19 / 38
19. 月が見えない夜
しおりを挟む
就寝時間が過ぎて、しんと静まりかえった女子寮にて。
カーテンをロープ代わりにして、するすると降りて地面に降り立つ。下級女官の装いのまま、セラフィーナは極力足音を立てないようにして目的の場所へと急ぐ。
闇色に染まった花梨の道に向かう途中で、ぐいっと後ろから左腕を捕らえられた。
「……っ……!?」
とっさに振り返ると、そこには見知った顔があった。
彼の左手にはランタンが握られており、ゆらゆらと揺れる光源が足元を明るく照らし出す。
「セラフィーナ。なぜ、ここに?」
ぼんやりと照らし出された金色の瞳は不可解そうな色を宿し、驚くセラフィーナを見下ろす。
「……気になって来てしまいました。情報提供者はわたくしですもの。ただの杞憂だったらよいのですが、もし違ったら大変なことになるかと思って」
腕の拘束はすぐに解放され、大きなため息がこぼれる。
前髪をかき上げ、困った教え子を諭すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「夜に女性が一人で出歩く危険性はわかっていますか?」
「……はい」
「あなたは見た目に反して、だいぶ行動力があるようですね。私の認識不足でした」
皆が寝静まった時間であるせいか、声がやけに響いて聞こえる。
どう言えば許してもらえるだろうかと脳内で算段していると、エディが諦めたように言った。
「仕方ありません。私から離れないでくださいね?」
「わ、わかりました」
従順に頷くと、エディが顔を引き締めて横に並ぶ。
横風でマントが翻る。彼の腰のベルトに下げられた剣の長さが目に入り、思わず足を止める。
「それ……レイピア……よりは短いですね?」
エディも足を止め、帯剣している腰ベルトを一瞥した。
「ああ、スモールソードです。レイピアは重量があり、今は決闘用に使われています。スモールソードは刀身は短いですが、軽量で使い勝手がいいんですよ」
「なるほど、時代に即した剣ということですね」
「珍しいですか?」
「え、ええ……。ユールスール帝国では、もう少し長い剣が主流でしたから」
答えると、エディが自分の得物を軽く撫でた。
セラフィーナには馴染みがないが、日常的に使っている彼には愛着があるのだろう。
「慣れたら、こっちのほうが楽なんですけどね――」
苦笑いとともに吐き出された息を飲み込み、エディがすっと目を細める。先ほどまでの穏やかな気配が一転し、緊迫感が迫り出す。
守るようにセラフィーナの前に長い腕が伸ばされ、視線が左右を行き来する。
(どうしたのかしら……?)
警戒しているエディを見ながら、セラフィーナも不審人物がいないか、耳を澄ます。けれど、聞こえてくるのは足音に落ちた葉が風でさらわれる音だけ。
実は気のせいだったのでは、と強ばっていた体から力を抜いたとき、エディが持っていたランタンを下に置いた。え、と思う間に、抜刀して壁際まで走り抜ける。
それは、セラフィーナが瞬きをしているうちに起こった出来事だった。城壁から人が降ってきたと思ったら、その真下にはエディが待ち構えていた。
セラフィーナはランタンを拾って、慌てて城壁の近くまで足を向けた。
金属音がぶつかる音がして、二人分の影が闇の中を動く。
邪魔にならない距離で見守っていると、夜目が利いてきて、侵入者の顔が白い仮面で覆われているのが見えた。不気味な笑いをかたどっている仮面に、派手な羽根の飾りがついている。
(あれが怪盗ノイ・モーント伯爵……?)
首元には貴族らしいクラヴァットが巻かれている。エディが繰り出す剣戟を躱し、伯爵が宙返りして、膝丈まであるフロックコートの裾が翻る。
身軽な動きに目を奪われていると、仮面越しに目が合った気がした。見えないはずなのに、なぜか不敵な笑みを浮かべているような錯覚に襲われる。
だが、その余裕は長くは続かなかったようで、エディが一気に距離を詰めてつばぜり合いになる。弓なりに反った短剣が弾かれ、遠くの茂みに落ちる。
伯爵は後ろに飛び退いて、コートの中に手を入れたかと思うと、何かを投げつけた。
くるくると長い鎖がエディの剣に巻き付く。
ぐいっと引っ張られるのをエディが力を入れて踏ん張るが、伯爵のほうが上手だ。剣ごとエディが横に伯爵のほうに引きずられる。かと思ったら、鎖の拘束がなくなり、力を入れていたエディが体勢を崩す。
そこに伯爵が飛びかかり、拳を突き上げる。けれど、エディはすんでのところで身を躱し、剣を突き出す。伯爵はひょいひょいと軽い身のこなしでよけていくが、小石につまずいたのか、反応が一瞬遅れる。
その隙を逃さず、エディの剣先が伯爵の顎下を狙う。
(あ……)
コトリ、と仮面が地面に落下する。
夜の宮殿とはいえ、オイルランプの外灯は一定の距離ごとに置かれている。
その光がわずかに届く薄闇の中、さらされた素顔を見てエディが目を見開く。近くで見守っていたセラフィーナも驚愕した。なぜなら、その顔は――。
(レクアル様? そんな、ばかな……)
カーテンをロープ代わりにして、するすると降りて地面に降り立つ。下級女官の装いのまま、セラフィーナは極力足音を立てないようにして目的の場所へと急ぐ。
闇色に染まった花梨の道に向かう途中で、ぐいっと後ろから左腕を捕らえられた。
「……っ……!?」
とっさに振り返ると、そこには見知った顔があった。
彼の左手にはランタンが握られており、ゆらゆらと揺れる光源が足元を明るく照らし出す。
「セラフィーナ。なぜ、ここに?」
ぼんやりと照らし出された金色の瞳は不可解そうな色を宿し、驚くセラフィーナを見下ろす。
「……気になって来てしまいました。情報提供者はわたくしですもの。ただの杞憂だったらよいのですが、もし違ったら大変なことになるかと思って」
腕の拘束はすぐに解放され、大きなため息がこぼれる。
前髪をかき上げ、困った教え子を諭すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「夜に女性が一人で出歩く危険性はわかっていますか?」
「……はい」
「あなたは見た目に反して、だいぶ行動力があるようですね。私の認識不足でした」
皆が寝静まった時間であるせいか、声がやけに響いて聞こえる。
どう言えば許してもらえるだろうかと脳内で算段していると、エディが諦めたように言った。
「仕方ありません。私から離れないでくださいね?」
「わ、わかりました」
従順に頷くと、エディが顔を引き締めて横に並ぶ。
横風でマントが翻る。彼の腰のベルトに下げられた剣の長さが目に入り、思わず足を止める。
「それ……レイピア……よりは短いですね?」
エディも足を止め、帯剣している腰ベルトを一瞥した。
「ああ、スモールソードです。レイピアは重量があり、今は決闘用に使われています。スモールソードは刀身は短いですが、軽量で使い勝手がいいんですよ」
「なるほど、時代に即した剣ということですね」
「珍しいですか?」
「え、ええ……。ユールスール帝国では、もう少し長い剣が主流でしたから」
答えると、エディが自分の得物を軽く撫でた。
セラフィーナには馴染みがないが、日常的に使っている彼には愛着があるのだろう。
「慣れたら、こっちのほうが楽なんですけどね――」
苦笑いとともに吐き出された息を飲み込み、エディがすっと目を細める。先ほどまでの穏やかな気配が一転し、緊迫感が迫り出す。
守るようにセラフィーナの前に長い腕が伸ばされ、視線が左右を行き来する。
(どうしたのかしら……?)
警戒しているエディを見ながら、セラフィーナも不審人物がいないか、耳を澄ます。けれど、聞こえてくるのは足音に落ちた葉が風でさらわれる音だけ。
実は気のせいだったのでは、と強ばっていた体から力を抜いたとき、エディが持っていたランタンを下に置いた。え、と思う間に、抜刀して壁際まで走り抜ける。
それは、セラフィーナが瞬きをしているうちに起こった出来事だった。城壁から人が降ってきたと思ったら、その真下にはエディが待ち構えていた。
セラフィーナはランタンを拾って、慌てて城壁の近くまで足を向けた。
金属音がぶつかる音がして、二人分の影が闇の中を動く。
邪魔にならない距離で見守っていると、夜目が利いてきて、侵入者の顔が白い仮面で覆われているのが見えた。不気味な笑いをかたどっている仮面に、派手な羽根の飾りがついている。
(あれが怪盗ノイ・モーント伯爵……?)
首元には貴族らしいクラヴァットが巻かれている。エディが繰り出す剣戟を躱し、伯爵が宙返りして、膝丈まであるフロックコートの裾が翻る。
身軽な動きに目を奪われていると、仮面越しに目が合った気がした。見えないはずなのに、なぜか不敵な笑みを浮かべているような錯覚に襲われる。
だが、その余裕は長くは続かなかったようで、エディが一気に距離を詰めてつばぜり合いになる。弓なりに反った短剣が弾かれ、遠くの茂みに落ちる。
伯爵は後ろに飛び退いて、コートの中に手を入れたかと思うと、何かを投げつけた。
くるくると長い鎖がエディの剣に巻き付く。
ぐいっと引っ張られるのをエディが力を入れて踏ん張るが、伯爵のほうが上手だ。剣ごとエディが横に伯爵のほうに引きずられる。かと思ったら、鎖の拘束がなくなり、力を入れていたエディが体勢を崩す。
そこに伯爵が飛びかかり、拳を突き上げる。けれど、エディはすんでのところで身を躱し、剣を突き出す。伯爵はひょいひょいと軽い身のこなしでよけていくが、小石につまずいたのか、反応が一瞬遅れる。
その隙を逃さず、エディの剣先が伯爵の顎下を狙う。
(あ……)
コトリ、と仮面が地面に落下する。
夜の宮殿とはいえ、オイルランプの外灯は一定の距離ごとに置かれている。
その光がわずかに届く薄闇の中、さらされた素顔を見てエディが目を見開く。近くで見守っていたセラフィーナも驚愕した。なぜなら、その顔は――。
(レクアル様? そんな、ばかな……)
0
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
断罪される令嬢は、悪魔の顔を持った天使だった
Blue
恋愛
王立学園で行われる学園舞踏会。そこで意気揚々と舞台に上がり、この国の王子が声を張り上げた。
「私はここで宣言する!アリアンナ・ヴォルテーラ公爵令嬢との婚約を、この場を持って破棄する!!」
シンと静まる会場。しかし次の瞬間、予期せぬ反応が返ってきた。
アリアンナの周辺の目線で話しは進みます。
変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!
utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑)
妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?!
※適宜内容を修正する場合があります
どうして私にこだわるんですか!?
風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。
それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから!
婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。
え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!?
おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。
※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。
【完結】身内から声が出ないほど、息子は無能か?これなら婚約破棄も致し方ない
BBやっこ
恋愛
息子から、『婚約者との婚約を破棄し、新しく婚約者を紹介したい。』
そう手紙で伝えてきた時、なんの冗談かと我が目を疑った。
彼女は悪役令嬢であり、周りに迷惑をかけていると言う。知らせは受けていたが、なぜこんな結果に。
なぜ誰も止められなかったのだ?
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。
ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。
毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる