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25 共に生きる決意
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畳が敷き詰められた宴会場には、既に多くの社員が集まっており、幹事が今日最後の仕事ために忙しく動き回っていた。
上役以外は自由席となっていたので、月島と共に隅の方へ席を取る。
「港が近いだけあって魚介尽くしだな」
「俺、久々にアワビとか食べたわ。ん? あれは……」
「篠崎センパイ、飲んでますかー?」
次々と運ばれてくる食事を堪能していると、真っ赤になった神原が這いずるようにしてやってきた。
凄まじい酔いつぶれようである。浴衣は着崩れているというレベルではなく、ほとんど腰に巻いているだけの状態だ。
下にはシャツと半ズボンをしっかり身に着けているのだから、いっそ脱いでしまえばいいのにと思う。
「お、おいおい、何でそんなにベロベロなんだよ」
崩れ落ちそうになる身体を慌てて支えて、座椅子へと座らせる。
たどたどしい説明を要約すると、仕事を終えた解放感から飲み比べをしたせいらしい。
神原が緩慢に指さした方向に目をやれば、同じように赤くなって這いつくばる若手職員の屍が多数転がっていた。
「羽目を外すのも程々にしたまえよ」
「お前が言うな」
月島はそんな神原を見て呆れたように腕を組んでいるが、俺からすればこの男の浮かれっぷりも相当である。
流石に少しは自覚があるのか、月島は黙ってそっぽを向いた。
「……あ、そうそう。コレ、ちゃあんと持ってきましたよ」
神原は俺たちの話など耳に入っていない様子でマイペースに揺れていたが、ふと自慢そうに何かを掲げた。
大事に抱え込まれていたその一升瓶は、俺の好きな銘柄の日本酒だった。月島が、前に俺を酔い潰すために用いたアレだ。
「飲みましょうセンパイ、月島さんに言われて、先輩用のお酒を買っておいたんですよ」
「ああ、そう……さんきゅ」
今にも零しそうな神原の酌を受けながら、月島に目で訴えかける。
「お前、神原を懐柔して何をやらせているんだ」と。それに気付いた月島は自慢げに胸を張った。
まるで伝わっていない。
俺はアイコンタクトを取ることを早々に諦めて、日本酒に口を付けた。いつもより遅いペースで一杯目を飲み干すと、すかさず神原が注ぎ足そうとしてくる。
だが、しかし。
「悪いけど、今日は酔いつぶれる訳にはいかないんだよ」
俺の言葉に月島の手が一瞬止まる。
僅かに緊張が走るが、泥酔した神原は気付かない。
「僕の酒は飲めないんですかぁ」
「お前、危ないぞ……ッ!」
酔っ払いのお手本のような台詞を吐いた神原は、足に浴衣を絡ませながら立ち上がろうとする。マズいと思った刹那、案の定俺を目掛けて崩れ落ちてきた。
咄嗟に酒瓶を奪い取って大惨事は逃れたが、片手では神原の体重を支え切れずに倒れ込む。幸い畳だったため、打ち付けられた衝撃も大したものではなかったものの、先ほど作られたばかりの傷に神原の指が触れて小さな痛みが走った。
「……ッ」
「うわ、すいませ……」
謝る神原を押しのけ、はだけた浴衣の胸元を慌てて直す。
しかし、遅かったらしい。
神原の目は、襟に隠れた俺の左首――浴衣の下にくっきりと刻まれているハズの歯形に釘付けになっていた。
ひくりと口元を引き攣らせ、恐る恐るといった様子で口を開く。
「篠崎先輩?そ、その首の噛み跡は……」
「……月島にやられた」
「こわっ……血出てますけど」
酔いも醒めてしまったらしい神原は、戦慄した表情で自分の指先に付着した血を眺めていた。何か言葉をかけようかと思ったが、言葉を探しあぐねている間に月島がやってくる。
