修繕人オーノ・アキラの日常

皇海宮乃

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Ship of Theseus

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「申し訳ありません、やはり起動しなくて」

 いつもなら、社内チャットで済ませるような内容を、オーノは直接当人のところまで出向いて説明した。オザワ部長は少しさびしそうにしていたが、特別哀しいとも、憤っている風でもなく、いつもの笑顔で答えた。

「そうか、古い型だと聞いていたしね、私のお勤めももう少しだし、先に退いてくれたと言えなくもないのかな」

 オザワ部長にとっては、慣れ親しんだセクレタリーボット以上に、職場から退く事の方がよほど堪えているようで、その後の対応について説明すると、素直に従ってくれた。

 元々不調だったという事もあり、バックアップなどの対応は済んでいたようだ。
 皆、こうだといいのに、と、オーノは思った。

 どうも、自分は機械には明るくないんだ、と、公言してくれるタイプの方がよけいな事もしないし、素直に指示に従ってくれる。中途半端に『使える』と自称する輩の、『何もしてないのに何かヘン』に、どれだけ泣かされてきただろうか。

 納品されたオーシャンズレントのレンタルセクレタリーの評判は上々で、早速キノシタが色気を出し始めてきてうっとおしい限りだが、オザワ部長のタスクが終わったら、早々に返却予定だと告げたところ、黙ってくれた。

「オーノ君もありがとう、いつもすまないねえ、私がいなくなっても、よろしく頼むよ」

 などと言ってくれる幹部が、オザワ部長の他にどれだけいるだろう。

 オーノは、わずかな良心の呵責を感じながら、説明を終えて作業場へ戻った。

 作業台の上には、先日と変わらずリーサが横たわっている。

「アキラ、ナカジョウから、廃棄品決済がおりたと連絡がありました」

 留守番のイーグルがとまり木に止まったまま、戻ってきたオーノに対して報告した。

 翼を広げるとけっこうな大きさになるイーグルも、こうして止まっているとオウムか九官鳥のようだ。

 不要品の廃棄は、半年に1回か年に1回行っている。専門の事業者の方でマニフェスト伝票をきってもらう為、それなりの金額をとられることもあり、また、都度に発生する回収の人件費を抑えるために、ギリギリまで回収はまとめて行う事にしていた。

「さて……と」

 作業台にのせられているリーサに向き合い、各種工具をのせているワゴンを手元に引き寄せて、オーノは作業を開始した。

--

「どーもー、荻産商ですー」

 ゲスト用のIDカードを首から下げた、廃品業者が倉庫の方までやってきた。

「ああ、全部まとめてあります」

 オーノが倉庫の一角を示すと、荻産商の作業員は慣れた手つきで搬出を始めた。

「あれ? そっちのスーツケースは?」

 回収品のすぐ横に、古びたスーツケースが一つ置かれていた。

「あー、それはいいんです」

 オーノが言うと、若く元気そうな男性が、軽々とキャリーののせられた廃棄品を持ち上げて、社外への搬出作業を始めた。

 最後の荷物を出し終えたところで、ナカジョウがやってきた。

「どうよ、終わった?」

 いつも整理がなっていないと怒られがちな倉庫だったが、不要品を運びだした事で、ずいぶんすっきりとして見えた。

「あれ? あのスーツケースは……」

 まるで、ナカジョウに言われて始めて気づいたように、オーノはおおげさに驚いた様子で言った。

「あーっ! しまった! 荻産商さん、持って出るのを忘れたみたいだ、多分まで下にいるんで、俺持っていきます、ついでに昼休み入っちゃうんで!」

 少しおおげさな様子でオーノはスーツケースを持って、小走りでエレベーターに向かって走っていった。

--

 オーノは、スーツケースを荻産商の回収車にスーツケースをのせず、そのまま裏口から出て、スーツケースを持ったままダイダロスカフェに行った。

 早めの昼食をダイダロス・カフェで済ませて、社に戻ったオーノの手に、スーツケースは無かった。

--

「必要経費はもらうからな」

 終業後、再びダイダロス・カフェに集まったオーノとマツモトが、スーツケースを前に話をしていた。

 結局、オーノはネットオークションで、リーサの筐体だけを探した。破損していてもいいし、物理的に一身体だけであれば用は足りる。少しずつパーツを運び、組み立てて、リーサは二体になった。

 一身体は、廃棄品を組んで作り、データディスクなどの、情報漏えいが懸念されるものを載せ替えた。

 一方、元々のリーサについては、新しくパーツを買い足して、まっさらなセクレタリーボットを一台作り上げた。

 外側だけは、オザワ部長が使っていたリーサだが、中味は新品のまっさらな状態になっている。

 かかって経費はマツモトに請求した。

 中味ごと、マツモトに渡すわけにはいかなかった。かなりグレーゾーンであるが、帳尻は合わせた。オーノにできる事はここまでだ。

 起動の確認もした。ダイダロスカフェへ運んだリーサを、オーノは一旦自宅へ持ち帰り、組み上げたものを再びダイダロスカフェに預かってもらっていたのだ。

 まさに箱の中の女だ。

「……京極夏彦ですか」

 うっとりと、マツモトがスーツケースをなでた。

「だからそれはもういいから」

 今、リーサをリーサたらしめているものがあるとするのなら、それは筐体に掘られたシリアルナンバーだけだ。
 そう、オーノは思うのだが、本人がそれで納得しているのならいいか、と、思った。

 声も、姿形も同じなのに、『このリーサ』に、マツモトとの記憶は無いのだ。

「がっかりしても、俺は責任はとらない、それから、このこそは誰にも言うな」

「もちろんです!」

 オーノにとっては、飯の種を失いかねない事実だが、マツモトにとっては、下手をすると人間性を疑われかねない。

 リスクはより大きいのはマツモトだと思えば、秘密の共有で二人の結束は強まる。

「じゃあ、僕はこれで!」

 一刻も早く、二人きりになりたいのか、マツモトはカシスウーロンを一息に飲み干して、いそいそと伝票を持って去って行った。

 しまった、おごりなら、もっと高いものを頼んでおけばよかった、と、オーノは思ったが、ようやく終わった面倒な出来事に、ほっと安心してため息をついた。

 まあ、自宅で、セクレタリーボットをセットアップするのは、なかなかできる事では無い。オーノにとっても、メリットが全くなかったわけではないのだ。

 グラスの中のアイリッシュ・ウィスキーに浮かぶ氷を指先で弄びながら、オーノは、リーサを組み上げ、家で起動させた時の事を思い出していた。

 そう、データは引き継いでいないはずなのだ。筐体側にも、データに影響するような機構は組み込まれていなかった。

 なのに何故、『彼女』はああだったんだろう、と。
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