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章第一「両面宿儺」

(二)闖入者より逃げまどふ

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 保護者や兄弟姉妹たちは、一時避難場所になった一年教室へ集まっていた。
 教室前の廊下には、急遽きゅうきょ敷き詰められた新聞紙があり、その上へ靴が乱雑に並べられている。
 教室のなかにいた母親のもとへ女の子を無事に送り届けたあとで、稲穂と彩は六年教室の前へと辿たどり着く。
 廊下の窓から見下ろしたグラウンドは、暗くて様子をうかがい知ることはできなかった。


「怖いよねぇ。銃、持ってたよぉ?」
 はぐれた児童がいないかの確認を、担任の先生がしているとき、女子のひとりが話しかけてくる。稲穂は、小首をかしげた。


「銃、だっけ? 矢だったような……」
「矢? なにそれ」


 青ざめている別の女子が口を開く。
「運動会で使ってるのとは違う音がしてさ、なんだろと思って見たらさ、刀を持っている人と、銃を持っている人がいたじゃん」


「え? ふたりいたっけ」
「うん、ふたり。ふたりいたよ?」


 稲穂は、丸くした目を何度かしばたたかせる。そうなんだ、気づかなかった。
 陰になっていて、わたしがいたところからは見えなかったんだろうか、と稲穂は思う。


 彩は、ぐぬぬ、という擬音がぴったりの歯ぎしりをする。
「許すまじ、曲者くせものめえ」


「なんか雨が降ってきそう」
「もう降ってるんじゃない? ほら、水滴が……」
「あー……」


 窓際でたむろしている男子たちも数え終え、これで全員いるかと思ったが、先生は浮かない顔をして教室を見渡した。
「二十一人? ……えーっと。御饌都神みけつかみさんと徒競走、一緒だった人は」


「あ、はい」
 ふたりの男子と稲穂と彩が、周囲を窺いつつ手を挙げる。
 先生の「ここまで来るあいだに、姿を見ていないか?」という問いに、男子ふたりは一様に首を振った。
 彩と稲穂も思い出そうとしたが、あの混乱した状況を考えると、覚えていないのも当然である。


「一年生の教室にも、いなかったと思います」
「ええ。右に同じく」


 稲穂の発言に、彩も同意する。先生は溜め息を漏らした。
「困ったな。さすがにグランドには、もういないとは思うが……」


「転校して間もないですし、どこかで迷っているのではないでしょうか」


「うーん……でも入ってすぐの階段を上ってくればいいだけだしなあ」
 少し考えた結果、先生は美空に向かって告げる。
「学級委員長! ちょっと見回ってくるから、あとを頼んでもいいか?」


「はい、大丈夫です」


 その答えを待たずに、先生は教室を出て行く。男子のひとりが「パトカーだ!」と、教室の窓から校庭を見下ろしていた。
 次第にサイレンの音が大きくなってきて、赤色灯が暗闇に明かりをもたらす。
 その直後、轟音とともに校舎が大きく揺れる。地震でもあったのかと、何人かの児童は机の下に縮こまっていた。
 すぐに揺れは収まり、美空が慌てて教室を飛び出していく。大声が廊下を伝って反響した。


「先生、大丈夫ですかっ!」
 いまの揺れが原因で、階段を踏み外しでもしていたら、と稲穂も不安を覚える。
「先生? ……きゃっ」


 また、なにかが爆発でもしたかのような、大きな物音が聞こえた。その直後に美空の悲鳴が聞こえて、気が気ではなくなった稲穂も教室を出ていく。
 やっぱり、ほかのところでも、騒ぎは教室のなかだけで収まっていないようだった。
 三階にいた三年生から六年生までの児童の半数以上は、我慢できなかったのか、押しとどめる教師の言うことを聞かず、野次馬のごとく廊下にあふれ返っている。


「平気?」


 階段の手前で尻餅をつく美空へ、稲穂は手を差し伸べた。出された手をつかみつつ、美空は自分の力でも体勢を立てなおす。
 また揺れがあるかもしれない。美空と一緒に教室へ戻ろうとして、稲穂は走ってきた誰かとすれ違った。


「ダメですよ、ここにいなくては!」
「トイレっ!」


 美空の呼び止める声を背後に聞きながら、彩は階段を二段飛ばしで駆け下りていく。
 謎な言い訳に、美空は「……トイレなら、そっちにもありますけど」と、廊下の向こうを指さしていた。


「待って……!」


 思わず稲穂も、彩を追いかけて駆け出していく。二階には職員室や保健室などがあり、主に教職員が使う階だった。
 しかし、いまは二階に人影はなく、階下のほうから走る物音が聞こえる。稲穂は迷わず一階へと下りていった。
 一年教室を過ぎた向こうに、避難する際、入ってきた裏口がある。そこで、いままさに裏口からグラウンドへ出ていこうとしている、彩の姿を発見した。


「稲穂っ、来ちゃダメ! ここで待ってて」


 あとをついてきた稲穂の存在に気づき、靴をくのをやめた彩に引き止められる。
 半分だけ外に出た状態のまま、なにかを自分のポケットから取り出し、それを稲穂の首にかけた。
 紐の先についている布袋ぬのぶくろを、襟刳えりぐりからTシャツのなかへと仕舞う。


「これは……?」
「お守り。なにがあっても外さないで」


 それだけ言うと、彩は雨の中へ飛び込んでいった。追いかけようとドアに手を伸ばした瞬間、指先に静電気が走ったような痛みを感じて、咄嗟とっさに手を引く。
 なにごとかと驚いている稲穂の耳に大声が飛び込んできて、今度は別の意味で身体中に電撃が走るような感覚を覚える。


「あなた、なにしているの。ここは危険だから。早く教室に戻りなさい」


 そう言う養護教諭の向こう、正面玄関のところに、校長が横たわっていた。深い傷を負っているようだったが、生きているのか死んでいるのか稲穂には判断がつかない。
 医学知識がないというのはもちろんのこと、校長の身体にはモヤモヤとした無数の黒い影がまとわりついているように見え、よく視認できなかったというのもある。


「あの、校長先生は……」
「あなたは心配しなくていいから。教室に戻りましょう」


 養護教諭は伏し目がちに繰り返す。稲穂は養護教諭から裏口へ、裏口から校長へと交互に視線を移動させた。
 でも、と言いかけてやめる。
 彩も龍もいなくなり、これからどうしたらいいのだろうか、と稲穂は心のなかで、頭を抱えてしまった。
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