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04 それぞれの隠し事

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「篠崎……篠崎君……! 起きろ、着いたぞ」
「…………あ?」

 温かな手に身体を揺さぶられて目を覚ます。短い時間だが深く眠ってしまったようで、なかなか頭が冴えてこない。
 状況を把握するために周囲を見渡すと、窓の外は見慣れた場所であることに気が付いた。俺が暮らしているマンションの地下駐車場だ。

「呼んでも起きないから駐車場のカードキーは勝手に探させてもらったぞ。元通りサンバイザーに挟んでおいたからな」
「……ああそう」

 何故当然のように俺の家を知ってるのかとか、その彼氏面は何なんだとか、聞きたいことは沢山あったが、何となく墓穴を掘りそうな気がして聞けなかった。

 結局、何も気付なかったことにして車を降りる。
 そのままエレベーターに向かおうとしたが、数歩進んだところで立ち止まる。
 いくら相手が月島とはいえ、言っておかなければならないことがあった。

「一応、礼は言っておいてやる」
「おや、驚いたね。君の口からそんな言葉が聞けるとは」
「うるさい。言うことは言ったからな、とっとと帰れ」
「分かったよ。それではお大事に、な」

 言葉の内容とは裏腹に、嘲笑うような表情を浮かべて月島は去っていった。
 本当に人を苛立たせるのが上手いヤツだ。もはや怒りを通り越して感動すら覚える。
 その背中が車列の向こうに消えていくまで見送った後、俺は今度こそエレベーターに乗り込んだ。
 そういえば、月島は今から歩いて帰るのだろうか。もうバスも通っていない時間だ。

(となると、本当に家が近いのか……)

 気付いてしまった嫌な事実に辟易する。よく今まで近所で出くわさなかったものだ。
 そこまで考えて、はたと止まる。
 俺と家が近いということは、月島も同じように車でホテルに向かったはずだ。この辺りからホテルの方面に向かうバスは無い。電車で向かうには、駅からホテルは遠すぎる。
 すると、アイツが俺の身を案じてわざわざ送ったというのもあながち嘘ではないのか?

(……いや、タクシーでも使って来たのだろう。俺を送ったのは、帰りの運賃を浮かせるついでだったに違いない)

 浮かびかけた妙な想像を慌てて打ち切り、無理矢理思考を終了させる。
 抱かれて変な気分になっているだけだ。相手はあの月島、合理的思考で動く規律の権化みたいな男だ。多少の罪悪感があったとしても、自分の車を放り出してまで俺を送る訳がない。
 きっと俺の車で一緒に帰るのが最も合理的な手段だったのだろう。

(よし、今日はさっさと寝てしまおう。一晩眠れば少しはスッキリするだろう)

 そして、俺は真っ直ぐベッドに向かい、着の身着のまま倒れ込んだ。先ほどまでうたた寝していたにも関わらず、あっという間に眠りに落ちる。

 その後。
 結論から言ってしまえば一晩経っても全く気分が晴れることはなく。
 せっかくの休日だというのに、一日中掃除をして気を紛らわす羽目になるのであった。

 ◆

「なんて憂鬱な月曜なんだ」

 結局、どんな顔で月島に会えばいいのか分からないまま休みが明けてしまった。
 だから知り合いに抱かれるのは嫌だったのだ。こんなつまらないことで延々悩まされていては、何のために出会い系サイトを利用しているのか分からない。
 しかしこちらが気にしていることを悟られるのも癪なので、俺は努めて冷静に、ただし絶対に月島と目を合わせないようにしながら自分のデスクへと向かった。

「おはよう」
「おはようございます。……何だか、また朝から疲れてませんか?」
「別に。昨日気合い入れて掃除をし過ぎただけだ」

 嘘を吐くときには多くの真実に多少の嘘を紛れ込ませるのが基本である。
 最近忙しくて汚れが溜まっていたからと続けて掃除の内容へと話題を逸らすが、神原は納得いかない様子で考え込んでいた。

「顔色は良いのに、疲れてる……はっ、分かりました。彼女ですね?」
「黙れ」

 当たらずも遠からずの結論に、自分でも思った以上に冷たい声が出てしまう。どうしてコイツはこんな時だけ察しがいいのだろうか。神原は一瞬鼻白んだが、すぐに気を取り直して一層食らい付いてきた。

「やっぱり彼女ですか!? 社内の子ですかね。ああ、この前給湯室でちょっと良い感じになってた子とか!」
「うるさい。黙って仕事しろ」
「教えてくださいよ、減るものじゃないですし」

 ドスを利かせた声で脅しても、今更そんなもので神原は臆しない。新人時代などはすぐに口を閉ざしたものだが、耐性が付いたのだろうか。
 今まで多用してきたことが悔やまれる。何か新しい脅しを考えておこう。

 余程、あそこで平然と座ってる男に犯されたんだよと言ってやりたかったが、あんな男と社会的に心中する訳にはいかない。
 俺に出来るのは、さっさとこの場から逃げ去ることだけだった。

「さて、打ち合わせの準備に行かなきゃな」
「やだなぁ先輩、準備なら僕も手伝いますよ」
「お前はこの後外回りだろ、大人しく座ってろ」
「仕方ないですね、また後で話を聞かせてくださいよ」

 返事はせずに、ひらひらと手を振ってその場を後にする。
 打ち合わせを終えて戻ってきた頃には、神原も月島もどこかへと出かけていた。

 一息吐いてパソコンに向かい、休日の間に溜まっていた仕事を片付けていく。メールを全て返信し、机の上の書類も数少なくなった頃には、時刻は昼を回っていた。
 そろそろ昼食に向かわなくては。店が本格的に込む前に食事を済まそうとオフィスを出ると、タイミング良く帰社した神原と鉢合わせた。

「ああ、おかえり。お前も昼行くか?」
「篠崎先輩、大変です」

 何の気なしに出迎えたが、向こうは妙に真面目な顔をしていた。嫌な予感がする。

「何があった?」
「ここではちょっと」
「よし、今日は外に行くか」
「はい」

 押し黙ったまま、神原と連れ立って社外の食堂へと向かう。
 俺の行き付けとなっている食堂は、奥まった立地にあり、会社の人間にはあまり認知されていない。社内で話せないことを相談するにはうってつけの場所である。
 念のため店内を見回して見知った顔がいないことを確認した上で、奥の個室スペースに陣取った。
 注文したパスタが運ばれてきたのをきっかけに、「実は」と神原が口火を切る。

「月島さんに引き抜かれそうになりました」
「何⁉︎」

 看過できない内容に腰を浮かせる。神原はそんな俺と目を合わせないまま続けた。

「そして僕はちょっと心が揺れています」
「薄情者!」
「冗談です」

 思わず身を乗り出したところを、やんわりと押し返される。
 冗談になっていない冗談に不機嫌さを露にすると、神原は意外そうな声をあげた。

「そんなに驚かれるとは思わなかったです。すいませんでした」
「そうか、お前は知らないのか……」
「何をです?」
「昔の話だけどな」

 椅子に座り直して、手持ち無沙汰にフォークを弄びながら過去に思いを馳せる。
 まだ、俺と月島が『天敵』と呼ばれる前の話だ。

「俺が以前、職員研修を担当していたのは知ってるよな?」
「はい。僕も新人研修でお世話になりましたから」
「そこで俺は、研修ついでに将来有望そうなヤツを片っ端から取り込みにかかっていたんだが……」
「うわ」
「まあ聞け。どいつもこいつも、独り立ちするや否や俺の下を離れていくんだ。どうしてだと思う?」
「篠崎先輩の横暴さに耐えかねてとか」

「真面目に話してるんだよ」
「僕も真面目に言ってます」

 澄んだ神原の目が俺を射抜く。コイツは俺のことを一体どう思っているのやら。
 問いただしてやりたいところだったが、やや形勢不利な気配がしたので深くは触れずに話を進めることにした。

「……とにかくだ、原因はあの男だったんだよ」
「月島さんですか?」

 俺の言いたいことが伝わったのか、神原がパスタを食べながら神妙な面持ちを浮かべる。

「そうだ、育てた傍からアイツが引き抜いてたんだ。これは新採用に限った話じゃない。経歴も、能力も、社内外も問わず、俺が目を付けたヤツばかり粉かけていきやがる。一度面と向かって問い詰めたらこうだ、『私は彼らに合理的な選択肢を提示したに過ぎない。君に惑わされている姿を見過ごせなくてね』って確信犯だぞ、信じられるか⁉︎」
「いや、そこで月島さんが選ばれてしまうのも問題だと思うんですけど……」
「まったく見る目のないヤツばかりだな!」
「僕の話聞いてます?」

 別に全員が全員、月島の方を選んだ訳じゃない……と呟こうとしたが、ただの負け惜しみにしかならない気がしたのでやめた。
 気まずさを紛らわすためにパスタを口に運び、憮然とした表情のまま咀嚼する。黙って食事を続けていると、今度は神原の方が身を乗り出して俺の顔を覗き込んできた。

「もしかして、僕も月島さんに盗られちゃうと思って焦りました?」
「ぐ……」

 痛いところを突かれて呻く。
 まったくその通りだったが、素直に認めるのは難しかった。

「答えが聞けたら、僕は絶対に裏切りませんから。ほらほら」
「…………そう、だよ」

 神原の言葉にそそのかされ、絞り出すように答える。
 からかわれると反射的に身構えたが、俺の予想と反して神原はただ静かに微笑んでいた。

「良かったです。篠崎先輩に必要としてもらえて」
「え?」
「どうしようもなかったぺーぺーの僕を育ててくれたのは、篠崎先輩ですから。裏切る訳ないじゃないですか」
「神原……」

 少しばかり後輩の評価を上方修正していると、そこで終わっておけばいいのに、神原は余計な話を続ける。

「それにしても、篠崎先輩も可愛いところがあるんですね。そういう部分を出していけばもっと人が集まりそうなのに痛ててて!」
「一言多い、お前は!」

 放っておけば何を言うか分からない口を鷲掴みにすると、神原の悲痛な声が店に響いた。それでも懲りずに緩んだままの顔を睨みつけながら食事を平らげ、二人分の会計を済ませて店を出る。

「そんなに照れなくても」
「うるさい」

 むず痒いような居心地の悪さに早足となってしまっていたが、神原が小走りについてくるのを見て歩調を緩めた。
 シャツに付いたソースの染みを気にしながら隣を歩く神原を見て、しみじみと思う。

「神原。お前が非合理的な人間で良かったよ」
「……篠崎先輩も、一言多いですよね」

 頑張って口に出してみた俺なりの褒め言葉は、呆れたように切り捨てられるのであった。
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