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挿話 第三回・篠崎聡攻略会議
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「それでは今から会議を始める」
月島さんの宣言と共にプロジェクターに映し出されたパワーポイントを見て、僕はこの場に来てしまったことを心から後悔した。
篠崎聡と付き合うまでの3つの課題――そうでかでかと表示されたタイトルと、月島さんが持っている分厚い資料。
クソ真面目な茶番が始まろうとしていた。
「うわぁ」
隣を見れば、猫宮さんが同じく分厚い資料を手にして真面目にスライドを見つめている。止めてくれる常識人はどこにも居ないようだ。
先日、会議室にて篠崎先輩と月島さんが抱き合っている場面に遭遇してしまった僕は、ついに月島さんの口から真実を聞くに至った。
焼肉屋に行った晩に何があったかは終ぞ聞けず仕舞いだったが、どうやら月島さんが篠崎先輩に猛アタックを仕掛けた結果、今は篠崎先輩も満更でもなさそうな状況……らしい。
あの険悪っぷりから、対面で話しててもメンチ切られないところまで持ち直したというのは驚きだ。
そういえば、篠崎先輩の舌打ちを耳にする機会も減った気がする。どうやって篭絡したのか気になるところだが、それは聞かない方が身のためだと僕の第六感が囁いていた。
今思えば、あの部屋のドアを開けてさえいなければ、こんな茶番に付き合わされることも無かったのだろう。
「はぁ……」
ところで、どうでもいいけど僕の資料だけ二人と比べて圧倒的に薄いのは何故だろうか。いや別に、欲しくないからいいのだけれども。
それより聞いておきたいことは他にあった。
「すいません、ちょっといいですか」
「何だね?」
「僕、何で呼ばれたんですか」
「私がファシリテーター、カズが書記、神原君は言うなれば有識者だ」
「……有識者」
「ああ、篠崎君に関する専門的見地から意見を伺いたい」
「…………専門的見地」
もはや呆れてオウム返ししか出来ない。早くも精神疲労が限界だ。こんなことで一時間持つのだろうか。
というかこの人はこの滅茶苦茶忙しい時期に何をやっているんだろう。
「なお今回の会議はランチミーティングの形式を取っている。自由に飲み食いしながら参加して欲しい」
「……」
腹が立つのでそれっぽい横文字を使わないでくれと心の中だけでツッコむ。
相手は腐っても先輩。悲しいかな、とりあえず外面は取り繕っておかなくてはならない。
「では前回の続きから始めさせてもらおう」
「これ二回目なんですか」
「三回目だ。前回までの内容は、篠崎君のプライバシーに配慮した上でまとめてあるから手元の資料を見てくれ。今回は、篠崎君が私を受け入れるまでの心理的障害について議論する予定なので、君も有識者として是非意見してほしい」
「はぁ……」
嫌々手元の資料を開くと、篠崎先輩のプロフィールが掲載されていた。身長、体重、出身地、転居歴、学歴、経歴、趣味嗜好、生活パターンにその他諸々……_!?_
内容はぼかされているものの、異様なまでの情報が網羅されている。資料を一瞥した僕は、恐ろしくなって即刻それを閉じた。
何だ、何だこの犯罪臭のする資料は。
「どうした?」
「どうしたじゃないですよ、何ですかこれ! この情報量、どうやって調べたんですか」
「それでも随分削ったのだが」
恐ろしいことをぼそりと言わないで欲しい。
僕の持つ『一部抜粋』でこの情報量なら、『完全版』には一体どんな情報が詰まっているのか……知りたくも無かった。
もしかしなくても、今まさに犯罪の片棒を担がされそうになっているのかもしれない。
言いようのない焦燥感に突き動かされ席を立ったが、突如伸びて来た手に腕を取られる。振り向けば、困ったような顔をした猫宮さんと目が合った。
「まあまあ、落ち着け神原くん。何も不思議なことは無いから」
「ほ、本当ですか……?」
「秘密にしてたんだけれど、俺、前職は探偵業をやっててね。だから篠崎の同級生なんかをあたって――」
「ほらやっぱり怪しげな情報じゃないですか!」
思い切りアウトな発言に戦いて腕を振り払おうとしたが、どこをどう掴んでいるのか、まったく離してもらえる気配が無かった。