月島は無言で神原の手を丹念に拭うと、薄く微笑んだ。
「神原君。君は、何も見なかった。そうだろう?」
そうして綺麗になった神原の手に、並々と日本酒の注がれた杯を押し付ける。
神原はしばし茫然と固まっていたが、持たされた杯を一息で飲み干して大きく頷いた。
「ええ、なんっにも見てないですね!」
副音声で「関わりたくねぇや」と聞こえたのは、俺の気のせいではないと思う……
◆
宴会を終えた俺たちは、二次会へ向かう人の群れから抜け出して二人きりで歩いていた。一歩先を行く月島の表情は伺えないが、きっと俺と同じ、緊張を隠し切れない顔をしているのだろう。
部屋に辿り着いても落ち着かずに立ち竦む月島の手を引いて、テラスに向かう。酒で火照った身体には、冷たい夜風が心地良かった。
緊張を誤魔化すように乱暴に椅子に腰かけ、空に目をやりながら声を発する。
「お前も座れよ。そんな所に立ってても仕方ないだろ」
「……失礼する」
消え入りそうな声でそう呟いた月島は、物音一つ立てず慎重に腰を下ろした。
ちらりと横目で様子を伺えば、口元を真一文字に引き結び、背筋をピンと張って拳を固く握りしめている。
……眼下には港町の夜景が広がり、天上には無数の星たちが瞬いているというのに、そんな景色を楽しむ余裕は欠片もない。現実逃避すら出来ない張り詰めた空気に耐えきれなくなり、差し当たっては他愛のない話で緊張を解そうと口を開いた。
「あー……今日の旅行はなかなか面白かったな。慰安旅行には初めて参加したけど、お前と一緒なら悪くないわ」
「そ、そうか。良かった……」
若干声が裏返りかけた気がするけれども、気付かれてはいないだろうか。
今は普段どおりを装うのが酷く難しい。ほんの少し話すだけでも、舌がもつれてしまわないように神経を尖らせる必要があった。
「今までプライベートの話をする機会も無かったから新鮮だったよ。今度、お前の家にも行ってみたいな」
「ぜひ来てほしい、君に見せたい物が色々あるのだ。鉱物もそうだが、熱帯魚もちょっとした自慢でね。元は両親の趣味なのだが……」
不意に、月島が息を飲んで言い澱む。
気の回り過ぎるコイツのことだ。俺の前で両親の話題に触れてしまい、後悔しているのだろう。
月島にしては珍しい失言だ。それほどこの男も、普段どおりでは居られないのだろう。
「そんなに気を遣うなよ、構いやしないさ。お前のところの両親は健在なのか?」
「……ああ、元気にやっているよ。今は仕事で家に居ないが、年明けにはこちらへ戻ってくる予定だ」
「ということは、普段は実家で三人暮らしか」
「そうだね。あとは弟が居るのだが、久しく会ってないな……」
「へぇ。お前、弟が居たのか。そりゃ一目見てみたいもんだ」
初めて聞く話に緊張も忘れて目を見開く。月島に兄弟が居たというのは知らなかった。
俺は一人っ子なので、兄弟が居るというのは羨ましく思う。やはり顔が似ていたりするのだろうか。
しかし、月島には含むところがあるようで、俺の言葉に渋い顔をして首を振った。
「あれに君を見せたくはないな……」
「なんだよ」
「いや、変な意味ではないんだが。私と弟は、昔から好みが似ているのだ」
「ほう?」
苦々しい顔つきから察するに、弟に対してあまり良い印象がないのだろう。
「別に、何があったという訳ではない。小さなことの積み重ねさ。私が何か手にすると、決まって弟が欲しがってね。そして、両親にこう言われるのだ。兄なのだから我慢しなさい、と。……ただ、それだけの幼稚な確執だ」
「ああ、聞いたことあるな。そういう話」
