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26. 皆からの評価
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これからの交渉次第だが、貿易赤字の問題は一応、解決の目処は立った。文官たちから報告を聞いたらしい大公夫妻は手放しで喜び、シャーリィも心から安堵した。
アークロイドに何かお礼をしたいと申し出たところ、考えておく、と言われた以来、音沙汰がない。財政難の貧乏国を救ってくれた英雄は、再び引きこもり生活を始めてしまった。
(食べ物で釣ったら出てきてくれるかしら……)
失礼なことを思いながら温泉宿のロビーを後にする。外に出ると、竹箒を持って掃除をしていたダリアの背中を見つけた。
「今日はダリアが当番?」
話しかけると、ピンクブロンドのお団子頭が振り返る。
「……ああ、シャーリィ。奇遇ね。これからツアーの出発?」
「集合時間まで、まだ三十分あるけどね」
「あ、そういえば。トルヴァータ帝国の話、もう聞いた?」
数秒考えて、首をひねる。
「……何の話?」
「皇位継承権のことよ。次期皇帝にはシリル第三皇子が内定したそうよ」
「え……」
目の前で突然風船を割られたみたいに唖然とする。ダリアは地面に積み重なった枯れ葉を箒で集めながら、平然と言葉を続ける。
「びっくりよね。今まではカミーユ第一皇子が優勢だったけど、土壇場でひっくり返ったそうよ。これからが楽しみだわ」
次期皇帝はシリル皇子。
その名はアークロイドが親しげに言っていた名前で。
(決着、したんだ……)
いつまでも続くような気がしていたが、呆気なく訪れた終わりにシャーリィは驚きを隠せない。喜ばしいと感じる反面、このときを危惧していた自分に愕然とする。
(どうして……私……)
じりじりと胸を焼かれるように息苦しい。
薄く息を吐き出し、シャーリィは表情を取り繕った。
「……今朝の新聞にも載ってなかったはずだけど、どこからそんな話を仕入れてきたの?」
「ふふ。昨夜来たお客さんが記者の方だったの。正式な発表はまだだけど、一番ホットな情報よ。今は水面下で最終調整をしているらしいわ」
ダリアの言葉が右から左へ抜けていく。
ガラガラと足場が崩れていくような不安がこみ上げてくる。自分の気持ちを持て余しながら、シャーリィは曖昧に頷いた。
*
仕事に身が入らないまま、一週間を過ごし、宮殿に続く坂道をとぼとぼと歩く。
いつもよりゆっくりとした歩調で門までたどり着くと、ミュゼが朗らかな笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさいませ!」
「うん。ただいま……」
「公女殿下、お疲れさまでした」
フランツが生真面目な顔で労う横から、ミュゼがにゅっと顔を出す。いきなり視界に桃色の瞳が飛び込み、シャーリィは半歩後ずさった。
「姫様。今日はもうお仕事も終わりですよね?」
「え、ええ」
「これから、ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」
「……うん? どこに行くの?」
「うふふ。それは後からのお楽しみです!」
強引に押し切られ、シャーリィはミュゼの後ろをついていく。代わりの門番は手配していたらしく、途中、年配の騎士とすれ違った。
楽しそうな雰囲気のミュゼの背中を見ながら、シャーリィは首を傾げる。
(一体どこへ……って、もしかして)
前を歩く彼女の先には騎士宿舎がある。その予想は合っていたらしく、ミュゼは入り口の扉を開けて左側のホールに向かう。そして、観音開きの扉が開き、誰かのしゃべり声が途端にやむ。
訪れた静けさを奇妙だと感じつつも中を覗くと、シャーリィは目を瞬いた。
「遅かったな、シャーリィ。待ちくたびれたぞ」
宿直以外の騎士が勢揃いした中で、部屋の中央にいたテオがどんと胸を張る。
「今夜は俺たちのおごりだ。しっかり食えよ!」
「うちの国の公女様は、贅沢とはほど遠い生活だからな。たまには羽目を外すのも悪くないだろう?」
テオの横で、クラウスが小さく口角を上げる。
横並びのテーブルには、晩餐会でしか見ないような豪華な食事が盛り付けてある。
「えっと……今日は何の日だったかしら……?」
今年の自分の誕生日はもう過ぎた。それとも、自分がうっかり忘れているだけで、何かを祝ってもらえるような特別な日だっただろうか。しかし、まったく身に覚えがない。
