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章第二「茨木童子」
※注釈(二)
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祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え……仏教で唱える「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏に帰依して救いを求める唱えことばである。これに対して、神道では特別な唱えことばはないが、神社に参拝するときや神棚を拝むときに唱える。「お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい」の意。(神社本庁 https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/tonaekotoba/) 『万葉集』に「言霊の幸わう国」などとあるように、日本には古くから、言葉には神秘的・霊的な働きが宿るとする言霊信仰があった。ある言葉を願いを込めて発すると言葉に含まれる霊力の作用により、その言葉どおりの状態が実現すると考えられていたのである。(『日本の神々としきたりがわかる神道』ナガオカ文庫)
常之人……徒人、只人、直人、常人とも。神仏、また、その化身などに対して、ふつうの人間。また、特別の能力や才能を持っている人に対して、あたりまえの人間。つねの人。ただの人。多く、打消の表現を伴って、すぐれていること、ただの人間でないことなどを評価していう。『日本書紀』神代下(兼方本訓)「顔色、甚だ美く、容貌且閑たり。殆に常之人に非す」。(『日本国語大辞典 第二版』小学館)
日向国……古代、筑紫(九州)の東南部を指した呼称。はじめ襲国と呼ばれた地域の一部だったが、律令制の成立にともない、日向国が成立した。(『日本国語大辞典 第二版』小学館)
中世のパリ……弥兵衛が持ち出した例え。「直に垂れ流していたわけじゃない」というのは、尻を突き出して窓などから直接排泄していたわけではなく、いわゆる溲瓶のなかにしていたための台詞である。十八世紀ごろのヨーロッパの人々は、汚水やゴミや糞尿を、昼夜かまわず家の窓から通りに投げた。投げるときはあらかじめ、「ガーディ・ロー!」と叫ぶのが礼儀だった。これに、通行人は、「ウハド・ヤ・ハン!」と叫び返し、背中を丸めながら、慌てて走り去っていく。といっても、不測の事故は頻繁に発生していたので、当時は、男性が女性をエスコートするときは、男性が建物の側を歩くのが常識だった。中世フランスのルイ九世は、夜中にパリの街を通りかかったとき、突然マントに溲瓶の中身をぶっかけられた。人が通るような時間ではなかったので、まさかと思って、投げる人が合図しなかったのだ。さぞ王はカンカンになって怒ったろうと思うだろうが、とんでもない。調べた結果、犯人が眠るまも惜しんで勉強していた苦学生であることが判明すると、熱心なことだとおおいに感心し、奨学金まで与えたという。当時は糞尿とゴミは道路に垂れ流しだったから、通りの不潔さは想像を絶するものだった。雨でも降れば、どの通りも、一度に糞尿とゴミのぬかるみと化した。だから当時のヨーロッパでは、どの街にも必ず、「不潔通り」「尻下通り」「かわや通り」などというものが存在していた。舗装された大通りも例外ではなく、通りの中央には太い糞尿の通りが走っていた。道を渡るには、通りの端から端にわたした板切れのうえを渡るしかない。おめかしした上流夫人が道を渡るときは、通りかかった男にいくらか金を渡して、背負っていってもらうしかなかった。そこで、これを商売にする、「渡し屋」なるものが生まれ、大繁盛した。いわゆるハイヒールがつくられたのは十七世紀初めだが、じつはこれも、この種の必要に迫られて生まれたものだ。汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないため考え出された、苦肉の策だ。当時のハイヒールはかかとだけでなく、爪先のほうも高くなっていて、いわば靴に下駄を取りつけたような恰好だった。なかには六十センチもの高さのヒールがあったという。いったいどうやって歩いたのだろう。だが中国の纏足と同じで、このよちよち歩く危なっかしい姿が、かえって男心をそそったと言われる。十七世紀のルイ十四世が、それまで住んでいたパリのルーヴル宮殿をああとに、ヴェルサイユ宮殿に引っ越してきたのも、ルーヴル宮殿が汚物まみれになったため、とても住んでいらあれなくなったのだとも言われている。ヴェルサイユ宮殿といえばトイレがないことで有名だが、実は全然なかったわけではなく、ルイ十五世は寝室の隣室に、あげ蓋式の便器を持っていたし、ルイ十六世は水洗式のトイレまで持っていた。けれど、それ以外には太鼓型の「穴あき椅子」があっただけだ。そこで近くに便器がないときは、廷臣たちは庭の茂みでジャーッとやるか、それとも間に合わないときは、廊下や部屋のすみで用を足した。貴婦人でさえ、庭のすみで用を足すなど日常茶飯事だった。それにはあの、釣鐘型の大きく膨らんだドレスが、大助かりだった。だから庭のなかはもちろん、宮殿の階段や廊下のすみなど、人目につきにくいところには、あちこちゴロゴロ変なものが転がっていたという。そこできれい好きな者は、陶製の携帯用便器を持参した。二十五センチほどの大きさで、把手がついたカレーライスのポットのような形をしており、把手を持って股に挟んで用を足すのだ。だが、携帯用便器で用を足すまではいいが、中身は従者が庭に捨ててしまった。そればかりか、宮殿内の便器の中身も庭に捨てたものだから、ヴェルサイユ宮殿はたちまち、通路や中庭や回廊に、尿や糞便があふれ、宮殿のなかも悪臭がプンプンというほどになってしまった。(『やんごとなき姫君たちのトイレ 西洋かわや物語』TOTO出版)
天井を見せる……あおむけにして起き上がらせないという意から、人を痛めつける、ひどい目にあわせる、へこませる(『日本国語大辞典 第二版』小学館)。本作では、怖い思いをさせたことに対しての謝罪をする際に、この言葉を引用した。
魑魅魍魎……「魑魅」は山林の気から生じるばけもの、「魍魎」は山川や木石の精霊。いろいろな妖怪変化。種々のばけもの。(『日本国語大辞典 第二版』小学館)
常之人……徒人、只人、直人、常人とも。神仏、また、その化身などに対して、ふつうの人間。また、特別の能力や才能を持っている人に対して、あたりまえの人間。つねの人。ただの人。多く、打消の表現を伴って、すぐれていること、ただの人間でないことなどを評価していう。『日本書紀』神代下(兼方本訓)「顔色、甚だ美く、容貌且閑たり。殆に常之人に非す」。(『日本国語大辞典 第二版』小学館)
日向国……古代、筑紫(九州)の東南部を指した呼称。はじめ襲国と呼ばれた地域の一部だったが、律令制の成立にともない、日向国が成立した。(『日本国語大辞典 第二版』小学館)
中世のパリ……弥兵衛が持ち出した例え。「直に垂れ流していたわけじゃない」というのは、尻を突き出して窓などから直接排泄していたわけではなく、いわゆる溲瓶のなかにしていたための台詞である。十八世紀ごろのヨーロッパの人々は、汚水やゴミや糞尿を、昼夜かまわず家の窓から通りに投げた。投げるときはあらかじめ、「ガーディ・ロー!」と叫ぶのが礼儀だった。これに、通行人は、「ウハド・ヤ・ハン!」と叫び返し、背中を丸めながら、慌てて走り去っていく。といっても、不測の事故は頻繁に発生していたので、当時は、男性が女性をエスコートするときは、男性が建物の側を歩くのが常識だった。中世フランスのルイ九世は、夜中にパリの街を通りかかったとき、突然マントに溲瓶の中身をぶっかけられた。人が通るような時間ではなかったので、まさかと思って、投げる人が合図しなかったのだ。さぞ王はカンカンになって怒ったろうと思うだろうが、とんでもない。調べた結果、犯人が眠るまも惜しんで勉強していた苦学生であることが判明すると、熱心なことだとおおいに感心し、奨学金まで与えたという。当時は糞尿とゴミは道路に垂れ流しだったから、通りの不潔さは想像を絶するものだった。雨でも降れば、どの通りも、一度に糞尿とゴミのぬかるみと化した。だから当時のヨーロッパでは、どの街にも必ず、「不潔通り」「尻下通り」「かわや通り」などというものが存在していた。舗装された大通りも例外ではなく、通りの中央には太い糞尿の通りが走っていた。道を渡るには、通りの端から端にわたした板切れのうえを渡るしかない。おめかしした上流夫人が道を渡るときは、通りかかった男にいくらか金を渡して、背負っていってもらうしかなかった。そこで、これを商売にする、「渡し屋」なるものが生まれ、大繁盛した。いわゆるハイヒールがつくられたのは十七世紀初めだが、じつはこれも、この種の必要に迫られて生まれたものだ。汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないため考え出された、苦肉の策だ。当時のハイヒールはかかとだけでなく、爪先のほうも高くなっていて、いわば靴に下駄を取りつけたような恰好だった。なかには六十センチもの高さのヒールがあったという。いったいどうやって歩いたのだろう。だが中国の纏足と同じで、このよちよち歩く危なっかしい姿が、かえって男心をそそったと言われる。十七世紀のルイ十四世が、それまで住んでいたパリのルーヴル宮殿をああとに、ヴェルサイユ宮殿に引っ越してきたのも、ルーヴル宮殿が汚物まみれになったため、とても住んでいらあれなくなったのだとも言われている。ヴェルサイユ宮殿といえばトイレがないことで有名だが、実は全然なかったわけではなく、ルイ十五世は寝室の隣室に、あげ蓋式の便器を持っていたし、ルイ十六世は水洗式のトイレまで持っていた。けれど、それ以外には太鼓型の「穴あき椅子」があっただけだ。そこで近くに便器がないときは、廷臣たちは庭の茂みでジャーッとやるか、それとも間に合わないときは、廊下や部屋のすみで用を足した。貴婦人でさえ、庭のすみで用を足すなど日常茶飯事だった。それにはあの、釣鐘型の大きく膨らんだドレスが、大助かりだった。だから庭のなかはもちろん、宮殿の階段や廊下のすみなど、人目につきにくいところには、あちこちゴロゴロ変なものが転がっていたという。そこできれい好きな者は、陶製の携帯用便器を持参した。二十五センチほどの大きさで、把手がついたカレーライスのポットのような形をしており、把手を持って股に挟んで用を足すのだ。だが、携帯用便器で用を足すまではいいが、中身は従者が庭に捨ててしまった。そればかりか、宮殿内の便器の中身も庭に捨てたものだから、ヴェルサイユ宮殿はたちまち、通路や中庭や回廊に、尿や糞便があふれ、宮殿のなかも悪臭がプンプンというほどになってしまった。(『やんごとなき姫君たちのトイレ 西洋かわや物語』TOTO出版)
天井を見せる……あおむけにして起き上がらせないという意から、人を痛めつける、ひどい目にあわせる、へこませる(『日本国語大辞典 第二版』小学館)。本作では、怖い思いをさせたことに対しての謝罪をする際に、この言葉を引用した。
魑魅魍魎……「魑魅」は山林の気から生じるばけもの、「魍魎」は山川や木石の精霊。いろいろな妖怪変化。種々のばけもの。(『日本国語大辞典 第二版』小学館)
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