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上の上
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何本目かの電柱近くに差しかかったとき、足元を何かがすり抜ける感触があった。
「……な、なに!?」
必死に携帯を向けて、足元を照らし出した。すると、数メートル先の黒い物体に目が留まる。
それは黒い猫だった。地べたに座り込んで、手を舐めている。忍者は闇に溶け込むために、あえて真っ黒ではなく紺色の黒装束を身にまとうという。その黒猫も、恐ろしいほど闇に、よく溶け込んでいた。一瞬、通り過ぎていったものが猫だとは気づかないほどだ。西洋では魔女の使い魔として黒猫は度々登場するし、黒猫が前を横切ると不吉なことが起きるという迷信などもあり、黒猫はなにかと忌み嫌われる存在である。
猫は振り返った。振り返ったその猫の表情は、どこか物憂げで、何人も死んでいく仲間を見届けたかのような、そんな疲れきった目をしていた。街灯の光が当たって、猫の目はギラついている。普通、そんなの見れば不気味だ、と思う。猫は嫌いではないが、忌み嫌われる理由も分からないでもない。でもその猫は(言葉で表すのは難しいが)、どことなく安心感を与えた。
見とれていると、その猫はまた歩き出した。いや、走り出したと言った方が合っているか。
「待って!」
そんなことを言っても、猫は待ってくれるわけでもない。だから、洋平は追いかけた。あの猫を。あの黒い猫を。なぜだろう。ここで、あの猫を追わなかったら、洋平は一生後悔すると感じた。そう、一生……
曲がるときに時々、夜空に瞬く星より綺麗な光を放つ双眸がきらめくのを頼りに、一寸先すらも見えないような暗がりに飛び込んだ。もはや携帯はポケットの中に仕舞い込んでしまった。息が上がってきた。猫は一向に止まる気配なく走り続ける。それでも洋平は、追いかけるのを止めることはなかった。こんなのは初めてだ。僕はなぜこんなに必死で走っているのだろう。自分でもよく分からない。
大通りから狭い路地裏へと入る。家の壁の間を縫って走ると、何度かつまずきそうになるが、スピードを緩めなかった。そうすると、猫を見失うことになる。黒猫は家の屋根を上ったり、細い塀の上を歩いたりしていたが、やがて大きな通りへと下りてきた。
ハア……ハア……ハア……
洋平は一息吐くと、休む暇もなく顔を上げた。しかしそこには、猫の姿はなかった。
どこに行った? キョロキョロと見回してみても、周辺にはビルが立ち並ぶだけで、動物一匹の姿も視認できない。
……というよりも、ここはどこなんだ? そこには見覚えのない建物、見覚えのない広葉樹林、そしてなにより、見覚えのない電柱に貼られた指名手配の張り紙もある。いったい、ここはどこなんだ?
すると、いままでどこにいたのか、ふらっと、あの黒い猫が現れて、あるビルの一角で立ち止まった。カランカラン。待っていたかのようなタイミングで、喫茶店でドアを開けたときに鳴る鈴のような音がして、そのビルの中から一人の少女が出てきた。
少女は、どこぞの豪邸にでも仕えているかのような〝メイド服〟を着ていた。そして、少女の手には皿があり、その皿にはミルクのようなものがたっぷりと入っていた。前言の〝待っていたかのような〟は撤回する。〝待っていたかのような〟ではなく、本当に〝待っていた〟のだ。どうやら、あの黒猫に飲ませるために持ってきたようだ。猫は嬉しそうに顔を皿に埋めた。さっきのあの哀愁漂う表情とは打って変わって。
「あっ……」顔を上げたその少女と目が合った。「寒くありませんか? どうぞ、中に入ってください」
少女はビルの入口を指差し、入るように勧めた。ここがどこなのか分からない間はどうしようもなく、それ自体には抵抗はなかった。雨も少しばかり降り出してきて、さらに気温はぐんと下がったように感じる。
洋平は少女の好意に甘えさせてもらうことにした。首を縦に振って、肯定の意を表す。
「そ、そうさせてもらうよ……」
少女はにっこり微笑み、ビルの中へと入っていった。また、カランカランと鈴が鳴る。洋平もあとに続いて、わずかにかじかんだ手を伸ばして、そのビルのドアを開けた。カランカラン。
その瞬間、秋葉原では良く聞くだろうフレーズが辺り中を飛び交った。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「……な、なに!?」
必死に携帯を向けて、足元を照らし出した。すると、数メートル先の黒い物体に目が留まる。
それは黒い猫だった。地べたに座り込んで、手を舐めている。忍者は闇に溶け込むために、あえて真っ黒ではなく紺色の黒装束を身にまとうという。その黒猫も、恐ろしいほど闇に、よく溶け込んでいた。一瞬、通り過ぎていったものが猫だとは気づかないほどだ。西洋では魔女の使い魔として黒猫は度々登場するし、黒猫が前を横切ると不吉なことが起きるという迷信などもあり、黒猫はなにかと忌み嫌われる存在である。
猫は振り返った。振り返ったその猫の表情は、どこか物憂げで、何人も死んでいく仲間を見届けたかのような、そんな疲れきった目をしていた。街灯の光が当たって、猫の目はギラついている。普通、そんなの見れば不気味だ、と思う。猫は嫌いではないが、忌み嫌われる理由も分からないでもない。でもその猫は(言葉で表すのは難しいが)、どことなく安心感を与えた。
見とれていると、その猫はまた歩き出した。いや、走り出したと言った方が合っているか。
「待って!」
そんなことを言っても、猫は待ってくれるわけでもない。だから、洋平は追いかけた。あの猫を。あの黒い猫を。なぜだろう。ここで、あの猫を追わなかったら、洋平は一生後悔すると感じた。そう、一生……
曲がるときに時々、夜空に瞬く星より綺麗な光を放つ双眸がきらめくのを頼りに、一寸先すらも見えないような暗がりに飛び込んだ。もはや携帯はポケットの中に仕舞い込んでしまった。息が上がってきた。猫は一向に止まる気配なく走り続ける。それでも洋平は、追いかけるのを止めることはなかった。こんなのは初めてだ。僕はなぜこんなに必死で走っているのだろう。自分でもよく分からない。
大通りから狭い路地裏へと入る。家の壁の間を縫って走ると、何度かつまずきそうになるが、スピードを緩めなかった。そうすると、猫を見失うことになる。黒猫は家の屋根を上ったり、細い塀の上を歩いたりしていたが、やがて大きな通りへと下りてきた。
ハア……ハア……ハア……
洋平は一息吐くと、休む暇もなく顔を上げた。しかしそこには、猫の姿はなかった。
どこに行った? キョロキョロと見回してみても、周辺にはビルが立ち並ぶだけで、動物一匹の姿も視認できない。
……というよりも、ここはどこなんだ? そこには見覚えのない建物、見覚えのない広葉樹林、そしてなにより、見覚えのない電柱に貼られた指名手配の張り紙もある。いったい、ここはどこなんだ?
すると、いままでどこにいたのか、ふらっと、あの黒い猫が現れて、あるビルの一角で立ち止まった。カランカラン。待っていたかのようなタイミングで、喫茶店でドアを開けたときに鳴る鈴のような音がして、そのビルの中から一人の少女が出てきた。
少女は、どこぞの豪邸にでも仕えているかのような〝メイド服〟を着ていた。そして、少女の手には皿があり、その皿にはミルクのようなものがたっぷりと入っていた。前言の〝待っていたかのような〟は撤回する。〝待っていたかのような〟ではなく、本当に〝待っていた〟のだ。どうやら、あの黒猫に飲ませるために持ってきたようだ。猫は嬉しそうに顔を皿に埋めた。さっきのあの哀愁漂う表情とは打って変わって。
「あっ……」顔を上げたその少女と目が合った。「寒くありませんか? どうぞ、中に入ってください」
少女はビルの入口を指差し、入るように勧めた。ここがどこなのか分からない間はどうしようもなく、それ自体には抵抗はなかった。雨も少しばかり降り出してきて、さらに気温はぐんと下がったように感じる。
洋平は少女の好意に甘えさせてもらうことにした。首を縦に振って、肯定の意を表す。
「そ、そうさせてもらうよ……」
少女はにっこり微笑み、ビルの中へと入っていった。また、カランカランと鈴が鳴る。洋平もあとに続いて、わずかにかじかんだ手を伸ばして、そのビルのドアを開けた。カランカラン。
その瞬間、秋葉原では良く聞くだろうフレーズが辺り中を飛び交った。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
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