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章第二「茨木童子」

(十)天井より落つる妖あり

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 早苗は天獄寺てんごくじを離れ、被害者たちが通っていた「陸州ろくしゅう大学」へ訪れることにした。
 大学の前には、大勢のマスコミが詰めかけている。テレビ局の腕章をつけた人たちやノートを片手に携えた人たち、カメラを首からげた人たちなど、一見して各方面から集まった報道陣だとわかる。
 連日連夜、報道されていた影響力は甚大で、マスコミ関係者なのか大学関係者なのか、はたまた単なる野次馬なのか判然としないほど、門前はごった返していた。


 このぶんだと正門はおろか裏門も、あとからきた早苗には、割り込むほどの余裕は存在していないだろう。
 それらの人々は、キャンパスから出てくる、学生とおぼしき人たちを追いかけては、種々のマイクやカメラを向け、片っ端から話を聞いてまわっているようだ。
 学生から「顔を見たこともないです」という答えが返ってくると「ああ、そう」とため息を吐き、露骨に落胆した表情を見せる。
 十何人に突撃したのだろう、ひとりの女性が出てきたときには、もう疲弊しきった表情で、なんの期待も寄せていないという雰囲気を、記者はみな漂わせていた。


「すんません、うちは知っちょりません」


 ですよね、と彼女が答えるよりも先に、そそくさと持ち場へ戻ってしまう記者も多いなか、早苗だけは、彼女が知っていないわけはない、ということを知っている。
 探偵よろしく尾行してみたが、そんなうまくいくわけもなく、路地に入ったところで、さっそく見失ってしまう。
 頭上から聞こえた「なん用ね?」という声の主を探して、おそる恐る視線を彷徨さまよわせると、塀にのぼった彼女の姿を視界のなかにとらえた。
 自分でも感じる、ぎこちないであろう笑みを浮かべた早苗は「ぐ、偶然! また会ったね」という、これまた自分でも感じる不自然な言い訳を、声を裏返らせながら放つ。
 彼女は、塀の上から告げてきた。


「あんたんも、記者ゆうとったよね?」
「フリーライターの五瀬早苗っていいます」
「いつせ……?」


 早苗が名乗りを上げると、わずかに彼女はブラブラさせていた脚を止め、眉根を寄せる。
 その反応を見て、じりじりと早苗は、あとずさった。夫である昭義あきよしから「五瀬という苗字を聞いて、顔色を変える人には警戒しておけ」と言われていたからだ。
 彼女の手が動き、早苗は警戒を強める。武器でも出されたら、丸腰の早苗には抵抗のしようもない。


 しかし、ハンドバッグに手を突っ込んだ彼女が取り出したのは、一枚の名刺大の紙片、というよりも名刺そのものだった。
 それは、就職前の一大学生が持っているものにしては、いささか違和感を覚えるほど、しっかりとしたつくりのものである。
 所属の欄に書かれた「西海道さいかいどう本部」という文字が、どう想像を働かせても学部名には見えず、早苗は戸惑ってしまう。


浅良部あさらべ日向ひなたです」


 彼女は、口頭でも自己紹介をしてくれた。
 浅良部なんて、五瀬いつせと同じかそれ以上に珍しい苗字で、一度聞けば忘れそうにない。なのに早苗は、どこかで聞いたことがあるような気がしても、それがどこだったのかは、まったく思い出せずにいた。
 しかし、少なくとも日向と名乗った彼女は、妖怪変化のたぐいではなさそうなので、ほんの少し、早苗の緊張感は和らぐ。


陸大ろくだいの学生さんですよね」
「いえ。本日で自主退学しました」
「ど、どうしてですか」
「あんたんには関係ないことやろ」


 メモも取っていないうちに、重要な証言を話されても困るが、つい、いつもの癖で質問攻めにしてしまう。
 とにもかくにも日向を逃がすまいと、立て板に質問を流し続けるべく口を開いた矢先に「ここでなにしてる?」という、野太い声がして早苗は驚いた。
 どこからともなく現れた男性は、早苗のほうは見向きもせずに「アパートは引き払っておくから、荷物をまとめておけ」と日向へ声をかける。
 その男性の鼻先へ、早苗は名刺を突き出した。


「フ、フリーライターの五瀬早苗っていいます。以後、お見知りおきを」
「フリーライター? うちは代々、取材をお断りしているんで」


 男性は、日向とは別の理由で怪訝けげんな表情を浮かべる。
 日向とは違って、五瀬という名に聞き覚えがないのか、引っかかった様子は見せず、ただただ記者という職業を、鬱陶しがっているように見えた。
 尾行が苦手なことを実感したいま、このまま追い続けても見失うのは必至であり、強引に押し留めても振り払われてしまったら、非力な自分では太刀打たちうちできない、ということも実感している。
 仕方なく、ふたりの後ろ姿を見送ることしか、早苗にはできなかった。
 浅良部、という苗字をどこで見たのか思い出したのは、ホテルに帰ったあとのことだ。
 十年ほど前、宮崎県で起こった一家惨殺事件。その記事には、唯一の生き残りが「小学三年生の少女」だと書かれていた。
 名前こそ出てはいないものの、ちょうど、いまなら大学一年生の年齢ではある。


 …………。
 ……。


「一階にりてきて」彩の声が、遠くから聞こえる。
 あのとき、開け放たれた窓から、稲穂の部屋にボトッと落ちてきたのは、風呂敷だった。隙間から覗けそうな距離だが、異様な気配を察知した稲穂は近づくことができない。
「これから一週間、この部屋にこもって『物忌ものいみ』をしてほしいのよ」


 あの一件から二日が経つ。
 なにが起こっていたのか、稲穂なりに整理してみようするが、いくら考えたところで、自分の理解が及ぶ範疇なのか、それすらも怪しく思えてきた。
 水曜日の朝。目覚まし時計はセットしていなかったが、いつもと同じ時間帯に稲穂は起きてしまう。


 脳が覚醒してくると同時に、金縛かなしばりにでもったかのように動かない、自分の身体を認識する。
 寝ている稲穂の上へ、誰かがまたがっているような気がした。
 その人物はボサボサの長い髪にクモの巣をかぶり、着ている服は穴だらけなうえ、全身がほこりまとったように薄汚れている。
 猫のように大きなをギョロリと動かす。


「天井を見せで済まねえな」


「……はい?」
 その人物は、稲穂のことを見下ろしながら謝っていた。なにについての謝罪か、稲穂にはわからない。そんなことよりも「この家はまもられている」という彩の言葉が脳裏をよぎる。
「ど、どうやって、なかに入ったの……?」


「おらは、もどもど、このさ住んでら。どっちかっつーど、外さ出ていけねんだ」
「は、はあ……」


 その人物がベッドから飛び降りると同時に、重くしかかられているように感じていた稲穂の身体は解放される。
 起き上がってみれば、その人物の頭は、稲穂の目の高さくらいに位置していた。
 ベッドの高さを含めても、稲穂の目線は、せいぜい一メートル強である。子供のような体躯のその人物は、なまりの強い口調で愚痴をこぼした。


「いづもは天井裏に住んでるんだども、なんが最近しちやかましぐでな、屋根んうえが」
 その人物の動作に釣られて、稲穂も天井を見上げる。「どっかの妖が、どんちゃん騒ぎでもしてらんだが?」


「あ、あやかし……?」
 発言の意図をみ取れず、稲穂は小首をかしげた。
 それは、妖怪という意味のアヤカシだろうか。アカシヤ? でもなんにせよ、屋根の上が騒がしいという原因には思い当たる節がある。
 きっと、いまも見守っているであろう人物の顔を、稲穂は思い浮かべた。「もしかして、それって……彩じゃあ……?」


「んだ。あやかし」
「あ、そうではなくて、彩です。……人の名前」
「あや? 魑魅魍魎ちみもうりょうみでぐ『魑魅』と『魍魎』にわかれでらっけ、妖って?」
「えーっと……受持うけもち、彩です」
「ウゲモヂっで、あのウゲモヂだが?」


 あの・ ・とは、どの・ ・ことを言っているのだろうかわからずに、稲穂は戸惑う。
 目の前の人物は、立て続けに「おは? マザヨシの娘だが?」と質問した。
 マサヨシという名前に聞き覚えがなかったので、稲穂は正直に「わたしの父は、昭義あきよしですけど……」と告げる。


「昭義って、ばしこぐなで!」事実なのに、大笑いされてしまった。
 その人物は「まだ、こんな小せぇ童子わらしなのに」と言いながら、自分の頭のところで右手をひらひらさせる。
 その途中でなにかに気づいたのか、はたと動きを止めて真顔になった。「いま、何年だ?」


 壁にかけてあったカレンダーへ、稲穂は視線を送る。
 そこに書かれた元号と数字を見て、その人物は、なにやら絶句していたようだ。しかし、すぐに納得してうなずく。
 その人物は気を取り直して「昭義は、いま、なしてらなだ?」とたずねてくる。稲穂はうつむき加減に答えた。
「父は……亡くなりました。もう、ずいぶん前に」
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