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四十話 もう一度だけチャンスを

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「クロード、お勤めご苦労さん」

 ロシェールの兵士の対応で帰城の遅くなったクロードは、寝ずに息子を待っていたカトリーヌに向かって一礼した。

「遅くなりました」
「その様子だと大したことなかったみたいだね」
「いつもの冷やかしでした。こちらはお変わりありませんでしたか?」
「それが、ちょっと気になることがあってね」

 カトリーヌは窓の外を指差した。

「あっちの方向に煙が上がっているように見えるんだけど、もしかして火事じゃないかと思って」

 外はもう真っ暗だったが、確かにカトリーヌが指さす先に、細くて白いボヤッとしたものが星空を遮っていた。

「少し遠いようですが、うちの領土内でしょうか?」
「外れているかもしれない。ただ……」

 カトリーヌは眉をひそめた。

「二日ほど前に王都から連絡があったんだ。フエリト村周辺に不審者がうろついているみたいだから見に行って欲しいって」
「フエリト村?」

 クロードの指先がピクリと痙攣した。

「お前はいなかったし、うちもロシェールの対策が優先だったから騎士を出す余裕がなくてな。あそこは一応王領だから、中央の騎士を派遣するよう頼んだんだが。本当にちゃんと来てくれたんだろうか?」

 クロードは今脱いだばかりのマントをすぐに羽織り直した。

「今から行くのか?」
「はい、気になりますので」
「お前は今帰ってきたばかりだろう? 私が行って見てくるから……」
「いえ、母上のお手を煩わせるわけにはいきません」
「じゃあせめて他の者を……」
「もう遅いですし、皆疲れています。それに私が気になることがありますので、他の者には任せられません」

 そう言うと、クロードはカトリーヌの静止を振り切ってステヴナン城を飛び出した。

(中央の騎士たちは辺境と違って余裕があるくせに、面倒事はすぐこちらに押し付けようとする。ギリギリ王領のフエリト村はほとんど辺境みたいなものだから、うちが騎士を出さねば多分誰も来てくれないだろう)

 ただ一人を除いて、だが。

(セルジュがこの事を知っていたら、おそらく本来の仕事をほっぽり出してでも助けに来ているはずだ。無事だといいのだが)

 しかしクロードの願いも虚しく、彼がフエリト村についた時、既に村は襲われた後で壊滅状態だった。火事の後の建物は燻り、火の手を免れた建物も倒壊して原型を留めているものは無く、あちこちに倒れている村民たちは既に息絶えて生存者は見当たらなかった。

(酷いな。こんな小さな村にここまでする必要があったのか?)

 やはり中央は助けを遣さなかったらしい。クロードはため息をつきかけたが、地面に落ちている物が目に入って思わず息を止めた。

(これは……)

 それは隅にステヴナン家の紋章を施した白いハンカチだった。だいぶ年季が入って薄汚れたものだったが、見覚えのあるそのハンカチを見てクロードの全身に鳥肌が立った。

(セルジュだ!)

 かつてクロードがセルジュに贈ったハンカチだった。三年前にクロードはセルジュを酷く怒らせてしまい、それ以来一方的に絶交されている状態だったのだが、それでも自分のあげた物を普通に使っているところがセルジュらしかった。

(いや、今はそんなことはどうでもいい)

 クロードは慌てて村中を走り回ったが、遺体の中にセルジュの姿を見つけることはできなかった。

(シモンの遺体も無い。どこか別の場所に連れ去られたのか? それとも倒壊した建物の下敷きに?)

 クロードのこめかみから冷や汗が流れ落ちた。

(どうする? 一旦戻って助けを呼ぶか? しかしそれで間に合うのか?)

 焦るクロードの耳に、その時微かに何かの鳴き声のような音が聞こえた。ハッとして振り返ると、倒壊した一軒の民家から猫の鳴き声がしているようであった。

(これは!)

 近づいて確認したクロードは驚いて目を見開いた。落ちた屋根の下に戸棚があり、その中に守られるように小さな赤ん坊が、タオルを敷いたお椀の中に収まっていた。

(生まれたばかりの赤ん坊なんて見たことないが、ここまで小さいものなのか?)

 だが戸棚から慎重に取り出してみて、その子が人間ではないことにすぐに気がついた。緑色の髪は百歩譲ってありえるかもしれないが、背中の羽根は間違いなく人間のものではない。

(何の魔法生物だ? どうしてここにいるんだろう?)

