20 / 69
19 鬼の霍乱
しおりを挟む
一夜明け。
いつもどおり出社した俺を、硬い顔をした月島が待ち受けていた。
デスクに座る間も無く低い声で呼び止められる。
「篠崎君、少し話したいことがあるのだが」
「……奇遇だな、俺もだよ」
昨日の首尾でも報告に来たのかと思いきや、どうも様子がおかしい。
どことなく高圧的な雰囲気で詰め寄られ、面白くない。そういう態度で来られると、こちらも昨夜の出来事を問いただしてやりたい欲求に駆られてしまう。
昨日から打って変わってピリピリとした『天敵』の雰囲気に、周囲は不安そうに様子を伺っていた。
「少し場所を移そうか」
その提案に乗り、鞄をデスクへ放り出して手近な会議室へと向かう。
月島の後に続いて部屋へ入ると、ドアを閉めた瞬間に肩を掴まれた。
「何すんだよ」
「君、昨晩はどこで何をしていた」
苛立ちを隠さずに月島を睨め上げれば、それ以上に怒りの篭った視線に見下ろされる。
流石に不満が湧く。昨晩の出来事について問い詰めてやりたいのは俺も同じだと言うのに。
「それを聞きたいのは俺の方だよ、随分綺麗な女とくっ付いて歩いてたじゃないか。まるでデートみたいだったよな?」
「それを言うなら君だって、髪の長い女性と歩いているのを見たぞ。葵さんと言ったか、随分と親しげに呼び合っていただろう。そもそも私は仕事で行ったんだ。君は何だ、何の理由があってあの女性と居た。私への当て付けか?」
徐々に熱を帯びる月島の言葉を聞いて、この男が苛立っている理由に思い当たった。葵さんのことを、彼女か何かだと勘違いしているのだ。
あの人は年齢不詳気味な見た目をしているから、勘違いするのも無理もないかもしれない。
仕方ない。ここは俺が譲歩してやるかと思い、渋々怒りを抑えて口を開いた。
「お前、とんだ勘違いだよ。あの人は俺の親で――」
「親、だと?」
俺の言葉を聞いた月島は、地の底から響くような呻き声とともに俺のネクタイをひっ摑んだ。
そのまま無理矢理締め上げられ、否が応でも月島を見上げる形となる。
一体何だと言うのだ。
怒りよりも驚きが先に立ち何も言えずにいる俺に、月島が唸るような声を落とす。
それは衝撃的な内容だった。
「君、両親を亡くしているんだろう」
「――なんで、それを」
知っているのか、そこまで口にすることは出来なかった。
強く壁に押し付けられたからだ。
視界いっぱいに広がる月島の瞳の中には、嫉妬の炎が渦巻いている。
社内の誰にも話していない秘密を知られていた驚きと、謂れのない怒りをぶつけられた衝撃で言葉が出てこない。
それは月島から見れば、嘘を見破られて狼狽しているように見えたのだろう。ぎり、と歯の軋む音が聞こえた。
「本当のことを言ってくれ。さもないと、何をしてしまうか分からない」
掠れた声で呟かれたその言葉には、ほんの少し、縋るような響きが含まれていた。
……ああ。この男は、怯えているのか。
月島の恐れに気が付いた瞬間、理不尽な仕打ちに抱いていた怒りが薄れていく。
よく見れば、月島の目元には薄っすらと隈が出来ていた。眠れぬ夜を過ごしたのだろう。
コイツは、こんなにも俺の一挙手一投足に翻弄されてしまうのか。怒りをぶつけられている最中だというのに、むずがゆい気分になってしまう。
「……あの人は俺の叔母さんだ。親と言ったのは、育ての親だからだよ。説明が足りなかったのは悪かったけど、お前の杞憂は勘違いだ」
「本当か……?」
これ以上月島を刺激しないよう、慎重に言葉を選んで話す。
月島は、にわかには信じられない様子だったが、少し冷静さを取り戻したようだ。
「そうだよ。ちょっとこれを見てみろ」
スマホから葵さんが写っている写真を探して、わざと月島の眼前に画面を掲げる。
狙いどおり、月島は視点を画面に合わそうとして、俺から身を離した。
「……本当だ。目元がそっくりだな」
「納得したか?」
画面に気を取られている内に、胸ぐらを掴まれていた手をそっと解く。
月島は先ほどまでの怒りも忘れて画面に見入っていた。やはり物証があると強い。どうやら誤解は溶けたと思って良さそうだ。
乱された胸元を直していると、すっかり勢いを失った月島がバツの悪そうに口を開いた。
「その……申し訳ないことをした。すまない、乱暴なことをしてしまって」
「まあ、葵さんは若く見えるからな。俺もセフレとか作って、疑われるような生き方してきたし、無理もないさ」
「ち、違うんだ、今のは私が早とちりをしただけであって、君に問題があった訳ではない。悪いのは私の方だ、どうも君のことになると冷静な判断が出来なくなってしまう。悪い傾向だ」
我ながらわざとらしいまでにしょんぼりと肩を落としていると、慌てた月島がしどろもどろになって必死の弁明を繰り広げる。
俺のために一喜一憂する様がおかしくて、苛立ちはすっかり何処かへと消え去ってしまっていた。
「いいよ、もう。腹立ってたけど怒る気無くしちまったよ」
「本当に悪かった……」
最後にもう一度謝ると、月島はしょぼくれた犬のように長身を縮こませて俺に背を向けた。
この男にもままならないことがあり、さらにそれが自分に関することだというのは悪い気はしなかった。
……疑いは晴れたようなのでオフィスに戻りたいところだったが、その前にどうしても聞いておかなければいけないことがある。
「月島、怒ってる訳じゃないんだが……お前、俺の両親のことはどこで知ったんだ」
「……!」
俺の問いに、月島は痛いところを突かれたと言わんばかりに身を強張らせる。
そっと肩越しに振り返った月島は、怒られるのを待つ子どものように不安そうな顔をしていた。
「……犯罪に手を染めてはいない」
「真っ先にそう弁明されると逆に怖いわ」
「君が聞いたら引くぞ……」
「もうすでにドン引きしてるから今さらだよ、言っちまえ。気になって落ち着かないだろうが」
あの月島が言い淀むほどの案件に、内心俺はビビっていた。
しかし聞かない訳にもいくまい。
じっと根気強く月島の言葉を待っていると、やがて観念したように目を伏せて口を開いた。
「……君が好きだと自覚してから、色々と調べたんだ」
「どうやって」
「カズ……猫宮に協力してもらった」
「ほう……?」
イマイチ話が見えてこなかった。猫宮の人脈を使って社内の話を集めたというのか。いや、それならそうと素直に言えばいい話だ。
もっと恐ろしい事実があるに違いない。
俺が発言の意図を理解していないことに気付いたのか、月島は搾り出すような声で付け足した。
「カズは、うちに入社する前は自営業を……探偵業を営んでいたんだ」
沈黙が落ちる。
月島の言葉がじわじわと頭に染みるにつれ、頰が引きつっていく。
なるほど、これは確かにドン引き案件である。
「お、お前……普通、好きになった相手のことを探偵使って調べるか_!?_」
「決して報われない思いだと考えていたから、せめて君のことが知りたいと思ったのだ! 今まで黙っていたのは悪かった」
「ちょっと待て、何を調べた。何処まで知っている?」
「……聞きたいか?」
聞きたくない。でも聞かずに済ませられる訳がなかった。
「言え、いっそこの機会に全部吐け」
「分かった……」
腹を括ってそう命じると、月島はつらつらと俺の個人情報をそらんじ始めた。
俺の簡単な来歴から、身長体重、趣味嗜好まで。およそ他人が知りうる限りの俺の情報を全て集めたような、そんな内容だった。
どうやら俺の住所を知ったのもこの時らしい。謎が一つ解けた……いや、解けてくれなくても構わなかったのだが。
察するに、恐らく学生時代の知人から根こそぎ情報収集を行ったのだろう。もしかしたら卒業アルバムなんかも手に入れている かもしれない。
ほとんどは他愛ない情報だが、物量が凄まじい。俺としては、それだけの情報を暗記している事実の方が余程恐ろしかった。
「私が知ってることは以上だ」
「…………」
怖ぇよ。
そんなツッコミはとても口には出せなかった。代わりに大きく息を吐く。
