アマテラスの力を継ぐ者【第一記】

モンキー書房

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章第三「化物坂、蟷螂坂」

(十一)諾はすため天にのぼる

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 稚日女尊わかひるめのみことは、憤りを覚えていた。
 言われるがまま、懸命におけを踏み鳴らし続けていた天鈿女命あめのうずめのみことの着物のすそを、猿田彦老翁さるたひこのおきなまくろうとしている。
 こンの、エロテング……!


 天鈿女命の裸には、わざわいを晴らす力がある。それを頭ではわかっていたが、あまりにも胸糞わるい光景で吐き気がしてくる。
 十数年前に生まれた稚日女尊にとっては、とうてい理解できるものではない。高天原たかまのはらに現代社会の常識を持ち込むのはお門違いだが、どうしても見過ごすことができない。
 気がついたときには、稚日女尊は駆け寄って猿田彦老翁の右手をつかんでいた。


 なにをする! とわめき散らす猿田彦老翁を尻目に、邪魔なオオカマキリを怒り任せに。周囲の者たちは唖然あぜんとする。
 天照大神あまてらすおおみかみの後継・稚日女尊は、思わず、みずからがしてしまったという事実に、周囲が認識するよりも一拍ほど遅れて気づく。
 高天原を護るという意味では、その行為は正しいと言える。
 しかし、刑部省ぎょうぶしょうの神々や検非違使けびいしの神々を差し置いて、力を発揮してしまうのは、あってはならないことだった。


 ときが止まったかのように、その場にいた全員が凍りつく。異常事態が発生したことは、一部始終を見ていなかった彩も察する。
 空気が変化したのはもちろんのこと、さっきまで暴れまわっていたオオカマキリの一匹が、彩のいるところからでも、はっきりと干からびているのが視認できるからだ。
 彩からしてみれば、一匹でも多く倒してくれるなら猫の手でも太陽神の力でも、なんでも借りたいと思うのだが、こころよく思わない神々が多いことも承知している。


 幼いときから知っている現・稚日女尊の置かれた状況は、言うまでもなく気にはなったが、いま彩はオオカマキリとの交戦中だ。
 直刀を握りなおし、首もとに狙いを定めて振りおろす。彩は、それ以外のことに気がまわらない状況であった。
 オオカマキリは、獲物を捕食しようとするカマキリのそれと同じように、両鎌を振り上げながら猛突進してくる。
 相手の力量を見極めることなく、誰彼かまわず向かっていくさまは、勇ましくもあり滑稽でもあった。


 ひらりとオオカマキリの鎌をなし、彩は身軽なステップで追撃を加える。一匹の胴体と頭部を切り離したところで、天香山てんこうざんの様子をうかがった。
 雪解ゆきげのようにふもとへ流れていく物体が、すべてオオカマキリの群れだとすれば、とんでもない数だ。
 そうこうしているうちに、また一匹のオオカマキリが、天安河あまのやすのかわ沿ってむらへとおりてきていた。


 天香山へ向かった殲滅せんめつ部隊でも、これだけの数を相手にしたためしがないのだろう、予想以上に時間がかかっているようだ。
 再度、高天原の大地むらくもを踏み込み、タイミングをはかり、オオカマキリに向かっていくべく、彩は天尾羽張神あめのおははりのかみにアイコンタクトをする。


 次にオオカマキリのほうへ視線を移したとき、彩の目に飛び込んできたのは、空中に張りめぐらされた、息をむほど色鮮やかな、なんとも美しいだった。
 オオカマキリの巨躯きょくは、それにからまって、鎌すら微動だにできず、感情は想像するしかないが、とても苦しそうに見える。
 彩が目を離していた瞬間に、どういうわけか、こんなにも幻想的で奇怪な光景が、眼前に広がっていようとは、予想もしていなかった。
 あまりにも呆気あっけない終幕の訪れに、彩の口は開いたまま、きわめて間抜けな表情をしていることだろう。


 布に絡みとられているのは、目の前のオオカマキリだけではなかった。朝露に輝くクモの巣のごとく、天香山を覆ったきらびやかな織物の数々。
 一匹一匹をすくい取りながら、巣全体が、雨上がりの虹のような装飾をほどこされていた。
 彩はふと、天安河原あまのやすかわらたたず二柱ふたはしらの神に気がつく。
 二柱ともつややかな長い黒髪を揺蕩たゆたわせ、あたかもハープを弾くような素振りで、それらの織物をでている姿は、さながら羽衣はごろもを干す天女のごとく、彩の目には映った。
 遅刻してきた友人へ話しかけるみたいに、稚日女尊は声のトーンを上げて言う。


「遅いよぉ!」
「ごめん、ごめん。久しぶりの高天原だったから迷っちゃって」
猿田彦さるたひこは?」
「え? いなかったよ? 珈琲コーヒーでも飲みに行ってんじゃない?」


 しとやで気品に満ちた外見に反し、女子高生かと思ってしまうような、とりとめのない会話が続く。
 そこへもう一柱ひとはしらが加わり、さらに混沌こんとんの様相をていしてきた。


「みんなにお土産みやげを買っていきたいんだけど、高天原ってなんか名物ないの?」
「みんなって?」
のみんなよ。こういうことは、しっかりしておかなくちゃ」


 修学旅行生みたいな会話をしている彼女たちを見て、彩の脳裏には稲穂の顔が浮かぶ。うまの刻(約十一時から約十三時)を過ぎた現在、修学旅行でどこに行くか決まった頃合いだろう。
 彼女たちについて周囲の神々は、あることないことを話し合っている。普段は葦原中国あしはらのなかつくににいて、高天原へ寄ることが少ない身という意味では、彩との共通点も多かった。
 左遷させんだの天下あまくだりだの(本来の意味としての天下りなら正しいが)、みんなが好き勝手に言い始めて、噂がひとり歩きしていったことにも、彩は同情の念をいだかずにはいられない。


「でも、来てくれてありがとうね」
「いえいえ。大宮売神から電話きたときはビックリしたけどねぇ。わかさんの頼みとあらば、どこへでも駆けつけますとも!」


 マブだもんね! と言いたげなテンションだった。
 しくも、彩が六合院りくごういんで放った豪語ごうごに近しいものを感じる。
 もう一柱の神は初めて会ったが、片方は建葉槌命たけはづちのみことだ。


 同じ地上世界にいても、彩が彼女たちに会うのも数えるほどしかなかった。彼女たちの名前すら、覚えていない者も多いだろう。
 突如として現れた二柱の女神は、稚日女尊の肩越しに彩の姿を認めると、大袈裟おおげさに手を振って近づいてくる。
 彩は、一瞬たじろいだ。
 これで仲間だと思われて、また変な噂が立ったら困るなあ、と自分もまわりと同じ軽薄な神の一柱ひとはしらであることを認識する。


「どもどもー。おひさー」
「いまは『アヤ』と名乗っているそうですね。わたくしも民草たみくさとして活動しようとしたとき、候補にあげた名前のひとつですわ!」


 なぜか稚日女尊と話すときはタメ語なのに、彩に対しては敬語だった。
 二柱とも、ビジネスシーンでよく見る名刺をふところから取り出し、彩に渡してくる。その洋紙に書かれていたのは「倭文静しとりしずか」という名前とおぼしき文字列。
 もう一枚には「梶葉織姫かじはおりひめ」と記されていた。それが彼女たちの、いまの人間としての名前らしい。
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