アマテラスの力を継ぐ者【第一記】

モンキー書房

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章第一「両面宿儺」

(九)宿儺といふ者ありけり

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 五瀬早苗いつせさなえが風除室を開けると、普段は存在しない異質な物体が、鉢植えの置かれた台に、立てかけられていた。
 それは冬場の暖炉でしか使い道がなさそうな、束にまとめられたたきぎである。
 太さは、さまざまなものを寄せ集めたように不揃いで、樹種もバラバラなように見えるが、長さに関しては、均等な大きさに切り揃えられ、べるのには向いていそうだ。
 電気のついたリビングに向かって「ただいま」と声をかける。冷蔵庫の前でエコバッグをろし、娘の稲穂に風除室のことを話した。


「あの薪、どうしたの?」


「薪……?」
 どうやら娘も、身に覚えがないらしい。風除室まで確認しに行ったあと、小首をかしげながら戻ってきた。
「あ。あの人かな? きょう、お客さんがきてたみたいだから」


「お客さん?」
 わざわざ薪を持ってくる隣人に、思い当たる人はいない。誰だろう、と早苗は頭をひねる。まさかと思い、一意に絞れるような質問をした。
「どんな格好してた?」


「えーっと。着物を着てて……瓢箪ひょうたん柄の……」


 そこまで聴けば、早苗の脳裏には、ある人物のシルエットが浮かぶ。
 キッチンの戸棚を開けて確認するも、茶葉が少なくなっている様子はないようだ。それから今度は、冷蔵庫を開けて缶ビールを確認する。こちらは一本、減っていることに、すぐ気がついた。
 そこで確実性が増し、二分の一の選択肢が消える。稲穂のほうへ顔を向け、早苗は質問を続けた。


「それで、その人は、なにか言ってた?」
「今度は、お母さんがいるときにくるって」


 早苗は、そう、と生返事を返す。また仕事中にられても困る。受持稲荷神社うけもちのみこと経由で、しばらくのあいだ仕事で留守にしたい旨を伝えてもらおう、と早苗は思った。
 留守中の立ち合いを彩に任せておけば、きっと大丈夫なはずだ。が用事のある人は、わたしではなく稲穂だろうから、と早苗は漠然と感じる。


「その人に、また会うことがあったら、伝えてくれる? いまどき薪をもらっても嬉しくないって」


 …………。
 ……。


 稲穂が家に帰ってきたとき、午後二時を回っていた。少し遅めの昼食を済ませ、きのうにやり残していた宿題の続きに取りかかる。
 いた時間で、きょう起こったできごとを振り返り、まだこんがらがった記憶を整理することにした。
 不審者の闖入ちんにゅうによって混乱した状況とはいえ、グラウンドから保健室までの行程を忘れるほどだったろうか。


 テレビでニュースを観ていると、夕方になって早苗が帰宅した。
 風除室に置かれた薪のことをかれたが、身に覚えがなかった稲穂は、置いていったとしたらあの人・ ・ ・なのでは、と思い、昼間に訪れていた客人のことを話す。
 話の途中で血相を変えた早苗は、戸棚や冷蔵庫のなかを確認しているようだった。


 午後七時。夕食を終えた稲穂は、母の分とまとめて皿洗いする。早苗はパソコンをコンセントにつないで電源を入れ、スマホをひととおり触ったあと充電器にセットした。
 最後の一枚を水切りかごに立てかけ、稲穂がタオルで両手をぬぐうなか、早苗は顔をテレビへ向けたまま、言い出しづらそうに口を開く。


「……そういえば、先生から電話があったんだけど……大変だったね」


 ドラマかアニメで観たかのような、現実感のない記憶が去来した。目と鼻の先をとおっていった矢。逃げ惑う人々の恐怖に満ちた表情。
 下校する最中、何人もの制服警官とすれ違ったことを思い出した。少なからず厳戒態勢であったことは間違いない。


「大丈夫、稲穂?」


 そうたずねる早苗のほうを向いたが、うまくピントが合わず顔を見られなかった。自分の目もとへ涙が溜まっていることに気がつく。昼間もさんざん泣いたはずなのに、まだ涙腺は枯渇しないらしい。
 いまになって自分ごとのように体感し、身体が震えてきたようだった。
 早苗に、運動会で起こった不審者の闖入事件のことを話す。途中で終わらざるを得なくなったことと、保健室で寝込んでしまったらしいこと。
 彩と龍がしていた会話については触れなかったが、この話の流れで気になっていたことを訊いてみる。


