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章第三「化物坂、蟷螂坂」
(十四) 寛大さには寛大さを
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乾庭に、生き残ったオオカマキリたちが整列させられる。始まってから一時(約二時間)が経とうとしているが、六卿の神々は、いまだ六合院にて会議の真っ最中だった。彩が戻ったとき、「八段に斬りて散し梟せ給へ!(身体を八つ裂きにし、それらを串に刺して吊るしあげろ!)」という高天原方言の強い怒号が、耳へ飛び込んできた。
「オオカマキリは操られていただけということが判明しましたので、処刑の対象はハリガネムシのみと……」
民部卿・稚産霊神の言葉に、血の気の多い烏合の神々が反論する。「否。蟷螂も等し並みに罪すべし!(いいえ。カマキリにも同等の処罰を与えるべきだ!)」「死罪だにし給へ(最低でも死刑にしてください)」「火を以て誅すべし!(火刑に処すべきだ!)」
侃侃諤諤の話し合いは遅々として進まず、業を煮やした天照大神は片手を挙げ、紛糾する皆を制する。「徒刑を負ほすと考ふ。……彼らには、麦の収穫を手伝ってもらい、それで帳消し、ということにします。よろしいですか、大日女尊」
彩は、ハラハラと様子を見守った。最終決定権が天照大神にあるとはいえ、会議を無視した独断専行は多くの反感を招きかねない。一歩間違えれば「怪我人も出ているのに」という批判を受けそうな局面である。名指しされた総務卿・大日女尊は、すくっと立ち上がって、恭しく頭を下げる。そして、ひとこと「はい、仰せのままに」とだけ言った。
「しかし! それでは!」そう声を上げたのは、建布都神だった。「皆が納得しませぬ!」
「之を道びくに政を以てし、之を斉ふるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し」
天照大神の口から出てきたのは、彩でも知っている一文だった。すぐに『論語』だと思い至ったが、教養のある神ばかりではなく、ましてや方言の理解できない神も多い。なので天照大神は、現代の共通語に訳す。「圧政を敷き、刑罰を厳しくすると、人民は法の網目をかいくぐって、恥ずかしいとも思わなくなります」
納得していなさそうな表情で、稜威雄走神が「それは、そうかもしれませんが」と言い澱む。天尾羽張神も合点がいかないようだ。「それで、もし、スサ、いえ、万が一のことがあれば……」
おそらく天尾羽張神は、素戔嗚尊のように、と言いかけてやめたのだろう。正直なところ、本人と面識のある神は、ここ高天原のなかでも、そう多くはない。彩が高天原へ初めて召集されたとき、もうすでに素戔嗚尊は追放されたあとだった。そして、現在の天照大神でさえも素戔嗚尊とは面識がない。だが、それとは関係なく、昔からの暗黙の了解的に素戔嗚尊の名前を出しちゃいけないような雰囲気が、少なくとも二〇〇〇年以上のあいだ、高天原を包んでいた。
「我は恕そうと思う」声を張り上げて、天照大神は述べる。それは、君主に相応しい力強い声だった。「目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を。それで、じゅうぶんな罰となり得ましょう。行き過ぎた報復は、秩序を乱すだけです」
すぐに賛同したのは、谷蟇のなかでも長老っぽい谷蟇だった。「三島由紀夫の戯曲、ゲコ、『白蟻の巣』にも、ゲコ、寛大さには寛大さを、と書かれています、ゲコからね」
菊理媛神が、なにかをひとこと添える。仲裁に長けた菊理媛神の一助もあってか、思っていたよりも、すぐに受け入れられたようだ。周囲の神々から、少しずつ、納得する唸り声と、称賛する喚声がわき起こる。同調の波紋が広がっていく。肩身の狭さを感じた稜威雄走神は、渋々私意を呑み込む。「大神がよろしいのであれば……」
天照大神は稚産霊神に目配せをする。ほっと胸を撫でおろした稚産霊神が、深々と低頭し、六合院を退出していく。大路を挟んで、高天原のほぼ中央にある坤庭の高札場へ行ったのだろう。会議で決まったことは、ここに貼り出して、会議には出席していない(境内には入れない)神々に報せる決まりである。天照大神からの命を受けた八意思金神は、乾庭で、オオカマキリたちの言葉の通訳を買って出た。我々には敵意がないこと、それから残りの麦の収穫を手伝ってくれること。それらを、オオカマキリたちへ伝えるためだ。
どうやら日本語を介する類いの妖怪らしいが、高天原方言と新潟県方言の雑じった言葉遣いが激しく、さすがの八意思金神でも聞き取るまでは時間がかかってしまう。相手の訛りに順応し、交渉文を変化させつつ職務を全うし終えると、天照大神への報告に向かった。
さっそく作業に取りかかったオオカマキリのおかげで、麦穂の刈り入れは予定よりも早く終わることになりそうだ。もはや、昼八つ(午後二時から午後四時ころ)を過ぎ、昼食よりも「おやつ」といった時間帯になってしまったが、途中になっていた昼食をつくるため、彩は天照大神とともに大炊寮へと戻る。
天照大神の号令によって、続々と乾符門をくぐり、境内のなかへと、八百万の神々が集結してきた。数柱の大膳職が、最後の仕上げや盛りつけをおこない、配膳までしてくれる。六合院の前庭には、百取りの机が仮設されていた。しかしオオカマキリは見送るばかりで、一向に自分たちが動こうとはしない。麦穂の刈り入れを続けるオオカマキリのもとへ進み出て、天鈿女神は大声で呼びかける。「みなさんも休憩してくださぁ~い!」
