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二十話 また同じ場所を負傷したのか
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「クロード!」
慌てて監獄の割れ目に駆け寄ったセルジュは、ハアハアと肩で息をしながら両目を血走らせたクロードとバチリと目が合った。
「あ……」
クロードはセルジュを見るとホッとしたように微かに表情を緩め、そのまま倒れるように覆い被さってきた。
「ちょっ……」
ヒヤリと濡れた感覚に、セルジュはハッとしてクロードに掴まれた左肩を見た。ズタズタに破けた右手の黒い革手袋の隙間から漏れ出した赤い鮮血が、セルジュの肩をじっとりと濡らしていた。
「クロード様!」
イザベルが金切り声を上げ、スワンも慌てて近づいてくる。
「ロベール伯爵! 流石にこれはやり過ぎなのでは?」
いつも朗らかなスワンが、珍しく険しい表情で棘の監獄に向かって吠えた。ロベール伯爵はスワンに構わず、手に持っているガラス瓶から青い液体を地面に撒いている。その液体が地面に広がるのと同時に、どこかふわふわとおぼつかなかったセルジュの思考が、冷水を浴びせられたようにはっきりと戻ってきた。どうやら先ほどの薬を中和しているようだ。
「こいつが貴重な物を欲しがるから、それに相応しいかテストさせてもらったまでだ」
「ただでさえクロードは負傷しているのですよ! 事前に書簡を送りましたよね?」
「そんなこと私には関係ないだろう?」
「ですが、北の防衛が……」
「それも私には関係ないことだ」
ロベール伯爵は本当に興味なさげにそう言うと、くるりと踵を返して城の中へ入っていった。
「入りたまえ。そもそもそんな話をするためにここに集まったわけじゃないだろう?」
スワンはギリギリと歯軋りしたが、確かに伯爵の言う通りであるため従うより他はない。彼は仕方なくクロードに手を貸そうと二人の元に駆け寄った。
「クロード、大丈夫か?」
しかし親切心で近づいたにも関わらず、クロードはいきなり差し伸べられたスワンの手を引っ叩いた。
「えぇっ? どうした?」
「お前、こいつに、手ぇ出してないだろうな?」
セルジュの肩越しに睨みつけてくるクロードに、スワンはロベール伯爵に対するイライラも吹き飛んで思わず苦笑した。
「お前ら全員私に対する扱い酷くない? お前こそ伯爵と二人で何やってたんだ?」
クロードはゴホゴホッと咳き込むと、血の混じった痰をぺっと吐き出した。
「右手を棘に叩きつけて正気を保った」
「すごいな、発情中のオメガの誘惑に打ち勝つなんて。アルファの常識じゃ考えられないことだ」
「あのジジイ相手だったからだ。一緒に閉じ込められたのがこいつだったら、多分無理だったと思う」
こいつ、というのは言うまでもなく自分のことだろう。セルジュは恥ずかしくなって、思わずクロードの胸に隠れるように顔を埋めた。同時になんだかほっとするような温かい感情が胸に灯り、その灯はセルジュの心を軽く揺さぶって戸惑わせた。
(良かったって、これはエミールのためにそう思ってるんだよな?)
