「ふるさと秋田」短編集

モンキー書房

文字の大きさ
上 下
6 / 20
01『黒沼あい話』(2016)

04:藍婆王山

しおりを挟む
 女性が教えてくれた藍婆王山を目指して、オレと妹とツルの三人は駅へ向かい、鶴ヶ池のほとりに沿って移動した。
 駅のすぐ手前を左折して、シャッターが閉まった呉服店を通り過ぎた先の、小さな橋を渡る。
 その先に見えた交差点もすぐに右折して、また一本の橋を渡った。眼下には川が流れている。


 道の途中で迷いかけたオレたちは、一度だけ通りかかりの人たちに道を訪ねた。
 藍婆王山の場所を知っているらしく、近くまで案内してくれるということだった。
 また橋が見えてくる。


 前の二本とは違って、身長と同じくらいの高さのフェンスに囲われた橋だった。
「三明岡橋」という文字が刻まれている。読み方はわからない。
 その橋の眼下には、大小様々な車が流れていた。秋田自動車道が下を通っているのか?
 この先は行き止まりのようで、わざわざ藍婆王山へ行くための跨道橋こどうきょうなのだろうか。


 道案内をしてくれた人と別れ、オレたち三人は奥へと進む。
「蘭婆王神社 登山口」と書かれた白看板が茂みの中に隠れるように立てられていた。
 そこに書かれている表記は、また異なる漢字になっていた。どれが正しいのだろう。


「その格好で大丈夫?」


 人のことも言えないが、登山をするには、ワンピースはあまりにも軽装だ。
 着替えてから再チャレンジしようと提言したが、ツルは見上げたまま微動だにしなかった。
 しかし、ツルの瞳には藍婆王山以外に映っていないようで、真剣な眼差しを山頂へ向けている。
 ツルは意を決したように、見上げた状態の高さからそのまま首を振り下ろし、深く大きく頷いた。


「これはおらの問題だがら、ひとりで行っでくる」


 立ち去りかけたツルの手を掴んで引き止める。
 オレも妹も、両親に似てお節介なのだ。
 引き下がれと言われても、はいそうですか、とここまで来たのに、女の子ひとり残して帰るわけにもいかない。
 オレが先頭を切って、後ろからツルと妹が続いて歩き始める。


 道なりに。といっても、ほとんど道のていを成していない。
 わずかに草木が踏まれて獣道ができている程度だった。
 オレは拾った枝で、前方に立ちはだかる草をぎ倒し、幾分いくぶん、楽に後続が歩けるようにしていった。


 何度も後ろを振り返って気にかけつつ、異様に曲がりくねった登山道を進み続ける。
 急勾配なところは、ほとんど地べたをう状態で登っていく。


 数十分と経たないうちに、次第と息が上がってきた。
 部活で体力に多少の自信があるオレでさえこうなのだから、ましてやツルや妹の疲弊ぶりは尋常ではなかった。
 ほとんど崖のようなところから下へ、真っ逆さまに落ちそうになった。
 伸びているつるを掴んでみたが、ほとんど千切ちぎれて使い物にならない。


 それでも、比較的に太くて丈夫な蔓を探し出して、蔓、もとい、わらにもすがる思いで掴みながら、ほとんど垂直な坂道を登っていった。
 十五分くらい経っただろうか。
 ふと、二人がいないことに気づき、来た道を数歩戻ってみると、曲がり角でしゃがむ妹の背中が見えた。
 その正面には、木へともたれかかったツルが、呼吸を荒くしている。


「大丈夫か?」


 オレがそう訊くと、ツルは小さく頷いた。
 服にはひっつき虫や泥がつき、どこで怪我をしたのか膝上には擦り傷があり、とても大丈夫そうには見えない。
 心配そうにツルのことを介抱する妹も、服に小枝がくっつき、深くはなさそうだが腕には切り傷が刻まれていた。
 オレも身体を確認すると、ツルや妹ほどではないが、似たような有様だ。
 答えはわかりきっていたが、オレはもう一度ツルに訊く。やっぱり、この軽装で登るべきではなかった。


「もう、きょうは引き返す?」
やんか
「……わかった。無理そうだったら、いつでも言っていいから」


 そうして、何度か休憩を挟みながら、一時間半ほどかけて登りきった。
 なんだか最後は、呆気あっけなかったような気がする。
 手水舎もなければ鳥居もない。本殿だけが寂しそうに、ただぽつんと建っていた。
 もっと見晴らしがいいかとも思ったが、大木が鬱蒼うっそうと生い茂っていて、ほとんど街の風景は見えなかった。
 とりあえず社殿の前に立って、手を合わせた。
 お参りというものを、ほとんど経験したことのないオレは、ただ目をつむって頭を下げただけだった。