「お母さん」
 もとの位置にタオルを戻し、母の隣りまで行ってソファーへ腰かけた。
「『リョウメンスクナ』って知ってる?」


「どうして? 急に」


 稲穂が思っていた反応とは違った。知らなかったら、まず「なに、それ」と言うはずだからである。テレビを注視する母の顔色から、心なしか血の気が引いていくように見えた。
 すると、立ち上がって父の書斎へ行ったかと思えば、すぐに分厚い本をかかえて戻ってくる。それはなにかの事典のようで、中身は小難しそうな文章がつづられていた。


 かなり後ろのほうを開いて、早苗はひとつの項目を指し示した。「ら行」のページの一部に、両面宿儺りょうめんすくなと書かれている。
 細かい文字で理路整然と並ぶ文章のなかには、小学生にとっては見知らぬ文字も多い。
 その事典では日本書紀にほんしょきの内容をげ、次のことが書かれていると記されていた。巻第十一、仁徳天皇にんとくてんのう治世のことである。


「六十五年に、飛騨国ひだのくに一人ひとりのひと有り。宿儺すくなふ。為人ひととなりむくろひとつにしてふたつかほ有り。面おのおの相背あひそむけり。いただき合ひてうなじ無し。各手足有り。其れひざありてよほろくびす無し。力さはにしてかろし。左右に剣をきて、よつの手に並びに弓矢をつかふ。ここもつて、皇命みことしたがはず。人民おほみたから掠略かすみてたのしびとす。是に、和珥臣わにのおみおや難波根子武振熊なにはのねこたけふるくまつかはしてころさしむ」


 事典を読んでいるあいだ、キッチンに立っていた早苗はマグカップにお湯を注ぎ、スプーンを使ってかき混ぜていた。稲穂のいるリビングまで、コーヒーの香りが漂ってくる。
 ほとんどの内容は入ってこず、ルビの振られた部分だけ、かろうじて理解ができる程度だ。仁徳天皇という名前を、社会の教科書でちらりと見たことがあって、それだけはなんとなく知っている。
 あと最近、ねこたけなにがしという名前も、どこかで聞いたような気がした。リビングに戻ってきた早苗は、この文章を訳してくれる。


「……ひとつの胴体に対して顔がふたつ。お互いの顔が逆を向いていて、頭頂部はくっついて項もない。それぞれに手と足がある。膝はあるけどひかがみかかとはない。力が強く、身のこなしは軽く、すばしっこい。左右に刀を身につけていて、四本の手には、それぞれ弓矢を持っていた」
 そこで区切ると、早苗はコーヒーをひとくちすする。「仁徳天皇が即位してから六十五年のときに、そういう怪物が岐阜ぎふ県にいたから成敗したというお話ね」


 訊きたいことは山ほどあったが、なにから質問すればいいのかわからない。
 とりあえず、いちばん気になったのは、この言葉だった。


「ひかがみって、なに……?」


ひかがみ・・・・は、膝の後ろにあるくぼみの部分のことね。古い日本語だとよほろ・・・とも言って、各々に手足があるって書かれているから、手と同様に足も四本あったとは思うんだけど、膝があるのに、この膕と踵がないっていうことは」
 ここからは想像だけど、と早苗は前置きした。「太腿ふとももから踵にかけての裏部分も、くっついていたってことじゃないかと思うのよ」


「くっついていた?」


「一見すると、普通に二本ある足のようだけど、膝や爪先が両側についていて、どっち側の正面からでも裏表のないように見える足ってこと。……そう考えると、旋毛つむじから踵まで、すべてくっついているから『ない』ように見えて、文章として不自然なところはないわね。真横から見れば、少し太くて異質なもの感じるかも、だけど」


 あれ? そんな足の形してたっけ。稲穂は首を傾げる。
 よく観察していたわけではないし、気がついたら保健室にいたわけだから、ほんの一瞬しか見ていなかったが、下敷きになっていたほうと、上に載っかっていたほうの足は、離れていたような気がした。


「……でも、どうして急に両面宿儺のこと訊いたの?」


「う、ううん」母の質問には答えず、稲穂は手を大きく振る。「なんでもない……」


「そう……」
 静かに呟いたあと、なにも早苗は訊いてこなかった。
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