息を切らして嫌々席に戻った後も、がっちりと腕はホールドされたままだ。
「ストーカーでは……?」
「私は何ら法に触れることは行っていないよ。好きな相手のことをよく知りたいという純粋かつ当然の心理でしかない」
「純粋かつ当然に探偵を使わないでください……」
ドッと疲れが押し寄せてきてがっくりと項垂れる。
もうどうにでもなればいい。そんな僕の諦めを承諾と受け取ったのか、ついに月島さんのプレゼンテーションが始まった。
無駄に見やすいパワーポイントを用いて無駄に良い声で行われるプレゼンは、無駄に分かりやすい。
流石月島さんと言うべきところだろうか。性格が捻くれていてもストーカーであっても、まごうことなきわが社のエースである。
惜しむらくは、その能力を存分に無駄遣いしているところだが。
もう、ここは資料作成のコツを勉強しに来たと思おう。そうサンドイッチを齧りながら結論付ける。何かしら適当な理由を付けなくては、やっていられなかった。
◆
「以上の理由から、正式な付き合いを始めるためには彼の信頼を得ることが必要不可欠な訳だが……その方法について議論していきたい」
「うーむ、なるほど……」
「なお、篠崎君に迷惑がかかるような方法は除外するものとする」
何だかんだ言っていたものの、巧みな話術に思わず聞き入ってしまい、プレゼンが終了する頃にはすっかり惹きつけられてしまっていた。
しかし難しい問題だ。僕にコメントできることがあるのだろうか。
唸る僕を見て月島さんが言う。
「見たところ、神原君は篠崎君の信頼を得ていると思うのだよ。君の行動から何かヒントが得られればと思っている」
「僕については、信頼されているというより、目が離せないとか監視されているとかいう表現の方が合っている気がするんですが」
「庇護欲をそそるのか?」
「ど、どうなんでしょう……」
おずおずと顔を上げたところ、ちょっと怖い顔の月島さんと目が合った。月島さんと猫宮さんの値踏みするような視線に晒され、居心地が悪くなる。
「もしそうだとしても、亮介にこの感じは真似は出来ないだろ。次だ、次」
「うむ、そうだな」
何か失礼なことを言われているような気がするが、ツッコむ勇気は無い。
うっかり変なことを言うと、僕も月島さんの不評……もっと率直に言うならば、嫉妬を買ってしまいそうだった。触らぬ神に祟りなしである。
「単純に、僕は篠崎先輩と長い間一緒に過ごしてますから。時間をかけて信じてもらうしかないんじゃないですか?」
「私もそれなりに一緒に居ると思うが」
「言っておきますけど、敵対関係だった時間はノーカンですよ?」
「…………」
黙ってしまった月島さんに、そりゃそうだなと猫宮さんが追い打ちをかける。
「篠崎と色々あってから、まだ三ヶ月ちょっとだろ? 仲良くなってからを数えたらもっと短い訳だし、神原くんとは比べられないだろ」
「むう……」
「今は亮介も良い関係を築いているんだから、少しずつ認めていってもらえばいいじゃないか。ちゃんと素直に好きだってアピールしながらな」
猫宮さんの言葉に僕も同意して頷く。特に最後の『素直に』という部分。
「うんうん、好意があるならストレートに行動で示さないと。月島さんにはその素直さが足りないと思うんですよ。篠崎先輩からしたら、本当に自分のことが好きなのか分かりづらいんじゃないですか?」
「そうだそうだ、露骨なくらいじゃないと伝わらないぞ。俺も妻にプロポーズする前には色々やったんだ。うちの課に来た時には真っ先に話を聞きに行ったり、オフィスの連中に頼んで妻に持っていく書類はみんな俺に任せてもらったりさ」
「ああ、そういうの僕も覚えがあります。事あるごとに話しかけたり褒めたり、なるべく良い印象を持ってもらえるよう何でもしましたね。これですよ月島さん」
「あ、ああ……」
僕と猫宮さんが盛り上がる一方、月島さんはイマイチ気乗りしていない様子である。
まあ今までの月島さんの態度といえば、好意があるとは思えないような塩対応であった。素直に好意を表現するなんてことは難しく感じるのだろう。
僕と同じことを考えていたのか、猫宮さんが聞く。
「なあ、亮介。逆に聞きたいんだが、どうして今まであんなにツンツンしていたんだ」
「それは、彼に好意を気取られる訳にはいかなかったから……」