「藍婆王さま……」
 ツルが呟いた。手を合わせたまま、俯いている。「いるっすべか?」


 オレもツルの所作にならって呟く。「どうか……」
 藍婆王らんばおうなのか羅婆王らばおうなのか。それとも蘭婆王なのか。
 名前は関係ない。ツルの置かれた状況を説明できる人物が、どうか現れてくれますように。


「そこで、なにしてらなだ?」
 どこからともなく、誰かの声が響き渡る。社殿の屋根の上で、和装に身を包んだ男性が立っていた。
 見た目は三十代くらいの壮年期で、ツルと同様に訛りが強い。「こさ来る物好きは、何年ぶりだべ?」


「藍婆王さん、ですか?」妹が男性に向かって声を発する。
「あ、あのっ! この人、誰かわかりませんか?」


「……知らねな」
 男性はツルのほうへ顔を向けるも、嘲笑うように吐き捨てた。
「そんだごど訊くためにわざわざ来たんだが? 残念だども無駄足だったな」


「藍婆王さんは関与していないんですか?」


「関与? なにさ?」


「この人が、記憶をなくしてしまったことか……もしくは、ここへ来てしまったことに」


ぁはツル一筋だ。そんた女子おなごに構ってる暇はねえ」


 ツルにぞっこんなのは伝説どおりだった。しかし、それよりも気になる発言をしている。
 この少女のことを藍婆王も知らないとなると、この人はツルではないということなのか。


「あー、でも。あんの男ならやりかねねな」


「あの男……?」
 続けて質問しようと口を開きかけた瞬間、その男性は跡形もなく消え失せてしまった。


 結局のところ、ツルの正体も男性の発言もわからずじまいに変わりない。
 オレは頭を抱える。ツルはオレ以上に頭が混乱しているようだった。
 なんだか、ここへ来るときよりも、謎が増えただけのような気がした。


   ☆


 上りにかかった時間より、下りのときは幾分か早くふもとへと着いた。
 跨道橋へ足を踏み入れた頃には、時刻は午後六時を過ぎ、日没寸前のところだ。
 眼下の車道にはちらほらと、少し早めのヘッドライトを点け始めた車が見える。
 なんとか、まだ明るいうちに戻れてよかった。妹はツルに付き添って橋を渡っていく。
 ぼんやりとしているのか覚束おぼつかない足取りのツルに、妹はそっと腰のところに手を回してリードする。


 家に辿り着いた途端、オレたちの格好を見て、母は目を剥いて驚いた。
 ここまでの経緯いきさつをオレが説明する。
 ツルのためにしたことなら仕方ない、と母は思っていたよりも簡単に折れてくれた。
 汚れた服を見て、お風呂に入ってしまいなさい、と優しく言い加える。


 洗濯機の音が回り始める。湯船の底へ叩きつけるような水音が風呂場から反響してきた。
 台所に立った母さんは夕飯の支度を始める。オレと妹はパジャマへ着替えてきた。
 お湯が満タンになるまで待ってから、ツルと妹が一緒に風呂場へと向かう。


ひゃっこ!」


 風呂場から悲鳴に近い叫び声が聞こえた。
 なにごとかと立ち上がりかけ、思いとどまったオレは、母さんの報告を待つことにする。


「なにかあった?」


「んー? なんが、湯っこが出たり出ねがったりするみたいだ」


 この家も古いからかな、そろそろボイラーもガタが来ているか。
 水道が止まるよりマシだが、水風呂で入るのも嫌だな。
 髪も乾かないうちに、パタパタとリビングに入ってきた妹へ訊ねる。


「大丈夫だった? お湯、出た?」


「うん。なんとか持ったみたい。お湯出るよ。入ってくる?」


「ああ……」


 風呂から上がったツルは、出会ったときと同じ着物に身を包んでいた。
 真っ白な薄手の襦袢じゅばんのような布から伸びた肢体に、オレは本当に白いなと改めて実感する。
 オレが風呂から上がったときには、ちょうど夕飯の準備が整っていた。


「おやずみなざい」


「おやすみ~」


 まったりとした時間は十時頃に終了し、挨拶を交わしたオレたちは、就寝するために自室へ向かう。
 明日こそは、と気合を入れて部活の準備を始めたオレに、妹が聞き捨てならない言葉を発した。


「もう一度、黒沼に行ってみようよ」


「え?」


 ツル用に与えられた部屋の前で、妹に引き止められたツルは、目を丸くした。
 いつの間にか自分の隣りに来ていた妹に、ツルは戸惑ったような表情をしている。
 顎に手を当てて思案顔をした妹の提案に、真っすぐ前方を見つめていたツルは、少し躊躇ためらったあとに小さく頷く。


 お兄ちゃんも行く? と訊かれ速攻で「行く」と返答した。
 予定変更。明日も部活は休むことにする。
 母さんとの話し合いの結果、明日も午前中から行くことになった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【ショートショート】おやすみ

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
◆こちらは声劇用台本になりますが普通に読んで頂いても癒される作品になっています。 声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...