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17. 頼んでもいいの?
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秋の空は気まぐれだ。朝は快晴だったのに、急に空が暗くなったかと思えば、屋根にぽたぽたと天のしずくが降り注ぐ。やまない雨音を聞きながら、絃乃はため息をついた。
掃除当番を終えた今、下校する女学生の姿はまばらだ。
帰っていく級友を遠い目で見つめていると、校門から傘を差した雛菊が戻ってくるところだった。
「あら、雛菊。帰ったのではなかったの?」
「今日は、ばあやが遅くてね。今から帰るところなんだけど、もしかして傘がないんじゃないかしらと思って」
「大正解……」
校門のところでは、視線に気づいたのか、御園家の乳母が会釈している。
雛菊は当然のように傘を絃乃のほうへ傾け、片目をつぶった。
「私が家まで送るわ」
「でも着物が濡れちゃうわ」
「大丈夫よ。親友が困っているんですもの。困ったときはお互い様よ」
気持ちはありがたいが、なんだか気が引ける。視線をさまよわせていると、雛菊が言葉を重ねる。
「それに今日はお稽古や家の用事もないし、絃乃とゆっくり話して帰りたい気分なの。ね、たまにはいいでしょう?」
「うーん。だけど……」
説得が難航していると踏んだのか、彼女の乳母も近づいてきて、目尻の皺を深めて微笑みかける。二人の視線に囲まれ、分が悪いのを感じ取った。
「それがようございます。絃乃様のお屋敷は幸い近いですし、少し寄り道するだけなら問題ないでしょう」
「ほら、ばあやもこう言っているし。そうと決まったら、長居は無用よ。帰りましょう」
強引に雨の下に連れ出されるようにして、二人で風呂敷を胸に抱え込んで濡れた道を歩く。革ブーツはすぐに雨水で色が変わっていた。
人通りの少ない道を進んでいると、雛菊が少し声を抑えて話しかけてくる。
「ねえ、弟さんのことだけど……」
糸のように細い雨が降りしきる中、雛菊は言いよどむように一度言葉を止め、深呼吸してから口を開いた。
「私の婚約者が警官だっていうのは前に話したわよね。もしかしたら、弟さんを探すのに役に立てるかもしれないと思って」
「え?」
「ほら、探偵に頼むのはお金もかかるでしょう。警官なら人捜しは職務の範囲だし、見つからない可能性のほうが高いかもだけど」
近所の雨だれが規則正しく打つ音を聞きながら、思いがけない提案に目を丸くする。自然と歩く速度もゆるやかになる。
脳内で言われた意味をかみ砕き、やっと理解が回ったところで、遠慮がちに言う。
「……頼んでもいいの?」
「もちろん。ただまあ、今は忙しいみたいだから、仕事の空き時間とかになるかもしれないけれど。優しい人だから、きっと力を貸してくれると思うわ」
「雛菊……ありがとう」
感謝の言葉を伝えると、雛菊は照れ隠しのように小さく笑った。
「とはいっても、あまり期待はしないでね?」
「うん。その気持ちだけでも充分、嬉しいから。本当にありがとう」
本当は抱きしめて感動を伝えたいところだったが、外なので自重する。けれど、思っていることは伝わったようで、苦笑いが返ってきた。
家の前に着くと、傘を持った新入りの女中が外で待っていた。届けに行くかどうか、悩んでいたらしい。
転生後の問題は山積みだ。しかしながら、自分の周りには、こうして心配してくれる人がいる。一人で悩んで、うじうじしてられない。
体は冷えていたが、心はぽかぽかと温かくなっていた。
◆◇◆
生乾きの髪を梳いていると、玄関のほうで物音がした。襖を少し開けると、父親の声が聞こえた。今夜は遅い帰りだ。
水を飲もうと廊下に出たところで、声が近づく。
「まあまあ、たくさん飲んできたのですね」
「……若者から飲み比べを挑まれてな。つい飲み過ぎた」
「ほどほどにしていただかなくては。もう若くはないのですから」
「……善処する」
母親にたしなめられた父親が声を小さくする。そして思い出したように、ああ、とつぶやいた。
「そろそろ、娘の将来のことも考えなければならないな」
自分の話題になったため、反射的に自室に引き返して襖を静かに閉める。耳をそばだてて続く会話に集中する。
「婚約者を定められるのですか?」
「級友の中には、もう結納を済ませている娘もいるはずだ」
「それは、そうですが……少し早いのではありませんか? あの子にはもっと自由な時間が必要でしょう」
「ふむ。婚約者の選別にはじっくり時間をかけるべきか。絃乃の晴れ姿も早く見てみたいと思ったのだが」
廊下から聞こえてきた声は、ちょうど自室の前を通り過ぎていく。
「これも時代の流れでしょう。今はわたくしたちのときとは違います。大切な娘だからこそ、その伴侶となる男性は娘を幸せにしてくれる者でないと」
「今の絃乃に結婚は早かったか」
「そうですわ。花嫁修業もまだなのに、せっかちに決めることではありませんわ」
遠のいていく声を聞きながら、絃乃は細い息を吐いた。
「危なかった……母様のおかげで回避できたけれど、危うく私に婚約者ができるところだった」
婚約者が決まれば、詠介への想いも捨てなければならなくなる。
前世からの恋心を忘れられる日が来るかはわからないが、この恋は自分が納得する形で終わらせたい。
自由恋愛がまだ認められない世の中、拒む権利は自分にはない。