そうでなければ、自分の今までのクロードに対する態度を説明できない。愛されるに値するような行動を取っていないにも関わらず、相手には一方的に大事にされたいだなんて、それはずるくて相手に失礼な気がした。
◇◆◇
ロベール伯爵の居城は、クロードのステヴナン城より飾られている絵画や調度品の数も多く、家具や絨毯の質も高くてずっと豪勢だった。北方に比べて気候も過ごしやすく温暖なはずだが、にも関わらずこの城内が寒々しく寂しい感じがするのは、人の気配を殆ど感じ取ることができないからだろうか。
「ようこそ、我がロベール領へ」
ロベール伯爵は大きな長机のある応接室に四人を招き入れた。すぐに数名の使用人がお茶と軽食を運んできたが、彼らが人間なのか、それとも人の姿をした魔法生物なのか区別がつかず、セルジュはステヴナン城に監禁されていた時より数倍緊張してしまった。
使用人のうちの一人が、木の器に入った塗り薬をクロードの元へと運んできた。
「テストとはいえ私も悪ふざけが過ぎた。その薬は切り傷には良く効くはずだ」
クロードは薬を受け取ると、そっくりそのまま隣に座るセルジュの前へ滑らせた。
「え?」
「お前が使え」
(こいつ、自分の方がボロボロだってのに、俺の手に気づいてたのか)
それを見てスワンがすぐに口を開いた。
「ロベール伯爵、先ほどセルジュも棘で傷を負ったのです。もう一人分薬をいただけませんか?」
「私が閉じ込めたのはクロードであって、そのオメガは必要もないのに勝手に自分で怪我しただけだろう? そんなアホにやるような薬は無い」
「しかし……」
「いい、スワン。俺は必要無い」
クロードは淡々とそう言うと、セルジュの両手に巻かれた血に染まったハンカチを外し始めた。鉄球に焼かれた痛みがまだ残っている上、棘に刺されて右手は相当痛むはずだったが、この男は相変わらず顔色ひとつ変えずにセルジュの手に薬を塗ろうとした。
「いや、俺だっていいよ。お前の方が重症だろ?」
「俺は片手だけだ」
「いや、それ以前に……ていうかこれじゃ俺が恥ずかしいから」
「何が恥ずかしいんだ?」
クロードは全く聞く耳を持たずに、さっさとセルジュの両手に薬を塗って使い切ってしまった。
(えぇ~)
色んな意味で恥ずかしくなって、セルジュはもじもじと俯いた。聖職者の力とは違って傷口が塞がることはなかったが、すうっと痛みが軽くなるのが感じられた。
(いやこれ絶対クロードに必要だったやつ!)
セルジュはもう一度薬をもらえるようロベール伯爵に抗議しようとしたが、先に口を開いたクロードに遮られてしまった。
「それより例のモノはちゃんといただけるのでしょうね」
「心配せずとも今夜渡してやる。やれやれ、こんなに必死な君を見る日が来ようとは」
クロードはそれを聞いて安心したのか、それ以上言い返すことなく満足げに頷いた。
「さて、すっかり本来の目的を忘れてしまったな。君たちはなぜわざわざここへ来たんだったか」
「近頃辺境に近い村が襲われている件についての情報共有ですよ!」
イザベルの言葉を聞いたロベール伯爵の目が怪しい光を放った。
「ああ、そういえばそうだったな」
慌てて監獄の割れ目に駆け寄ったセルジュは、ハアハアと肩で息をしながら両目を血走らせたクロードとバチリと目が合った。
「あ……」
クロードはセルジュを見るとホッとしたように微かに表情を緩め、そのまま倒れるように覆い被さってきた。
「ちょっ……」
ヒヤリと濡れた感覚に、セルジュはハッとしてクロードに掴まれた左肩を見た。ズタズタに破けた右手の黒い革手袋の隙間から漏れ出した赤い鮮血が、セルジュの肩をじっとりと濡らしていた。
「クロード様!」
イザベルが金切り声を上げ、スワンも慌てて近づいてくる。
「ロベール伯爵! 流石にこれはやり過ぎなのでは?」
いつも朗らかなスワンが、珍しく険しい表情で棘の監獄に向かって吠えた。ロベール伯爵はスワンに構わず、手に持っているガラス瓶から青い液体を地面に撒いている。その液体が地面に広がるのと同時に、どこかふわふわとおぼつかなかったセルジュの思考が、冷水を浴びせられたようにはっきりと戻ってきた。どうやら先ほどの薬を中和しているようだ。
「こいつが貴重な物を欲しがるから、それに相応しいかテストさせてもらったまでだ」
「ただでさえクロードは負傷しているのですよ! 事前に書簡を送りましたよね?」
「そんなこと私には関係ないだろう?」
「ですが、北の防衛が……」
「それも私には関係ないことだ」
ロベール伯爵は本当に興味なさげにそう言うと、くるりと踵を返して城の中へ入っていった。
「入りたまえ。そもそもそんな話をするためにここに集まったわけじゃないだろう?」
スワンはギリギリと歯軋りしたが、確かに伯爵の言う通りであるため従うより他はない。彼は仕方なくクロードに手を貸そうと二人の元に駆け寄った。
「クロード、大丈夫か?」
しかし親切心で近づいたにも関わらず、クロードはいきなり差し伸べられたスワンの手を引っ叩いた。
「えぇっ? どうした?」
「お前、こいつに、手ぇ出してないだろうな?」
セルジュの肩越しに睨みつけてくるクロードに、スワンはロベール伯爵に対するイライラも吹き飛んで思わず苦笑した。
「お前ら全員私に対する扱い酷くない? お前こそ伯爵と二人で何やってたんだ?」
クロードはゴホゴホッと咳き込むと、血の混じった痰をぺっと吐き出した。
「右手を棘に叩きつけて正気を保った」
「すごいな、発情中のオメガの誘惑に打ち勝つなんて。アルファの常識じゃ考えられないことだ」
「あのジジイ相手だったからだ。一緒に閉じ込められたのがこいつだったら、多分無理だったと思う」
こいつ、というのは言うまでもなく自分のことだろう。セルジュは恥ずかしくなって、思わずクロードの胸に隠れるように顔を埋めた。同時になんだかほっとするような温かい感情が胸に灯り、その灯はセルジュの心を軽く揺さぶって戸惑わせた。
(良かったって、これはエミールのためにそう思ってるんだよな?)
