1 / 32
プロローグ
しおりを挟む
師走の夜、凍えて空に張り付いたような月に照らされた中、『若者』と呼ぶにふさわしい涼やかな青年と、長い髪を無造作にしばり、無精髭をためた青年、その他、有象無象がぞろぞろと、屋上に並ぶ。その数、十数名。
彼らをひとくくりにするのに『若者』という言葉はふさわしいだろうが、彼ら自身は自身をこう呼んだだろう。
一刻寮生と。
「三角ー大学ーッ! 一刻寮ー、千錦寮ー、寮歌ァーーーー」
一歩前に進み出た、長髪の男が音頭をとると、その場にいる全員が後に続いた。
「アイーン、ツヴァーイ、ドラーーーーイ」
真冬の夜中、そこは、女子寮の屋上での事だった。
1886年、明治19年、近代国家としての日本を支える人材を育成する事を目的とした第一高等中学校として創設し、後にナンバースクール、地名スクール、帝国大学予科、学習院、公立、私立と創設されていった旧制高等学校。
帝国大学進学の為の予科としての性質を持ち、一部のエリートと言える男子青少年のみ集め、語学を中心とする一般教養に重点を置いたカリキュラムをすぐれた教師陣によって指導されるある種のそこは『楽園』であったかもしれない。
生徒の全員が寮に入り、自治と自由から成る共同生活の中で切磋琢磨しつつ友情を育てたこの環境は、しかし長くはなかった。
太平洋戦争の敗戦の後、学制は六―五―三―三から、六―三―三―四制へと切り替わった。義務教育としての小学校が六年、その後の旧制中学校五年(内四年は義務教育)、旧制高校三年、大学三年から、義務教育が小学校六年、新制中学校三年へ、旧制中学校の一部カリキュラムが新制高校に置き換えられはしたが、制度としての『旧制高校』はこの時点で消滅した。かつての旧制高校は一部、新制の大学へ包括され、現在へと至っている。
かつては『真』のエリートを育み、シュトゥルム・ウント・ドラング「疾風怒濤」な日々の舞台となった場所は、今はもう無いのだ。
しかし、一部、新制の大学において、その精神が受け継がれている。
三角大学は、大正時代に創設された旧制高校と、師範学校が母体となったそこそこ歴史の古い大学で、男子寮女子寮がそれぞれ併設されている。
当然ながら先に出来たのは男子寮である一刻寮。こちらは旧制高校時代、全寮制だった頃からの歴史を持ち、大学創設当時より存在していた。女子寮である千錦寮は一刻寮よりずっと後、戦後を経て後設立された。三百人規模の男子寮、一刻寮に比べて、百人に満たない定員の千錦寮は、定員の少なさと、入寮の為のハードル(世帯年収)もあって、自らを選ばれし貧乏人の群れと自嘲気味に嘯きつつも、在寮生達はそれを恥じ入る事無く、日々勉学に、学外活動に励み、充実した社会に出る前の時間を過ごしている。
反して、元から定員の多い男子寮である一刻寮は、衛生面、防犯面などから近年は入寮者が減少傾向にあった。
三角大学理学部在籍、同、学生寮、一刻寮在住、羊谷悠嘉は寮内調理室で困惑していた。
はるか、という優しげな響きの名を持つ彼だが、見た目は、無精髭にむさ苦しい印象の実年齢より上目に見られる青年だ。実際まだ二十歳そこそこのはずが、三十過ぎに見間違えられる事もしばしば。
学年を口にするとたいてい驚かれ、配慮のある人間であれば押し黙り、遠慮のない人間からは、
「老けてるね」
などと言われるが、当人はそれほど気にしては居ない。年長に見間違えられる事は悪い事では無いと思っているのと、幼少期からの慣れもある。小学生時点で中学生に、高校生時点では子持ちに見間違えられたのならば、いつになったら歳相応になるのか、また、歳相応に見られるようになったらなったで、今度は実年齢との逆転現象が起きるのでは無いかと期待しているほどだった。
そんなどこか昭和の風の似つかわしい羊谷のいる調理室は、作りも古く、まさにザ・昭和の台所という様子だが、使用者達の意識的な努力によって、寮内の他の調理室に比べると比較的衛生的な状況を維持していた。
羊谷が、思わず言葉を失うような事が、目の前で起きていた。否、既に事は『起きてしまった』というべきなのだろうか。
酒瓶の中がことごとく水、もしくはお茶に変わっているという事実に。
上質な日本酒の口当たりを褒める際に『水のようだ』という事はある。
上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る
