17 / 38
17. 広い宮殿ですからね
しおりを挟む
宮殿にはさまざまな人が出入りする。閣議を行う官僚たちや、女官をはじめとした下働きの者もいれば、外部からの客人もいる。
文官棟への荷物を運んだ帰り道で、セラフィーナは足を止めた。
(あれは……)
花梨の木が立ち並ぶ道の奥で、商人風の男が立っている。供の姿はいない。大きめなリュックを背負い、空を見上げていた。
昨日までは雨で遠くが霧がかっていたが、今日は晴天だ。青く突き抜けた空を遮るものはない。
幸い、急ぎの用事はない。セラフィーナは男のもとへ足を向けた。
「もし、そこの方。……道に迷われましたか?」
尋ねると、ビクッと男の肩が数センチ跳ねた。碧色の瞳は驚きに彩られていた。思ったより歳は若い。三十代前半だろうか。灰茶色の髪は癖があり、右端が少し跳ねていた。
「え、あ。……す、すみません。宮殿に入れたのが嬉しくて、ついふらふらと歩いてしまいました。出口はどこですかね?」
後頭部に手をやり、恥ずかしそうに腰を低くしている。
その反応にセラフィーナはくすりと笑みをこぼした。
「広い宮殿ですからね。門までご案内しましょう」
「へ、へえ。ありがたいことです。あ、自分はシルキアからやってきた商人で、名をバルトルトと申します。クラッセンコルトで店を構えるにあたり、献上品をお持ちした次第です。用事が終わったので、少し見て回ろうとしたら迷子になってしまいました」
「そうだったのですね」
笑顔で相づちを打ちながら、セラフィーナは男の様子をつぶさに観察した。相手の警戒心をほぐすような、人の良さそうな風貌だ。
(……うまくいけば、シルキア大国の情報が得られるかもしれない)
領地追放になってから、いろんな国を渡り歩いた。農業大国のミレイ王国、最先端の技術が集まるラシェータ共和国には何度かお世話になってきたが、シルキア大国は魔女狩りを除けば旅一座で行ったきりだ。それも公演のスケジュールが詰まっていて、ろくに観光をする暇もなかった。
魔女として裁かれてからシルキア大国は敵国として認識してきたので、進んで訪れようとは思わなかった。けれども情報は欲しい。
(魔女狩りをしている国ですもの。きっと、わたくしを監視しているのはシルキアの関係者のはず……)
通報されて連れて行かれる先は、決まってシルキア大国。ほぼ黒といっていい。そして魔女が裁かれる手順はいつも同じ。すなわち、柱に体をくくりつけられて火あぶりだ。あの焦げ付くようなにおいと、体を覆い尽くす炎に焼かれる瞬間は思い出したくない。
(今度こそ、魔女として捕まるわけはいかない……)
見るからに重そうなリュックを眺めながら、セラフィーナは口を開いた。
「荷物が多いようですが、どういった商売をなさっているのですか?」
「毛織物や宝石など、手広くさせてもらっています」
「まあ、すごい。マルシカ王国にもお店がありますの?」
「あー……あの国はちょっと規制が厳しくてね。お嬢さんも知っていると思うが、ほら……魔女狩りの影響で国同士の仲がよくないもんだから」
どうやらお店の出店にも影響が出ているらしい。思ったより状況は深刻そうだ。
(わたくしが記憶している限り、開戦はしていなかったはずだけど……。でもそれもいつまで持つか、わからないものね)
魔女こそが諸悪の根源だと断するシルキア大国。国王からの命令とはいえ、マルシカ王国を除くすべての魔女を一斉粛正し、宣戦布告と受け取られてもおかしくはない。両国が手を取り合う未来は本当に訪れないのだろうか。どうにか和解できれば、それが一番いい。貴族にとっても平民にとっても――商売人にとっても。
「シルキア大国では魔女狩りが活発だと伺いました。商売にも関係があるのですか?」
セラフィーナの問いに、バルトルトは表情を暗くした。
「完全に無関係というわけにはいかないですね。魔女らしき者を見たら報告の義務がありますから。……ここだけの話ですが、ちょっとやり過ぎだとは思ってるんですよ」
「というと?」
「魔女と断罪されるのは皆、若い少女ばかりです。本当に魔法を使えるのか、何の確認もせずに連行されて、見ていて可哀想に思えてなりません」
シルキア大国の人間はすべて魔女に対する嫌悪があるのだと思っていたが、魔女に同情的な人間もいるらしい。それがわかっただけでも収穫だ。
「……こちらが正門です。散策をしたいお気持ちもわかりますが、宮殿内をあまりふらふら歩いていると怪しい者だと疑われますので、ほどほどにしてくださいね」
「はい。本当にお世話になりました。それでは」
何度も頭を下げながらバルトルトは去っていった。
その背中を見送った足で、セラフィーナは騎士宿舎に向かった。
文官棟への荷物を運んだ帰り道で、セラフィーナは足を止めた。
(あれは……)
花梨の木が立ち並ぶ道の奥で、商人風の男が立っている。供の姿はいない。大きめなリュックを背負い、空を見上げていた。
昨日までは雨で遠くが霧がかっていたが、今日は晴天だ。青く突き抜けた空を遮るものはない。
幸い、急ぎの用事はない。セラフィーナは男のもとへ足を向けた。
「もし、そこの方。……道に迷われましたか?」
尋ねると、ビクッと男の肩が数センチ跳ねた。碧色の瞳は驚きに彩られていた。思ったより歳は若い。三十代前半だろうか。灰茶色の髪は癖があり、右端が少し跳ねていた。
「え、あ。……す、すみません。宮殿に入れたのが嬉しくて、ついふらふらと歩いてしまいました。出口はどこですかね?」
後頭部に手をやり、恥ずかしそうに腰を低くしている。
その反応にセラフィーナはくすりと笑みをこぼした。
「広い宮殿ですからね。門までご案内しましょう」
「へ、へえ。ありがたいことです。あ、自分はシルキアからやってきた商人で、名をバルトルトと申します。クラッセンコルトで店を構えるにあたり、献上品をお持ちした次第です。用事が終わったので、少し見て回ろうとしたら迷子になってしまいました」
「そうだったのですね」
笑顔で相づちを打ちながら、セラフィーナは男の様子をつぶさに観察した。相手の警戒心をほぐすような、人の良さそうな風貌だ。
(……うまくいけば、シルキア大国の情報が得られるかもしれない)
領地追放になってから、いろんな国を渡り歩いた。農業大国のミレイ王国、最先端の技術が集まるラシェータ共和国には何度かお世話になってきたが、シルキア大国は魔女狩りを除けば旅一座で行ったきりだ。それも公演のスケジュールが詰まっていて、ろくに観光をする暇もなかった。
魔女として裁かれてからシルキア大国は敵国として認識してきたので、進んで訪れようとは思わなかった。けれども情報は欲しい。
(魔女狩りをしている国ですもの。きっと、わたくしを監視しているのはシルキアの関係者のはず……)
通報されて連れて行かれる先は、決まってシルキア大国。ほぼ黒といっていい。そして魔女が裁かれる手順はいつも同じ。すなわち、柱に体をくくりつけられて火あぶりだ。あの焦げ付くようなにおいと、体を覆い尽くす炎に焼かれる瞬間は思い出したくない。
(今度こそ、魔女として捕まるわけはいかない……)
見るからに重そうなリュックを眺めながら、セラフィーナは口を開いた。
「荷物が多いようですが、どういった商売をなさっているのですか?」
「毛織物や宝石など、手広くさせてもらっています」
「まあ、すごい。マルシカ王国にもお店がありますの?」
「あー……あの国はちょっと規制が厳しくてね。お嬢さんも知っていると思うが、ほら……魔女狩りの影響で国同士の仲がよくないもんだから」
どうやらお店の出店にも影響が出ているらしい。思ったより状況は深刻そうだ。
(わたくしが記憶している限り、開戦はしていなかったはずだけど……。でもそれもいつまで持つか、わからないものね)
魔女こそが諸悪の根源だと断するシルキア大国。国王からの命令とはいえ、マルシカ王国を除くすべての魔女を一斉粛正し、宣戦布告と受け取られてもおかしくはない。両国が手を取り合う未来は本当に訪れないのだろうか。どうにか和解できれば、それが一番いい。貴族にとっても平民にとっても――商売人にとっても。
「シルキア大国では魔女狩りが活発だと伺いました。商売にも関係があるのですか?」
セラフィーナの問いに、バルトルトは表情を暗くした。
「完全に無関係というわけにはいかないですね。魔女らしき者を見たら報告の義務がありますから。……ここだけの話ですが、ちょっとやり過ぎだとは思ってるんですよ」
「というと?」
「魔女と断罪されるのは皆、若い少女ばかりです。本当に魔法を使えるのか、何の確認もせずに連行されて、見ていて可哀想に思えてなりません」
シルキア大国の人間はすべて魔女に対する嫌悪があるのだと思っていたが、魔女に同情的な人間もいるらしい。それがわかっただけでも収穫だ。
「……こちらが正門です。散策をしたいお気持ちもわかりますが、宮殿内をあまりふらふら歩いていると怪しい者だと疑われますので、ほどほどにしてくださいね」
「はい。本当にお世話になりました。それでは」
何度も頭を下げながらバルトルトは去っていった。
その背中を見送った足で、セラフィーナは騎士宿舎に向かった。
0
お気に入りに追加
99
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

公爵夫人アリアの華麗なるダブルワーク〜秘密の隠し部屋からお届けいたします〜
白猫
恋愛
主人公アリアとディカルト公爵家の当主であるルドルフは、政略結婚により結ばれた典型的な貴族の夫婦だった。 がしかし、5年ぶりに戦地から戻ったルドルフは敗戦国である隣国の平民イザベラを連れ帰る。城に戻ったルドルフからは目すら合わせてもらえないまま、本邸と別邸にわかれた別居生活が始まる。愛人なのかすら教えてもらえない女性の存在、そのイザベラから無駄に意識されるうちに、アリアは面倒臭さに頭を抱えるようになる。ある日、侍女から語られたイザベラに関する「推測」をきっかけに物語は大きく動き出す。 暗闇しかないトンネルのような現状から抜け出すには、ルドルフと離婚し公爵令嬢に戻るしかないと思っていたアリアだが、その「推測」にひと握りの可能性を見出したのだ。そして公爵邸にいながら自分を磨き、リスキリングに挑戦する。とにかく今あるものを使って、できるだけ抵抗しよう!そんなアリアを待っていたのは、思わぬ新しい人生と想像を上回る幸福であった。公爵夫人の反撃と挑戦の狼煙、いまここに高く打ち上げます!
➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】夫は私に精霊の泉に身を投げろと言った
冬馬亮
恋愛
クロイセフ王国の王ジョーセフは、妻である正妃アリアドネに「精霊の泉に身を投げろ」と言った。
「そこまで頑なに無実を主張するのなら、精霊王の裁きに身を委ね、己の無実を証明してみせよ」と。
※精霊の泉での罪の判定方法は、魔女狩りで行われていた水審『水に沈めて生きていたら魔女として処刑、死んだら普通の人間とみなす』という逸話をモチーフにしています。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる