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05 冷戦

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 会社に戻った俺は、すぐさま月島を捕まえて手近な部屋へと引きずり込んだ。
 釘を刺すなら早い方がいい。

 俺に腕を引かれた月島は少し驚いた顔をしていたが、あまり人目を引くことはしたくないのか、思いの外静かに着いてきた。

「お前、うちの神原にちょっかいかけるのやめろよな」

 そう言うと、月島の眉がぴくりと動いた。神原が告げ口したことが気に入らなかったのか、心なしか不愉快そうな色を滲ませている。

「うちの神原、か。本当に気に入っているみたいだね。ますます奪いたくなった」
「あいつはお前なんかにつかないよ」
「そんなに自信があるのなら、わざわざ私に構わなくてもいいじゃないか。本当は不安で仕方ないのだろう?」
「飛んでる羽虫を追い払うのに大層な理由はいらないだろ。鬱陶しいんだよ」

 月島が掲げた腕をまさしく羽虫のように叩き落とすが、意に介した様子はない。嫌味なほど涼やかな顔で肩をすくめるだけだった。

「そんなに殺気だった顔をしないでくれ。可愛い顔が台無しだよ、『とーる』君」
「……ッ!」

 その名前を出された途端、頭に血が上るのを感じた。掴みかかりたい気持ちを抑えて、一度深呼吸する。
 相手のペースに乗せられてはいけない。

「『りょう』さんが酷い浮気性だったもんでね。俺の次は神原か、随分気の多いことだな」
「誤解だよ、私は見てのとおり一途な男だからね」
「はっ、出会い系に登録してるヤツが言う台詞かよ」

 月島の寝言を鼻で笑って切り捨てる。図らずも、今度は月島の逆鱗に触れたようである。その拳が強く握り込まれるのが目の端にとまった。
 しかし、それも一瞬の事。月島は少し目を閉じた後に、いつもの調子を取り戻していた。

「やれやれ、『とーる』君とは相性がいいのに聡君とは仲良く出来ないみたいだね」
「聡君はやめろ、気色悪い」

 強烈なカウンターに怖気がして一歩下がる。冗談ではなく全身に鳥肌が立っていた。
 月島は動揺する俺を見て溜飲を下げたのか、背を向けて話を切り上げると、扉へと手をかけた。

「仕方ないから神原君のことは諦めてあげるよ。また別の手を考えるとしよう」
「勝手にやってろ。ただし、俺に迷惑が掛からないところでな」

 そのまま出て行くかと思われたが、月島は肩越しに振り返る。その顔は髪に隠れてよく見えなかったが、ヤツには似合わない獰猛な笑みをたたえているように感じた。

「神原君のことは……ね」

 不穏な呟きを残して、月島は会議室から去っていく。
 まだまだ、厄介なことが起こりそうな予感がした。

 ◆

 それから数日。予想に反して月島の動きは静かなものであった。

 いや、静か過ぎると言ってもいい。口論もしかけて来なくなったことに対しては、もはや喜びよりも不気味さが上回っている。
 しかし、せっかくストレスフリーな職場となったのだ。わざわざ藪をつついて蛇を出す趣味も無い。理由を知りたそうな上司の目は見て見ぬふりだ。
 そういう訳で、邪魔もなく非常に仕事が捗った俺は、プレゼンの準備を完璧に済まして会議に向かおうとしていた。

 「篠崎先輩、今夜は美味い焼肉が食べられるように頑張って下さいね!」
「そうだな、それじゃ行ってくるよ」

 神原に見送られてデスクを出る。
 月島も少し遅れて付いてきたようだが、話しかけてくる様子はない。いつもなら嫌味の一つ二つは飛んできそうだというのに、調子が狂う。
 いや、今は余計なことを考えている場合ではない。目の前の仕事に集中しなくては。


「――以上が、私からの提案になります。御質問はありますか?」

 つつがなく自分の発表を終え、一息吐く。感触は今のところ上々だ。
 しかし、まだ油断は出来ない。むしろここからが本番である。
 いつもいつも、質疑応答に入るや否や月島の鬼のような追及が始まり、納得の色を浮かべていた聴衆に疑念の芽を植え付けていくのだから。
 想定内の質問しかしてこないその他大勢を軽くあしらいながら、月島の発言に備える。

(今日は妙にもったいぶるな……?)

 まだか、まだかと待っているうちに、質問が途切れてしまった。
 不意に流れた沈黙に、自然と全員の目が月島に集まる。

「……何でしょうか」
「いや、質問はいいのかね?」

 見かねた上司が話を振ると、月島はうっすらと笑みを浮かべた。

「ええ、問題ありません。皆様には彼と私の発表を、純粋に見比べて頂ければと思っております。そうしたら自ずとどちらが優れているか明らかになることでしょうから」
「…………」

 仕事モードとは言え、無表情を装うのに顔中の筋肉を総動員する必要があった。
 それは、質問して粗を指摘するまでもないという意味だろうか。大層な自信である。

「……では、御不明な点も尽きたようですので、プレゼンを終了します」

 思わぬところで水を差されてしまったが、とりあえず締め括らなくてはならない。普段より声を張って終了を宣言すると、戸惑いの滲む拍手を受けながら演台を降りた。
 続く月島の話は、その自信に見合う充分な内容だった。