学生の頃に、下の兄弟が居るクラスメイトが同じような愚痴を零していたことを思い出す。俺にはいまいちピンと来なかったが、結構どこでもある話らしい。
「だからというのも大げさだが、大切な物は隠す癖がついてしまってね。だから、弟に君を会わせたくない」
「流石にそれは心配いらないと思うけどなぁ」
思わぬところで月島の人格形成の過程を垣間見た気がして、益々弟への興味が湧く。
月島は好奇心に輝く俺の目を見ると、渋い顔をして眉を寄せた。
「……君がどうしてもと言うのなら、いつかその内にな」
「ふふ、いつかね」
月島にしては曖昧な返答に苦笑が漏れる。余程心配なのだろう。
強い執着を感じて、悪い気はしなかった。
「……」
それどころか、嬉しいとさえ思ってしまうのだから……もう、腹を括るべきなのだろう。
生唾を飲み込み、黙って海を眺める。
一度会話が途切れれば、耳鳴りがしそうなほどの沈黙が襲い掛かってきた。波の音だけが遠くに響いており、月島が呼吸する音さえも聞こえてきそうである。
隣で佇む月島は、俺の言葉をじっと待ち続けている。
――さあ、話さなくては。
『本題』について意識した途端、呼吸が早まっていく。意識して深く息を吸い込んでも、心拍は収まりそうになかった。ただ座っているだけだというのに、異常に体温が上がっていく。
すっかり汗ばんでしまった手を膝で拭い、俺は意を決して切り出した。
「お前に告白されてから、色々考えたんだよ」
「……ああ」
何とか口を開いたはいいものの、相槌一つで胸が跳ね、何から話そうとしていたのか分からなくなってしまう。沢山考えて来たというのに、ままならないものだ。
しかし、戸惑う頭とは裏腹に、俺の口は勝手に言葉を紡いでいた。
「今まで誰かと真剣に付き合ったことがなくて、ずっと色んなものから逃げて生きてたからさ。今更向き直るっていうのは、もう、大変だったんだ。頭の中がぐちゃぐちゃでどうしようもなくて、珍しく人を頼ってみたりして……」
「……」
月島が、小さく頷きながら耳を傾けている姿が視界の端に映る。
アイツは、今どんな顔で俺の話を聞いているのだろうか。
振り向きたい欲求に駆られるが、顔を見てしまったら何も言えなくなってしまう気がして、水平線を目でなぞりながら話し続けた。
「正直言うと、まだ怖いんだ。朝に目覚めた時、夜に帰って来た時、お前が居なかったらどうしようって不安になることがある。自分がこんなに弱い人間だなんて知らなかった。お前といると楽しくて温かくて、同じくらい、不安で苦しいんだ。……けれども、」
そこで言葉を切って、震える吐息を必死で整える。
覚悟を決めて来たハズなのに、ぐずぐずと情けなく恐怖する心を抑え込むべく、胸元を強く握りしめた。
この感情を認めてしまえば、すべてが変わってしまう。
それでも。
それでも、俺はこの男の手を掴みたい。
「だからこそ認めることにしたんだ。お前のことが特別になってしまったんだ……って」
「篠崎君……」
月島の口から、か細い呟きが零れ落ちる。
それを聞いてぎゅっと胸が締め付けられ、衝動のままに思いの丈を打ち明けた。
「お前が俺の名前を呼んでくれる度に、心が満たされるんだ。お前は嫉妬深い自分のことは嫌いかもしれないけど、俺は独占されて悪い気はしないよ。お前の執着を、もっと感じていたい。今まで素直に認められなくて、ずっと自分を誤魔化してきたけれど、もう自分に嘘を吐くことも出来やしない。……嘘は、得意なハズだったんだけどな」
熱くなっていく頬を隠すために下を向く。こんなに赤裸々に感情を明かすのは何時ぶりだろうか。
酷くこそばゆい。慣れないことをしている自覚があった。
それでも伝えたかった。
俺と同じくらい臆病なこの男を、俺と同じくらい満たしてやるために。
