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プロローグ
前編
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「タンタ、どこまで行くんだよ」
前方を歩いている親友に、マティは声をかけた。その問いにタンタは、振り向きざまに「もう少し奥まで」と微笑む。
鬱蒼と木々が生い茂ったジャングルの中を、ふたりはひたすら歩き続けた。
近くには、五〇〇メートルはあろうかというくらいの大河が流れている。
その河には、鼻水を垂らした巨大なネズミのような動物が棲息し、密林の隙間からは翼の生えたゾウが飛んでいくのが見えた。
前にタンタから教えてもらったことがあり、マティはこれらの生き物について知っている。
鼻水を垂らしたネズミは「ハナススリハナアルキ」、羽の生えたゾウは「アエロファンテ」とかいう名前らしい。
ハナススリハナアルキが垂らした鼻水の先には、魚が絡み取られていて、苦しそうに身体をくねらせていた。
その姿は異様であり、且つ滑稽だった。
「マティ!」
奇妙な光景をただ黙って眺めていたマティは、タンタから急に名前を呼ばれ、ゆっくりと顔を上げる。
タンタの視線を追って指さすほうを見てみると、その先には何本か同じような木が生えていた。頂上に大きな白い実をつけた木々だった。
「見て、バロメッツだ! きょうの獲物はアレにしよう」
そう言うが早いか、タンタは実を収穫し始めた。このバロメッツは前にも食べたことがある。この白い殻を割ると、中から仔羊が生まれる……
いや、生まれるという表現は適切ではないかもしれない。つまり、羊の肉と血と骨を持った果実が出てきて、二人はその部分を食べたのだ。
初めて食べたバロメッツは、はっきり言って不味いと思ったが、タンタは「蟹坊主みたいな味がして美味しい」と言った。
確かに、てっきり羊肉の味がすると思い込んでいたから不味いと感じただけで、蟹坊主だと思えばなんてことはない。この上なく美味だったのだ。
想像しただけでヨダレが出てきたマティは、さっそくタンタの隣りに行き、バロメッツの収穫に取りかかる。
重さはそれほどでもないが、かなりの大きさで、一人二つまで持つのが限界だろう。二つ目のバロメッツにマティが手を伸ばしかけたとき、突然タンタの腕が行く手を遮ってきた。
目の前には一匹のネズミが丸まっていたが、こちらの存在に気がつくと鋭い眼光を向けてくる。
不穏な空気が周囲に立ち込め、そのネズミはのそりと起き上がり、次第に身体を膨張させていった。
「なに? なに?」
「まさか……」
タンタは驚愕の表情を浮かべている。その理由がなんなのかわからず、マティはただただ言い知れぬ不安感に苛まれた。
こういう類いに詳しいタンタでさえ、対処に困るようなものなのか。「どうして、小玉鼠が……」
コダマ? そのひとことにマティが首を傾げた、その瞬間。強烈な破裂音とともに、ネズミの内蔵や皮膚が辺り一面に飛び散った。
マティはとっさに近くの木陰に身を隠したが、なぜか動こうとしなかったタンタはもろに食らってしまい、どろどろとした肉片が服にこびりついてしまう。
「タンタ……?」
マティの呼びかけに正気を取り戻したのか「洗ってくるよ」と、ぎこちない笑顔を湛えて、河の中へと進水していく。
河から出たあとのタンタは、まるでなにごともなかったかのように、普段どおりの頼もしさだった。
バロメッツの収穫を終えたマティたちは、次の獲物を探し始める。「この虫は食べられる」「このキノコには毒がある」と、食料を見極めるのが早く、すいすいと籠の中を満杯にしていった。
「今度はロプも連れてこようか」
タンタは呟く。ロプは六歳になるタンタの弟だった。マティたちの仕事を手伝ってもらうには、もうそろそろ充分な年齢になる。
マティも、ああ、と同調した。バロメッツのフワフワとした感触を堪能しながら、マティはこの仕事を始めた当時について想いを馳せる。