「家に上げてもらえるようになった後も、変わらない態度だっただろ? 別の理由があるんじゃないのか。……例えば、みっともない姿は見せたくないとか」
「……!」
流石幼馴染だけあって、月島さんの性格を心得ているようだ。図星を突かれたと言わんばかりの月島さんを見て、猫宮さんが嘆息する。
「お前は昔から格好つけたがりだからなぁ。でも、それで相手に誤解されたら元も子もないぞ。一番大事なのは何だ、篠崎と上手く行くことじゃないのか」
「そうだが……」
「だったら見栄張ってないで素直になれ。お前はそういうのあまり好きじゃないかもしれないけどさ」
月島さんが説教されている図というのも新鮮だ。あの月島さんも、猫宮さん相手では頭が上がらないらしい。
それにしても、鉄面皮の月島さんに対して格好つけたがりとは、随分ばっさり切り捨てるものである。
「しかし……割り切ってないと、ひどく醜い嫉妬を誰彼構わずぶつけてしまいそうなんだ」
「そこは業務に支障がない程度に抑えて欲しいけれども……でも、ずっと隠し続けるのも大変だと思うぞ。今後のことを考えても少しずつ出していった方がいいんじゃないか」
「妙な噂になって、篠崎君に迷惑をかけることだけは避けたい」
「そこは俺が上手く誘導してやるよ。ついでだから付き合った後も社内に自然と受け入れられるような下地をここで作っておこう」
ん? 若干雲行きが怪しくなってきた。ひょっとして猫宮さんも、月島さんの友人というだけあるのだろうか。篠崎先輩に対する包囲網が着実に狭められているのを感じる。
目の前で怪しい打ち合わせが繰り広げられているが、篠崎先輩に迷惑はかけないという大前提があるので、僕に止める義務は無いハズだ。きっと。多分。
ややあって、ようやく方策が固まったのか、月島さんが天を仰いで溜息を吐いた。
「とりあえずの方針は理解したが……素直に、か。難しいものだな」
「そこは頑張れと言うしかないな。神原くんの爪のアカでも煎じて飲ませてもらうか?」
「どういう意味ですか、それ。……月島さんもそんな目で見ないでください、怖いです」
月島さんに真顔で見つめられ、思わず身の危険を感じる。この人の冗談は本気と見分けがつかないので恐ろしい。
ふ、と気の抜けた笑顔を浮かべたところを見ると、冗談の方だったらしいが。
気が付けば、お昼休みも終わりに近づいていた。パソコンや資料を片付けながら、月島さんが覇気のない声で独り言ちる。
「篠崎君には『待つ』と言ったものの、こうしてじっとしていられないのだから既に充分格好悪いよな……」
それは、初めて聞く月島さんの心からの言葉だった。
どんなに素晴らしいプレゼンよりも、その一言こそが篠崎先輩に向ける想いを物語っている気がした。本当に篠崎先輩のことが好きなのだ。
そして、篠崎先輩を日々間近で見ている僕には分かる。無意識に月島さんの姿を追っている視線、月島さんと話している時に漏れる微笑み、憎まれ口に滲む柔らかさ。
きっと篠崎先輩だって、月島さんのことを――
「ま、恋愛事は惚れた方が負けだって言いますからね。多少格好悪くなるくらい仕方ないですよ」
「そうだぞ亮介、諦めるんだな」
「むう……」
項垂れる月島さんが少し小さく見える気がして、思わず苦笑した。人をここまで変えてしまうとは、恋とはかくも恐ろしいものである。
僕にも何か手伝ってあげられることは無いだろうか……そう考えた時、ふと閃くものがあった。
今度開催される慰安旅行で、僕は幹事の一人となっていた。ここ最近多忙を極める二人に、多少便宜を図ってやることくらいは出来るだろう。
「そういえば今度、慰安旅行があるじゃないですか。僕、幹事をやることになっているので、出来る範囲で協力しますよ」
「本当か?」
「それはいいな。亮介、今晩作戦会議するぞ」
「もちろんだ。神原君、恩に着る。明日には企画書を持っていくのでよろしく頼む」
「は、はい……」
想像以上の食いつきに、あっけにとられたまま頷いてしまう。
そして会議はお開きとなった。
――後日。
本当に届けられた企画書のえげつなさを見て、僕は図らずも恐ろしい謀略に加担してしまった事実に少し胸を痛めることになる。
しかし、付き合うにしても振るにしても、一度よく話し合うべきであることには変わりない。僕は考えることをやめ、篠崎先輩に小さくエールを送るのであった。
頑張れ、と。
月島さんの宣言と共にプロジェクターに映し出されたパワーポイントを見て、僕はこの場に来てしまったことを心から後悔した。
篠崎聡と付き合うまでの3つの課題――そうでかでかと表示されたタイトルと、月島さんが持っている分厚い資料。
クソ真面目な茶番が始まろうとしていた。
「うわぁ」
隣を見れば、猫宮さんが同じく分厚い資料を手にして真面目にスライドを見つめている。止めてくれる常識人はどこにも居ないようだ。
先日、会議室にて篠崎先輩と月島さんが抱き合っている場面に遭遇してしまった僕は、ついに月島さんの口から真実を聞くに至った。
焼肉屋に行った晩に何があったかは終ぞ聞けず仕舞いだったが、どうやら月島さんが篠崎先輩に猛アタックを仕掛けた結果、今は篠崎先輩も満更でもなさそうな状況……らしい。
あの険悪っぷりから、対面で話しててもメンチ切られないところまで持ち直したというのは驚きだ。
そういえば、篠崎先輩の舌打ちを耳にする機会も減った気がする。どうやって篭絡したのか気になるところだが、それは聞かない方が身のためだと僕の第六感が囁いていた。
今思えば、あの部屋のドアを開けてさえいなければ、こんな茶番に付き合わされることも無かったのだろう。
「はぁ……」
ところで、どうでもいいけど僕の資料だけ二人と比べて圧倒的に薄いのは何故だろうか。いや別に、欲しくないからいいのだけれども。
それより聞いておきたいことは他にあった。
「すいません、ちょっといいですか」
「何だね?」
「僕、何で呼ばれたんですか」
「私がファシリテーター、カズが書記、神原君は言うなれば有識者だ」
「……有識者」
「ああ、篠崎君に関する専門的見地から意見を伺いたい」
「…………専門的見地」
もはや呆れてオウム返ししか出来ない。早くも精神疲労が限界だ。こんなことで一時間持つのだろうか。
というかこの人はこの滅茶苦茶忙しい時期に何をやっているんだろう。
「なお今回の会議はランチミーティングの形式を取っている。自由に飲み食いしながら参加して欲しい」
「……」
腹が立つのでそれっぽい横文字を使わないでくれと心の中だけでツッコむ。
相手は腐っても先輩。悲しいかな、とりあえず外面は取り繕っておかなくてはならない。
「では前回の続きから始めさせてもらおう」
「これ二回目なんですか」
「三回目だ。前回までの内容は、篠崎君のプライバシーに配慮した上でまとめてあるから手元の資料を見てくれ。今回は、篠崎君が私を受け入れるまでの心理的障害について議論する予定なので、君も有識者として是非意見してほしい」
「はぁ……」
嫌々手元の資料を開くと、篠崎先輩のプロフィールが掲載されていた。身長、体重、出身地、転居歴、学歴、経歴、趣味嗜好、生活パターンにその他諸々……_!?_
内容はぼかされているものの、異様なまでの情報が網羅されている。資料を一瞥した僕は、恐ろしくなって即刻それを閉じた。
何だ、何だこの犯罪臭のする資料は。
「どうした?」
「どうしたじゃないですよ、何ですかこれ! この情報量、どうやって調べたんですか」
「それでも随分削ったのだが」
恐ろしいことをぼそりと言わないで欲しい。
僕の持つ『一部抜粋』でこの情報量なら、『完全版』には一体どんな情報が詰まっているのか……知りたくも無かった。
もしかしなくても、今まさに犯罪の片棒を担がされそうになっているのかもしれない。
言いようのない焦燥感に突き動かされ席を立ったが、突如伸びて来た手に腕を取られる。振り向けば、困ったような顔をした猫宮さんと目が合った。
「まあまあ、落ち着け神原くん。何も不思議なことは無いから」
「ほ、本当ですか……?」
「秘密にしてたんだけれど、俺、前職は探偵業をやっててね。だから篠崎の同級生なんかをあたって――」
「ほらやっぱり怪しげな情報じゃないですか!」
思い切りアウトな発言に戦いて腕を振り払おうとしたが、どこをどう掴んでいるのか、まったく離してもらえる気配が無かった。
息を切らして嫌々席に戻った後も、がっちりと腕はホールドされたままだ。
「ストーカーでは……?」
「私は何ら法に触れることは行っていないよ。好きな相手のことをよく知りたいという純粋かつ当然の心理でしかない」
「純粋かつ当然に探偵を使わないでください……」
ドッと疲れが押し寄せてきてがっくりと項垂れる。
もうどうにでもなればいい。そんな僕の諦めを承諾と受け取ったのか、ついに月島さんのプレゼンテーションが始まった。
無駄に見やすいパワーポイントを用いて無駄に良い声で行われるプレゼンは、無駄に分かりやすい。
流石月島さんと言うべきところだろうか。性格が捻くれていてもストーカーであっても、まごうことなきわが社のエースである。
惜しむらくは、その能力を存分に無駄遣いしているところだが。
もう、ここは資料作成のコツを勉強しに来たと思おう。そうサンドイッチを齧りながら結論付ける。何かしら適当な理由を付けなくては、やっていられなかった。
◆
「以上の理由から、正式な付き合いを始めるためには彼の信頼を得ることが必要不可欠な訳だが……その方法について議論していきたい」
「うーむ、なるほど……」
「なお、篠崎君に迷惑がかかるような方法は除外するものとする」
何だかんだ言っていたものの、巧みな話術に思わず聞き入ってしまい、プレゼンが終了する頃にはすっかり惹きつけられてしまっていた。
しかし難しい問題だ。僕にコメントできることがあるのだろうか。
唸る僕を見て月島さんが言う。
「見たところ、神原君は篠崎君の信頼を得ていると思うのだよ。君の行動から何かヒントが得られればと思っている」
「僕については、信頼されているというより、目が離せないとか監視されているとかいう表現の方が合っている気がするんですが」
「庇護欲をそそるのか?」
「ど、どうなんでしょう……」
おずおずと顔を上げたところ、ちょっと怖い顔の月島さんと目が合った。月島さんと猫宮さんの値踏みするような視線に晒され、居心地が悪くなる。
「もしそうだとしても、亮介にこの感じは真似は出来ないだろ。次だ、次」
「うむ、そうだな」
何か失礼なことを言われているような気がするが、ツッコむ勇気は無い。
うっかり変なことを言うと、僕も月島さんの不評……もっと率直に言うならば、嫉妬を買ってしまいそうだった。触らぬ神に祟りなしである。
「単純に、僕は篠崎先輩と長い間一緒に過ごしてますから。時間をかけて信じてもらうしかないんじゃないですか?」
「私もそれなりに一緒に居ると思うが」
「言っておきますけど、敵対関係だった時間はノーカンですよ?」
「…………」
黙ってしまった月島さんに、そりゃそうだなと猫宮さんが追い打ちをかける。
「篠崎と色々あってから、まだ三ヶ月ちょっとだろ? 仲良くなってからを数えたらもっと短い訳だし、神原くんとは比べられないだろ」
「むう……」
「今は亮介も良い関係を築いているんだから、少しずつ認めていってもらえばいいじゃないか。ちゃんと素直に好きだってアピールしながらな」
猫宮さんの言葉に僕も同意して頷く。特に最後の『素直に』という部分。
「うんうん、好意があるならストレートに行動で示さないと。月島さんにはその素直さが足りないと思うんですよ。篠崎先輩からしたら、本当に自分のことが好きなのか分かりづらいんじゃないですか?」
「そうだそうだ、露骨なくらいじゃないと伝わらないぞ。俺も妻にプロポーズする前には色々やったんだ。うちの課に来た時には真っ先に話を聞きに行ったり、オフィスの連中に頼んで妻に持っていく書類はみんな俺に任せてもらったりさ」
「ああ、そういうの僕も覚えがあります。事あるごとに話しかけたり褒めたり、なるべく良い印象を持ってもらえるよう何でもしましたね。これですよ月島さん」
「あ、ああ……」
僕と猫宮さんが盛り上がる一方、月島さんはイマイチ気乗りしていない様子である。
まあ今までの月島さんの態度といえば、好意があるとは思えないような塩対応であった。素直に好意を表現するなんてことは難しく感じるのだろう。
僕と同じことを考えていたのか、猫宮さんが聞く。
「なあ、亮介。逆に聞きたいんだが、どうして今まであんなにツンツンしていたんだ」
「それは、彼に好意を気取られる訳にはいかなかったから……」
「家に上げてもらえるようになった後も、変わらない態度だっただろ? 別の理由があるんじゃないのか。……例えば、みっともない姿は見せたくないとか」
「……!」
流石幼馴染だけあって、月島さんの性格を心得ているようだ。図星を突かれたと言わんばかりの月島さんを見て、猫宮さんが嘆息する。
「お前は昔から格好つけたがりだからなぁ。でも、それで相手に誤解されたら元も子もないぞ。一番大事なのは何だ、篠崎と上手く行くことじゃないのか」
「そうだが……」
「だったら見栄張ってないで素直になれ。お前はそういうのあまり好きじゃないかもしれないけどさ」
月島さんが説教されている図というのも新鮮だ。あの月島さんも、猫宮さん相手では頭が上がらないらしい。
それにしても、鉄面皮の月島さんに対して格好つけたがりとは、随分ばっさり切り捨てるものである。
「しかし……割り切ってないと、ひどく醜い嫉妬を誰彼構わずぶつけてしまいそうなんだ」
「そこは業務に支障がない程度に抑えて欲しいけれども……でも、ずっと隠し続けるのも大変だと思うぞ。今後のことを考えても少しずつ出していった方がいいんじゃないか」
「妙な噂になって、篠崎君に迷惑をかけることだけは避けたい」
「そこは俺が上手く誘導してやるよ。ついでだから付き合った後も社内に自然と受け入れられるような下地をここで作っておこう」
ん? 若干雲行きが怪しくなってきた。ひょっとして猫宮さんも、月島さんの友人というだけあるのだろうか。篠崎先輩に対する包囲網が着実に狭められているのを感じる。
目の前で怪しい打ち合わせが繰り広げられているが、篠崎先輩に迷惑はかけないという大前提があるので、僕に止める義務は無いハズだ。きっと。多分。
ややあって、ようやく方策が固まったのか、月島さんが天を仰いで溜息を吐いた。
「とりあえずの方針は理解したが……素直に、か。難しいものだな」
「そこは頑張れと言うしかないな。神原くんの爪のアカでも煎じて飲ませてもらうか?」
「どういう意味ですか、それ。……月島さんもそんな目で見ないでください、怖いです」
月島さんに真顔で見つめられ、思わず身の危険を感じる。この人の冗談は本気と見分けがつかないので恐ろしい。
ふ、と気の抜けた笑顔を浮かべたところを見ると、冗談の方だったらしいが。
気が付けば、お昼休みも終わりに近づいていた。パソコンや資料を片付けながら、月島さんが覇気のない声で独り言ちる。
「篠崎君には『待つ』と言ったものの、こうしてじっとしていられないのだから既に充分格好悪いよな……」
それは、初めて聞く月島さんの心からの言葉だった。
どんなに素晴らしいプレゼンよりも、その一言こそが篠崎先輩に向ける想いを物語っている気がした。本当に篠崎先輩のことが好きなのだ。
そして、篠崎先輩を日々間近で見ている僕には分かる。無意識に月島さんの姿を追っている視線、月島さんと話している時に漏れる微笑み、憎まれ口に滲む柔らかさ。
きっと篠崎先輩だって、月島さんのことを――
「ま、恋愛事は惚れた方が負けだって言いますからね。多少格好悪くなるくらい仕方ないですよ」
「そうだぞ亮介、諦めるんだな」
「むう……」
項垂れる月島さんが少し小さく見える気がして、思わず苦笑した。人をここまで変えてしまうとは、恋とはかくも恐ろしいものである。
僕にも何か手伝ってあげられることは無いだろうか……そう考えた時、ふと閃くものがあった。
今度開催される慰安旅行で、僕は幹事の一人となっていた。ここ最近多忙を極める二人に、多少便宜を図ってやることくらいは出来るだろう。
「そういえば今度、慰安旅行があるじゃないですか。僕、幹事をやることになっているので、出来る範囲で協力しますよ」
「本当か?」
「それはいいな。亮介、今晩作戦会議するぞ」
「もちろんだ。神原君、恩に着る。明日には企画書を持っていくのでよろしく頼む」
「は、はい……」
想像以上の食いつきに、あっけにとられたまま頷いてしまう。
そして会議はお開きとなった。
――後日。
本当に届けられた企画書のえげつなさを見て、僕は図らずも恐ろしい謀略に加担してしまった事実に少し胸を痛めることになる。
しかし、付き合うにしても振るにしても、一度よく話し合うべきであることには変わりない。僕は考えることをやめ、篠崎先輩に小さくエールを送るのであった。
頑張れ、と。
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