「だからさ。どんなに怖くても、お前の手を取りたいと思ったんだ。もし、お前が居なくなったら、生きていけなくなったとしても……いいよ」
「……!」
月島が小さく息を飲む。
頬に刺さる視線に気付かないふりをして、星空を仰いだ。
「自分でも驚いたんだけど、重たいだろ? 嫌いになってなきゃ、いいんだけどな」
観念して、月島と真正面から向き合う。
固く握られた拳にそっと触れれば、月島は大袈裟に肩を跳ねさせた。
かち合った視線に、月島は一瞬目を泳がせたが、すぐに真っすぐ見つめ返してきた。
「月島」
噛みしめるように名前を呼び、乾ききった唇を舐める。
大きく息を吸い込んで、そして一息に言った。
「俺と一緒に居てくれ。俺を、離さないでくれ」
「篠崎……ッ!」
感極まった月島が俺の身体を強く掻き抱く。
その声と指先が小さく震えていることに気付いたが、何も言わずに月島の背に手を回した。
夜風で少し冷えた体に月島の体温が染み込んでいく。
この温もりが、ずっと欲しかったんだ。もう二度と手に入ることは無いと思っていた。手にするべきじゃないと思っていた。
けれど。
「ふッ…………うぅ……」
優しい温もりに包まれて、心の箍が外れる。
月島によって溶かされた内側から、愛と呼ぶには未熟過ぎる感情が溢れ出てくる。ぽろぽろと流れ落ちたそれは次第に量を増し、月島の肩に小さく染みを作っていった。
震える俺の背中を、月島が柔らかく撫でる。
「もう絶対に、君を独りにはしない」
「……ん」
「君が私を嫌いになっても、逃がしてやれないからな。私は執念深いんだ」
「ふ……知ってる」
月島の言葉に気の抜けた笑いを返して、手に入れた温もりを強く抱きしめる。
しばらく互いの心音に耳を傾けていたが、やがてどちらからともなく唇を重ね合う。
恋人との初めてのキスは、甘い塩の味がした。
上役以外は自由席となっていたので、月島と共に隅の方へ席を取る。
「港が近いだけあって魚介尽くしだな」
「俺、久々にアワビとか食べたわ。ん? あれは……」
「篠崎センパイ、飲んでますかー?」
次々と運ばれてくる食事を堪能していると、真っ赤になった神原が這いずるようにしてやってきた。
凄まじい酔いつぶれようである。浴衣は着崩れているというレベルではなく、ほとんど腰に巻いているだけの状態だ。
下にはシャツと半ズボンをしっかり身に着けているのだから、いっそ脱いでしまえばいいのにと思う。
「お、おいおい、何でそんなにベロベロなんだよ」
崩れ落ちそうになる身体を慌てて支えて、座椅子へと座らせる。
たどたどしい説明を要約すると、仕事を終えた解放感から飲み比べをしたせいらしい。
神原が緩慢に指さした方向に目をやれば、同じように赤くなって這いつくばる若手職員の屍が多数転がっていた。
「羽目を外すのも程々にしたまえよ」
「お前が言うな」
月島はそんな神原を見て呆れたように腕を組んでいるが、俺からすればこの男の浮かれっぷりも相当である。
流石に少しは自覚があるのか、月島は黙ってそっぽを向いた。
「……あ、そうそう。コレ、ちゃあんと持ってきましたよ」
神原は俺たちの話など耳に入っていない様子でマイペースに揺れていたが、ふと自慢そうに何かを掲げた。
大事に抱え込まれていたその一升瓶は、俺の好きな銘柄の日本酒だった。月島が、前に俺を酔い潰すために用いたアレだ。
「飲みましょうセンパイ、月島さんに言われて、先輩用のお酒を買っておいたんですよ」
「ああ、そう……さんきゅ」
今にも零しそうな神原の酌を受けながら、月島に目で訴えかける。
「お前、神原を懐柔して何をやらせているんだ」と。それに気付いた月島は自慢げに胸を張った。
まるで伝わっていない。