(この恋に終わりが来るのだとしても。せめて、もう一度、ちゃんと気持ちだけでも伝えておきたい……)
幕引きは自分の手で。
両手をぎゅっと握りしめ、自由にできる時間は残り少ないのだと改めて感じた。
掃除当番を終えた今、下校する女学生の姿はまばらだ。
帰っていく級友を遠い目で見つめていると、校門から傘を差した雛菊が戻ってくるところだった。
「あら、雛菊。帰ったのではなかったの?」
「今日は、ばあやが遅くてね。今から帰るところなんだけど、もしかして傘がないんじゃないかしらと思って」
「大正解……」
校門のところでは、視線に気づいたのか、御園家の乳母が会釈している。
雛菊は当然のように傘を絃乃のほうへ傾け、片目をつぶった。
「私が家まで送るわ」
「でも着物が濡れちゃうわ」
「大丈夫よ。親友が困っているんですもの。困ったときはお互い様よ」
気持ちはありがたいが、なんだか気が引ける。視線をさまよわせていると、雛菊が言葉を重ねる。
「それに今日はお稽古や家の用事もないし、絃乃とゆっくり話して帰りたい気分なの。ね、たまにはいいでしょう?」
「うーん。だけど……」
説得が難航していると踏んだのか、彼女の乳母も近づいてきて、目尻の皺を深めて微笑みかける。二人の視線に囲まれ、分が悪いのを感じ取った。
「それがようございます。絃乃様のお屋敷は幸い近いですし、少し寄り道するだけなら問題ないでしょう」
「ほら、ばあやもこう言っているし。そうと決まったら、長居は無用よ。帰りましょう」
強引に雨の下に連れ出されるようにして、二人で風呂敷を胸に抱え込んで濡れた道を歩く。革ブーツはすぐに雨水で色が変わっていた。
人通りの少ない道を進んでいると、雛菊が少し声を抑えて話しかけてくる。
「ねえ、弟さんのことだけど……」
糸のように細い雨が降りしきる中、雛菊は言いよどむように一度言葉を止め、深呼吸してから口を開いた。
「私の婚約者が警官だっていうのは前に話したわよね。もしかしたら、弟さんを探すのに役に立てるかもしれないと思って」
「え?」
「ほら、探偵に頼むのはお金もかかるでしょう。警官なら人捜しは職務の範囲だし、見つからない可能性のほうが高いかもだけど」
近所の雨だれが規則正しく打つ音を聞きながら、思いがけない提案に目を丸くする。自然と歩く速度もゆるやかになる。
脳内で言われた意味をかみ砕き、やっと理解が回ったところで、遠慮がちに言う。
「……頼んでもいいの?」
「もちろん。ただまあ、今は忙しいみたいだから、仕事の空き時間とかになるかもしれないけれど。優しい人だから、きっと力を貸してくれると思うわ」
「雛菊……ありがとう」
感謝の言葉を伝えると、雛菊は照れ隠しのように小さく笑った。
「とはいっても、あまり期待はしないでね?」
「うん。その気持ちだけでも充分、嬉しいから。本当にありがとう」
本当は抱きしめて感動を伝えたいところだったが、外なので自重する。けれど、思っていることは伝わったようで、苦笑いが返ってきた。
家の前に着くと、傘を持った新入りの女中が外で待っていた。届けに行くかどうか、悩んでいたらしい。
転生後の問題は山積みだ。しかしながら、自分の周りには、こうして心配してくれる人がいる。一人で悩んで、うじうじしてられない。
体は冷えていたが、心はぽかぽかと温かくなっていた。
◆◇◆
生乾きの髪を梳いていると、玄関のほうで物音がした。襖を少し開けると、父親の声が聞こえた。今夜は遅い帰りだ。
水を飲もうと廊下に出たところで、声が近づく。
「まあまあ、たくさん飲んできたのですね」
「……若者から飲み比べを挑まれてな。つい飲み過ぎた」
「ほどほどにしていただかなくては。もう若くはないのですから」
「……善処する」
母親にたしなめられた父親が声を小さくする。そして思い出したように、ああ、とつぶやいた。
「そろそろ、娘の将来のことも考えなければならないな」
自分の話題になったため、反射的に自室に引き返して襖を静かに閉める。耳をそばだてて続く会話に集中する。
「婚約者を定められるのですか?」
「級友の中には、もう結納を済ませている娘もいるはずだ」
「それは、そうですが……少し早いのではありませんか? あの子にはもっと自由な時間が必要でしょう」
「ふむ。婚約者の選別にはじっくり時間をかけるべきか。絃乃の晴れ姿も早く見てみたいと思ったのだが」
廊下から聞こえてきた声は、ちょうど自室の前を通り過ぎていく。
「これも時代の流れでしょう。今はわたくしたちのときとは違います。大切な娘だからこそ、その伴侶となる男性は娘を幸せにしてくれる者でないと」
「今の絃乃に結婚は早かったか」
「そうですわ。花嫁修業もまだなのに、せっかちに決めることではありませんわ」
遠のいていく声を聞きながら、絃乃は細い息を吐いた。
「危なかった……母様のおかげで回避できたけれど、危うく私に婚約者ができるところだった」
婚約者が決まれば、詠介への想いも捨てなければならなくなる。
前世からの恋心を忘れられる日が来るかはわからないが、この恋は自分が納得する形で終わらせたい。
自由恋愛がまだ認められない世の中、拒む権利は自分にはない。
(この恋に終わりが来るのだとしても。せめて、もう一度、ちゃんと気持ちだけでも伝えておきたい……)
幕引きは自分の手で。
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