ループ8回目ですが、わたくしは悪役令嬢であって魔女ではありません!

仲室日月奈

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1. 婚約破棄は慣れっこです

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 きらめくシャンデリアの下、舞踏会の主催であるディック・ユールスール皇太子は階段の踊り場から婚約者を見下ろした。

「誤解があるなら言ってくれ。君の口から真実が知りたい」

 聞き飽きた台詞に、ため息をつきそうになるのをぐっと堪える。
 夜空を描いたような紺のドレスをひとつかみし、セラフィーナは頭を垂れた。波打ったアッシュベージュの髪の一房がさらりと背中を流れる。

「……ディック殿下のお考えの通りかと存じます」
「ならば、マリアンヌ姫への数々の非道な行い、すべて君の指示だと?」

 ディックが隣でたたずむ銀髪の姫を一瞥する。セラフィーナもその視線を追った。
 マリアンヌ・リュイ・シルキア。シルキア大国の第五王女である。元侍女の庶出として冷遇されて育った、隣国からの留学生。
 碧眼はすでに潤んでおり、眉尻を下げて困惑した面持ちだ。

「殿下もマリアンヌ様からお聞き及びだと思いますが、わたくしは直接手を下しておりません」
「だったら……っ」
「わたくしの取り巻きがしたことですが、咎めなかった責はわたくしにあります。知っていて何もしなかったのですから。殿下のおっしゃる誤解や思い違いはございません」

 淡々と説明すると、ディックは何かを堪えるように右手をぎゅっと握りしめた。

(まだだわ……まだ終わっていない)

 彼の婚約者として、この茶番劇に最後まで付き合わなくてはならない。
 たとえ、今後の一連の会話や仕草まで暗記しているとしても。

「誤解であればと思っていたが……そこまで言うのなら致し方ない。マリアンヌ姫はシルキア大国から預かっている大事な姫君だ。彼女を貶める者を婚約者のままにしておくことはできない。この場をもって、君との婚約を解消させていただく」
「……かしこまりました」

 侯爵令嬢たるもの、微笑みは絶やしてはならない。
 周囲からひそひそと囁かれる声や蔑みの視線に屈してはならない。
 なぜなら、自分は途中退場がお約束の悪役令嬢なのだから。

   ◇◆◇

 舞踏会のホールを抜け、誰もいない回廊で立ち止まる。夜風で雫型のイヤリングが耳元で揺れた。

(ここまでは過去と同じ。問題はこの後よ……!)

 人生が巻き戻る瞬間はいつも同じだった。
 婚約破棄の三日前。自室のベッドで目を覚ますところから始まる。
 なぜかはわからない。いくら考えても答えは出てこないから、もう考えるのはやめた。
 けれど、タイムリミットまでのカウントダウンはすでに始まっている。皇太子妃になるはずだった未来は立ち消え、非道な行いをしてきた侯爵令嬢として、セラフィーナは家から追い出されて領地追放となる。それだけならばいい。
 
 問題は、領地追放から三年以内に魔女として断罪されることだ。

 一度目の人生は一年目、二度目は三年目、三度目は二年半。期間はまちまちだが、必ず死神がやってくるのだ。おかげさまで三年以上、生き延びたことがない。
 魔女として裁かれる理由もいまだによくわからない。
 村人からの通報だったり、騎士団が家までやってきたりして、突然魔女だと指を差されて牢屋へ直行。魔法なんて使ったことがないと言っても誰も聞く耳を持たず、何の弁解もできないまま死を迎える。

 そして気づいたら、なぜか婚約破棄の三日前に戻っている。

 ループ四回目では、魔女として断罪されるのを防ごうと魔法に関する文献を探したが、シルキア大国の魔女狩りのせいで魔法書を入手することも叶わなかった。どうにか魔法を身に付けられないかと奮闘したものの独学では限界があり、研究らしい研究もできずにタイムリミットが来てしまった。
 他の魔女を探そうとしたこともあるが、魔女狩りを恐れてか、ついぞ接触することはできなかった。
 わかったことは、どうやっても魔法は使えないこと、周囲に魔女だと知られた段階で手遅れだということ。ループ七回目で、遠くの島国に住む魔法使いに自分の魔力を調べてもらったが、数値はゼロだと言われた。意味がわからない。一体なぜ、毎回魔女として死ななければならないのか。
 答えは闇の中である。

(だけど、わたくしは負けられない……運命だって抗ってみせるわ!)

