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琥珀の慟哭
琥珀の慟哭73
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しばらくすると、担当の看守の宮野がやってきた。宮野は相変わらずの無表情で、南田はそれに大分慣れた気がしてきた。
「南田。おはよう。調子はどうだ?」
「おはようございます。宮野さん」
「ああ、そうだ。お前に面会だ。10時からだけど、大丈夫か?」
「誰ですか?」
南田は面会相手が誰でも断ろうと思った。宮野は相変わらず無表情で南田を見る。その目は何か言いたげだった。
「それは。それはお前の実の母親だよ。元木弥生さんって人」
「……母さん………」
南田の目が少しだけ潤んだ。宮野は南田の顔を覗き込む。南田はこの時、伊藤の言っていたことがわかった。
伊藤が言った「お前の欲しいと思っているもの」だ。その「欲しいもの」は母親からの愛情だったのかもしれない。
南田は今更、気付いた自身の感情を心の中で嘲笑した。宮野は南田の顔を見つめた。
「マジで母親だったか」
「ええ。俺を棄てた後、元木という人と結婚したんです」
「そうか。じゃあ、面会は承諾ってことでいいか?」
「いいえ。承諾しないでください。俺は……会いません」
「何故?本当に後悔はないか?もしかしたら、これが……最後かもしれないぞ」
宮野はいつになく真剣な表情になっていた。宮野の表情はこれまでよりも豊かになっていた。
何か思うことがあるのだろう。無表情に見える宮野は実のところ、感情豊かな人なのかもしれない。南田はそれが解り難いだけなのだろうと思った。
「そうかもしれませんね。でも、俺は後悔しないです。だって、俺は死ぬから」
「……死ぬってなぁ。まあ、お前は死刑囚だ。これから話すことは俺の独り言だ。適当に聞いてくれ」
「自分語りですか?宮野さんってそういうタイプでした?」
「ああ、自分語りだ。いいか?俺には母親違いの妹がいた。妹が殺された話はしたか?」
「殺された話しですか?」
南田は少し前に見た宮野の思い出を振り返った。確か、同級生に妹が殺されていた。
「まあ、その妹と俺は腹違いの兄弟だ。俺は親父の最初の妻の子で、妹は次に再婚した妻の子。親父は俺を毛嫌いし、妹だけを可愛がった。親父は俺に向かって言った「お前は俺に似ていて反吐が出る」って。俺はそれから親父と関わることを止めた。妹が殺された後、俺はもう完全に実家に帰ることも、親父やお袋に会うことも止めた。それからしばらくして、親父はがんになった。もうあと余命いくばくかになり、母さんが俺に連絡してきた「もう最後だから会ってあげない?」って」
「行ったんですか?」
「この話の流れからして行ったと思うか?」
「いや、思いません」
「俺は行かなかった。理由は親父を許せなかったからだ。まあ、家族のことを知らない人からすると、親と和解しないのはクズだの、親不孝ものだって言うだろう。反吐が出るって言葉だけじゃなく、色々なことが俺は許せなかった」
宮野は口をかみ締めた。南田はその表情を見た。宮野と父親の間にあった溝は深かったのが覗えた。宮野の目が微かに動いているようだった。
「で、俺は見舞いに行かず、親父は死んだ。後日、母親から手紙が来た。親父が最後に行き絶え絶えに成りながら「これまでお前を蔑み、反吐が出るって言ってすまなかった」と伝えてくれと」
「宮野さんは……会わなかったことを後悔しています?」
「後悔?そうだな。この流れからすると後悔しているんだろうな。後悔なのかもしれない。ただ、この複雑な思いを俺は抱えている。だから。俺は南田に母親に会ってほしいと……思う」
宮野の表情はこれまでよりずっと、感情が見えた。強く後悔してほしくないという思いが見えた。
「宮野さん」
「これは俺のできなかったことを、お前に託しているのだろう。押し付けがましくて、すまない」
「そんなことはありません」
「だだの看守が死刑囚に肩入れするのも可笑しいな。俺も伊藤みたいなことをやっている。俺はお前が……殺したと思っていない」
「宮野さん。俺はもう罪を背負う覚悟はできています。正直言うと、母親にどんな顔をして会えばいいのか解らないんです。昔は憎んでいましたよ。俺を気色悪いと言い放った母親の弥生を。だけれど、気色悪いと思う気持ちが解ります。だって、知るはずのないことを知っている。これほど、恐ろしいことはない。見たくて見てるんじゃないんです。見えてしまうんです。でも、その事情を親にだけはわかってもらいたかった」
南田は涙を流した。手の甲で涙を拭うと、宮野がハンカチを差し出した。
南田は無言で、ハンカチを受け取る。
「俺は特殊能力が何かよく知らない。伊藤の苦悩も、お前自身の苦悩も。けれど、俺は多少なりとも、親と子の絆はあると信じたい。解らないけどな」
「そうですか。俺は華子さんのおかげで母さんを憎まないで済みました。だから、俺にとって大事な人は華子さんだったんです」
「そうか。じゃあ、お前はその華子さんのために罪を被るのか?」
「華子さんのため、というか俺自身がそうするべきだと思うからです。俺が生きていても良いことなんてないのですから」
「………命の選別なんてできないだろう。この命が世の名に必要か、なんて。ただ、お前がやっていないと思っているだけだ」
「……ありがとうございます。高校生のとき、あなたのような人たちに会いたかったです」
「で、母親には会うのか?」
宮野は南田に礼を言われ、少しだけ照れているように見えた。それを誤魔化すように聞いた。
「そうですね。迷います。俺がやっていないと信じてくれる宮野さんの期待に応えるべきなのかとも思えてきます」
「そうか。俺はお前が後悔しないことを願っている」
「後悔ですか。後悔するばかりが人生なのかもしれないとすら思えてきました」
南田は自嘲するように笑った。その様子は痛々しかった。二人の間にしばらくの沈黙が続く。宮野は南田の顔を見る。
「………会いますよ」
「会うのか?」
「ええ。後生ですから」
「後生か。そうか。解った。じゃあ、承諾してくる」
「ありがとうございます。宮野さん」
「いや、礼はいい。じゃあ、後でな」
宮野は南田の独房を後にした。南田は宮野の後姿を見届けた。
琥珀の慟哭 73 了
「南田。おはよう。調子はどうだ?」
「おはようございます。宮野さん」
「ああ、そうだ。お前に面会だ。10時からだけど、大丈夫か?」
「誰ですか?」
南田は面会相手が誰でも断ろうと思った。宮野は相変わらず無表情で南田を見る。その目は何か言いたげだった。
「それは。それはお前の実の母親だよ。元木弥生さんって人」
「……母さん………」
南田の目が少しだけ潤んだ。宮野は南田の顔を覗き込む。南田はこの時、伊藤の言っていたことがわかった。
伊藤が言った「お前の欲しいと思っているもの」だ。その「欲しいもの」は母親からの愛情だったのかもしれない。
南田は今更、気付いた自身の感情を心の中で嘲笑した。宮野は南田の顔を見つめた。
「マジで母親だったか」
「ええ。俺を棄てた後、元木という人と結婚したんです」
「そうか。じゃあ、面会は承諾ってことでいいか?」
「いいえ。承諾しないでください。俺は……会いません」
「何故?本当に後悔はないか?もしかしたら、これが……最後かもしれないぞ」
宮野はいつになく真剣な表情になっていた。宮野の表情はこれまでよりも豊かになっていた。
何か思うことがあるのだろう。無表情に見える宮野は実のところ、感情豊かな人なのかもしれない。南田はそれが解り難いだけなのだろうと思った。
「そうかもしれませんね。でも、俺は後悔しないです。だって、俺は死ぬから」
「……死ぬってなぁ。まあ、お前は死刑囚だ。これから話すことは俺の独り言だ。適当に聞いてくれ」
「自分語りですか?宮野さんってそういうタイプでした?」
「ああ、自分語りだ。いいか?俺には母親違いの妹がいた。妹が殺された話はしたか?」
「殺された話しですか?」
南田は少し前に見た宮野の思い出を振り返った。確か、同級生に妹が殺されていた。
「まあ、その妹と俺は腹違いの兄弟だ。俺は親父の最初の妻の子で、妹は次に再婚した妻の子。親父は俺を毛嫌いし、妹だけを可愛がった。親父は俺に向かって言った「お前は俺に似ていて反吐が出る」って。俺はそれから親父と関わることを止めた。妹が殺された後、俺はもう完全に実家に帰ることも、親父やお袋に会うことも止めた。それからしばらくして、親父はがんになった。もうあと余命いくばくかになり、母さんが俺に連絡してきた「もう最後だから会ってあげない?」って」
「行ったんですか?」
「この話の流れからして行ったと思うか?」
「いや、思いません」
「俺は行かなかった。理由は親父を許せなかったからだ。まあ、家族のことを知らない人からすると、親と和解しないのはクズだの、親不孝ものだって言うだろう。反吐が出るって言葉だけじゃなく、色々なことが俺は許せなかった」
宮野は口をかみ締めた。南田はその表情を見た。宮野と父親の間にあった溝は深かったのが覗えた。宮野の目が微かに動いているようだった。
「で、俺は見舞いに行かず、親父は死んだ。後日、母親から手紙が来た。親父が最後に行き絶え絶えに成りながら「これまでお前を蔑み、反吐が出るって言ってすまなかった」と伝えてくれと」
「宮野さんは……会わなかったことを後悔しています?」
「後悔?そうだな。この流れからすると後悔しているんだろうな。後悔なのかもしれない。ただ、この複雑な思いを俺は抱えている。だから。俺は南田に母親に会ってほしいと……思う」
宮野の表情はこれまでよりずっと、感情が見えた。強く後悔してほしくないという思いが見えた。
「宮野さん」
「これは俺のできなかったことを、お前に託しているのだろう。押し付けがましくて、すまない」
「そんなことはありません」
「だだの看守が死刑囚に肩入れするのも可笑しいな。俺も伊藤みたいなことをやっている。俺はお前が……殺したと思っていない」
「宮野さん。俺はもう罪を背負う覚悟はできています。正直言うと、母親にどんな顔をして会えばいいのか解らないんです。昔は憎んでいましたよ。俺を気色悪いと言い放った母親の弥生を。だけれど、気色悪いと思う気持ちが解ります。だって、知るはずのないことを知っている。これほど、恐ろしいことはない。見たくて見てるんじゃないんです。見えてしまうんです。でも、その事情を親にだけはわかってもらいたかった」
南田は涙を流した。手の甲で涙を拭うと、宮野がハンカチを差し出した。
南田は無言で、ハンカチを受け取る。
「俺は特殊能力が何かよく知らない。伊藤の苦悩も、お前自身の苦悩も。けれど、俺は多少なりとも、親と子の絆はあると信じたい。解らないけどな」
「そうですか。俺は華子さんのおかげで母さんを憎まないで済みました。だから、俺にとって大事な人は華子さんだったんです」
「そうか。じゃあ、お前はその華子さんのために罪を被るのか?」
「華子さんのため、というか俺自身がそうするべきだと思うからです。俺が生きていても良いことなんてないのですから」
「………命の選別なんてできないだろう。この命が世の名に必要か、なんて。ただ、お前がやっていないと思っているだけだ」
「……ありがとうございます。高校生のとき、あなたのような人たちに会いたかったです」
「で、母親には会うのか?」
宮野は南田に礼を言われ、少しだけ照れているように見えた。それを誤魔化すように聞いた。
「そうですね。迷います。俺がやっていないと信じてくれる宮野さんの期待に応えるべきなのかとも思えてきます」
「そうか。俺はお前が後悔しないことを願っている」
「後悔ですか。後悔するばかりが人生なのかもしれないとすら思えてきました」
南田は自嘲するように笑った。その様子は痛々しかった。二人の間にしばらくの沈黙が続く。宮野は南田の顔を見る。
「………会いますよ」
「会うのか?」
「ええ。後生ですから」
「後生か。そうか。解った。じゃあ、承諾してくる」
「ありがとうございます。宮野さん」
「いや、礼はいい。じゃあ、後でな」
宮野は南田の独房を後にした。南田は宮野の後姿を見届けた。
琥珀の慟哭 73 了
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