始めこそ、恐怖や不安というものはあったが、それも数ヶ月のことだった。この仕事を始めて何年になるだろう? もう危機感は遠い過去に置いてきたようだった。
はるか昔は食べ物も普通に手に入ったと聞くが、マティたちが産まれるより何百年も前の話らしい。自分たちが暮らすこの世界の現状をみる限り、とてもそんな平和な時代があったとは思えない。
爺婆たちの空想なのでは、と思えるほどだった。そう語っている爺婆たちだって、実際には体験したことがないくらいの大昔なのだから。
そんな太古の昔が本当はどうだったかなんて、いまとなってはわかりようがない。もはや「伝説」に等しいものだった。
噂でしか聞いたことはないが「アンブロシア」とかいう食べ物は最高に美味しいらしい。一度でいいから食べてみたいな、と周りを見回しながら独りごちた。
タンタは魚を取ろうとして、ハナススリハナアルキがいる河の中へ、足を踏み入れる。ハナススリハナアルキは基本的におとなしい、無害な生き物だ。
裾と袖をまくったタンタは、かなり近くまで行って、魚を捕まえようと河の中に手を突っ込む。
そのときだった。
河岸の茂みが、かすかに揺れたような気がした。なんだろう、と目を凝らすと、その茂みの中から突然、猿のような毛むくじゃらが出てくる。
いままで見たことのない生き物だが、タンタは知っているのか、見た瞬間「ヤフーだ」と静かに言った。
聞き慣れない言葉に、マティは思わず訊き返す。「……ヤホー?」
「ヤホーじゃない、ヤフー! パンテオン側のルピテスだよ」
そう言って河から這い出してくると、マティの腕を掴んで走り出した。凸凹した道を疾走したおかげで、何度もつまずきかける。
あとになって気づいたが、せっかく収穫したバロメッツを置き去りにしていた。このときは、そんなことを考えている余裕などなく、マティとタンタは必死になって逃げ続ける。
後ろから離れることなく、ガサガサという音だけが、ピッタリとついてくるのが聞こえた。マティは恐怖に震え、後ろを振り返って確認することすらできなかった。
前方を歩いている親友に、マティは声をかけた。その問いにタンタは、振り向きざまに「もう少し奥まで」と微笑む。
鬱蒼と木々が生い茂ったジャングルの中を、ふたりはひたすら歩き続けた。
近くには、五〇〇メートルはあろうかというくらいの大河が流れている。
その河には、鼻水を垂らした巨大なネズミのような動物が棲息し、密林の隙間からは翼の生えたゾウが飛んでいくのが見えた。
前にタンタから教えてもらったことがあり、マティはこれらの生き物について知っている。
鼻水を垂らしたネズミは「ハナススリハナアルキ」、羽の生えたゾウは「アエロファンテ」とかいう名前らしい。
ハナススリハナアルキが垂らした鼻水の先には、魚が絡み取られていて、苦しそうに身体をくねらせていた。
その姿は異様であり、且つ滑稽だった。
「マティ!」
奇妙な光景をただ黙って眺めていたマティは、タンタから急に名前を呼ばれ、ゆっくりと顔を上げる。
タンタの視線を追って指さすほうを見てみると、その先には何本か同じような木が生えていた。頂上に大きな白い実をつけた木々だった。
「見て、バロメッツだ! きょうの獲物はアレにしよう」
そう言うが早いか、タンタは実を収穫し始めた。このバロメッツは前にも食べたことがある。この白い殻を割ると、中から仔羊が生まれる……
いや、生まれるという表現は適切ではないかもしれない。つまり、羊の肉と血と骨を持った果実が出てきて、二人はその部分を食べたのだ。
初めて食べたバロメッツは、はっきり言って不味いと思ったが、タンタは「蟹坊主みたいな味がして美味しい」と言った。
確かに、てっきり羊肉の味がすると思い込んでいたから不味いと感じただけで、蟹坊主だと思えばなんてことはない。この上なく美味だったのだ。
想像しただけでヨダレが出てきたマティは、さっそくタンタの隣りに行き、バロメッツの収穫に取りかかる。