老子の言葉だというそれは、某有名酒造の売り文句にもなっているほどだが、しかし……。
羊谷は一升瓶から愛用の蛇の目の描かれた本きき猪口へ注ぎ、口に含んだ。
「うーん……やっぱり、水だ……」
この酒瓶が、羊谷個人所有のものであれば何の問題も無いのだが、実はこれは、今現在開催中のコンパに出す予定のものであり、並んだ一升瓶のことごとくが水に入れ替わっているようなのだ。
滝の水が酒になった昔話ならともかく、未開封の一升瓶の中身がそっくり水に変わっているとはどういう事だろう。
困惑しながら、羊谷は次の酒を待つ同輩、後輩、先輩達に何と説明するか考えながら、調理室を出、酒宴のさなかである娯楽室へ向かった。
ふと思い立って、調理室を省みてみたが、普段と異なる点は見当たらず、どんな魔法か悪魔のしわざかと、理系選択にあるまじきファンタジーな理由を探りながら、テペテペと気の抜けた音をさせながら歩き始めた。
彼らをひとくくりにするのに『若者』という言葉はふさわしいだろうが、彼ら自身は自身をこう呼んだだろう。
一刻寮生と。
「三角ー大学ーッ! 一刻寮ー、千錦寮ー、寮歌ァーーーー」
一歩前に進み出た、長髪の男が音頭をとると、その場にいる全員が後に続いた。
「アイーン、ツヴァーイ、ドラーーーーイ」
真冬の夜中、そこは、女子寮の屋上での事だった。
1886年、明治19年、近代国家としての日本を支える人材を育成する事を目的とした第一高等中学校として創設し、後にナンバースクール、地名スクール、帝国大学予科、学習院、公立、私立と創設されていった旧制高等学校。
帝国大学進学の為の予科としての性質を持ち、一部のエリートと言える男子青少年のみ集め、語学を中心とする一般教養に重点を置いたカリキュラムをすぐれた教師陣によって指導されるある種のそこは『楽園』であったかもしれない。
生徒の全員が寮に入り、自治と自由から成る共同生活の中で切磋琢磨しつつ友情を育てたこの環境は、しかし長くはなかった。
太平洋戦争の敗戦の後、学制は六―五―三―三から、六―三―三―四制へと切り替わった。義務教育としての小学校が六年、その後の旧制中学校五年(内四年は義務教育)、旧制高校三年、大学三年から、義務教育が小学校六年、新制中学校三年へ、旧制中学校の一部カリキュラムが新制高校に置き換えられはしたが、制度としての『旧制高校』はこの時点で消滅した。かつての旧制高校は一部、新制の大学へ包括され、現在へと至っている。
かつては『真』のエリートを育み、シュトゥルム・ウント・ドラング「疾風怒濤」な日々の舞台となった場所は、今はもう無いのだ。
しかし、一部、新制の大学において、その精神が受け継がれている。
三角大学は、大正時代に創設された旧制高校と、師範学校が母体となったそこそこ歴史の古い大学で、男子寮女子寮がそれぞれ併設されている。
当然ながら先に出来たのは男子寮である一刻寮。こちらは旧制高校時代、全寮制だった頃からの歴史を持ち、大学創設当時より存在していた。女子寮である千錦寮は一刻寮よりずっと後、戦後を経て後設立された。三百人規模の男子寮、一刻寮に比べて、百人に満たない定員の千錦寮は、定員の少なさと、入寮の為のハードル(世帯年収)もあって、自らを選ばれし貧乏人の群れと自嘲気味に嘯きつつも、在寮生達はそれを恥じ入る事無く、日々勉学に、学外活動に励み、充実した社会に出る前の時間を過ごしている。
反して、元から定員の多い男子寮である一刻寮は、衛生面、防犯面などから近年は入寮者が減少傾向にあった。
三角大学理学部在籍、同、学生寮、一刻寮在住、羊谷悠嘉は寮内調理室で困惑していた。
はるか、という優しげな響きの名を持つ彼だが、見た目は、無精髭にむさ苦しい印象の実年齢より上目に見られる青年だ。実際まだ二十歳そこそこのはずが、三十過ぎに見間違えられる事もしばしば。
学年を口にするとたいてい驚かれ、配慮のある人間であれば押し黙り、遠慮のない人間からは、
「老けてるね」
などと言われるが、当人はそれほど気にしては居ない。年長に見間違えられる事は悪い事では無いと思っているのと、幼少期からの慣れもある。小学生時点で中学生に、高校生時点では子持ちに見間違えられたのならば、いつになったら歳相応になるのか、また、歳相応に見られるようになったらなったで、今度は実年齢との逆転現象が起きるのでは無いかと期待しているほどだった。
そんなどこか昭和の風の似つかわしい羊谷のいる調理室は、作りも古く、まさにザ・昭和の台所という様子だが、使用者達の意識的な努力によって、寮内の他の調理室に比べると比較的衛生的な状況を維持していた。
羊谷が、思わず言葉を失うような事が、目の前で起きていた。否、既に事は『起きてしまった』というべきなのだろうか。
酒瓶の中がことごとく水、もしくはお茶に変わっているという事実に。
上質な日本酒の口当たりを褒める際に『水のようだ』という事はある。
上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る
老子の言葉だというそれは、某有名酒造の売り文句にもなっているほどだが、しかし……。
羊谷は一升瓶から愛用の蛇の目の描かれた本きき猪口へ注ぎ、口に含んだ。
「うーん……やっぱり、水だ……」
この酒瓶が、羊谷個人所有のものであれば何の問題も無いのだが、実はこれは、今現在開催中のコンパに出す予定のものであり、並んだ一升瓶のことごとくが水に入れ替わっているようなのだ。
滝の水が酒になった昔話ならともかく、未開封の一升瓶の中身がそっくり水に変わっているとはどういう事だろう。
困惑しながら、羊谷は次の酒を待つ同輩、後輩、先輩達に何と説明するか考えながら、調理室を出、酒宴のさなかである娯楽室へ向かった。
ふと思い立って、調理室を省みてみたが、普段と異なる点は見当たらず、どんな魔法か悪魔のしわざかと、理系選択にあるまじきファンタジーな理由を探りながら、テペテペと気の抜けた音をさせながら歩き始めた。
1
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
毎日告白
モト
ライト文芸
高校映画研究部の撮影にかこつけて、憧れの先輩に告白できることになった主人公。
同級生の監督に命じられてあの手この手で告白に挑むのだが、だんだんと監督が気になってきてしまい……
高校青春ラブコメストーリー
フレンドシップ・コントラクト
柴野日向
ライト文芸
中学三年に進級した僕は、椎名唯という女子と隣同士の席になった。
普通の女の子に見える彼女は何故かいつも一人でいる。僕はそれを不思議に思っていたが、ある時理由が判明した。
同じ「period」というバンドのファンであることを知り、初めての会話を交わす僕ら。
「友だちになる?」そんな僕の何気ない一言を聞いた彼女が翌日に持ってきたのは、「友だち契約書」だった。
サンドアートナイトメア
shiori
ライト文芸
(最初に)
今を生きる人々に勇気を与えるような作品を作りたい。
もっと視野を広げて社会を見つめ直してほしい。
そんなことを思いながら、自分に書けるものを書こうと思って書いたのが、今回のサンドアートナイトメアです。
物語を通して、何か心に響くものがあればと思っています。
(あらすじ)
産まれて間もない頃からの全盲で、色のない世界で生きてきた少女、前田郁恵は病院生活の中で、年齢の近い少女、三由真美と出合う。
ある日、郁恵の元に届けられた父からの手紙とプレゼント。
看護師の佐々倉奈美と三由真美、二人に見守られながら開いたプレゼントの中身は額縁に入れられた砂絵だった。
砂絵に初めて触れた郁恵はなぜ目の見えない自分に父は砂絵を送ったのか、その意図を考え始める。
砂絵に描かれているという海と太陽と砂浜、その光景に思いを馳せる郁恵に真美は二人で病院を抜け出し、砂浜を目指すことを提案する。
不可能に思えた願望に向かって突き進んでいく二人、そして訪れた運命の日、まだ日の昇らない明朝に二人は手をつなぎ病院を抜け出して、砂絵に描かれていたような砂浜を目指して旅に出る。
諦めていた外の世界へと歩みだす郁恵、その傍に寄り添い支える真美。
見えない視界の中を勇気を振り絞り、歩みだす道のりは、遥か先の未来へと続く一歩へと変わり始めていた。
ボクの密かな愉しみ… 【青春連作掌編】
nekojy
ライト文芸
十代の頃って、な〜んにも考えずに生きてたなぁ。あ、エロいこと以外は、ね。そんな青春だけど……楽しかった。それはいつも背伸びして、大人の世界を覗いていたからなのか。
未知の体験やちょっとした刺激、それらがみんな新鮮だったあの頃……
いま思い返しても心がホッコリ、あそこはモッコリ…… ん?
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる