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章第一「両面宿儺」
(十)誅せし者や何人ならむ
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ひととおりの作業が終わり、グラウンドは、すっかり事件前の姿に戻っていた。
昼間、普通の人間から白骨死体を見えなくするために張っていた、裏口にあったものとは別の、目隠し用の注連縄も、いまは解かれているようである。
いまだに何味か判然としないが、どことなく懐かしさを感じさせる缶ジュースに口をつけていると、彩も白骨死体を見渡しながら告げてきた。
「ほら。あの琴で成仏させてあげてよ」
「成仏って……神仏習合すぎません?」
「歴史的にみると、習合していた時代のほうが長いからね」
最後の一滴まで飲み干すために、ぐびっと缶ジュースを呷ってから、彩はつけ加える。
「ちなみに、きみがさっき言っていた『ありがとう』も、語源は仏教だけど」
白骨死体が横たわった地面に目を落とした龍は、力を集中させ、六尺ほどある琴を空中へと出現させる。
ゆっくりと地面へ下りていく琴へ手を伸ばすあいだ、龍の指には爪がはまっていく。その琴に右手を這わせ、力の入れ方を注意しながら弦を弾いた。
まるで木精や風女神たちが聞き惚れているかのような、梢の音ひとつしない静まり返った月夜で、その雅やかな音色を奏でる。
「南無~」
「いいんですか、そんなの唱えて」
きれいな音をぶち壊すような、ガサツなお経が響いた。手を合わせて拝む彩に、彼女の神様としてのプライドはどこにあるのかと、龍は余計な心配をしてしまう。
「あたしも半分は仏教徒だから。茶枳尼天だから」
「稲荷神さまに比べたら、保食神さまは全然有名じゃないですけど」
自慢げな顔で胸を反る彩に対し、龍が冷静なツッコミを入れる。
均したばかりの土が、また抉れてしまうんじゃないかと思うほど、彩は強く膝をついて、頭を垂れた。
「うっ……なにげに傷つくこと言うなぁ」
「……すみません」
月光に照らされた、ふたり分の肋骨や頭蓋骨、ひとり分の大腿骨など、大きな骨たちが、荼毘に付したわけでもないのに、白い煙を立ち昇らせて、みるみるうちに消えていく。
最後に、なぜかグラウンドから生えている稲を刈り取り、一切の証拠が残らないよう、白骨があった地面周辺も均していく。それから彩は、残りの缶ジュースを弥兵衛とともに、グラウンド全体へかけ始める。
すべてを終えた彩は「じゃあ、きょうはもう解散!」と晴れやかな表情で手を叩く。やっと終わったと思い、龍も深呼吸しながら天を仰いだ。
彩が手渡してくれたジュースのおかげか、疲れはほとんど感じない。やはり特別な飲み物だったんだろうか、と手もとの缶を見つめる。でもやっぱり、なにが書かれているのかは解読できない。
きょう一日で、いろんなことがあった。立ち去っていく彩とキツネの後ろ姿を見つめながら、龍は昼間のことを思い出していた。
…………。
……。
午前十一時に差しかかるころだったろうか。忽然と降り出した雨は、また忽然と止んでしまった。
その代わり、一気に夏本番さながらの気温となり、強烈な日差しが、あたり一帯を満たしていく。
裏口の前で立ち尽くしていた龍は、まともに前方を見られないほどの眩しさを覚え、校舎側へと視線を逸らした。
そこで、人影が群がっている様子が見て取れた。
校舎一階の廊下が俄かに騒がしくなり、制止しようとする担任の言うことも聞かず、一・二年生たちは窓の周囲へと集まってくる。
父兄や教師も含め、この光の正体がわからず困惑しているようだった。正直に言って龍も、これがなんなのかはわからない。
ただ、原因が両面宿儺だとも思えないし、もちろん自然現象でもなさそうだ。
「なに? なに?」
「すごーい! 光ってる!」