俺はひょっとして、やばい男に目を付けられてしまったのではないだろうか。何だかもう、逃がしてもらえる気がしなかった。
「……やはり引いただろう」
「そう、だな。……はぁ」
嫌味の一つでも言ってやろうと思ったが、月島の顔に怯えが滲んでいる様を見て何も言えなくなる。
まあ、コイツがストーカー気質であることは何となく気付いていたことだ。それに、この手を振り払うには、既に温かさを知り過ぎていた。
「そんな顔するな馬鹿。今度お前の来歴も洗いざらい聞かせろよ。それでおあいこにしてやるから」
乱雑に頭を掻いて、月島の丸まった肩を拳で小突く。
「篠崎君……!」
甘い。実に甘い。
寛大すぎる俺の許しを得て、月島は感極まったように抱き付いてきた。
コイツが会社でこんなことをするとは珍しい。それだけ勇気のいるカミングアウトだったのだろう。
「ええい、懐くな!」
「嫌われたらどうしようかと思った」
「お前……それ結構今さらだろ……」
今まで散々皮肉を言い合っておきながらよく言うものだ。
呆れたものの、微かな震えが伝わってくるのを感じて、何も言わず背中に手を回した。
軽くさすっていると、落ち着くどころか、逆に力が強くなっていく。
「おい、ここは会社だぞ。いつもの冷静なお前は何処に行った」
「あんなもの……割り切ったふりをして格好を付けていただけだ。本当の私はどうしようもなく嫉妬深くて醜い男だからな」
「何だ、いじけるなよ」
人の頭に額を押し付けて、じくじくと愚痴る月島の姿に目を見張る。この男も自己嫌悪に陥るときがあるのかと、場違いな感想が頭に浮かんだ。
完璧な男の駄目な部分を見せてもらえることに喜びを覚えてしまうのは、趣味が悪いと言われてしまうだろうか。
「君にこんな醜態は晒したくなかった。保坂君にムキになってしまった時に反省したというのにまたこれだ。自分が嫌になる……」
「そうか? 俺はお前の人間臭い部分も嫌いじゃないぞ」
「……本当か?」
落ち込む月島の頬を両手で挟み込み、ニヤリと笑う。
ここは篠崎流で元気付けてやるとしよう。
「俺のせいでお前がぐずぐずになっているのは気分がいい。昔から、そのすかした仮面を剥ぎ取ってやりたいと思ってたんだ」
「随分と意地が悪い愛情だな」
わざと憎まれ口を叩けば、苦笑と共に月島の身体から力が抜けた。
どうやら上手く効いたようだ。
明るくなった声色にほっとして月島の腕を引き剥がそうとした瞬間、会議室の外から聞こえてきた物音に身を強張らせる。
「し、篠崎先輩……何やってるんですか?」
その声を聞いて安堵する。神原だ。
いや、安心している場合では無いのだが、コイツに隠すのも面倒になってきていた頃だ。そろそろ、潮時だろう。
「見れば分かるだろ。子守りだ」
「なっ……!」
何事か抗議しかけた月島を、神原に向けて突き飛ばす。
そして俺は、一人悠々と会議室を出て行くのであった。
「後はそいつに聞いてくれ」
「ちょ、ちょっと待て!」
「俺、忙しいから」
じゃあなと手を振って、早速質問責めにされている月島を置いてオフィスへ戻る。
二人が付いてくる様子は無かった。
うむ、今日は仕事が捗りそうで何よりである。
いつもどおり出社した俺を、硬い顔をした月島が待ち受けていた。
デスクに座る間も無く低い声で呼び止められる。
「篠崎君、少し話したいことがあるのだが」
「……奇遇だな、俺もだよ」
昨日の首尾でも報告に来たのかと思いきや、どうも様子がおかしい。
どことなく高圧的な雰囲気で詰め寄られ、面白くない。そういう態度で来られると、こちらも昨夜の出来事を問いただしてやりたい欲求に駆られてしまう。
昨日から打って変わってピリピリとした『天敵』の雰囲気に、周囲は不安そうに様子を伺っていた。
「少し場所を移そうか」
その提案に乗り、鞄をデスクへ放り出して手近な会議室へと向かう。
月島の後に続いて部屋へ入ると、ドアを閉めた瞬間に肩を掴まれた。
「何すんだよ」