俺はアイコンタクトを取ることを早々に諦めて、日本酒に口を付けた。いつもより遅いペースで一杯目を飲み干すと、すかさず神原が注ぎ足そうとしてくる。
だが、しかし。
「悪いけど、今日は酔いつぶれる訳にはいかないんだよ」
俺の言葉に月島の手が一瞬止まる。
僅かに緊張が走るが、泥酔した神原は気付かない。
「僕の酒は飲めないんですかぁ」
「お前、危ないぞ……ッ!」
酔っ払いのお手本のような台詞を吐いた神原は、足に浴衣を絡ませながら立ち上がろうとする。マズいと思った刹那、案の定俺を目掛けて崩れ落ちてきた。
咄嗟に酒瓶を奪い取って大惨事は逃れたが、片手では神原の体重を支え切れずに倒れ込む。幸い畳だったため、打ち付けられた衝撃も大したものではなかったものの、先ほど作られたばかりの傷に神原の指が触れて小さな痛みが走った。
「……ッ」
「うわ、すいませ……」
謝る神原を押しのけ、はだけた浴衣の胸元を慌てて直す。
しかし、遅かったらしい。
神原の目は、襟に隠れた俺の左首――浴衣の下にくっきりと刻まれているハズの歯形に釘付けになっていた。
ひくりと口元を引き攣らせ、恐る恐るといった様子で口を開く。
「篠崎先輩?そ、その首の噛み跡は……」
「……月島にやられた」
「こわっ……血出てますけど」
酔いも醒めてしまったらしい神原は、戦慄した表情で自分の指先に付着した血を眺めていた。何か言葉をかけようかと思ったが、言葉を探しあぐねている間に月島がやってくる。
月島は無言で神原の手を丹念に拭うと、薄く微笑んだ。
「神原君。君は、何も見なかった。そうだろう?」
そうして綺麗になった神原の手に、並々と日本酒の注がれた杯を押し付ける。
神原はしばし茫然と固まっていたが、持たされた杯を一息で飲み干して大きく頷いた。
「ええ、なんっにも見てないですね!」
副音声で「関わりたくねぇや」と聞こえたのは、俺の気のせいではないと思う……
◆
宴会を終えた俺たちは、二次会へ向かう人の群れから抜け出して二人きりで歩いていた。一歩先を行く月島の表情は伺えないが、きっと俺と同じ、緊張を隠し切れない顔をしているのだろう。
部屋に辿り着いても落ち着かずに立ち竦む月島の手を引いて、テラスに向かう。酒で火照った身体には、冷たい夜風が心地良かった。
緊張を誤魔化すように乱暴に椅子に腰かけ、空に目をやりながら声を発する。
「お前も座れよ。そんな所に立ってても仕方ないだろ」
「……失礼する」
消え入りそうな声でそう呟いた月島は、物音一つ立てず慎重に腰を下ろした。
ちらりと横目で様子を伺えば、口元を真一文字に引き結び、背筋をピンと張って拳を固く握りしめている。
……眼下には港町の夜景が広がり、天上には無数の星たちが瞬いているというのに、そんな景色を楽しむ余裕は欠片もない。現実逃避すら出来ない張り詰めた空気に耐えきれなくなり、差し当たっては他愛のない話で緊張を解そうと口を開いた。
「あー……今日の旅行はなかなか面白かったな。慰安旅行には初めて参加したけど、お前と一緒なら悪くないわ」
「そ、そうか。良かった……」
若干声が裏返りかけた気がするけれども、気付かれてはいないだろうか。
今は普段どおりを装うのが酷く難しい。ほんの少し話すだけでも、舌がもつれてしまわないように神経を尖らせる必要があった。
「今までプライベートの話をする機会も無かったから新鮮だったよ。今度、お前の家にも行ってみたいな」
「ぜひ来てほしい、君に見せたい物が色々あるのだ。鉱物もそうだが、熱帯魚もちょっとした自慢でね。元は両親の趣味なのだが……」
不意に、月島が息を飲んで言い澱む。
気の回り過ぎるコイツのことだ。俺の前で両親の話題に触れてしまい、後悔しているのだろう。
月島にしては珍しい失言だ。それほどこの男も、普段どおりでは居られないのだろう。
「そんなに気を遣うなよ、構いやしないさ。お前のところの両親は健在なのか?」
「……ああ、元気にやっているよ。今は仕事で家に居ないが、年明けにはこちらへ戻ってくる予定だ」
「ということは、普段は実家で三人暮らしか」
「そうだね。あとは弟が居るのだが、久しく会ってないな……」
「へぇ。お前、弟が居たのか。そりゃ一目見てみたいもんだ」
初めて聞く話に緊張も忘れて目を見開く。月島に兄弟が居たというのは知らなかった。
俺は一人っ子なので、兄弟が居るというのは羨ましく思う。やはり顔が似ていたりするのだろうか。
しかし、月島には含むところがあるようで、俺の言葉に渋い顔をして首を振った。
「あれに君を見せたくはないな……」
「なんだよ」
「いや、変な意味ではないんだが。私と弟は、昔から好みが似ているのだ」
「ほう?」
苦々しい顔つきから察するに、弟に対してあまり良い印象がないのだろう。
「別に、何があったという訳ではない。小さなことの積み重ねさ。私が何か手にすると、決まって弟が欲しがってね。そして、両親にこう言われるのだ。兄なのだから我慢しなさい、と。……ただ、それだけの幼稚な確執だ」
「ああ、聞いたことあるな。そういう話」
学生の頃に、下の兄弟が居るクラスメイトが同じような愚痴を零していたことを思い出す。俺にはいまいちピンと来なかったが、結構どこでもある話らしい。
「だからというのも大げさだが、大切な物は隠す癖がついてしまってね。だから、弟に君を会わせたくない」
「流石にそれは心配いらないと思うけどなぁ」
思わぬところで月島の人格形成の過程を垣間見た気がして、益々弟への興味が湧く。
月島は好奇心に輝く俺の目を見ると、渋い顔をして眉を寄せた。
「……君がどうしてもと言うのなら、いつかその内にな」
「ふふ、いつかね」
月島にしては曖昧な返答に苦笑が漏れる。余程心配なのだろう。
強い執着を感じて、悪い気はしなかった。
「……」
それどころか、嬉しいとさえ思ってしまうのだから……もう、腹を括るべきなのだろう。
生唾を飲み込み、黙って海を眺める。
一度会話が途切れれば、耳鳴りがしそうなほどの沈黙が襲い掛かってきた。波の音だけが遠くに響いており、月島が呼吸する音さえも聞こえてきそうである。
隣で佇む月島は、俺の言葉をじっと待ち続けている。
――さあ、話さなくては。
『本題』について意識した途端、呼吸が早まっていく。意識して深く息を吸い込んでも、心拍は収まりそうになかった。ただ座っているだけだというのに、異常に体温が上がっていく。
すっかり汗ばんでしまった手を膝で拭い、俺は意を決して切り出した。
「お前に告白されてから、色々考えたんだよ」
「……ああ」
何とか口を開いたはいいものの、相槌一つで胸が跳ね、何から話そうとしていたのか分からなくなってしまう。沢山考えて来たというのに、ままならないものだ。
しかし、戸惑う頭とは裏腹に、俺の口は勝手に言葉を紡いでいた。
「今まで誰かと真剣に付き合ったことがなくて、ずっと色んなものから逃げて生きてたからさ。今更向き直るっていうのは、もう、大変だったんだ。頭の中がぐちゃぐちゃでどうしようもなくて、珍しく人を頼ってみたりして……」
「……」
月島が、小さく頷きながら耳を傾けている姿が視界の端に映る。
アイツは、今どんな顔で俺の話を聞いているのだろうか。
振り向きたい欲求に駆られるが、顔を見てしまったら何も言えなくなってしまう気がして、水平線を目でなぞりながら話し続けた。