困惑していると、後ろにいたミュゼが歩いてきて、シャーリィに向き直る。
「姫様、覚えていらっしゃいますか? ちょうど三年前の今日、姫様は一人きりでツアーを見事こなしたんですよ。大人にも負けず、ハキハキとした物言いで観光客の心をつかみ、トラブルにもきっちり対処しました」
「……よく覚えているわ」
「今日はそのデビュー戦の記念日です。大公夫妻はご公務で国外に出られているでしょう? ですから、たまには私たちで姫様を労おうと、こうして皆が集まったんです」
こんなに大勢に囲まれるのはいつぶりだろう。新人の騎士たちがトランプを使った手品を見せたり、女性騎士たちが管楽器を持ち出して優雅な音色を奏でたりしている。
「さあ、食べてください! 姫様」
「あ、ありがとう……」
こんもりと盛られたお皿を差し出され、シャーリィはおずおずと受け取る。フォークでつやつやの豚肉を突き刺し、口に頬張るとまだ温かった。
他のお野菜は薄い肉に巻かれたりと手が込んでいる。しかも初めての味付けで、口に入れた瞬間、幸せに包まれた。
「姫様、デザートもお持ちしました」
遠くに行っていたミュゼが、今度は一口サイズのケーキを盛ったお皿を持ってきた。
「ミュゼ……いつになく張り切っているわね」
「元気がない姫様に喜んでもらおうと思って、頑張りましたからね。少しは元気、出てきました?」
瞳をきらきらと輝かせて言われ、シャーリィは言葉をなくした。
(皆が集まってくれたのって……私を励ますため……?)
今まで仕事第一に生きてきた。困っている人がいたら手伝い、休日も返上して自分にできることをしてきた。
それなのに、今は仕事に集中できていない。
仕事の手順は体が覚えているから、無意識でもそれなりに動ける。笑顔もできている。だけど、気づけば、心ここにあらずの状態に戻るのだ。
(私はどうしちゃったんだろう……今までこんなこと、なかったのに)
ふとしたとき、思い出されるのはアークロイドの姿。いつかは帰ってしまう、海の大国からの上客。情勢が落ち着いたのなら、滞在期間を残して帰国する可能性は高い。
「シャーリィ」
「……え?」
幻が話しかけてきたと思って目をこすると、そこにはトルヴァータ帝国の民族衣装に身を包んだアークロイドがいた。
「アークロイド様にルース様も。どうして……」
表情をなくしたシャーリィに、アークロイドがそっと微笑みかける。こないだ見た社交用の笑みではなく、肩らの力を抜いた自然な笑みだった。
「ダリアに、時間があれば顔を出してほしいと頼まれたからな。誰が見ても、君は働き者の公女だ。もう少し肩から力を抜け。見ているこっちがハラハラする」
「その節はご迷惑をおかけしました……」
「人手不足だからこそ、無理は避けるべきだ。あとあと響くからな」
「ご忠告、痛み入ります」
耳が痛いと萎縮していると、ふと声色が変わる。
「まあでも、ツアーのガイド役もいい経験になった。母国にいたら、あんな機会は訪れなかっただろう。その意味で言えば、俺は君に感謝しないといけないのかもしれない」
「……あのときは、私より人気者でしたね。軽く嫉妬しそうでしたよ」
「プロにそう言われては悪い気はしないな」
企みが成功したように口角を上げるのを見て、シャーリィも笑ってしまう。
(私は、私にできることをしよう)
余計なことは考えない。温泉宿の従業員であるシャーリィができることは、客の期待に応えることだ。
(今日集まってくれた皆のためにも、観光課の仕事もバリバリこなさなきゃ……!)
明日からはいつものシャーリィに戻る。元気だけが取り柄の貧乏公国の公女。だけど、自分の周囲にはこんなに優しい人たちがいる。もう彼らに心配をかけたくない。
まずはこの料理を完食して、いつも話せない人ともたくさんお喋りをしよう。そして、感謝を伝えたい。
*
翌朝。バルコニーに膝をつき、シャーリィは顔を曇らせた。
ミニトマトは続々と収穫している一方、ナスのほうは芳しくない。あれからまた花がついたが、どれも実がつく前に花を散らしている。
(風は吹いているから、受粉は問題ないと思うんだけど……)
正直、お手上げだ。何がよくて何が悪いのかがわからない。
自分にナスはまだ早かったのかもしれない。諦めに似た心境で水やりをしていると、不意に視界に紫色がよぎった。
(ん……?)
目を凝らすと、一番上についた花の先に丸みを帯びた紫があった。信じられない思いで指を伸ばすと、確かな感触が返ってくる。
感動に打ち震えながら、その場でうずくまる。
(やった……! 初めて実がついたわ!)
理由はわからない。だが、しっかりと実がついている。
嬉しさに涙ぐんでしまう。日の光が染み渡るように、ぽかぽかと胸が温かくなった。
アークロイドに何かお礼をしたいと申し出たところ、考えておく、と言われた以来、音沙汰がない。財政難の貧乏国を救ってくれた英雄は、再び引きこもり生活を始めてしまった。
(食べ物で釣ったら出てきてくれるかしら……)
失礼なことを思いながら温泉宿のロビーを後にする。外に出ると、竹箒を持って掃除をしていたダリアの背中を見つけた。
「今日はダリアが当番?」
話しかけると、ピンクブロンドのお団子頭が振り返る。
「……ああ、シャーリィ。奇遇ね。これからツアーの出発?」
「集合時間まで、まだ三十分あるけどね」
「あ、そういえば。トルヴァータ帝国の話、もう聞いた?」
数秒考えて、首をひねる。
「……何の話?」
「皇位継承権のことよ。次期皇帝にはシリル第三皇子が内定したそうよ」
「え……」
目の前で突然風船を割られたみたいに唖然とする。ダリアは地面に積み重なった枯れ葉を箒で集めながら、平然と言葉を続ける。
「びっくりよね。今まではカミーユ第一皇子が優勢だったけど、土壇場でひっくり返ったそうよ。これからが楽しみだわ」
次期皇帝はシリル皇子。
その名はアークロイドが親しげに言っていた名前で。
(決着、したんだ……)
いつまでも続くような気がしていたが、呆気なく訪れた終わりにシャーリィは驚きを隠せない。喜ばしいと感じる反面、このときを危惧していた自分に愕然とする。
(どうして……私……)
じりじりと胸を焼かれるように息苦しい。
薄く息を吐き出し、シャーリィは表情を取り繕った。
「……今朝の新聞にも載ってなかったはずだけど、どこからそんな話を仕入れてきたの?」
「ふふ。昨夜来たお客さんが記者の方だったの。正式な発表はまだだけど、一番ホットな情報よ。今は水面下で最終調整をしているらしいわ」
ダリアの言葉が右から左へ抜けていく。
ガラガラと足場が崩れていくような不安がこみ上げてくる。自分の気持ちを持て余しながら、シャーリィは曖昧に頷いた。
*
仕事に身が入らないまま、一週間を過ごし、宮殿に続く坂道をとぼとぼと歩く。
いつもよりゆっくりとした歩調で門までたどり着くと、ミュゼが朗らかな笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさいませ!」
「うん。ただいま……」
「公女殿下、お疲れさまでした」
フランツが生真面目な顔で労う横から、ミュゼがにゅっと顔を出す。いきなり視界に桃色の瞳が飛び込み、シャーリィは半歩後ずさった。
「姫様。今日はもうお仕事も終わりですよね?」
「え、ええ」
「これから、ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」
「……うん? どこに行くの?」
「うふふ。それは後からのお楽しみです!」
強引に押し切られ、シャーリィはミュゼの後ろをついていく。代わりの門番は手配していたらしく、途中、年配の騎士とすれ違った。
楽しそうな雰囲気のミュゼの背中を見ながら、シャーリィは首を傾げる。
(一体どこへ……って、もしかして)
前を歩く彼女の先には騎士宿舎がある。その予想は合っていたらしく、ミュゼは入り口の扉を開けて左側のホールに向かう。そして、観音開きの扉が開き、誰かのしゃべり声が途端にやむ。
訪れた静けさを奇妙だと感じつつも中を覗くと、シャーリィは目を瞬いた。
「遅かったな、シャーリィ。待ちくたびれたぞ」
宿直以外の騎士が勢揃いした中で、部屋の中央にいたテオがどんと胸を張る。
「今夜は俺たちのおごりだ。しっかり食えよ!」
「うちの国の公女様は、贅沢とはほど遠い生活だからな。たまには羽目を外すのも悪くないだろう?」
テオの横で、クラウスが小さく口角を上げる。
横並びのテーブルには、晩餐会でしか見ないような豪華な食事が盛り付けてある。
「えっと……今日は何の日だったかしら……?」
今年の自分の誕生日はもう過ぎた。それとも、自分がうっかり忘れているだけで、何かを祝ってもらえるような特別な日だっただろうか。しかし、まったく身に覚えがない。
困惑していると、後ろにいたミュゼが歩いてきて、シャーリィに向き直る。
「姫様、覚えていらっしゃいますか? ちょうど三年前の今日、姫様は一人きりでツアーを見事こなしたんですよ。大人にも負けず、ハキハキとした物言いで観光客の心をつかみ、トラブルにもきっちり対処しました」
「……よく覚えているわ」
「今日はそのデビュー戦の記念日です。大公夫妻はご公務で国外に出られているでしょう? ですから、たまには私たちで姫様を労おうと、こうして皆が集まったんです」
こんなに大勢に囲まれるのはいつぶりだろう。新人の騎士たちがトランプを使った手品を見せたり、女性騎士たちが管楽器を持ち出して優雅な音色を奏でたりしている。
「さあ、食べてください! 姫様」
「あ、ありがとう……」
こんもりと盛られたお皿を差し出され、シャーリィはおずおずと受け取る。フォークでつやつやの豚肉を突き刺し、口に頬張るとまだ温かった。
他のお野菜は薄い肉に巻かれたりと手が込んでいる。しかも初めての味付けで、口に入れた瞬間、幸せに包まれた。
「姫様、デザートもお持ちしました」
遠くに行っていたミュゼが、今度は一口サイズのケーキを盛ったお皿を持ってきた。
「ミュゼ……いつになく張り切っているわね」
「元気がない姫様に喜んでもらおうと思って、頑張りましたからね。少しは元気、出てきました?」
瞳をきらきらと輝かせて言われ、シャーリィは言葉をなくした。
(皆が集まってくれたのって……私を励ますため……?)