「君、昨晩はどこで何をしていた」
苛立ちを隠さずに月島を睨め上げれば、それ以上に怒りの篭った視線に見下ろされる。
流石に不満が湧く。昨晩の出来事について問い詰めてやりたいのは俺も同じだと言うのに。
「それを聞きたいのは俺の方だよ、随分綺麗な女とくっ付いて歩いてたじゃないか。まるでデートみたいだったよな?」
「それを言うなら君だって、髪の長い女性と歩いているのを見たぞ。葵さんと言ったか、随分と親しげに呼び合っていただろう。そもそも私は仕事で行ったんだ。君は何だ、何の理由があってあの女性と居た。私への当て付けか?」
徐々に熱を帯びる月島の言葉を聞いて、この男が苛立っている理由に思い当たった。葵さんのことを、彼女か何かだと勘違いしているのだ。
あの人は年齢不詳気味な見た目をしているから、勘違いするのも無理もないかもしれない。
仕方ない。ここは俺が譲歩してやるかと思い、渋々怒りを抑えて口を開いた。
「お前、とんだ勘違いだよ。あの人は俺の親で――」
「親、だと?」
俺の言葉を聞いた月島は、地の底から響くような呻き声とともに俺のネクタイをひっ摑んだ。
そのまま無理矢理締め上げられ、否が応でも月島を見上げる形となる。
一体何だと言うのだ。
怒りよりも驚きが先に立ち何も言えずにいる俺に、月島が唸るような声を落とす。
それは衝撃的な内容だった。
「君、両親を亡くしているんだろう」
「――なんで、それを」
知っているのか、そこまで口にすることは出来なかった。
強く壁に押し付けられたからだ。
視界いっぱいに広がる月島の瞳の中には、嫉妬の炎が渦巻いている。
社内の誰にも話していない秘密を知られていた驚きと、謂れのない怒りをぶつけられた衝撃で言葉が出てこない。
それは月島から見れば、嘘を見破られて狼狽しているように見えたのだろう。ぎり、と歯の軋む音が聞こえた。
「本当のことを言ってくれ。さもないと、何をしてしまうか分からない」
掠れた声で呟かれたその言葉には、ほんの少し、縋るような響きが含まれていた。
……ああ。この男は、怯えているのか。
月島の恐れに気が付いた瞬間、理不尽な仕打ちに抱いていた怒りが薄れていく。
よく見れば、月島の目元には薄っすらと隈が出来ていた。眠れぬ夜を過ごしたのだろう。
コイツは、こんなにも俺の一挙手一投足に翻弄されてしまうのか。怒りをぶつけられている最中だというのに、むずがゆい気分になってしまう。
「……あの人は俺の叔母さんだ。親と言ったのは、育ての親だからだよ。説明が足りなかったのは悪かったけど、お前の杞憂は勘違いだ」
「本当か……?」
これ以上月島を刺激しないよう、慎重に言葉を選んで話す。
月島は、にわかには信じられない様子だったが、少し冷静さを取り戻したようだ。
「そうだよ。ちょっとこれを見てみろ」
スマホから葵さんが写っている写真を探して、わざと月島の眼前に画面を掲げる。
狙いどおり、月島は視点を画面に合わそうとして、俺から身を離した。
「……本当だ。目元がそっくりだな」
「納得したか?」
画面に気を取られている内に、胸ぐらを掴まれていた手をそっと解く。
月島は先ほどまでの怒りも忘れて画面に見入っていた。やはり物証があると強い。どうやら誤解は溶けたと思って良さそうだ。
乱された胸元を直していると、すっかり勢いを失った月島がバツの悪そうに口を開いた。
「その……申し訳ないことをした。すまない、乱暴なことをしてしまって」
「まあ、葵さんは若く見えるからな。俺もセフレとか作って、疑われるような生き方してきたし、無理もないさ」
「ち、違うんだ、今のは私が早とちりをしただけであって、君に問題があった訳ではない。悪いのは私の方だ、どうも君のことになると冷静な判断が出来なくなってしまう。悪い傾向だ」
我ながらわざとらしいまでにしょんぼりと肩を落としていると、慌てた月島がしどろもどろになって必死の弁明を繰り広げる。
俺のために一喜一憂する様がおかしくて、苛立ちはすっかり何処かへと消え去ってしまっていた。
