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5. 資材提供の打診 後編

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 期待で胸が躍るシャーリィの興奮は、長くは続かなかった。

「……頭を抱えて、どうした?」

 アークロイドに詰め寄っていたシャーリィが、いきなりうなだれたからだろう。心配する声はひどく優しい。
 だが、無慈悲な現実を思い出したシャーリィに取り繕う余裕はない。

「……準備するのにもお金がかかりますよね……。輸入品だと、そのぶん高くなりますし」
「切実な悩みだな」
「世の中、お金がすべてです。うちは公女でさえ、ドレスを一着仕立てるのにも本当に今必要なのかと審議を重ねる国です」

 道楽にかけるお金は公費から出るわけがない。そして公女の稼いだお金は、温泉宿の運営資金にすべて寄付している。つまり、自由なお金はないに等しい。

「…………苦労しているんだな」
「身内のことは質素倹約がモットーなんです。当然でしょう?」

 どんよりと沈んだ声で答えると、アークロイドがため息をついた。

「わかった。だったら、交換条件というのはどうだ?」

 耳慣れない単語に、視線を上げる。不敵な笑みが目の前にあった。

「……交換条件、ですか?」
「俺が道具一式を用意する。お前が世話をして、無事に収穫できたら、俺にも食べさせてくれ」
「それって……あなたの利益が少なすぎませんか? 損しますよ」

 シャーリィにとっては夢のような話だが、アークロイドにはうま味が少ない。それを指摘すると、彼は肩をすくめた。

「実際、この国で大してやることもないしな。自分で育てるのは大変そうだが、横で見ているぶんなら負担にもならない。……別に失敗しても構わない。幸い、俺はお金には困っていないし」

 第六皇子とはいえ、海の大国の皇族だ。各皇子に分配される国家予算も、貧乏小国の比ではないだろう。

(私は何を迷う必要があるの……? こんな魅力的な話、そうそう転がっていない)

 このチャンスを逃したら、一生後悔することになるかもしれない。
 シャーリィは背筋を伸ばして指先を胸の下で揃え、顎を引き、斜め四十五度に頭を下げる。

「……初期投資の申し出、ありがたくお受けしたいと思います。何卒よろしくお願いいたします」
「ルース。そういうことだ。手配は頼んだぞ」
「御意」

 これが皇族の気まぐれでも、シャーリィにとっては神の慈悲に等しかった。

       *

 二週間後、シャーリィはフロント経由で呼び出され、アークロイドの部屋を訪れていた。
 呼び鈴を鳴らして部屋に入ると、肘掛けつきの椅子に座ったアークロイドが口角を上げて言う。

「届いたぞ」

 彼の視線の先には、陶器の鉢、複数の袋、小さな苗が置かれていた。その横にはスコップと軍手、園芸用のハサミ、じょうろ、支柱まで揃っている。
 至れり尽くせりだ。

「……本当にこれで野望が叶うんですね」

 苗の側でしゃがみこみ、緑が濃い葉を優しく撫でる。茎はぴんと張り、黄色い花が身を寄せ合うように連なっている。

(私のミニトマト……今度こそ美味しい状態で食べられる!)

 アークロイドは立ち上がり、うっとりと苗を見つめるシャーリィの横に並ぶ。

「まだ苗と土を取り寄せただけだ。今はピンピンしている苗でも、この国の環境に合うかもわからない。しっかり世話しろよ」
「合点承知です!」

 拳を握って頷くと、アークロイドが静かに問う。

「……ところで、どこで世話するんだ?」
「そう……ですね……」

 思い出すのは前世のベランダ栽培。だが、ここには屋根付きのベランダはない。
 だとすれば、どこで栽培するのが最適か。

(できれば手元で育てたいし、そうなると……)

 シャーリィは顎に手を当てていた腕を下ろし、アークロイドに向き直る。

「バルコニーで育てたいです」
「……待て。宮殿のバルコニーに鉢を置くつもりか?」
「いけませんか?」
「威厳が損なわれるというか……」

 言葉を濁して、渋い顔をされる。だが、シャーリィは前言撤回するつもりはない。

「そんなもの、うちにはありません。レファンヌ公国の多くは、不毛な土地に囲まれています。海の大国のような豪奢な暮らしとは無縁ですし、宮殿は観光客も入れません。それに、私の部屋のバルコニーなら西向きなので、観光客の目に触れることもないでしょうから」
「そうか……。それなら……いいのか……?」

 首を傾げながら、アークロイドは無理やり自分を納得させている。
 その様子を横目で見ながら、シャーリィは宮殿に運ぶために代車の手配をしに部屋を後にした。

       *

「休み時間も少ないことだし、パパッとやりますか」

 鉢底石を詰めた後に、肥料入りの土の袋を逆さまにして鉢の半分まで投入する。スコップで土を少しかさ上げしてから、苗を優しく指で押さえて上下逆にし、ポットを外す。
 元気な苗を鉢の中央に置いて、周りを土でかぶせていく。両手で苗をそっと押し込み、位置を固定させる。
 最後に支柱を取り出し、土の中へズボッと差し込む。

「よし、こんなものかしら」

 満足げに頷き、じょうろを傾けて水を注ぐ。土の色が変わり、心なしか、葉が嬉しげに揺れる。

「姫様。一体、これは何を始めるんですか?」

 鉢や資材を運ぶのを手伝ってくれたミュゼはしきりに首を傾げており、シャーリィは立ち上がって腰に手を当てる。

「これは、今日から私の相棒になるの。そして、毎日の癒やしをくれるのよ」
「この葉っぱがですか?」
「そうよ。ゆくゆくは収穫して、美味しくいただくけどね」
「え、食べられるんですか? 観葉植物じゃないんですか!?」

 驚愕の表情を浮かべる護衛に、人差し指を左右に振ってアピールをする。

「ふっふっふ。これはレファンヌ公国の救世主になるかもしれない存在なの。うまくいけば、採れたて野菜が収穫できるのよ」
「え、この作物が育たない黒の小国で野菜が……? そんな、まさかぁ」

 護衛見習いだったころの癖が抜けきらないミュゼは、あり得ないと手を振る。
 けれど、信じてもらえないのも無理はない。先人たちはあの手この手で畑を作ろうとしては失敗し、神に見放された土地として諦め、輸入に頼る道を選んだのだ。

(でも、他国の土で鉢植え栽培なら、魔木の影響もないはず!)

 勘で適当に土をかぶせただけだが、姿形だけなら、前世のベランダ菜園と同じである。あとは水やりと肥料をこまめにすれば、美味しい実ができるはずだ。

(……ん? アークロイド殿下に用意してもらったのは、固形肥料のみだったような……)

 用意してもらった園芸セットを一つ一つ確認し、シャーリィは嘆いた。

「やっぱり液肥がない! 追加でお願いしないと……!」

 トマトは肥料食いだ。週に一回の液肥、月に一度の固形肥料が必要になる。まだポットから植え替えたばかりなので、すぐには必要ない。しかしながら、心の安寧のためにも、可及的速やかに液肥の用意せねばなるまい。
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