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16 共同戦線
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月島の告白を受けてから数日後。未だ自分の気持ちに整理をつけられずにいた。
あれから月島の顔を見るのが気まずくて避けてしまっていたが、元より『天敵』と呼ばれていた間柄だ。多少距離を置いても、周囲に気付かれることはなかった。
ごく一部の人間を除いて。
「月島さんと何かあったんですか」
「何だよ、藪から棒に」
「そんなあからさまに避けていたら気になりますよ、ねぇ?」
「そうだな、亮介も何も教えてくれないし、どうしたんだ?」
半ば無理矢理連れられたいつもの食堂で、俺は神原と猫宮に問い詰められていた。
神原はいいとして、何故猫宮までしれっとここに居るのか。
本人は「偶然入って行くのが見えたから」と宣っていたが、見え透いた嘘にも程がある。
「俺が月島を避けてるのなんていつものことだろ」
「それだけじゃなくて、口喧嘩もしてないじゃないですか。絶対いつもなら言い返してそうなところで流すから、僕の方がびっくりしますもん」
「それはお前、逆だろ。月島が煽ってこないから俺も流してるんだよ」
「んん? そうかなぁ……」
神原は何故か不思議そうに首を傾げている。
釣られてここ最近の月島の言葉を思い出してみたが、やはり前ほど癪に障る発言をしなくなったと思う。
(最近言われたのは、ここは注意するべきだとか、君はもっとこうした方がいいとか……ん?)
よくよく考えてみれば、確かに前は噛みついていたような気もする発言だ。
しかし、今はそれほど腹が立たなかった。……月島の声色が、妙に柔らかいせいだ。
おまけに、今ではアイツの発言が、ただの嫌味なのか本当に心配しているのか判別しづらくなってしまったのである。それも、噛みつく回数が減った原因の一つだろう。
「むう」
この変化は、俺の受け取り方が変わったせいなのだろうか。いや、月島の方の口ぶりも確かに変わっていると思う。
「神原くん」
俺が悩み込んでいる横で、猫宮が神原に何事か囁く。
神原は小さく目を見開くと、興奮した様子で猫宮と肩を組み、俺の目の前で内緒話に興じ始めた。
……お前たち、一体いつそんなに仲良くなったんだ。
置いてけぼりにされたまましばらく見守っていると、やがて二人は納得したように頷き合い、やけに生暖かい目で振り向いた。
「篠崎先輩がそう言うなら、あんまり追及はしないでおきます」
「あまり周囲が口を挟むのも無粋だしな、ゆっくり考えてくれ」
「は……?」
勝手に納得されても困る。二人はそう締めくくると、何も言えずにいる俺を尻目に店を出て行ってしまった。
後には、ただただ戸惑う俺だけが残された。
◆
悶々と悩みながら食事を終え、会社へと戻っている道すがら。尻ポケットに入れていた携帯が、軽快な音楽を鳴らし始めた。
液晶を見れば、神原奏太と名前が表示されている。
「篠崎だ。どうかしたか?」
心持ち緊張した声で応答する。
神原とはつい十分前に別れたばかりであり、アイツは俺がそろそろ会社に戻ってくることも知っているハズである。それなのに電話をかけてくるということは、火急の用に違いなかった。
やはりと言うべきか、電話の向こうの神原は焦った調子でまくし立ててくる。
「篠崎先輩、急いで戻ってきてください! プロジェクトの危機なんです!」
「何があった?」
「先輩が発注してた取引先が、一方的に契約解除してきたんです!」
「な、なに!?」
殴られたような衝撃が走り、思わず人目も憚らず叫ぶ。近くを歩いていた人間がぎょっと目を剥いてこちらを見たが、構っている余裕はなかった。
今後の対処やプロジェクトの計画変更についてなど、様々な問題が思い浮かんだが、ひとまずそれらは押しのけて、一つ深呼吸をする。
どう動くにも、まずは現状を把握しなくては。
「五分で帰る」
そう言って通話を切るや否や、俺は会社に向かって走り始めた。
滲んだ汗を拭いながらオフィスに帰った俺を待っていたのは、蜂の巣を突いたような騒ぎだ。俺の姿を見るなり課長がすっ飛んでくる。
どうやら会社の代表が新しくなったことにより、企業方針が変わってしまったらしい。そのタイミングが最悪だった。
契約書には相手方の押印がまだされていない。この調子では、向こうに預けていた原本も既に破棄されてしまっているだろう。
口約束だけしか交わしていない現状での交渉は、厳しいものがあった。
(……どうする?)
今の取引先を説得するのと、新たな取引先を見つけるのではどちらが良いか。
それぞれの利点と懸念を頭の中でひたすら洗い出すが、どちらを取ってもプロジェクトに遅れが出ることは避けられそうになかった。
ライバル会社と案件を取り合ってる真っ只中でこのタイムロスは痛い、致命傷と言ってもよい。
(どうする。どうやって遅れを取り戻す?)
出口の見えない考えに没頭していると、加熱していく思考に冷や水を浴びせるような、凛とした声が響いた。
「協力しよう」
その声の主を見て、誰もが声を失う。
「…………月島?」
俺の口からも呆然とした声が滑り落ちた。
まさか。まさか、あの月島が俺に協力を申し出る日が来るなんて。今まではいくら夜に身体を重ねても、昼間は『天敵』であり続けたというのに。
月島はオフィス内の視線を一身に集めながら、顔色一つ変えずに肩をすくめた。
「何も、おかしなことを言った覚えはないのだがね。会社の利益のために尽力するのは当然のことだろう? そもそも今回のことは、篠崎君を説得しきれなかった私にも多少の責がある。最も、君がどうしても私に頼るのは嫌だと言うのなら手出しはしかねるのだが」
「…………」
自分の頬がひくつくのを感じる。今のは九割方嫌味だ。
じっとりとした視線が、「私の忠告を聞かないからだよ」と物語っている気がした。
しかし、残りの一割では、心から俺を案じているのも確かだ。それが分かってしまうから、何も言えないのだ。
それでも、問いかける声が堅くなるのは抑えられなかった。
「お前に頼ったら、何とかしてくれるのかよ」
「無理を通せそうな取引先にはいくつか心当たりがある。他ならぬ君のためだ、何をしても、絶対に落としてこよう」
気持ちが良いくらいの断言だ。
あまり使いたくない手ではあるが、と小声で付け足していたのが気になったが、大した自信である。
「……出来るのか?」
「それは誰に聞いているのだ?」
自信をみなぎらせた表情で月島が笑う。言うほど簡単では無いだろう。
それでも、この男がやれると言うのなら、やれるのだ。絶対に。
敵としては厄介だが、味方になればここまで心強いヤツも他にいるまい。そう、頭では分かっているのに。
問題を解決するためのたった一言が、喉の奥に詰まって出て来ない。
「観念して、私に任せたまえ」
見かねた月島が、俺に向かって手を差し出す。
俺と月島の関係は、プライベートだけではなく職場でも変わろうとしていた。
仕事のため、利益のため……自分の心を誤魔化すための 言い訳ならいくらでもある。
なら、まずはここから変わる努力を始めてみるとしよう。
「――頼む、協力してくれ」
逡巡の後、俺は月島に歩み寄り、その手を取った。
遠慮がちに握った手が、力強く握り返される。
……何故だろうか。その感触に、胸を掻き毟りたくなるような衝動に駆られた。
月島は、俺の心を見透かさんばかりにじっと目を覗き込んで、大きく頷く。
「約束しよう、必ず君が想定した以上の結果をもたらすことを。なに、これも後から考えればいい出来事だと思えるようになるさ。君が一人で進めていたとき以上に素晴らしいプロジェクトになると確信しているよ」
相変わらず嫌味なのか本心なのか計りかねる言葉だ。
ひょっとすると、好意があると知ってからの方が一層扱い辛くなったかもしれない。
言い返す代わりに握った手を乱雑に振り払うと、月島は小さく鼻を鳴らしてオフィスの外へと駆け出していった。
「……さて、悪いが少し計画を見直すから協力してくれるか」
周囲の同僚たちは、唐突な『天敵』同士の共同戦線に戸惑っている様子だったが、手を打ち鳴らして現実へ引き戻す。
何か言いたそうな視線をまとめて無視して、次から次へと指示を飛ばして黙らせていった。神原などは真っ先に外送りだ。
「発注先は月島が何とかしてくれるようだが、工程を見直して日数を詰めようと思う」
俺の言葉には、もう焦りも不安も無い。
素直には認め難いが、月島の言う通り、良いプロジェクトになるという確信が胸に湧いていた。俺と月島が協力して出来ないことがあるとは思えない。
後は、自信を持って突き進むのみだった。
◆
「――戻ったぞ」
慌ただしい一日が終わり、少し短くなった日が暮れかけた頃。取引先を回っていた月島が帰ってきた。
オフィスには、定時後だというのにほとんどの職員が残っている。その誰もが、月島の次の言葉を待っていた。
月島はそんな期待に満ちた視線に応えるように片手を上げると、不敵に笑って宣言した。
「当然、良い結果を持ってきたに決まってるだろう? 契約を受けてくれる取引先、見つかったぞ」
その言葉に課内が湧いた。
俺も胸を撫で下ろして拳を握りしめた。
俺の姿を見つけた月島が歩み寄ってきて、褒めろと言わんばかりに胸を張る。
今日ばかりは素直にその要求に応えるとしよう。
「ありがとな、助かった」
「これに懲りたら、少しは私の言う事にも耳を傾けてくれると助かる」
「……善処するよ」
相変わらずの嫌味を軽く受け流してぱたぱたと適当に手を振る。
呆れを滲ませながらも柔らかに微笑む月島を見て、何だか照れ臭い気分になってしまい、慌てて話を逸らした。
「それで、どうやって篭絡してきたんだよ」
「先方が抱えている問題解決のため、個人的に助言をする約束をしてね。そして、浮いたリソースをこちらとの取引に当ててもらうことにしたのさ」
「な、なるほどな。その提案をするお前の自信に恐れ入るよ」
何を交渉に使ったのかと思いきや、自身の能力を売ってきたとは。
自他ともに能力を認めていて、かつ信頼関係が無ければ成り立たないだろうに。主に後者の問題で、俺には真似できそうにない手段だった。
ところで、だ。
「少し引っかかるんだが、個人的にってのはどういう意味だ?」
何気ない疑問を口にした瞬間、月島が微かに身体を強張らせた。
そして言いづらそうに口を開く。
「今はまだ、概略を話し合ってきただけに過ぎない。詳しい話は明日の夜……食事も交えながら行う予定だ」
「……ああ、そういうことか」
意図せず声の温度が下がる。
なるほど、相手からすれば趣味と実益を兼ねたお話し合いになる訳だ。ほう。能力だけでなくこの顔もセットで売りに出してきのか。
いやはや、あまり乗り気でなかったことが今更ながら納得いった。色仕掛けなんてものはこの男の主義に反するのだろう。
それでもなりふり構わず契約をもぎ取ってきてくれたことには感謝していた。
ああ、感謝しているさ。
しかし、何となくもやもやとした気持ちになってしまうのは何故だろう。
「……おい、そう拗ねるな。私も嫌だったんだぞ、こういう手は」
努めて普段通りを装っていたつもりだが、目ざとく変化に気付いた月島が囁きかけてくる。
拗ねているとは心外だ。
俺は全く、微塵も、これっぽちも気にしてなどいない。自意識過剰もいいところだ、迷惑な勘違いをしないで欲しい。
「別に拗ねてねぇよ。俺のために色目まで使って口説いてきてくれてありがとな? さすが月島、口が上手くて顔もいい男は違うな」
「せっかく君から褒められているのに、額面どおりに受け取れないのは何故だろうね……」
「さあ、何かやましいことでもあるんじゃないか。とにかく取引先を確保してくれたことは感謝してるよ」
「……君が言うことは何でも嫌味に聞こえてしまうな」
「お互い様だろうが」
何故だか妙に刺々しい対応しかできず、背中を向けて無理矢理会話を打ち切る。
その後、家に着くまで月島によるご機嫌取りは続いたが、俺の気分が上向くことは無かった。
いや、むしろ月島の失言により悪化することになる。
「君……意外と面倒くさいな」
「何だと!?」
あれから月島の顔を見るのが気まずくて避けてしまっていたが、元より『天敵』と呼ばれていた間柄だ。多少距離を置いても、周囲に気付かれることはなかった。
ごく一部の人間を除いて。
「月島さんと何かあったんですか」
「何だよ、藪から棒に」
「そんなあからさまに避けていたら気になりますよ、ねぇ?」
「そうだな、亮介も何も教えてくれないし、どうしたんだ?」
半ば無理矢理連れられたいつもの食堂で、俺は神原と猫宮に問い詰められていた。
神原はいいとして、何故猫宮までしれっとここに居るのか。
本人は「偶然入って行くのが見えたから」と宣っていたが、見え透いた嘘にも程がある。
「俺が月島を避けてるのなんていつものことだろ」
「それだけじゃなくて、口喧嘩もしてないじゃないですか。絶対いつもなら言い返してそうなところで流すから、僕の方がびっくりしますもん」
「それはお前、逆だろ。月島が煽ってこないから俺も流してるんだよ」
「んん? そうかなぁ……」
神原は何故か不思議そうに首を傾げている。
釣られてここ最近の月島の言葉を思い出してみたが、やはり前ほど癪に障る発言をしなくなったと思う。
(最近言われたのは、ここは注意するべきだとか、君はもっとこうした方がいいとか……ん?)
よくよく考えてみれば、確かに前は噛みついていたような気もする発言だ。
しかし、今はそれほど腹が立たなかった。……月島の声色が、妙に柔らかいせいだ。
おまけに、今ではアイツの発言が、ただの嫌味なのか本当に心配しているのか判別しづらくなってしまったのである。それも、噛みつく回数が減った原因の一つだろう。
「むう」
この変化は、俺の受け取り方が変わったせいなのだろうか。いや、月島の方の口ぶりも確かに変わっていると思う。
「神原くん」
俺が悩み込んでいる横で、猫宮が神原に何事か囁く。
神原は小さく目を見開くと、興奮した様子で猫宮と肩を組み、俺の目の前で内緒話に興じ始めた。
……お前たち、一体いつそんなに仲良くなったんだ。
置いてけぼりにされたまましばらく見守っていると、やがて二人は納得したように頷き合い、やけに生暖かい目で振り向いた。
「篠崎先輩がそう言うなら、あんまり追及はしないでおきます」
「あまり周囲が口を挟むのも無粋だしな、ゆっくり考えてくれ」
「は……?」
勝手に納得されても困る。二人はそう締めくくると、何も言えずにいる俺を尻目に店を出て行ってしまった。
後には、ただただ戸惑う俺だけが残された。
◆
悶々と悩みながら食事を終え、会社へと戻っている道すがら。尻ポケットに入れていた携帯が、軽快な音楽を鳴らし始めた。
液晶を見れば、神原奏太と名前が表示されている。
「篠崎だ。どうかしたか?」
心持ち緊張した声で応答する。
神原とはつい十分前に別れたばかりであり、アイツは俺がそろそろ会社に戻ってくることも知っているハズである。それなのに電話をかけてくるということは、火急の用に違いなかった。
やはりと言うべきか、電話の向こうの神原は焦った調子でまくし立ててくる。
「篠崎先輩、急いで戻ってきてください! プロジェクトの危機なんです!」
「何があった?」
「先輩が発注してた取引先が、一方的に契約解除してきたんです!」
「な、なに!?」
殴られたような衝撃が走り、思わず人目も憚らず叫ぶ。近くを歩いていた人間がぎょっと目を剥いてこちらを見たが、構っている余裕はなかった。
今後の対処やプロジェクトの計画変更についてなど、様々な問題が思い浮かんだが、ひとまずそれらは押しのけて、一つ深呼吸をする。
どう動くにも、まずは現状を把握しなくては。
「五分で帰る」
そう言って通話を切るや否や、俺は会社に向かって走り始めた。
滲んだ汗を拭いながらオフィスに帰った俺を待っていたのは、蜂の巣を突いたような騒ぎだ。俺の姿を見るなり課長がすっ飛んでくる。
どうやら会社の代表が新しくなったことにより、企業方針が変わってしまったらしい。そのタイミングが最悪だった。
契約書には相手方の押印がまだされていない。この調子では、向こうに預けていた原本も既に破棄されてしまっているだろう。
口約束だけしか交わしていない現状での交渉は、厳しいものがあった。
(……どうする?)