「いいよ、もう。腹立ってたけど怒る気無くしちまったよ」
「本当に悪かった……」
最後にもう一度謝ると、月島はしょぼくれた犬のように長身を縮こませて俺に背を向けた。
この男にもままならないことがあり、さらにそれが自分に関することだというのは悪い気はしなかった。
……疑いは晴れたようなのでオフィスに戻りたいところだったが、その前にどうしても聞いておかなければいけないことがある。
「月島、怒ってる訳じゃないんだが……お前、俺の両親のことはどこで知ったんだ」
「……!」
俺の問いに、月島は痛いところを突かれたと言わんばかりに身を強張らせる。
そっと肩越しに振り返った月島は、怒られるのを待つ子どものように不安そうな顔をしていた。
「……犯罪に手を染めてはいない」
「真っ先にそう弁明されると逆に怖いわ」
「君が聞いたら引くぞ……」
「もうすでにドン引きしてるから今さらだよ、言っちまえ。気になって落ち着かないだろうが」
あの月島が言い淀むほどの案件に、内心俺はビビっていた。
しかし聞かない訳にもいくまい。
じっと根気強く月島の言葉を待っていると、やがて観念したように目を伏せて口を開いた。
「……君が好きだと自覚してから、色々と調べたんだ」
「どうやって」
「カズ……猫宮に協力してもらった」
「ほう……?」
イマイチ話が見えてこなかった。猫宮の人脈を使って社内の話を集めたというのか。いや、それならそうと素直に言えばいい話だ。
もっと恐ろしい事実があるに違いない。
俺が発言の意図を理解していないことに気付いたのか、月島は搾り出すような声で付け足した。
「カズは、うちに入社する前は自営業を……探偵業を営んでいたんだ」
沈黙が落ちる。
月島の言葉がじわじわと頭に染みるにつれ、頰が引きつっていく。
なるほど、これは確かにドン引き案件である。
「お、お前……普通、好きになった相手のことを探偵使って調べるか_!?_」
「決して報われない思いだと考えていたから、せめて君のことが知りたいと思ったのだ! 今まで黙っていたのは悪かった」
「ちょっと待て、何を調べた。何処まで知っている?」
「……聞きたいか?」
聞きたくない。でも聞かずに済ませられる訳がなかった。
「言え、いっそこの機会に全部吐け」
「分かった……」
腹を括ってそう命じると、月島はつらつらと俺の個人情報をそらんじ始めた。
俺の簡単な来歴から、身長体重、趣味嗜好まで。およそ他人が知りうる限りの俺の情報を全て集めたような、そんな内容だった。
どうやら俺の住所を知ったのもこの時らしい。謎が一つ解けた……いや、解けてくれなくても構わなかったのだが。
察するに、恐らく学生時代の知人から根こそぎ情報収集を行ったのだろう。もしかしたら卒業アルバムなんかも手に入れている かもしれない。
ほとんどは他愛ない情報だが、物量が凄まじい。俺としては、それだけの情報を暗記している事実の方が余程恐ろしかった。
「私が知ってることは以上だ」
「…………」
怖ぇよ。
そんなツッコミはとても口には出せなかった。代わりに大きく息を吐く。
俺はひょっとして、やばい男に目を付けられてしまったのではないだろうか。何だかもう、逃がしてもらえる気がしなかった。
「……やはり引いただろう」
「そう、だな。……はぁ」
嫌味の一つでも言ってやろうと思ったが、月島の顔に怯えが滲んでいる様を見て何も言えなくなる。
まあ、コイツがストーカー気質であることは何となく気付いていたことだ。それに、この手を振り払うには、既に温かさを知り過ぎていた。
「そんな顔するな馬鹿。今度お前の来歴も洗いざらい聞かせろよ。それでおあいこにしてやるから」
乱雑に頭を掻いて、月島の丸まった肩を拳で小突く。
「篠崎君……!」
甘い。実に甘い。
寛大すぎる俺の許しを得て、月島は感極まったように抱き付いてきた。
コイツが会社でこんなことをするとは珍しい。それだけ勇気のいるカミングアウトだったのだろう。
「ええい、懐くな!」
「嫌われたらどうしようかと思った」
「お前……それ結構今さらだろ……」
今まで散々皮肉を言い合っておきながらよく言うものだ。
呆れたものの、微かな震えが伝わってくるのを感じて、何も言わず背中に手を回した。
軽くさすっていると、落ち着くどころか、逆に力が強くなっていく。
「おい、ここは会社だぞ。いつもの冷静なお前は何処に行った」
「あんなもの……割り切ったふりをして格好を付けていただけだ。本当の私はどうしようもなく嫉妬深くて醜い男だからな」
「何だ、いじけるなよ」
人の頭に額を押し付けて、じくじくと愚痴る月島の姿に目を見張る。この男も自己嫌悪に陥るときがあるのかと、場違いな感想が頭に浮かんだ。
完璧な男の駄目な部分を見せてもらえることに喜びを覚えてしまうのは、趣味が悪いと言われてしまうだろうか。
「君にこんな醜態は晒したくなかった。保坂君にムキになってしまった時に反省したというのにまたこれだ。自分が嫌になる……」
「そうか? 俺はお前の人間臭い部分も嫌いじゃないぞ」
「……本当か?」
落ち込む月島の頬を両手で挟み込み、ニヤリと笑う。
ここは篠崎流で元気付けてやるとしよう。
「俺のせいでお前がぐずぐずになっているのは気分がいい。昔から、そのすかした仮面を剥ぎ取ってやりたいと思ってたんだ」
「随分と意地が悪い愛情だな」
わざと憎まれ口を叩けば、苦笑と共に月島の身体から力が抜けた。
どうやら上手く効いたようだ。
明るくなった声色にほっとして月島の腕を引き剥がそうとした瞬間、会議室の外から聞こえてきた物音に身を強張らせる。
「し、篠崎先輩……何やってるんですか?」
その声を聞いて安堵する。神原だ。
いや、安心している場合では無いのだが、コイツに隠すのも面倒になってきていた頃だ。そろそろ、潮時だろう。
「見れば分かるだろ。子守りだ」
「なっ……!」
何事か抗議しかけた月島を、神原に向けて突き飛ばす。
そして俺は、一人悠々と会議室を出て行くのであった。
「後はそいつに聞いてくれ」
「ちょ、ちょっと待て!」
「俺、忙しいから」
じゃあなと手を振って、早速質問責めにされている月島を置いてオフィスへ戻る。
二人が付いてくる様子は無かった。
うむ、今日は仕事が捗りそうで何よりである。
13
お気に入りに追加
499
あなたにおすすめの小説

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます
猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」
「いや、するわけないだろ!」
相川優也(25)
主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。
「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」
「スバル、お前なにいってんの……?」
冗談? 本気? 二人の結末は?
美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!

モブなのに執着系ヤンデレ美形の友達にいつの間にか、なってしまっていた
マルン円
BL
執着系ヤンデレ美形×鈍感平凡主人公。全4話のサクッと読めるBL短編です(タイトルを変えました)。
主人公は妹がしていた乙女ゲームの世界に転生し、今はロニーとして地味な高校生活を送っている。内気なロニーが気軽に学校で話せる友達は同級生のエドだけで、ロニーとエドはいっしょにいることが多かった。
しかし、ロニーはある日、髪をばっさり切ってイメチェンしたエドを見て、エドがヒロインに執着しまくるメインキャラの一人だったことを思い出す。
平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる