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十六話 プレイボーイの勘

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「ダメだ」

 反射的に口から言葉が飛び出した。「何を言ってるんですか?」とか、「どういう意味ですか?」とか、相手の意図を確認するような言葉などいくらでもあったはずなのに、セルジュは考える間もなく拒絶の言葉を口にしていた。あまりにも即答だったため、イザベルの方が戸惑って一瞬言葉に詰まっていた。

「って、その子あんたの子供じゃないかもしれないんでしょ?」
「裁判施設でクロードが俺たちの子供だって証明したじゃないですか」
「手ぇ焼け爛れてたのよ! ローラン様は建前上認めざるを得なかったけど、私はやっぱりその子は違うんだと思うわ!」
「あいつが嘘をついてるって言いたいんですか?」
「そうよ、きっと何か事情がおありなんだと思うんだけど……」

 イザベルは無意識にイライラと指先で自分の頬を叩いていた。

「クロード様はあそこまで体を張っておられるのに、あんたは別の人が好きだなんて許せないわ。それにあんただって、子供さえいなければ自由の身じゃない。私に預けた方が、お互いにとっていい結果になると思わない?」
「イザベルの言いたいことは分かります。でも残念なことに、考え方が安直でしたね」
「何ですって?」

 セルジュはエミールの金髪の頭を愛おしげにそっと抱いた。

「俺がクロードの奴を捨てる時が来たとしても、親権は絶対に渡すつもりはありません」

 産んだ記憶などもうどうでも良かった。そんなに長い期間ではないけれど、自分の子供のつもりでお世話して、彼の存在は既に自分の生活の一部に溶け込んでいる。今更体から切り離すことなどできるはずがなかった。

「そんなこと……」
「親権が何だって?」

 突然第三者の、しかもあまり好意的ではなさそうな声が割って入ってきて、セルジュとイザベルは背筋がゾッと冷えるのを感じた。

「カ、カトリーヌ様……」
「孫は絶対に渡さないよ」

 くわっ! っとカトリーヌが目を見開いて勢いよく右腕を振り上げたため、セルジュは思わず腕で顔を庇ってギュッと目をつぶった。

 張り倒されるかと思ったが、カトリーヌは意外にも優しい手つきでセルジュの髪をそっと撫でた。

「だからお前はここに居るしかないんじゃないか?」
「……え?」

 それを聞いたイザベルが憤慨して抗議した。

「カトリーヌ様! このオメガはクロード様に相応しくありませんわ! 他に想っている人間がいるだなんて……」
「ちょっ!……」

(いくら何でもいきなり姑の前でそれはないだろ! あ、でも結婚してなかったから姑じゃないんだっけ……)

 しかしカトリーヌはそれを聞いても、ふんと鼻を鳴らしただけで別段怒る様子は見せなかった。

「息子らの人間関係に親が口を出したところでどうにもならないだろ。クロードが勝手に連れてきたんだから私の知ったこっちゃないね。どんなあばずれだろうと、責任はあいつに取ってもらうよ」
「カトリーヌ様!」

 再び抗議しようとしたイザベルだったが、カトリーヌが遠くに視線をやっているのに気づいてはっと口を閉じた。

 ステヴナン城の城壁の入り口側から、誰かがこちらに向かってゆっくりと歩いて来る。

「スワン!」

 イザベルが驚いて相手の名前を叫んだ。

「マルタン伯爵か?」

 カトリーヌも目を細めて相手を凝視した。マルタン伯爵と呼ばれた茶色い髪に黒い瞳の男性は、全く焦るそぶりも見せずに余裕たっぷりに近づいて来ると、日に焼けた浅黒い手を胸元に当てて深々とお辞儀した。

「お久しぶりです、カトリーヌ様」
「南からの旅路は長かったろう。しかしなんの連絡もなしに突然尋ねて来るなんて珍しいじゃないか」
「申し訳ありません。それが実は……」

 マルタン伯爵はベンチに座っているイザベルに視線をやった時、隣に座っているセルジュと赤ん坊に気が付いた。

「これはこれは!」

 彼はセルジュの前に歩み寄ると、恭しい動作で片膝をついた。

「お初にお目にかかります。南の辺境伯スワン・ディ・マルタンと申します」
「あ……セルジュ・ド・シャネルです」
「このように美しい方が北方にいらっしゃるとは。私としたことが……」
「何だって? 北方に美人がいるとは知らなかったって?」

 カトリーヌに睨まれても、マルタン伯爵は全く動じることなく白い歯を見せて笑顔を作った。

「カトリーヌ様は言うまでもありませんよ。ただ私は節度あるプレイボーイと呼ばれていまして、既婚の方を口説くような真似はいたしません」

(いや、カトリーヌ様は未亡人なんだけど……)

「何で子供を抱いているこいつが既婚者じゃないって分かるんだ?」
「プレイボーイの勘ですよ」

 どうでもいいことに鋭いマルタン伯爵の勘に呆れて、セルジュとイザベルは思わず顔を見合わせた。

「まあどっちにしろこいつはやめときな。うちの息子がすでに唾つけてんだ」
「クロードとやり合うのは私も避けたいですね」
「それで、わざわざ南から北上してきた理由は何なんだ?」

 ようやくカトリーヌは大きく脱線していた話題を軌道修正することに成功した。

「そうそう、近頃辺境の村が襲われているじゃありませんか。半年前がここ北方に近い村で、つい先日は南部の我が領土に近い村が襲われたんです」

 マルタン伯爵はイザベルと視線を合わせて頷き合った。

「それで一度辺境伯で集まって情報共有をしようという事になったんです」
「うちのバカ息子は何も言ってなかったが」
「クロード様は口数の少ない方ですから、よくある事ですわ」

(いや、ホウ・レン・ソウ!)

 セルジュの心の中のツッコミは当然スルーされた。

「元々私が東に回ってイザベルと合流し、二人で北方へ回ってクロードと合流してから三人で西のロベール領へ集まるはずだったのですが、東のオーブリー領を尋ねたらすでにイザベルは北へ向かったとのことでしたので」
「ごめんなさいスワン。ちょっと非常事態で、クロード様のことがどうしても気になって。あなたに言うのすっかり忘れてたわ」

(何でうちの辺境伯は揃いも揃ってホウレンソウができないんだ?)

「なるほど、西のロベール伯爵が一番高齢だから、若者がそこに集まることにしたんだな」
「カトリーヌ様、決して我々はジャン・ドゥ・ロベールを老人扱いしているわけではありませんよ。目上の人を敬ったまでの話です」
「それなんですけどスワン、実はクロード様がお怪我を負っていて。西への移動は難しいかもしれません」
「クロードが?」

 イザベルが経緯を説明しようと口を開いたが、カトリーヌがさっとそれを遮った。

「いや、あいつは多分西へ行きたがると思うぞ。まずは話し合ってから決めたらどうだ」
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