「もしかして、宇宙人がきたとか!」
呑気に騒ぎ立てる児童たちの声を聞きながら、龍は、あるひとつの可能性に思い至る。
保食神がこんな目立った行動をするとは思えず、消去法でいくと……
「まさか……」
その人物の顔を思い浮かべるよりも先に、光の中心へと向かい、龍は駆けだしていた。
目当ての人物を見つけ次第、ひと思いに斬ろうと、手のなかで形成した剣を前方に構えたまま走り続ける。
ある程度まで行ったところで、背後を振り返ってみたが、暗いからではなく、むしろ白飛びしたかのように、校舎が見えなくなっていた。
前方に向きなおっても、あたり一面の世界が白くなり、いまいる自分の場所もわからない。
しかし、闇雲に走っているわけではなく、周囲の気配を少しでも感じられるよう、五感をフルに研ぎ澄ませる。
ほんのわずかに、赤い揺らめきを視認した。その赤い揺らめきを発しているなにかに剣のぶつかる感覚があり、龍は刃を突き立ててそのまま静かに引く。
強烈な光が収まりつつあるなかに、知りあったばかりの少女の顔が浮かび上がってきた。
脱力した稲穂が膝から崩れ落ち、咄嗟に龍は、彼女の腰へ手を回して、受け止める。気絶した彼女は、完全に身体を預けているはずだったが、風女神のおかげか、それほど重さは感じなかった。
周りの世界が色彩を取り戻してくると、地面や空の色が鮮やかな景色として龍の目に映る。その緑色の芝生と茶色の土のなかで、黄金に輝く稲の垂り穂が点々と生えているのが見えた。
なんだろうと注視していると、それらの稲のなかから、むくりと誰かが起き上がる。遠目からだが、その人物は彩だとわかった。
稲穂のことを抱きかかえる龍の姿を見て、起き上がったばかりの彩は睨みつけるように目を細くする。
「なにしてんの」
「生太刀で気絶させました」
「気絶させて、なにする気?」
「いえ……あの……」
龍が返答に口籠っていると、それについてどうでもよくなったのか、彩は身体の緊張を解くように伸びをした。
脚に力の入らなくなった稲穂を、龍は慎重に芝生の上へと寝かせる。
きれいに肉だけが削がれた白骨死体へ、彩が目を向けると、別の質問を龍に投げかけてきた。
「倒したの?」
「いえ……たぶん……」
「まさか……これを、稲穂が……?」
「はい。恐らく……」
息が荒く、苦しそうに唸っている足もとの少女へ、龍は視線を送った。その視線の先に気がつき、彩は信じられないと言わんばかりに大きく目を見開く。
「でも、どうして、いまになって……? 抑え込めてたはずなのに」
「抑え込めてた……? それって……」
「いえ、なんでもないわ」
龍の疑問には答えず、彩は首を横に振った。この状況を見てしまった彩は、自分を無理やり納得させようと、何度も頷く。
「そう……あの洟……校長は?」
「はい。無事です」
「よかった、よかった」
再び白骨へ視線を移した彩は、唐突に誰かの名前を呼ぶ。
「市兵衛! 目くらましをかけておきましょう」
すると、どこからともなくキツネが現れて、白骨や稲のまわりをくるくると回り始めた。すぐさま、その円の内側には、両端のつながった注連縄が、宙に浮かんだ状態で出現する。
その注連縄に囲われた白骨や稲などは、たちまち姿かたちが見えなくなっていった。龍は、心の中で小首を傾げる。これが目くらまし? この要領で、裏口の注連縄も出したんだろうか。
終わって、ひと息つくそのキツネに、彩は、なにやらを頼んでいる。
「戻ったら、弥兵衛に五瀬家の見張りをお願いして」
光が完全に収まってくると、この場所は校舎から丸見えだろうと思っていたが、雨男と晴れ女がいるせいか、雨が降ることはなかったが、太陽の周りには再び雲が群がってきているようだ。
どんよりとした空模様のおかげで、いくらか暗いため、気づかれにくいかもしれない。それでも、足踏みしていた警察官たちがくるのも時間の問題で、ここから一刻も早く立ち去りたい。
