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章第三「化物坂、蟷螂坂」

(三)物忌みの明けたるをりに

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「……なんで、あんたが出てきてんのよ?」
 屋根から、二階にある稲穂の部屋へおりていったとき、彩たちの前に、女の子が顔を出して「久しぶりだなや」とあいさつしてきた。その女の子が誰なのか、身ぎれいになっていたせいで一瞬わからなかったが、彩にとって見知った顔である。五瀬家を守護する存在の屋敷神やしきがみが出てきたのは、これだけ周囲の鬼臭おにしゅうが強くなり、騒ぎが大きくなってしまったのでは仕方のないことだ。稲穂の前にだけは姿を現すな、という彩との約束よりも、家のなかにいる人を守る、という屋敷神本来の使命が最優先された結果だろう。
「ウゲモヂ。おあやかしどご、ちゃんと追っ払ったんだげ?」「いんや。逃げられだ」「なーにやってらなだよ」「やがましねな!」
 秋田暮らしも長いと、古くから知っている秋田民と話すとき、思わずなまりが出てきてしまう。ベッドの隣りで繰り広げられている応酬に、目が覚めてしまったのか、出し抜けに、稲穂の起き上がる動きが見えた。寝返りではありえない布団ふとんの挙動にいち早く気づき、彩は弥兵衛と屋敷神をベッドの下へとわせる。
 市兵衛は受持稲荷神社へと帰っていていなかったから、二本の腕だけでなんとかこと足りた。ふたりの頭を押さえつけながら、なにごともなかったかのように彩は「あ。起こしちゃった……?」と稲穂に接する。スマホを確認し、稲穂は上体を起こす。あどけない表情を見せ、稲穂は「おはよう」とあいさつする。
「おはよう……もし、おなかいてたら、なんか食べる? 腕にりをかけて出すよ。あ、出すって言うのは『提供する』っていう意味ね」
 部屋を抜け出したいという気持ちもあり、彩は稲穂の返事も聞かず、早口にくし立てた。部屋を出ていく際、稲穂が見ていない瞬間を見計らって、弥兵衛をる。それを合図とし、細心の注意を払いつつ、ふたりは匍匐ほふく前進した。部屋を出て、すぐに屋敷神は屋根裏へと消え、弥兵衛も外へと出ていく。ここら辺をひと回り警邏けいらしてこよう、ということらしかった。
 炊飯ジャーからホクホクのご飯をよそい、おむすびをひとつ、ふたつ、みっつと握っていく。キッチンから、リビング横の和室へ移動し、神棚の封印をき、物忌ものいみが明けたことを、天照大神あまてらすおおみかみ三吉霊神みよしのおおかみにも奉告する。稲穂の部屋へ、おむすびを数個ほどたずさえて戻ったところで、気まずさが解消されるわけもなく、ただただ時間が過ぎていくのを待った。強制送還されそうになるたびに、彩はトイレへ立つふりを何度もし、それから神棚をとおって稲穂の家へと戻る。
 御守おまもりはベッドへ横たえる際、首にかけてしまったので、そこから戻るわけにもいかない。稲荷神社の御守や神符しんぷがあれば、どこからでも行きできるのは便利だが、まるでウルト○マンみたいに、時間に追われなければならないのが難点だ。彩が「ちょっとお手洗い」と言うたび、稲穂は「え、また?」とでも言いたげに、口をもごもごさせていた。何度目かの帰還を果たし、稲穂の部屋へ戻ってきた瞬間、おむすびを綺麗きれいに平らげていた稲穂が「その……ごめんっ!」と口を開く。さっきから、なにか言いたそうにしていたのは、これが原因だったのか、と彩は合点がいく。だけど、なぜ謝るのだろう。
 戸惑う彩に、稲穂は「首、めちゃったよね。ごめん」と、再び頭をげた。すさかず彩は「ううん。ごめん、こっちこそ。危険な目に合わせて」とかぶりを振る。
「彩に言われてたのに。よく確認もしないで開けちゃったから」