その様子を見ていた豊布都神が、吐き捨てるように言った。「斯かる奴ばらに心置くに及ばず(こんな奴らに気を遣う必要はない)」
「オオカマキリは操られていただけということが判明しましたので、処刑の対象はハリガネムシのみと……」
民部卿・稚産霊神の言葉に、血の気の多い烏合の神々が反論する。「否。蟷螂も等し並みに罪すべし!(いいえ。カマキリにも同等の処罰を与えるべきだ!)」「死罪だにし給へ(最低でも死刑にしてください)」「火を以て誅すべし!(火刑に処すべきだ!)」
侃侃諤諤の話し合いは遅々として進まず、業を煮やした天照大神は片手を挙げ、紛糾する皆を制する。「徒刑を負ほすと考ふ。……彼らには、麦の収穫を手伝ってもらい、それで帳消し、ということにします。よろしいですか、大日女尊」
彩は、ハラハラと様子を見守った。最終決定権が天照大神にあるとはいえ、会議を無視した独断専行は多くの反感を招きかねない。一歩間違えれば「怪我人も出ているのに」という批判を受けそうな局面である。名指しされた総務卿・大日女尊は、すくっと立ち上がって、恭しく頭を下げる。そして、ひとこと「はい、仰せのままに」とだけ言った。
「しかし! それでは!」そう声を上げたのは、建布都神だった。「皆が納得しませぬ!」
「之を道びくに政を以てし、之を斉ふるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し」
天照大神の口から出てきたのは、彩でも知っている一文だった。すぐに『論語』だと思い至ったが、教養のある神ばかりではなく、ましてや方言の理解できない神も多い。なので天照大神は、現代の共通語に訳す。「圧政を敷き、刑罰を厳しくすると、人民は法の網目をかいくぐって、恥ずかしいとも思わなくなります」
納得していなさそうな表情で、稜威雄走神が「それは、そうかもしれませんが」と言い澱む。天尾羽張神も合点がいかないようだ。「それで、もし、スサ、いえ、万が一のことがあれば……」
おそらく天尾羽張神は、素戔嗚尊のように、と言いかけてやめたのだろう。正直なところ、本人と面識のある神は、ここ高天原のなかでも、そう多くはない。彩が高天原へ初めて召集されたとき、もうすでに素戔嗚尊は追放されたあとだった。そして、現在の天照大神でさえも素戔嗚尊とは面識がない。だが、それとは関係なく、昔からの暗黙の了解的に素戔嗚尊の名前を出しちゃいけないような雰囲気が、少なくとも二〇〇〇年以上のあいだ、高天原を包んでいた。
「我は恕そうと思う」声を張り上げて、天照大神は述べる。それは、君主に相応しい力強い声だった。「目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を。それで、じゅうぶんな罰となり得ましょう。行き過ぎた報復は、秩序を乱すだけです」
すぐに賛同したのは、谷蟇のなかでも長老っぽい谷蟇だった。「三島由紀夫の戯曲、ゲコ、『白蟻の巣』にも、ゲコ、寛大さには寛大さを、と書かれています、ゲコからね」
菊理媛神が、なにかをひとこと添える。仲裁に長けた菊理媛神の一助もあってか、思っていたよりも、すぐに受け入れられたようだ。周囲の神々から、少しずつ、納得する唸り声と、称賛する喚声がわき起こる。同調の波紋が広がっていく。肩身の狭さを感じた稜威雄走神は、渋々私意を呑み込む。「大神がよろしいのであれば……」
天照大神は稚産霊神に目配せをする。ほっと胸を撫でおろした稚産霊神が、深々と低頭し、六合院を退出していく。大路を挟んで、高天原のほぼ中央にある坤庭の高札場へ行ったのだろう。会議で決まったことは、ここに貼り出して、会議には出席していない(境内には入れない)神々に報せる決まりである。天照大神からの命を受けた八意思金神は、乾庭で、オオカマキリたちの言葉の通訳を買って出た。我々には敵意がないこと、それから残りの麦の収穫を手伝ってくれること。それらを、オオカマキリたちへ伝えるためだ。
どうやら日本語を介する類いの妖怪らしいが、高天原方言と新潟県方言の雑じった言葉遣いが激しく、さすがの八意思金神でも聞き取るまでは時間がかかってしまう。相手の訛りに順応し、交渉文を変化させつつ職務を全うし終えると、天照大神への報告に向かった。
さっそく作業に取りかかったオオカマキリのおかげで、麦穂の刈り入れは予定よりも早く終わることになりそうだ。もはや、昼八つ(午後二時から午後四時ころ)を過ぎ、昼食よりも「おやつ」といった時間帯になってしまったが、途中になっていた昼食をつくるため、彩は天照大神とともに大炊寮へと戻る。
天照大神の号令によって、続々と乾符門をくぐり、境内のなかへと、八百万の神々が集結してきた。数柱の大膳職が、最後の仕上げや盛りつけをおこない、配膳までしてくれる。六合院の前庭には、百取りの机が仮設されていた。しかしオオカマキリは見送るばかりで、一向に自分たちが動こうとはしない。麦穂の刈り入れを続けるオオカマキリのもとへ進み出て、天鈿女神は大声で呼びかける。「みなさんも休憩してくださぁ~い!」
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