今の取引先を説得するのと、新たな取引先を見つけるのではどちらが良いか。
それぞれの利点と懸念を頭の中でひたすら洗い出すが、どちらを取ってもプロジェクトに遅れが出ることは避けられそうになかった。
ライバル会社と案件を取り合ってる真っ只中でこのタイムロスは痛い、致命傷と言ってもよい。
(どうする。どうやって遅れを取り戻す?)
出口の見えない考えに没頭していると、加熱していく思考に冷や水を浴びせるような、凛とした声が響いた。
「協力しよう」
その声の主を見て、誰もが声を失う。
「…………月島?」
俺の口からも呆然とした声が滑り落ちた。
まさか。まさか、あの月島が俺に協力を申し出る日が来るなんて。今まではいくら夜に身体を重ねても、昼間は『天敵』であり続けたというのに。
月島はオフィス内の視線を一身に集めながら、顔色一つ変えずに肩をすくめた。
「何も、おかしなことを言った覚えはないのだがね。会社の利益のために尽力するのは当然のことだろう? そもそも今回のことは、篠崎君を説得しきれなかった私にも多少の責がある。最も、君がどうしても私に頼るのは嫌だと言うのなら手出しはしかねるのだが」
「…………」
自分の頬がひくつくのを感じる。今のは九割方嫌味だ。
じっとりとした視線が、「私の忠告を聞かないからだよ」と物語っている気がした。
しかし、残りの一割では、心から俺を案じているのも確かだ。それが分かってしまうから、何も言えないのだ。
それでも、問いかける声が堅くなるのは抑えられなかった。
「お前に頼ったら、何とかしてくれるのかよ」
「無理を通せそうな取引先にはいくつか心当たりがある。他ならぬ君のためだ、何をしても、絶対に落としてこよう」
気持ちが良いくらいの断言だ。
あまり使いたくない手ではあるが、と小声で付け足していたのが気になったが、大した自信である。
「……出来るのか?」
「それは誰に聞いているのだ?」
自信をみなぎらせた表情で月島が笑う。言うほど簡単では無いだろう。
それでも、この男がやれると言うのなら、やれるのだ。絶対に。
敵としては厄介だが、味方になればここまで心強いヤツも他にいるまい。そう、頭では分かっているのに。
問題を解決するためのたった一言が、喉の奥に詰まって出て来ない。
「観念して、私に任せたまえ」
見かねた月島が、俺に向かって手を差し出す。
俺と月島の関係は、プライベートだけではなく職場でも変わろうとしていた。
仕事のため、利益のため……自分の心を誤魔化すための 言い訳ならいくらでもある。
なら、まずはここから変わる努力を始めてみるとしよう。
「――頼む、協力してくれ」
逡巡の後、俺は月島に歩み寄り、その手を取った。
遠慮がちに握った手が、力強く握り返される。
……何故だろうか。その感触に、胸を掻き毟りたくなるような衝動に駆られた。
月島は、俺の心を見透かさんばかりにじっと目を覗き込んで、大きく頷く。
「約束しよう、必ず君が想定した以上の結果をもたらすことを。なに、これも後から考えればいい出来事だと思えるようになるさ。君が一人で進めていたとき以上に素晴らしいプロジェクトになると確信しているよ」
相変わらず嫌味なのか本心なのか計りかねる言葉だ。
ひょっとすると、好意があると知ってからの方が一層扱い辛くなったかもしれない。
言い返す代わりに握った手を乱雑に振り払うと、月島は小さく鼻を鳴らしてオフィスの外へと駆け出していった。
「……さて、悪いが少し計画を見直すから協力してくれるか」
周囲の同僚たちは、唐突な『天敵』同士の共同戦線に戸惑っている様子だったが、手を打ち鳴らして現実へ引き戻す。
何か言いたそうな視線をまとめて無視して、次から次へと指示を飛ばして黙らせていった。神原などは真っ先に外送りだ。