今まで仕事第一に生きてきた。困っている人がいたら手伝い、休日も返上して自分にできることをしてきた。
それなのに、今は仕事に集中できていない。
仕事の手順は体が覚えているから、無意識でもそれなりに動ける。笑顔もできている。だけど、気づけば、心ここにあらずの状態に戻るのだ。
(私はどうしちゃったんだろう……今までこんなこと、なかったのに)
ふとしたとき、思い出されるのはアークロイドの姿。いつかは帰ってしまう、海の大国からの上客。情勢が落ち着いたのなら、滞在期間を残して帰国する可能性は高い。
「シャーリィ」
「……え?」
幻が話しかけてきたと思って目をこすると、そこにはトルヴァータ帝国の民族衣装に身を包んだアークロイドがいた。
「アークロイド様にルース様も。どうして……」
表情をなくしたシャーリィに、アークロイドがそっと微笑みかける。こないだ見た社交用の笑みではなく、肩らの力を抜いた自然な笑みだった。
「ダリアに、時間があれば顔を出してほしいと頼まれたからな。誰が見ても、君は働き者の公女だ。もう少し肩から力を抜け。見ているこっちがハラハラする」
「その節はご迷惑をおかけしました……」
「人手不足だからこそ、無理は避けるべきだ。あとあと響くからな」
「ご忠告、痛み入ります」
耳が痛いと萎縮していると、ふと声色が変わる。
「まあでも、ツアーのガイド役もいい経験になった。母国にいたら、あんな機会は訪れなかっただろう。その意味で言えば、俺は君に感謝しないといけないのかもしれない」
「……あのときは、私より人気者でしたね。軽く嫉妬しそうでしたよ」
「プロにそう言われては悪い気はしないな」
企みが成功したように口角を上げるのを見て、シャーリィも笑ってしまう。
(私は、私にできることをしよう)
余計なことは考えない。温泉宿の従業員であるシャーリィができることは、客の期待に応えることだ。
(今日集まってくれた皆のためにも、観光課の仕事もバリバリこなさなきゃ……!)
明日からはいつものシャーリィに戻る。元気だけが取り柄の貧乏公国の公女。だけど、自分の周囲にはこんなに優しい人たちがいる。もう彼らに心配をかけたくない。
まずはこの料理を完食して、いつも話せない人ともたくさんお喋りをしよう。そして、感謝を伝えたい。
*
翌朝。バルコニーに膝をつき、シャーリィは顔を曇らせた。
ミニトマトは続々と収穫している一方、ナスのほうは芳しくない。あれからまた花がついたが、どれも実がつく前に花を散らしている。
(風は吹いているから、受粉は問題ないと思うんだけど……)
正直、お手上げだ。何がよくて何が悪いのかがわからない。
自分にナスはまだ早かったのかもしれない。諦めに似た心境で水やりをしていると、不意に視界に紫色がよぎった。
(ん……?)
目を凝らすと、一番上についた花の先に丸みを帯びた紫があった。信じられない思いで指を伸ばすと、確かな感触が返ってくる。
感動に打ち震えながら、その場でうずくまる。
(やった……! 初めて実がついたわ!)
理由はわからない。だが、しっかりと実がついている。
嬉しさに涙ぐんでしまう。日の光が染み渡るように、ぽかぽかと胸が温かくなった。
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