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少しだけ前の話

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 瀬尾が、大学時代からの友人である三楽茜と一緒に仕事にする事になったのは、茜の研究室を主催する教授が、瀬尾の所属部署と元から懇意だったという事も理由の一つだった。

 そもそも、教授の縁故で採用されていたわけだから、当然といえば当然だったのだが。

 イベントの担当は、最初瀬尾がやるはずだった。横から入ってきたのは笛出の方だった。

 なぜ、今更笛出がそんな風に絡んでくるのか、始め瀬尾はわからなかったが、後からわかった。笛出が、瀬尾の上司になったのは、そもそもが当人のミスをきっかけとした左遷だったのだ。

 それがなぜ瀬尾の上司になったのか、会社は、敢えて瀬尾に笛出を追い抜かせようとしていた節があった。

 しかし、会社の思惑に反して、瀬尾は少々理不尽であっても上司をたてる性格だった。元々の性格がそうであった事もあるし、長い寮生活で、上意下達が身にしみてしまったせいもある。

 少々無能だったとしても、上司は上司というわけだ。結果、笛出は増長した。何しろ瀬尾という有能な部下がついたのだ。

 瀬尾自身が不満を口にしない事もあって、一見二人は上手くいっているように見えていた。
 茜と笛出が連れ立って歩いているところに出くわすまでは。

 瀬尾と笛出の所属する会社の本部は豊洲にあったが、出向先は渋谷にあった。だから、渋谷の街中で瀬尾と笛出が会う事は珍しくはない。

 しかし、時間と場所、そして茜がいるのが問題だった。

 瀬尾は、同期との飲み会で始発が動き出す時間まで道玄坂のカラオケにいた。店の前で解散し、朝から元気にラーメンを食べに行くという同期達を見送り、口の中の不快さに、コンビニでガムでも買おうと歩いた方向が悪かった。

 素直に、駅の方へ向かえばよかったのだ。

 いや、見なかったからといって、『その事実』は無かった事にはならない。

 だから、あの時、ちらりと見えた看板を目指して坂を駅とは反対に昇ったのは、『知るべきだ』という何かの力が働いたのかもしれない。

 渋谷の、駅から見れば西側の一角。まさか、知り合いになど会うはずの無いそこで、瀬尾はばったり会ってしまった。

 笛出だけならまだよかったが、並んで立っていたのは茜だった。

 瀬尾は、どういう顔を作っていいかわからず、間抜けにも言った。

「お疲れ様です」

 何がお疲れ様だ、もう仕事は終わってる時間だし、それどころかもう朝だというのに。笛出は、顔を歪ませて言った。

「内緒な」

 何が内緒なのか、誰に内緒なのか。仕事相手の研究室の女性研究員と早朝ホテル街から出てきた事を会社に言うな、という意味なのか、笛出の妻や家族へという事か。

 笛出のスマホの待受になっている、顔を歪ませるような笑顔の赤子は誰の子だというのか、子供が居て、妻の居るお前が、何故今ここにいる。

 怒涛の文字情報が、動画サイトの弾幕のように轟音で通り抜けていくような感覚。

 下卑た笑顔を見せる笛出とは違って、茜の顔は、能面のようだった。

 自分の顔が嫌いだと言っていた茜。

 いつの間にか化粧をするようになった茜。

 その成果がこれなのか。妻子ある相手と、今ここにいる事が。

 瀬尾の足が、早朝の繁華街の道路に縫い付けられて、カラスのとまり木にでもなりそうな勢いで動けずにいる横を、笛出と茜は通り抜けていった。

 ドクドクと、体内に血液を送り出すはずの心臓の音がけがやけに耳に響き、瀬尾はそこに立ちすくんでいた。

 茜に、仕事上で最小限の言葉でやりとりをした。心を凍らせて、今回の企画展は終わらせなくてはと思っていた。

 矢先に、茜が、データを全て消して姿も消したという連絡が入ったのは、展示会の前日の事だった。

 笛出から連絡があった時に、瀬尾は殴ってやればよかったのだ。どちらをだろう。

 公私の区別も満足につける事のできないポンコツ上司だろうか。

 妻子ある男と関係を持った女友達をだろうか。

 しかし、瀬尾はどちらもできなかった。

 もっと早くに、笛出を排除できなかった自分の不甲斐なさを。

 片思いでいる事が楽すぎて、思いを伝えないまま中途半端な関係で居続けた自分が、そもそもの原因のように思えたからだ。

 そして、結局取り繕えてしまったのだ。

 真尋の協力が大きいのはもちろんだったが、瀬尾自身の事なかれ主義も原因なのだ。
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