そうでなければ、自分の今までのクロードに対する態度を説明できない。愛されるに値するような行動を取っていないにも関わらず、相手には一方的に大事にされたいだなんて、それはずるくて相手に失礼な気がした。
◇◆◇
ロベール伯爵の居城は、クロードのステヴナン城より飾られている絵画や調度品の数も多く、家具や絨毯の質も高くてずっと豪勢だった。北方に比べて気候も過ごしやすく温暖なはずだが、にも関わらずこの城内が寒々しく寂しい感じがするのは、人の気配を殆ど感じ取ることができないからだろうか。
「ようこそ、我がロベール領へ」
ロベール伯爵は大きな長机のある応接室に四人を招き入れた。すぐに数名の使用人がお茶と軽食を運んできたが、彼らが人間なのか、それとも人の姿をした魔法生物なのか区別がつかず、セルジュはステヴナン城に監禁されていた時より数倍緊張してしまった。
使用人のうちの一人が、木の器に入った塗り薬をクロードの元へと運んできた。
「テストとはいえ私も悪ふざけが過ぎた。その薬は切り傷には良く効くはずだ」
クロードは薬を受け取ると、そっくりそのまま隣に座るセルジュの前へ滑らせた。
「え?」
「お前が使え」
(こいつ、自分の方がボロボロだってのに、俺の手に気づいてたのか)
それを見てスワンがすぐに口を開いた。
「ロベール伯爵、先ほどセルジュも棘で傷を負ったのです。もう一人分薬をいただけませんか?」
「私が閉じ込めたのはクロードであって、そのオメガは必要もないのに勝手に自分で怪我しただけだろう? そんなアホにやるような薬は無い」
「しかし……」
「いい、スワン。俺は必要無い」
クロードは淡々とそう言うと、セルジュの両手に巻かれた血に染まったハンカチを外し始めた。鉄球に焼かれた痛みがまだ残っている上、棘に刺されて右手は相当痛むはずだったが、この男は相変わらず顔色ひとつ変えずにセルジュの手に薬を塗ろうとした。
「いや、俺だっていいよ。お前の方が重症だろ?」
「俺は片手だけだ」
「いや、それ以前に……ていうかこれじゃ俺が恥ずかしいから」
「何が恥ずかしいんだ?」
クロードは全く聞く耳を持たずに、さっさとセルジュの両手に薬を塗って使い切ってしまった。
(えぇ~)
色んな意味で恥ずかしくなって、セルジュはもじもじと俯いた。聖職者の力とは違って傷口が塞がることはなかったが、すうっと痛みが軽くなるのが感じられた。
(いやこれ絶対クロードに必要だったやつ!)
セルジュはもう一度薬をもらえるようロベール伯爵に抗議しようとしたが、先に口を開いたクロードに遮られてしまった。
「それより例のモノはちゃんといただけるのでしょうね」
「心配せずとも今夜渡してやる。やれやれ、こんなに必死な君を見る日が来ようとは」
クロードはそれを聞いて安心したのか、それ以上言い返すことなく満足げに頷いた。
「さて、すっかり本来の目的を忘れてしまったな。君たちはなぜわざわざここへ来たんだったか」
「近頃辺境に近い村が襲われている件についての情報共有ですよ!」
イザベルの言葉を聞いたロベール伯爵の目が怪しい光を放った。
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