その気持ちは、彩も同様だった。
「教室に戻りましょうか。気絶してるなら、稲穂を担いで行かないと」
昼間、普通の人間から白骨死体を見えなくするために張っていた、裏口にあったものとは別の、目隠し用の注連縄も、いまは解かれているようである。
いまだに何味か判然としないが、どことなく懐かしさを感じさせる缶ジュースに口をつけていると、彩も白骨死体を見渡しながら告げてきた。
「ほら。あの琴で成仏させてあげてよ」
「成仏って……神仏習合すぎません?」
「歴史的にみると、習合していた時代のほうが長いからね」
最後の一滴まで飲み干すために、ぐびっと缶ジュースを呷ってから、彩はつけ加える。
「ちなみに、きみがさっき言っていた『ありがとう』も、語源は仏教だけど」
白骨死体が横たわった地面に目を落とした龍は、力を集中させ、六尺ほどある琴を空中へと出現させる。
ゆっくりと地面へ下りていく琴へ手を伸ばすあいだ、龍の指には爪がはまっていく。その琴に右手を這わせ、力の入れ方を注意しながら弦を弾いた。
まるで木精や風女神たちが聞き惚れているかのような、梢の音ひとつしない静まり返った月夜で、その雅やかな音色を奏でる。
「南無~」
「いいんですか、そんなの唱えて」
きれいな音をぶち壊すような、ガサツなお経が響いた。手を合わせて拝む彩に、彼女の神様としてのプライドはどこにあるのかと、龍は余計な心配をしてしまう。
「あたしも半分は仏教徒だから。茶枳尼天だから」
「稲荷神さまに比べたら、保食神さまは全然有名じゃないですけど」
自慢げな顔で胸を反る彩に対し、龍が冷静なツッコミを入れる。
均したばかりの土が、また抉れてしまうんじゃないかと思うほど、彩は強く膝をついて、頭を垂れた。
「うっ……なにげに傷つくこと言うなぁ」
「……すみません」
月光に照らされた、ふたり分の肋骨や頭蓋骨、ひとり分の大腿骨など、大きな骨たちが、荼毘に付したわけでもないのに、白い煙を立ち昇らせて、みるみるうちに消えていく。
最後に、なぜかグラウンドから生えている稲を刈り取り、一切の証拠が残らないよう、白骨があった地面周辺も均していく。それから彩は、残りの缶ジュースを弥兵衛とともに、グラウンド全体へかけ始める。
すべてを終えた彩は「じゃあ、きょうはもう解散!」と晴れやかな表情で手を叩く。やっと終わったと思い、龍も深呼吸しながら天を仰いだ。
彩が手渡してくれたジュースのおかげか、疲れはほとんど感じない。やはり特別な飲み物だったんだろうか、と手もとの缶を見つめる。でもやっぱり、なにが書かれているのかは解読できない。
きょう一日で、いろんなことがあった。立ち去っていく彩とキツネの後ろ姿を見つめながら、龍は昼間のことを思い出していた。
…………。
……。
午前十一時に差しかかるころだったろうか。忽然と降り出した雨は、また忽然と止んでしまった。
その代わり、一気に夏本番さながらの気温となり、強烈な日差しが、あたり一帯を満たしていく。
裏口の前で立ち尽くしていた龍は、まともに前方を見られないほどの眩しさを覚え、校舎側へと視線を逸らした。
そこで、人影が群がっている様子が見て取れた。
校舎一階の廊下が俄かに騒がしくなり、制止しようとする担任の言うことも聞かず、一・二年生たちは窓の周囲へと集まってくる。
父兄や教師も含め、この光の正体がわからず困惑しているようだった。正直に言って龍も、これがなんなのかはわからない。
ただ、原因が両面宿儺だとも思えないし、もちろん自然現象でもなさそうだ。
「なに? なに?」
「すごーい! 光ってる!」
「もしかして、宇宙人がきたとか!」
呑気に騒ぎ立てる児童たちの声を聞きながら、龍は、あるひとつの可能性に思い至る。
保食神がこんな目立った行動をするとは思えず、消去法でいくと……
「まさか……」
その人物の顔を思い浮かべるよりも先に、光の中心へと向かい、龍は駆けだしていた。
目当ての人物を見つけ次第、ひと思いに斬ろうと、手のなかで形成した剣を前方に構えたまま走り続ける。
ある程度まで行ったところで、背後を振り返ってみたが、暗いからではなく、むしろ白飛びしたかのように、校舎が見えなくなっていた。
前方に向きなおっても、あたり一面の世界が白くなり、いまいる自分の場所もわからない。
しかし、闇雲に走っているわけではなく、周囲の気配を少しでも感じられるよう、五感をフルに研ぎ澄ませる。
ほんのわずかに、赤い揺らめきを視認した。その赤い揺らめきを発しているなにかに剣のぶつかる感覚があり、龍は刃を突き立ててそのまま静かに引く。
強烈な光が収まりつつあるなかに、知りあったばかりの少女の顔が浮かび上がってきた。
脱力した稲穂が膝から崩れ落ち、咄嗟に龍は、彼女の腰へ手を回して、受け止める。気絶した彼女は、完全に身体を預けているはずだったが、風女神のおかげか、それほど重さは感じなかった。
周りの世界が色彩を取り戻してくると、地面や空の色が鮮やかな景色として龍の目に映る。その緑色の芝生と茶色の土のなかで、黄金に輝く稲の垂り穂が点々と生えているのが見えた。
なんだろうと注視していると、それらの稲のなかから、むくりと誰かが起き上がる。遠目からだが、その人物は彩だとわかった。
稲穂のことを抱きかかえる龍の姿を見て、起き上がったばかりの彩は睨みつけるように目を細くする。
「なにしてんの」
「生太刀で気絶させました」
「気絶させて、なにする気?」
「いえ……あの……」
龍が返答に口籠っていると、それについてどうでもよくなったのか、彩は身体の緊張を解くように伸びをした。
脚に力の入らなくなった稲穂を、龍は慎重に芝生の上へと寝かせる。
きれいに肉だけが削がれた白骨死体へ、彩が目を向けると、別の質問を龍に投げかけてきた。
「倒したの?」
「いえ……たぶん……」
「まさか……これを、稲穂が……?」
「はい。恐らく……」
息が荒く、苦しそうに唸っている足もとの少女へ、龍は視線を送った。その視線の先に気がつき、彩は信じられないと言わんばかりに大きく目を見開く。
「でも、どうして、いまになって……? 抑え込めてたはずなのに」
「抑え込めてた……? それって……」
「いえ、なんでもないわ」
龍の疑問には答えず、彩は首を横に振った。この状況を見てしまった彩は、自分を無理やり納得させようと、何度も頷く。
「そう……あの洟……校長は?」
「はい。無事です」
「よかった、よかった」
再び白骨へ視線を移した彩は、唐突に誰かの名前を呼ぶ。
「市兵衛! 目くらましをかけておきましょう」
すると、どこからともなくキツネが現れて、白骨や稲のまわりをくるくると回り始めた。すぐさま、その円の内側には、両端のつながった注連縄が、宙に浮かんだ状態で出現する。
その注連縄に囲われた白骨や稲などは、たちまち姿かたちが見えなくなっていった。龍は、心の中で小首を傾げる。これが目くらまし? この要領で、裏口の注連縄も出したんだろうか。
終わって、ひと息つくそのキツネに、彩は、なにやらを頼んでいる。
「戻ったら、弥兵衛に五瀬家の見張りをお願いして」
光が完全に収まってくると、この場所は校舎から丸見えだろうと思っていたが、雨男と晴れ女がいるせいか、雨が降ることはなかったが、太陽の周りには再び雲が群がってきているようだ。
どんよりとした空模様のおかげで、いくらか暗いため、気づかれにくいかもしれない。それでも、足踏みしていた警察官たちがくるのも時間の問題で、ここから一刻も早く立ち去りたい。
その気持ちは、彩も同様だった。
「教室に戻りましょうか。気絶してるなら、稲穂を担いで行かないと」
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