がどんな反応を示すのか。恐ろしくて仕方がなかった。
気持ち悪いと嫌悪されるだろうか。感情に流される愚かな男だと軽蔑されるだろうか。相手にする価値のない低俗な人間だと見損なわれるだろうか。
彼にだけは、醜く矮小で傲慢な克己心が弱くて嫉妬深い大嫌いな自分の本性を知られたくは、なかった。
(これで、良い。どんなに歪んでいても、彼の隣に並び立てるのなら)
やっと制御出来るようになった感情に封をして、心の奥へ仕舞い込み、僅かな喜びを見出しては大切に噛み締めて過ごす日々。
随分と遠回りをして来たが、どうにか正しい在り方を見つけられた気がしていた。
仕事を終えて帰宅し、出来合いの弁当で空腹を満たしてからパソコンの前へと座る。
ここ一年近く続いている日課だが、どうせ今日も無意味に終わる時間だろうと、そう思っていた。
「……?」
いつものようにサイトを流し見ていたところ、一つの書き込みに目が留まる。
《とーる:二十七歳会社員、関東在住。細身のネコ専。月一くらいでセフレ募集》
何の変哲もない内容だ。だというのに、妙に気を惹かれた。
どこかぶっきらぼうで、必要な事柄だけを淡々と書き連ねているその様が、有り得ないことに彼を思い出させた。
「いや、それは無いだろう」
願望の入り過ぎた所感を否定するため、敢えて声に出して自分を律する。それでも、書き込んだ主のプロフィールを確認せずには居られなかった。
プロフィールには、男の嗜好が理路整然とした文章で書き連ねられていた。
その文脈にやはり既視感を覚え、震える指で男の写真を拡大する。
そこに映っていたのは、ジーパンだけを身に着けた男の、首から下の姿だった。
晒された白い肌を見て、どくりと心臓が跳ねる。
やや解像度の荒い写真を見ても、男が誰だか分からない。けれども、私は確かに欲情していた。
この男なら。
彼ではなくとも、この男なら、私の行き場のない欲望を満たしてくれるのではないか。
救いを見出したような心境で、初めてサイトへと書き込みを行う。
《りょう:はじめまして、りょうと申します。プロフィールを拝見しました。気が合うと思うのですが自分は如何でしょうか。良ければご連絡ください》
正直、ろくな偽名を考える余裕もなく返信を行ってしまった。
まあ構わないだろう。広大なインターネットの海で、それもこんなサイトの中で、知人に会う確率など限りなく低いのだから。
なんて。呑気なことを考えていた自分を絞め殺したくなった。
現に私の目の前には、最も会いたくて、最も会ってはならない人物が居た。
取り繕うことも忘れて完全に固まった私に、彼が――篠崎君が震える指先を突き付ける。
「ど、どうしてお前がここにいる!?」
その言葉を聞いた瞬間、叫び返してやりたくなった。
君の何倍も強くそう思っていると。
けれども、実際に私の口から出てきたのは震えて無様に裏返った声だった。
「それは私の台詞だ! 君は、同性愛者だったのか!? まさかこんな形で知るなんて……」
「それを言うならお前だってなぁ……!」
途方に暮れて頭を抱える。
彼を汚さないように必死で足掻いて苦しんで、やっと地獄の抜け道が見つかったと思っていたのに、どうして当の本人がこんなところに来てしまったのか。
長い時間をかけてようやく自分の気持ちに折り合いを付けかけたというのに、何故今更全てをひっくり返すのか。
口に出すことも出来ない恨み節が次々と胸中に溢れる。
もう、どうしていいか分からなかった。何が正解か分からない。そもそも正解を選べば良い結果に繋がるとも分からない。
今まで正しいと思われる道を探し続けて、悩んで、藻掻いて、そうして全てが崩れ去った今、私は行動の規範を見失っていた。
なんだかもう、悩み疲れて考えることが面倒になっていた。
どうせ考えても良い結果が得られないのなら、今日くらい、自分の感情に素直になってもいいのではないだろうか。
自分がどうしたいのか。それもまた、悩ましい問いかけだが。
「とにかくだ、今夜のことは忘れて帰ろうぜ。お互い、その方が都合良いだろ?」
「お、おい待て!」
彼が踵を返したのを見て、反射的にその腕を掴んでしまった瞬間に気が付いた。
篠崎君の姿を見た瞬間から、このまま何もせずに帰るという選択肢は消え失せていた。
そうだ。
この機を逃したら、二度と彼を抱くことなんて叶わないだろう。
抱きたい。一夜の夢でもいい、彼と一つになりたい。
それが自分の偽らざる本音だった。
「……何だよ」
そう問われて、どう返答すべきか迷う。
彼は、私が抱かせてくれと素直に頼んだところで、頷いてくれるような男ではない。
馬鹿正直にそんなことを言ったら、恐らく満面の笑みで断られるだろう。
天邪鬼でプライドが高く、負けず嫌いな彼をベッドに引きずり込むにはどうすればいいか。一瞬で答えをまとめて、不敵な笑顔を形作って彼を見下す。
「逃げるのか?」
「あ?」
「それとも怖いのか?」
鼻で笑うようにしながらあからさまな挑発の言葉を吐くと、篠崎君はゆっくりとこちらへ向き直った。
……かかった。
内心ほくそ笑みながら、慎重に言葉を選んで毒を吐く。
時には彼の優越感を煽り、わざと情けない表情で懇願して見せる。
もちろん彼には私の演技などお見通しだろう。
それでも揺れている様子が、手に取るように分かった。
そして、攻防の末。
「どうだ?」
「……仕方ない、な」
とうとう部屋から出ることをやめた彼が、私の元へと歩み寄ってくる。
そして自らシャツを脱ぎ捨てると、ベッドの縁に腰かけた。
私を待つように見上げるその瞳に、胸が掻き毟られる。
微かに震える手で彼を押し倒し、確かめるようにその肌を撫でた。
夢では、ない。
もう荒れ狂う感情を隠すことも出来ず、知らず知らずのうちに獰猛な笑みが浮かび上がる。
そんな表情を見て口元をひくつかせた彼の気が変わらないうちに、私はその滑らかな素肌に唇を落とした。
情けない話だが、男を抱くのは初めてだったので、彼を満足させられるか一抹の不安を抱いていた。
しかし、それはただの杞憂であったとすぐに思い知る。
「君、少し敏感過ぎやしないか?」
「うるさい、お前の触り方がねちっこいのが悪いんだよ……!」
篠崎君の身体はどこもかしこも敏感でいやらしく、戯れになぞるだけでびくびくと肩を跳ねさせた。
快楽に従順な彼の身体を可愛らしく思うと同時に、憎たらしくも感じる。
慣れた様子でセフレを募集していた彼が、今まで多くの人間にその身体を開発されてきたという事実を、まざまざと見せつけられた為だ。
私以外の男に、私の知らないところで、私の見たことのない表情を浮かべて抱かれてきたのだ、彼は。
嫉妬で腸が煮えくり返りそうだった。
出会い系サイトを利用しているくらいだ、彼には決まった相手が居ないのだろう。
……誰でも良かったというのなら、私でも良かったではないか。
沸々と、必死で抑えつけていた執着心と独占欲が噴き出してくる。
そんな身勝手な考えを押し殺そうとして、失敗して。
ぷっつりと、何かが切れる音がした。
「月島……! ちょ、がっつき過ぎだろ!」
「いつも余裕でいられる訳ではないのだよ、私も……ッ」
性急に組み敷いた彼の身体に、今まで抱いた悔しさと憎たらしさと愛しさを全てまとめてぶつけてやる。抵抗しようと足掻く身体を抱き締めて、奥の奥まで侵入していった。
至極幸いなことに、彼との身体の相性は最高だった。
今まで感じたことのない快感にすぐに果てそうになるのを堪え、夢中で彼を貪る。