 魔法生物の赤ん坊はか細い声で泣き続けていて、クロードはどうしていいか分からず途方に暮れてしまった。

(腹が減ってるのか。何を食べるんだ? 早く連れて帰って母上に任せるべきか。ああでも……)

 不器用に赤ん坊を揺すりながら、クロードは今にも泣きそうな声で独りごちた。

「どこにいるんだ、セルジュ」

 その時、突然赤ん坊が泣くのをピタリとやめた。驚いて覗き込んだクロードを紫色の瞳がじーっと見上げている。

「……なんだ?」
「ふげ」

 赤ん坊は自分がいた民家に視線を移した。それから何か言いたげにもう一度クロードをじっと見上げた。

(何だろう……)

 クロードはもう一度赤ん坊のいた民家に戻って中を覗き込んだ。

「あっ!」

 戸棚の後ろにかろうじてできていた空間に、金髪の青年がうつ伏せに倒れていた。外から見ただけでは、その部分は完全に倒壊しているようにしか見えない場所にある隙間だった。

「セルジュ!」

 クロードは慎重にセルジュを倒壊した民家から引っ張り出した。セルジュは全身傷だらけで気を失っており顔色もひどく悪かったが、かろうじて呼吸を確認することはできた。

「良かった……」

(この怪我では安易に動かさない方がいいだろう。心配だが一旦戻って馬車を取ってこなければ……)

 その時、二人の顔を交互に見ていた赤ん坊が、突然緑色の光に包まれた。思わず手をかざして目を庇ったクロードが再び見下ろした時、赤ん坊はすっかりその姿を変えていた。

「えっ?」

 掌ほどしかなかった大きさは両手で抱えなければ持ち上げられないほどになり、緑色だった髪は透けるような金髪に変化している。紫色だった瞳はクロードと同じエメラルド色になって、どこからどう見てもふっくらとした人間の赤ん坊だ。しかも驚いたことに、幼いその顔にはセルジュの面影があった。

(なんてことだ。この姿をとれば、俺に育ててもらえると思ったんだな)

 先程セルジュの居場所を教えたのは、セルジュを見つけさえすればクロードが早く安全で食べ物のある場所まで連れて行ってくれるものだと踏んだからかもしれない。

(何というしたたかな生存本能だ)

 その時、地面を蹴る蹄の音が遠くから響いてきた。

「クロード様!」

 数名のステヴナンの騎士たちが、クロードを追ってフエリト村まで駆けつけてくれたのだ。

「クロード様、その赤子は……」

 馬から降りた騎士の一人が、緑色の目を持つ赤ん坊を驚いて覗き込んできた。クロードは一瞬考えた後、スラスラっとその場で思いついた出まかせを口にした。

「俺の子供だ。訳あってここで育ててもらっていた。母親が重症だ。一刻も早く馬車を用意してくれ」

 すぐに騎士の一人がステヴナン城にとんぼ返りして馬車を引いてきてくれたが、騎士から話を聞いて仰天したカトリーヌも漏れなく馬車に乗って来ていた。

「子供って一体どういうことだぁ!?」
「あ、母上……」

 カトリーヌはクロードが抱いている赤ん坊を見て一瞬ポカンと口を開けたが、すぐに倒れているセルジュに気がついてそちらへ駆け寄った。

「こりゃ酷いね」

 カトリーヌはすぐにセルジュの治療に当たったが、しばらくして不審げな表情を浮かべた。

「母上?」
「外傷は綺麗に治ったが熱が一向に下がらない。痛みが消えないのはいつものことで仕方ないけど、この熱は良くないな」

 カトリーヌはセルジュの額に手を当てた。

「精神的な傷が酷すぎるようだ。故郷をこんなにされたんだから無理もないが。このままでは恐らく助からないぞ」
「そんな! どうすれば……」
「原因となっている記憶を消す」

 カトリーヌは両手でセルジュの額を押さえると、青い光を放出しながらぐっと力を入れた。一瞬セルジュの体がビクッと痙攣したが、すぐに穏やかな表情で寝息を立て始めた。

「念の為ここ一週間程度の記憶を消しておいた。まあ問題ないだろう。これでひとまず命は取り留めるはずだ。しばらく眠ることになるとは思うけど」
「ありがとうございます」
「それで、その子をどうするつもりだ?」

 カトリーヌはクロードに一歩近づいて声を落とした。

「西の辺境伯なら魔法生物の生態に通じている。あいつに頼めば預かってくれると思うが……」
「いえ、私の子供として面倒を見ます」
の子供としてか?」

 クロードが頷くのを見てカトリーヌはため息をついた。

「お前が昔からこのオメガに入れ込んでいるのは知っていたが、こんなやり方で本当に大丈夫か? 記憶が無いのをいいことに、こいつを騙して囲い込むのか?」
「……三年前、俺はなりふり構わず彼を手に入れることを躊躇ためらいました。本当の事を話せば、セルジュはフランソワなんか見限って、俺の所へ来てくれたかも知れなかったのに。その事をずっと後悔していました」

 クロードはセルジュに似た姿に擬態した赤ん坊の頭をそっと優しく撫でた。

「この赤ん坊が、もう一度だけセルジュを手に入れるチャンスをくれたんです。だから今度こそ絶対に逃すわけにはいかないのです。この子もセルジュも、必ず幸せにして見せます。ですから母上、どうか目をつぶってはいただけないでしょうか?」

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