「発注先は月島が何とかしてくれるようだが、工程を見直して日数を詰めようと思う」
俺の言葉には、もう焦りも不安も無い。
素直には認め難いが、月島の言う通り、良いプロジェクトになるという確信が胸に湧いていた。俺と月島が協力して出来ないことがあるとは思えない。
後は、自信を持って突き進むのみだった。
◆
「――戻ったぞ」
慌ただしい一日が終わり、少し短くなった日が暮れかけた頃。取引先を回っていた月島が帰ってきた。
オフィスには、定時後だというのにほとんどの職員が残っている。その誰もが、月島の次の言葉を待っていた。
月島はそんな期待に満ちた視線に応えるように片手を上げると、不敵に笑って宣言した。
「当然、良い結果を持ってきたに決まってるだろう? 契約を受けてくれる取引先、見つかったぞ」
その言葉に課内が湧いた。
俺も胸を撫で下ろして拳を握りしめた。
俺の姿を見つけた月島が歩み寄ってきて、褒めろと言わんばかりに胸を張る。
今日ばかりは素直にその要求に応えるとしよう。
「ありがとな、助かった」
「これに懲りたら、少しは私の言う事にも耳を傾けてくれると助かる」
「……善処するよ」
相変わらずの嫌味を軽く受け流してぱたぱたと適当に手を振る。
呆れを滲ませながらも柔らかに微笑む月島を見て、何だか照れ臭い気分になってしまい、慌てて話を逸らした。
「それで、どうやって篭絡してきたんだよ」
「先方が抱えている問題解決のため、個人的に助言をする約束をしてね。そして、浮いたリソースをこちらとの取引に当ててもらうことにしたのさ」
「な、なるほどな。その提案をするお前の自信に恐れ入るよ」
何を交渉に使ったのかと思いきや、自身の能力を売ってきたとは。
自他ともに能力を認めていて、かつ信頼関係が無ければ成り立たないだろうに。主に後者の問題で、俺には真似できそうにない手段だった。
ところで、だ。
「少し引っかかるんだが、個人的にってのはどういう意味だ?」
何気ない疑問を口にした瞬間、月島が微かに身体を強張らせた。
そして言いづらそうに口を開く。
「今はまだ、概略を話し合ってきただけに過ぎない。詳しい話は明日の夜……食事も交えながら行う予定だ」
「……ああ、そういうことか」
意図せず声の温度が下がる。
なるほど、相手からすれば趣味と実益を兼ねたお話し合いになる訳だ。ほう。能力だけでなくこの顔もセットで売りに出してきのか。
いやはや、あまり乗り気でなかったことが今更ながら納得いった。色仕掛けなんてものはこの男の主義に反するのだろう。
それでもなりふり構わず契約をもぎ取ってきてくれたことには感謝していた。
ああ、感謝しているさ。
しかし、何となくもやもやとした気持ちになってしまうのは何故だろう。
「……おい、そう拗ねるな。私も嫌だったんだぞ、こういう手は」
努めて普段通りを装っていたつもりだが、目ざとく変化に気付いた月島が囁きかけてくる。
拗ねているとは心外だ。
俺は全く、微塵も、これっぽちも気にしてなどいない。自意識過剰もいいところだ、迷惑な勘違いをしないで欲しい。
「別に拗ねてねぇよ。俺のために色目まで使って口説いてきてくれてありがとな? さすが月島、口が上手くて顔もいい男は違うな」
「せっかく君から褒められているのに、額面どおりに受け取れないのは何故だろうね……」
「さあ、何かやましいことでもあるんじゃないか。とにかく取引先を確保してくれたことは感謝してるよ」
「……君が言うことは何でも嫌味に聞こえてしまうな」
「お互い様だろうが」
何故だか妙に刺々しい対応しかできず、背中を向けて無理矢理会話を打ち切る。
その後、家に着くまで月島によるご機嫌取りは続いたが、俺の気分が上向くことは無かった。
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