彼の方も同じように快楽を得てくれているのが、何よりも嬉しい。
押し殺した吐息に恍惚とした響きが滲んでいくにつれ、胸の熱が高まっていくのを感じていた。
「あっ……ん、んぐ……ッあ!」
「……ッ!」
余裕を無くし、口数の少なくなった彼が、突如背中を逸らして絶頂に打ち震える。
一秒でも長く繋がっていられるよう唇を噛んで耐え忍んでいたが、その衝撃に釣られて呆気なく私まで吐精してしまった。
まだだ。
まだ、全然足りない。
もっともっと彼を感じて、新しい彼の姿を知りたい。
強い飢餓感に急かされながら、使い終わったゴムを手早く捨てて性急に次のゴムに手を伸ばす。
「おい、待て……!」
そんな私の様子を見逃さなかった彼は、焦った顔をして身を起こした。
当然、たった一回で逃がすつもりなど毛頭ない。
絶頂を迎えたばかりで力が入りきらない様子の彼をベッドに押し倒し、許可も取らずに再び熱を突き入れる。
「は……あ……っ! この野郎ッ!」
「っと!」
間髪入れずに鋭い拳が飛んでくる。
しかし、そんなことは織り込み済みだ。ご丁寧にも事前に予告していてくれたのだから。
本当に一回で終わると思っていたのなら、彼にも随分と可愛いところがあるではないか。
危なげなく拳を受け止めて、ベッドに腕ごと縫い付けて囁く。
「これを言うのは二度目だが……私がみすみす逃がすと思うか?」
「――ッ!」
我ながら嫌らしい笑みを浮かべて顔を寄せれば、彼は心底悔しそうな表情を浮かべた。
その顔に征服欲が満たされていく。
「話が……違っ……!」
遠慮の欠片も無く一気に欲望を突き込めば、抗議の言葉は半ばで途切れ甘やかな嬌声へと変わっていく。
先ほどよりも余裕の無い表情を見て心が躍り、そして深い嫉妬に苛まれた。
叶うことなら、私が手ずから快楽を教え込みたかった。
どこの誰とも知らぬ男にこんな顔を見せていたことが許せない。
彼を抱いている喜びと、違う男に抱かれていた憎しみでぐちゃぐちゃになりながら、ただひたすらに彼を味わう。
胸を食み、精を舐め、彼の全てを脳裏に刻み付けていった。
「つき、しま……! 待て、止まれよぉ……!」
彼の制止をことごとく無視して、跳ねる身体を押さえつけ、うねる体内を蹂躙し尽くす。
悪態を吐き続けていた彼の目に涙が浮かんでも、休む暇を与えず容赦なく突き上げ続けた。
次第に蕩けていく彼を見て、思わず舌舐めずりする。普段の強く鋭い瞳と、涙で蕩けた瞳とのギャップは、反則的な破壊力をもって私の理性を打ち崩していった。
「やだ、や……っ! 聞けよ……もう無理だって!」
「まだだ。たったこれだけで満足できるものか」
彼が私の胸を殴りつけながら泣き言を零し始めても、私の欲望は依然膨れ上がるばかりだった。
何年も満たされなかった、底なしの飢えが彼を求めて暴れまわる。
やがて、何度目か分からない絶頂を迎えて耐え切れなくなった彼は、救いを求めるようにベッドの端へと手を伸ばした。
「も、むりぃ……! ひいっ、ひ……ッ! た、頼む、も、やめてくれ……っ」
「逃げるな……ッ!」
彼が私から逃げようとした瞬間、頭に血が上るのを感じた。自分でも驚くほど低い声が腹の底から絞り出される。
逃がさない、絶対に逃がすものか。
這いずる彼の腰に指を食い込ませ、力ずくで引きずり戻し、背後から覆い被さるようにして奥を抉る。
往生際悪くシーツに縋りついた指先を荒々しく引きはがして、彼の身体が軋むほど強く突き上げた。
この短い間に暴き立てた彼の弱点を徹底的に責め倒し、抵抗しようとする気力を根こそぎ削ぎ落としてやる。
鋭敏な身体を虐め抜かれては流石に堪らないのか、彼はとうとう涙ながらに懇願を始めた。
「悪かった……ッ! あッ、も、逃げな……逃げな、から、許してくれ……ぇ!」
「口先だけなら、何とでも言えるだろう」
「あひ、ひいっ! やだ、やだってばぁ……! 許して、月島ぁぁ……!」
くずおれた彼のうなじに噛みついて、背中に執着の跡を残していく。
逃がすものか。他の誰にも渡したくない。
彼が流す涙の一滴すら舐めとって、自分のものにしたかった。
「うああ……! うっ、ひぃ……ッも、無理ぃ……!」
まともな思考能力を失って、ぐずぐずと泣き崩れる彼の姿に燃えるような興奮を覚える。
衝動のままに塩辛い頬を舐め、唾液でべたべたになった口に指を捻じ込んだ。
もっともっと崩したら、どんな姿を見せてくれるのだろう。
知りたくて仕方がない。この先が。先が――
「あっ、あう、ひぃ……! んぁぁ……ッ!」
言葉を紡ぐことも出来なくなり、ただただ喘ぎ声と唾液を垂れ流している彼を更に追い詰める。
焦点の合わない目は虚ろで、ここではない何処かを見つめていた。
私も熱に浮かされるまま、理性を放棄してただただ欲望を満たすことに注力する。
彼を知りたい。
彼を独占したい。
彼を感じていたい。
「篠崎……しの、ざき……!」
「う……あ……ッあひ、あ、あ、ああ……!」
既に泣き叫ぶことも出来なくなった彼が、静かにがたがたと震えて果てる。僅かに吐き出された精液は薄まり切っており、彼の限界を伝えていた。
私も、限界だった。
荒い呼吸を繰り返し、早鐘を打ち続ける心臓を宥めすかし、頬を伝う汗を乱暴に拭う。
しかし、全身が悲鳴を上げていても、彼を求めることを止められなかった。
……もしかしたら、これが最初で最後になるかもしれない。
そう思ったら腕の中の熱を手放しがたくて、その腰に残る指先の跡に再び手を重ねた。
彼はもう、抵抗することすら出来ずに力なく揺さぶられている。
「……ッ……は、――――ッ」
気付けば、声も出せなくなった彼が弱々しく震えて、ぷつりと糸の切れた人形のように崩れ落ちたところだった。
気を、失ったようだ。
「はぁ……は……っ……ぐ」
汗と涙と精液でぐちゃぐちゃになった彼の上に、疲れ切って倒れ伏す。
……どう考えてもやり過ぎだ。
酸欠でぼうっとする意識の中、未練たらしく彼の身体を掻き抱いて、熱く火照った胸元に縋りつく。
とくとくと小さく響く彼の心音を聞きながら、決意した。
もう、絶対に諦めるものか。
二度と他の男に彼を抱かせるものか。
セフレでもいい。身体だけでもいい。彼を独占していたかった。
「篠崎君……」
どろどろした欲望を吐き出し切って軽くなった胸の内に、新しく彼への愛情が湧いて溢れる。
少し冷静になった頭で、これからのことを考えていた。
悩んで苦しんで諦めるのはもうやめだ。どうせ悩むなら、もう少し建設的な内容について考えるとしよう。
例えばそう。彼を手に入れる為の、算段とか。
「……ふ」
まだ、迷いはある。恐れもある。
彼が私の気持ちに気付いてしまったとき、どう思うのか分からない。想像するだけで怖気づく。
しかしそれなら、知っていけばいいのだ。
彼を知って、やはり駄目なら、少しずつでも変えていけばいいのだ。
もう何年も待ち続けた。あと何年待つことになってもいい。
彼を、手に入れられるなら。
「君と出会ってから、私は悩んで苦しんで振り回されてばかりだ。……それでも」
彼を失って、あの凪いだ人生に逆戻りすることだけは嫌だった。
傷付くことを、傷付けることを恐れていては何も手に入れることは出来ない。
覚悟を決めるべきなのだ。
「絶対に、諦めない。だから覚悟していてくれ」
愛しくて憎たらしい、唯一無二の存在。
「篠崎聡」
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