 今度こそ、このどうしようもないループ人生から抜け出すのだ。
 一人決意を高めていると、ふと小さな音が耳に入る。

「ん……?」

 耳をすませば、ちりんちりんと鈴の音が聞こえてきた。耳を澄ませ、音の方向を探る。少しして近くの木の上で葉が擦れる音がした。
 慎重に足を踏み出すと、みゃあ、と鳴く声が続いた。
 視線を上げると、太い枝の上で黒い猫が丸くなっている。漆黒の闇の中から金色の目があやしく光り、こちらを見ている。

「……あなた、降りられなくなってしまったの?」

 思わず尋ねると、なぁう、と是とも否ともつかない声が返ってくる。
 セラフィーナはアメジストの瞳を瞬く。瞬きの間も、猫はその場所から動かない。
 嘆息し、左右を見渡して周囲に人の気配がないことを確認する。それからヒールをぽいっと芝生の上に脱ぎ捨てた。銀糸とビーズの刺繍が美しいドレスを膝上までたくしあげ、幹に片足を乗せる。するすると木を登り、猫のいる枝に片足をひっかけた。
 ひょいと飛び移り、黒猫を片手で担ぎ上げる。もう片方の手で枝をつかみ、ぐるんと半回転し、その勢いのまま着地した。

「見事だ」
「……っ……」

 低い声にびくりと身体を震わすと、腕の中にいた猫がさっと降りて暗闇の中に消えていく。セラフィーナは声の主を振り返り、目を見開いた。
 回廊には腕を組んだ若い男が立っていた。サイドとバックを刈り込んだ琥珀色の髪は艶やかで、切れ長の瞳が興味深げにこちらを見ている。肩から帯を斜めがけにした青いサテン生地は、ゆったりとドレープが作ってある。クラッセンコルト公国の民族衣装だ。二十歳ほどの外見から考えると、次期大公の二人の弟君のどちらかだろう。
 セラフィーナはドレスで裸足を隠し、回廊まで進み出た。そして腰を低くし、顔を伏せる。

「失礼いたしました。お恥ずかしいところを……」

 失態だった。
 今夜の舞踏会は各国の賓客も招待されている。これまでのループ人生で話しかけられたことがなかったから存在を忘れていた。
 だが今、失敗を悔やんでも後の祭りだ。

「いや、堅苦しい挨拶はよい。先ほどの跳躍は軽やかだった。とても婚約破棄をされて傷心中の令嬢とは思えないぐらい」
「レクアル殿下」

 軽く諫める声がした後、レクアルの後ろから護衛と思しき人影が前に出る。月夜の灯りに照らし出されたのは翡翠の髪と金色の瞳。髪は背中につく長さで、後ろで縛ってある。
 白を基調とした騎士服は凜として、目が合うとふわりと微笑を向けられた。
 思わずどきりとするほどの美貌だ。金色の瞳を縁取る長い睫毛は傾国の美女のような色気がありながら、彫りの深い顔は凜々しさも兼ね備えている。こんな美形、なかなかお目にかかれない。
 年齢はレクアルとさほど変わらないように見えるが、静謐な水面のような落ち着いた佇まいから察するに、彼のほうが年上なのかもしれない。

「セラフィーナ・アールベック侯爵令嬢」

 舞踏会で入場する際に読み上げるように名を呼ばれ、レクアルのほうに視線を合わす。

「は、はい」
「俺の第二妃になる気はないか?」
「…………は?」
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