重さはそれほどでもないが、かなりの大きさで、一人二つまで持つのが限界だろう。二つ目のバロメッツにマティが手を伸ばしかけたとき、突然タンタの腕が行く手を遮ってきた。
目の前には一匹のネズミが丸まっていたが、こちらの存在に気がつくと鋭い眼光を向けてくる。
不穏な空気が周囲に立ち込め、そのネズミはのそりと起き上がり、次第に身体を膨張させていった。
「なに? なに?」
「まさか……」
タンタは驚愕の表情を浮かべている。その理由がなんなのかわからず、マティはただただ言い知れぬ不安感に苛まれた。
こういう類いに詳しいタンタでさえ、対処に困るようなものなのか。「どうして、小玉鼠が……」
コダマ? そのひとことにマティが首を傾げた、その瞬間。強烈な破裂音とともに、ネズミの内蔵や皮膚が辺り一面に飛び散った。
マティはとっさに近くの木陰に身を隠したが、なぜか動こうとしなかったタンタはもろに食らってしまい、どろどろとした肉片が服にこびりついてしまう。
「タンタ……?」
マティの呼びかけに正気を取り戻したのか「洗ってくるよ」と、ぎこちない笑顔を湛えて、河の中へと進水していく。
河から出たあとのタンタは、まるでなにごともなかったかのように、普段どおりの頼もしさだった。
バロメッツの収穫を終えたマティたちは、次の獲物を探し始める。「この虫は食べられる」「このキノコには毒がある」と、食料を見極めるのが早く、すいすいと籠の中を満杯にしていった。
「今度はロプも連れてこようか」
タンタは呟く。ロプは六歳になるタンタの弟だった。マティたちの仕事を手伝ってもらうには、もうそろそろ充分な年齢になる。
マティも、ああ、と同調した。バロメッツのフワフワとした感触を堪能しながら、マティはこの仕事を始めた当時について想いを馳せる。
始めこそ、恐怖や不安というものはあったが、それも数ヶ月のことだった。この仕事を始めて何年になるだろう? もう危機感は遠い過去に置いてきたようだった。
はるか昔は食べ物も普通に手に入ったと聞くが、マティたちが産まれるより何百年も前の話らしい。自分たちが暮らすこの世界の現状をみる限り、とてもそんな平和な時代があったとは思えない。
爺婆たちの空想なのでは、と思えるほどだった。そう語っている爺婆たちだって、実際には体験したことがないくらいの大昔なのだから。
そんな太古の昔が本当はどうだったかなんて、いまとなってはわかりようがない。もはや「伝説」に等しいものだった。
噂でしか聞いたことはないが「アンブロシア」とかいう食べ物は最高に美味しいらしい。一度でいいから食べてみたいな、と周りを見回しながら独りごちた。
タンタは魚を取ろうとして、ハナススリハナアルキがいる河の中へ、足を踏み入れる。ハナススリハナアルキは基本的におとなしい、無害な生き物だ。
裾と袖をまくったタンタは、かなり近くまで行って、魚を捕まえようと河の中に手を突っ込む。
そのときだった。
河岸の茂みが、かすかに揺れたような気がした。なんだろう、と目を凝らすと、その茂みの中から突然、猿のような毛むくじゃらが出てくる。
いままで見たことのない生き物だが、タンタは知っているのか、見た瞬間「ヤフーだ」と静かに言った。
聞き慣れない言葉に、マティは思わず訊き返す。「……ヤホー?」
「ヤホーじゃない、ヤフー! パンテオン側のルピテスだよ」
そう言って河から這い出してくると、マティの腕を掴んで走り出した。凸凹した道を疾走したおかげで、何度もつまずきかける。
あとになって気づいたが、せっかく収穫したバロメッツを置き去りにしていた。このときは、そんなことを考えている余裕などなく、マティとタンタは必死になって逃げ続ける。
後ろから離れることなく、ガサガサという音だけが、ピッタリとついてくるのが聞こえた。マティは恐怖に震え、後ろを振り返って確認することすらできなかった。
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