上 下
12 / 12
上の上

12

しおりを挟む
 何本目かの電柱近くに差しかかったとき、足元を何かがすり抜ける感触があった。


「……な、なに!?」


 必死に携帯を向けて、足元を照らし出した。すると、数メートル先の黒い物体に目が留まる。


 それは黒い猫だった。地べたに座り込んで、手を舐めている。忍者は闇に溶け込むために、あえて真っ黒ではなく紺色の黒装束を身にまとうという。その黒猫も、恐ろしいほど闇に、よく溶け込んでいた。一瞬、通り過ぎていったものが猫だとは気づかないほどだ。西洋では魔女の使い魔として黒猫は度々登場するし、黒猫が前を横切ると不吉なことが起きるという迷信などもあり、黒猫はなにかと忌み嫌われる存在である。


 猫は振り返った。振り返ったその猫の表情は、どこか物憂げで、何人も死んでいく仲間を見届けたかのような、そんな疲れきった目をしていた。街灯の光が当たって、猫の目はギラついている。普通、そんなの見れば不気味だ、と思う。猫は嫌いではないが、忌み嫌われる理由も分からないでもない。でもその猫は(言葉で表すのは難しいが)、どことなく安心感を与えた。


 見とれていると、その猫はまた歩き出した。いや、走り出したと言った方が合っているか。


「待って!」


 そんなことを言っても、猫は待ってくれるわけでもない。だから、洋平は追いかけた。あの猫を。あの黒い猫を。なぜだろう。ここで、あの猫を追わなかったら、洋平は一生後悔すると感じた。そう、一生……


 曲がるときに時々、夜空に瞬く星より綺麗な光を放つ双眸がきらめくのを頼りに、一寸先すらも見えないような暗がりに飛び込んだ。もはや携帯はポケットの中に仕舞い込んでしまった。息が上がってきた。猫は一向に止まる気配なく走り続ける。それでも洋平は、追いかけるのを止めることはなかった。こんなのは初めてだ。僕はなぜこんなに必死で走っているのだろう。自分でもよく分からない。


 大通りから狭い路地裏へと入る。家の壁の間を縫って走ると、何度かつまずきそうになるが、スピードを緩めなかった。そうすると、猫を見失うことになる。黒猫は家の屋根を上ったり、細い塀の上を歩いたりしていたが、やがて大きな通りへと下りてきた。


 ハア……ハア……ハア……


 洋平は一息吐くと、休む暇もなく顔を上げた。しかしそこには、猫の姿はなかった。


 どこに行った? キョロキョロと見回してみても、周辺にはビルが立ち並ぶだけで、動物一匹の姿も視認できない。


 ……というよりも、ここはどこなんだ? そこには見覚えのない建物、見覚えのない広葉樹林、そしてなにより、見覚えのない電柱に貼られた指名手配の張り紙もある。いったい、ここはどこなんだ?


 すると、いままでどこにいたのか、ふらっと、あの黒い猫が現れて、あるビルの一角で立ち止まった。カランカラン。待っていたかのようなタイミングで、喫茶店でドアを開けたときに鳴る鈴のような音がして、そのビルの中から一人の少女が出てきた。


 少女は、どこぞの豪邸にでも仕えているかのような〝メイド服〟を着ていた。そして、少女の手には皿があり、その皿にはミルクのようなものがたっぷりと入っていた。前言の〝待っていたかのような〟は撤回する。〝待っていたかのような〟ではなく、本当に〝待っていた〟のだ。どうやら、あの黒猫に飲ませるために持ってきたようだ。猫は嬉しそうに顔を皿に埋めた。さっきのあの哀愁漂う表情とは打って変わって。


「あっ……」顔を上げたその少女と目が合った。「寒くありませんか? どうぞ、中に入ってください」


 少女はビルの入口を指差し、入るように勧めた。ここがどこなのか分からない間はどうしようもなく、それ自体には抵抗はなかった。雨も少しばかり降り出してきて、さらに気温はぐんと下がったように感じる。


 洋平は少女の好意に甘えさせてもらうことにした。首を縦に振って、肯定の意を表す。


「そ、そうさせてもらうよ……」


 少女はにっこり微笑み、ビルの中へと入っていった。また、カランカランと鈴が鳴る。洋平もあとに続いて、わずかにかじかんだ手を伸ばして、そのビルのドアを開けた。カランカラン。


 その瞬間、秋葉原では良く聞くだろうフレーズが辺り中を飛び交った。


「お帰りなさいませ、ご主人様」
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...