 しかし、完璧とは言えない。むしろ、普段より荒いと言えるだろう。いつもなら先回りして潰されていそうなポイントが、今日はそのまま流されていた。月島らしからぬ脇の甘さだ。
 だが、月島が俺に質問をしなかった以上、俺も口を出し辛い。自分の案に自信が無いから月島を叩いているという印象を抱かせかねないからだ。
 むしろこれが目的だったのだろうか。準備が万全ではなかったから、ボロを出されないよう先んじて牽制をかけた?
 いや、そうは思えない。
 俺なら迷わず使いそうな手だが、月島はあまり絡め手を好まない男だ。甘い顔をして、実は闘争本能が強いアイツは、真正面から叩きのめすことを是としている。
 それでは何故……

「ん?」

 気がつけば周囲は静かになっていた。顔を上げれば、今度は俺が視線の中心となっている。先程の月島と入れ替わった形だ。

「篠崎、君も質問はいいのか?」
「ええ。言いたいことも聞きたいことも山のようにありますが、先程彼が言ったように、皆様の御判断にお任せします。指摘するまでもなく詰めの甘さが透けて見えていますから」

 さっき水を差してきた御礼も込めて、最大限の笑顔で吐き捨てる。
 話しかけてきた上司は引きつった顔で、「そうか」とだけ呟いた。
 ただならぬ事態に会議室中がざわめいている。それだけ俺と月島の討論は恒例のものであった。

「賢明な皆様には合理的な判断を下していただけると信じています。以上で私のプレゼンを終わります」

 月島がそう言って演台を降りると、室内のざわめきは次第に大きくなり、やがて各所で議論が始まった。今までは俺と月島が徹底的に潰し合い、互いのメリット、デメリットを明らかにしていたが、今回は争点が整理されないままとなっているのでどちらの案が良いか判断しかねているのだ。

 ざわざわとさざめく会議室の中で、俺と月島だけが静かに向かい合っている。その目には何の感情も映しておらず、いつもに増して何を考えているか分からない。
 しかし。

(今回の企画は、獲ったぞ)

 月島が何に気を取られていようと関係ない。俺の仕事がやりやすくなるなら大いに結構。
 やがて、周囲が静かになった頃には、俺の案が採用されることに決まった。

 ◆

「神原、肉だ。肉を食うぞ!」
「やった! 先輩、お疲れ様です!」

 駅前の焼肉屋にて。
 俺と神原は四人掛けの一角に腰掛けて、ハイテンションでビールをかち合わせていた。

「やっぱり仕事した後のビールは最高だな、今日は月島にも手こずらせられなかったから飯が美味くて仕方がない」
「いやあ良かったですね、馬車馬のようにこき使われた甲斐がありましたよ」
「まあまあ飲め飲め……」

 愚痴をこぼす神原のグラスにビールを注いで黙らせる。お互い満杯まで注いだところで、特に意味のない掛け声を上げながらグラスを合わせた。

 すでに今日、何回目になるか分からない乾杯だ。
 ここ数日間のもやもやを振り払うように飲んでいるせいで、俺は早々に出来上がっていた。神原はまだ酔っていないはずだが、素のテンションが高いのでこの様である。

「それにしても月島さんのことは不思議ですね、何があったんですか?」
「それは俺も考えているんだが、さっぱり分からなくてな」
「心当たりが多過ぎて?」
「まあな。直近じゃお前に粉かけてきた件もあったし、嫌味や当てこすりは日常的過ぎて何を言ったかすら思い出せん。あ、すいませんカルビ一皿」
「嫌な日常ですね……タン塩も追加で、あとお酒も」

 悩むそぶりをしながらも、お互い箸のスピードは衰えない。酒と飯と話なら、最優先は飯だ。良い色に焼きあがった肉や野菜を神原の皿に放り込み、自分も肉を味わいながら物思いに耽る。
 神原には言えないが、先日のホテルでの一件もあることだし、思い当る節が多過ぎる。そもそも、あんな態度を取っている理由が分からないので推測するのが難しい。
 俺となるべく関わり合いたくない雰囲気は伝わってくるのだが。

(いや、お前なんてこちらから願い下げなんだが)

 自分の考えに自分で突っ込んでいると、店員が駆け寄ってくる音が聞こえてきた。程なくして暖簾がめくられ、肉と酒がテーブルに並べられていく。

「失礼します。カルビとタン塩、梅酒ロックとモヒートです」
「お、来た来た」

 新しい肉を網に並べながら梅酒を一口啜ると、脂っこい口内が洗い流される心地がした。
 機嫌よく野菜も並べ始めたところで、ふいに携帯が鳴る。

「あぁ俺だ。悪いな、少し出てくる」
「足元に気を付けてくださいね」

 トングを神原に託し、ややふらついた足取りで店の外へ出る。画面に表示されているのは、他部署の先輩の名前だった。
 仕事の話だったので酔っていることを悟られないように話していたのだが、すぐに普段と違うことに気付かれてしまった。謝罪の後、詳しい話はまた後日ということで、苦笑いと共に電話は終わった。

 少し夜風に当たり冷静になったことで気付いたが、自分で思っていたよりも飲み過ぎていたようだ。酒は好きだが、ザルと言えるほど強い訳でもない。そろそろ控えなくては、明日の仕事に差し障るだろう。
 そんなことを思いながら席に戻ると、暖簾の奥にはバツの悪そうな顔をした神原と、招かれざる客の姿があった。

「せ、先輩……おかえりなさい……」
「やあ。邪魔しているよ」
「な、な、本当に邪魔だ! 今すぐ出て行け!」
「なんだ、つれないな」


 月島亮介。

 避けられていると思っていた人間が、突如目の前に現れたのだった。
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