 七日間は、家のドアを開けないよう言っていたのに、たまらず開けてしまったのを、稲穂は気にしているのだろう。その理由が、稲穂の優しすぎる性格にあることは、もうすでにわかっている。いままでのことを、すべて夢だと思ってくれればいいが、そう都合よくはいかなかった。
「あの、手が勝手に……いや、言い訳じゃなくて……まあ、言い訳にしか聞こえないかもだけど」
 稲穂は言葉を選びながら説明を続けた。なんて言葉をかけていいかわからず、彩は稲穂のたおやかな手を握る。ただひたすら「うん、うん。大丈夫。わかってるから」と、必死に安心させようとした。やっと落ち着いてきた稲穂は「そのぅ。ウケモチノカミって……?」という質問をする。彩はうまく答えられず、「どこまで覚えてるの?」とたずね返す。このときの彩の気配は、どれほど険しいものだったのだろう。平静を装っているつもりでも、稲穂は敏感に「触れてはいけない」ことを察知したのか、口をざしてしまった。再び気まずい空気が流れ始める。どうやら沈黙に耐えられなくなったらしく、稲穂が口を開いた。
「ごめん。無理しなくていいよ」何度、謝られただろう。そんな必要ないのに、と彩は思った。それからなぜか稲穂は、彩のことを気遣うような発言をする。「わたしじゃ、ぜんぜん役に立てないかも、しれないけど。つらくなったら、いつでも相談して」
 そんなふうに見えていたのだろうか。心配をかけないよう、あたしも精進せねば、と彩は覚悟を決め、手をパンっと叩いた。「じゃあ、この話は、これでおしまい……あ、そうだ」
 あることを思い出し、床に臀部でんぶをつけていた彩は、ベッドのふちへと手を置き立ち上がる。思わず出てしまった「よっこいしょういち」という言葉に、思わず照れてしまい、彩は誤魔化ごまかすように「恥ずかしながら親父ギャグを申してしまいました」と言い加えた。ぽかんとする、おそらく元ネタを知らないのであろう稲穂に対し、彩はジェネレーションギャップ(?)を感じて赤面する。大きな咳払せきばらいをひとつした。
 渡さなければいけないものを、ベッド脇に置いていた自分の赤いランドセルから取り出し、稲穂の勉強机の上へ並べていく。それらは物忌みの期間中、ずっと受持稲荷神社で保管していた、一週間分のプリント類。宿題は、稲穂に化けた弥兵衛と市兵衛が交代で提出していたが、保護者へのお知らせ等が書かれた紙は、クリアファイルに入れて大事に持っていたのだ。
 彩は「お母さんによろしくね」と伝える。おしぼりで手をいて、お礼を言いつつ受け取る稲穂に「大丈夫、特に急を要するお知らせはなかったから」と続けた。だが次第に、それらを読んでいた稲穂は、スマホを再確認し、「あ、そうだ。学校!」と叫ぶ。今度は時刻でなく、日づけを気にしているようだった。
「もう、いいでしょ、きょうは。きょう行っても、あした行っても変わんないよ、だって一週間も休んでるんだから」
 気怠けだるそうに彩は提言する。本当は気にすると思って、皆勤賞を持続させてはいたが。それでもなお稲穂は、ランドセルに教科書を詰め込みつつ、プリントに目をとおす。「学校に行きたいから。それだけの理由じゃ、ダメ?」
 まだそれなりに時間はあったが、稲穂は学校へ行く準備を始めていた。本日何度目かの、強制送還の気配を彩は感じ取る。そろそろ戻らなければ、と思い、「じゃあ、また学校でね」という約束をわし、五瀬家を出ていく。振り返ると、部屋の窓から稲穂が顔をのぞかせていて、彩が手を振ると、律儀に振り返してくれた。そうこうしているうちに、敷地を出てかどを曲がったところで、とうとう時間切れになった彩の身体は、一瞬で受持稲荷神社へと飛ばされる。いま、大丈夫だったよね? 見られていなかったよね?
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