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一話 誰だ、この赤ん坊は?

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 木々が燃える臭いに、男たちの叫び声と逃げ惑う人々の悲鳴。
 地響きと同時に、バリバリと家屋の倒壊する音がしたかと思うと、腹を中心に全身が爆発するような痛みが襲ってきた。

(……ここで、死ぬのか……)

 視界がぼやけ、意識が遠のくのと同時に、目の前を漆黒の闇が覆っていった……

                  ◇◆◇

「……ぇ、ふげぇ、ふげぇ!」

 本能を刺激する凄まじい騒音に、セルジュは勢いよく眠っていた寝台から飛び起きた。

「な、なんだ?」
「ふげぇ! ふげぇ! ふげぇ! ふげぇ!」

 泣き声の発生源は、どうもすぐ隣に置かれた重厚な木のベビーベッドからのようだ。

「ふんげぇぇぇぇぇ!」

 誰だ、この赤ん坊は?

 戸惑うセルジュの目の前で、二人のいる部屋の扉がすっと開かれた。

「あっ! お目覚めでしたか!」

 扉から覗いた使用人らしき女性は、セルジュが起きているのに気がつくと、赤ん坊が泣いているにも関わらず慌てて廊下に飛び出して行った。

「クロード様! クロード様! セルジュ様がお目覚めになられました!」

 なんだって? 今クロードって言ったか? それってまさか、あの辺境伯の……?

「ふげっ、ふげっ、ふげっ」

 顔を真っ赤にして泣いている赤ん坊の側で途方に暮れていると、すぐに先程の使用人が主人を伴って戻ってきた。

「……起きたか?」

 全身黒づくめの長身の男は、部屋に入るなりぶっきらぼうにそうセルジュに問いかけた。セルジュも負けじと相手をギロリと睨みつける。

「見ればわかるだろ」

 クロード・ル・ステヴナン。ここフエルストラ王国の辺境ステヴナン領を治める騎士であり、黒髪緑眼の異端児でセルジュの宿敵だ。

「なぜお前がここにいる?」

 セルジュの問いに『黒の騎士』の異名を持ち巷で密かに恐れられているクロードは、眉根一つ動かすことなく淡々と答えた。

「ここは俺の城だ」
「……質問を間違えた。なぜ俺はここにいる?」

 クロードは使用人に抱きあげられて泣き止んだ赤ん坊をちらっと見てから、再びセルジュに視線を戻した。

「何も覚えていないのか?」

 何も?

 そこでセルジュは、頭や腹がズキズキ痛むことにようやく気がついた。

(なぜこんな怪我をしてるんだ?)

「お前と決闘でもしたのか?」
「違う。お前が誰かにやられて倒れているのを見つけたから、連れ帰ったんだ」

 セルジュは言葉に詰まった。宿敵とはいえ、助けてもらった相手にお礼も言わずに突っかかるとは、あまりにも恩知らずで失礼な行為だった。

「……悪かった。礼を言うよ、ありが……」
「必要ない」

 謝意を示そうとしたセルジュの言葉を、クロードが素っ気ない口調で遮った。

「当然のことをしたまでだ」
「?」

 赤ん坊を抱いている使用人が居心地悪そうに身じろぎした。クロードは両手を差し出して赤ん坊を受け取ると、部屋から退出するよう彼女を促した。無表情の大男が小さな赤ん坊を抱いている様子が滑稽で、セルジュはつい笑いそうになるのを必死に堪えていた。すぐにその笑いが凍りつくことになるとはつゆとも知らずに。

「その子は誰だ? 使用人の子か? まさかお前の子供じゃ……」
「そうだ」

 クロードは再びセルジュの言葉を遮った。

「お前が産んだ、俺の子供だ」

                  ◇◆◇

 男女の性とは別に存在する第二の性、アルファ、ベータ、オメガ。
 生まれつき体格や身体能力に恵まれ、社会的地位の高い性別がアルファで、クロードはこのアルファ性に属している。
 これといって特徴のない一般人がベータ性で、人口の大半はこの性の人間が占めている。
 そして、男女関係なく子供を産むことが可能であり、社会的地位の最も低い希少種が、セルジュの属するオメガ性である。

 そう、セルジュは確かに男でありながら妊娠する能力を持っていて、将来は自分の子供を産みたいと思ってもいた。しかし、だ。

「……何言ってんだ? 俺がお前の子供を産んだって? そんなわけないだろ?」

(こいつ急にどうしたんだ? 前から何を考えてるか分からんやつではあったが、こんな悪趣味な冗談言うやつだったか?)

 セルジュにそう否定されても、クロードは顔色ひとつ変えずに続けた。

「怪我が原因で記憶を失っているんだ」
「いや、そんなわけ……」
「実際どうして倒れたのか思い出せないんだろう?」

 それは確かにそうだった。

「いや、でも……」

 クロードは赤ん坊がセルジュによく見えるように体を前に傾けた。

「お前によく似ていると思わないか?」

 セルジュは思わず赤ん坊の顔をまじまじと見つめた。機嫌を直した赤ん坊は両目をぱっちりと開けていて、薄いまぶたの隙間からつぶらなエメラルド色の瞳がキラキラと覗いている。色白の地肌がよく見える頭をうっすらと覆っているのは、透き通る太陽の光のように美しいプラチナブロンドの毛髪だ。

「さっきの使用人が、鼻から口元にかけてお前にそっくりだと言っていた」

 ……言われてみれば、確かに似ている気がする。
 しかも金髪碧眼が一般的なこの国で、緑色の瞳というのは非常に珍しい。

(いや、まさか。でも、そんなことって……)

 自分に似ている緑色の目をした赤ん坊が、自分が父親だと主張する緑色の目をした無表情の男に抱かれている。

(嘘だろ……誰か嘘だと言ってくれ!)

「ふげっ!」

 まるでセルジュの内心を代弁するかのように、大人しく抱っこされていた赤ん坊が急にまたぐずり始めた。クロードは使用人が置いていった哺乳瓶を右手に取ると、左腕に抱えた赤ん坊の口元に器用に吸い口を持っていった。

「……」

 冷酷非道の黒の騎士。子供が目の前で転べば助け起こすどころか、踏んづけるまではいかなくとも悠々と跨いでそのまま通り過ぎる、彼のまとっているイメージとはまさにそういうものだ。そんな、他人にまるで無関心な印象を与える彼が、赤ん坊を大事そうに抱えながらミルクを与えている。

 衝撃映像以外の何物でもなかった。

 クロードに背中をさすってもらってゲップをした赤ん坊は、お腹がいっぱいになって眠くなったのかトロンとした表情で半目になっている。クロードがしばらくゆすっていると、半目だったまぶたが徐々に薄目になっていき、やがて完全にぴっちりと閉じられた。

「あ、寝た」

 思わず呟いたセルジュをチラッと見たクロードは、赤ん坊が起きないようにそうっとベビーベッドに戻した。

「なんか意外だな。いや、お前ってさ……」

 赤ん坊の寝顔に見入っていたセルジュだったが、自分の顔に影が落ちてふと口をつぐんだ。

「クロード?」

 クロードは不意にセルジュの両肩を掴むと、起こしていた上半身を寝台に押し付けるように倒し、そのまま上に乗り上げてきた。

「……え?」
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