「正直言うと、まだ怖いんだ。朝に目覚めた時、夜に帰って来た時、お前が居なかったらどうしようって不安になることがある。自分がこんなに弱い人間だなんて知らなかった。お前といると楽しくて温かくて、同じくらい、不安で苦しいんだ。……けれども、」
そこで言葉を切って、震える吐息を必死で整える。
覚悟を決めて来たハズなのに、ぐずぐずと情けなく恐怖する心を抑え込むべく、胸元を強く握りしめた。
この感情を認めてしまえば、すべてが変わってしまう。
それでも。
それでも、俺はこの男の手を掴みたい。
「だからこそ認めることにしたんだ。お前のことが特別になってしまったんだ……って」
「篠崎君……」
月島の口から、か細い呟きが零れ落ちる。
それを聞いてぎゅっと胸が締め付けられ、衝動のままに思いの丈を打ち明けた。
「お前が俺の名前を呼んでくれる度に、心が満たされるんだ。お前は嫉妬深い自分のことは嫌いかもしれないけど、俺は独占されて悪い気はしないよ。お前の執着を、もっと感じていたい。今まで素直に認められなくて、ずっと自分を誤魔化してきたけれど、もう自分に嘘を吐くことも出来やしない。……嘘は、得意なハズだったんだけどな」
熱くなっていく頬を隠すために下を向く。こんなに赤裸々に感情を明かすのは何時ぶりだろうか。
酷くこそばゆい。慣れないことをしている自覚があった。
それでも伝えたかった。
俺と同じくらい臆病なこの男を、俺と同じくらい満たしてやるために。
「だからさ。どんなに怖くても、お前の手を取りたいと思ったんだ。もし、お前が居なくなったら、生きていけなくなったとしても……いいよ」
「……!」
月島が小さく息を飲む。
頬に刺さる視線に気付かないふりをして、星空を仰いだ。
「自分でも驚いたんだけど、重たいだろ? 嫌いになってなきゃ、いいんだけどな」
観念して、月島と真正面から向き合う。
固く握られた拳にそっと触れれば、月島は大袈裟に肩を跳ねさせた。
かち合った視線に、月島は一瞬目を泳がせたが、すぐに真っすぐ見つめ返してきた。
「月島」
噛みしめるように名前を呼び、乾ききった唇を舐める。
大きく息を吸い込んで、そして一息に言った。
「俺と一緒に居てくれ。俺を、離さないでくれ」
「篠崎……ッ!」
感極まった月島が俺の身体を強く掻き抱く。
その声と指先が小さく震えていることに気付いたが、何も言わずに月島の背に手を回した。
夜風で少し冷えた体に月島の体温が染み込んでいく。
この温もりが、ずっと欲しかったんだ。もう二度と手に入ることは無いと思っていた。手にするべきじゃないと思っていた。
けれど。
「ふッ…………うぅ……」
優しい温もりに包まれて、心の箍が外れる。
月島によって溶かされた内側から、愛と呼ぶには未熟過ぎる感情が溢れ出てくる。ぽろぽろと流れ落ちたそれは次第に量を増し、月島の肩に小さく染みを作っていった。
震える俺の背中を、月島が柔らかく撫でる。
「もう絶対に、君を独りにはしない」
「……ん」
「君が私を嫌いになっても、逃がしてやれないからな。私は執念深いんだ」
「ふ……知ってる」
月島の言葉に気の抜けた笑いを返して、手に入れた温もりを強く抱きしめる。
しばらく互いの心音に耳を傾けていたが、やがてどちらからともなく唇を重ね合う。
恋人との初めてのキスは、甘い塩の味がした。
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幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
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