プロビデンスは見ていた

深月珂冶

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琥珀の慟哭

琥珀の慟哭70

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 磯貝は華子に気圧けおしつつも、それを渋る。

「ま、まあ、私のやったことは許し難い行為かもしれませんね。でも、あなたは散々、良い思いしてきたではありませんか?子供を棄て、大企業の社長にまで成られた。私が静音さんとお友達になったのも、私自身が親に棄てられたからです」

 磯貝の表情は心の底から感情が吹き溢れているようだった。世の中を憎んでいるような雰囲気すら感じられた。

「だから、あなた自身を苦しめたいって思えてきたんですよね?冗談抜きで、あなたのことを殺そうって思っていましたし。まあ、何かと邪魔が入ったなと。静音が華子様を憎んでいるかもと期待していましたが、そうではなかったとか」

 磯貝は前髪をかき上げ、足を投げ出した。
 磯貝は憎しみを込めた表情で華子を見る。陸は磯貝の顔を見た。
 磯貝は陸の視線などお構いなしに、華子を睨む。華子は磯貝に怯むことなく、言う。

「そうね。確かに私はあなたから見ると、何の苦労もしないでここまで来たように見えるようね。だけどね、子を棄てたことはずっと後悔している。何がなんでも陸だけでも、守りたかった。私の知らないところで、死んだことにされたのも悔しかったわ。だから、陸のことはこれからも大事にしたいと思っている」

 華子の真剣な言葉に、陸は少しだけ目を潤おしていた。
 磯貝はそれを面白くなそうな顔をした。磯貝は嘲笑するような表情で言う。

「これは傑作、傑作。俺はね、だからアンタが前から嫌いだったんだよ。柿澤コーポレーションにいたときからね。子供を棄てて、社長に色目を遣い婦人にのし上がり、社長になった女。会社の一部ではそう言われていたんですよ。知っています?」
「それは知っているわ。私をよく思っていない層がいて、そんなことを言っていたのも。けどね、私はそんな人たちにも実力で勝負してきたつもり。勿論、色々あった。けど、彼らも実力があると解れば攻撃してこなくなった」
「……そうですか。ほう。まあ、解りましたよ。そこまで言うのなら。手を引きましょう。二千万円で」

 磯貝のすんなりと手を引く姿はどうにも胡散臭く思えた。
 華子に対する憎しみの感情はそう易々と消えるものだろうか。陸も磯貝の反応に驚いていた。

「そう。解ったわ。じゃあ、この書類にサインをして」

 華子は誓約書のような書類にサインを求めた。手元に渡された書類を見て、鼻で笑う。

「本当に華子様って抜け目がないですね」

 その書類は柿澤コーポレーションの専属弁護士の監修で作られた誓約書だった。 
 その誓約書の詳細は見えなかったが、それを破ったら懲罰があるのだろう。

「抜け目ない。それは当然ですよね?あなたは私を殺そうとした。警察に突き出さなかっただけ有り難いと思ってください。いいですか?あなたのやっていることは到底、可笑しいのです。陸に免じて通報されなかっただけ感謝なさい」

 華子は磯貝に屈しない。華子は先ほどより強めに磯貝に駆け寄った。しばらくすると、磯貝が薄気味悪い表情を浮かべる。

「何を笑っているの?」

 華子は磯貝の表情に身を怯める。

「本当に祐さんに跡を継がせる気ですか?」
「あなたに関係あるの?」
「俺には関係ないですけど。あの横井が渡してきた写真、古い写真じゃないですよ」
「古い写真じゃないからどうなの?」
「華子様が思っているより世間は反社に対して厳しいですよ」

 華子は笑う。華子は大笑いをする。磯貝は華子の様子に焦った。

「何が可笑しい?」
「そうね。確実に祐が反社と関与していると解ったら、その時は容赦なく解雇する。永遠にね」
「っはははは。さすが華子様。だからこそ、裕次郎社長が気に入っただけはありますね」

 磯貝は笑いながら、サインした書類を華子に渡す。華子はそれを受け取る。
 華子は磯貝に背を向け、陸の腕を取る。陸は華子に従う。磯貝は華子の背に向かって言う。

「踏みつけられた人間があなたを踏みつけにする。そうやって社会は負の連鎖を積むんですよ。華子様………たぶん、俺以外の奴も、その内、あなたに復讐しにくるでしょうね」
「なんのこと?」

 華子は振り返り、磯貝を見る。磯貝はへらへらと笑いを浮かべた。

「それはあなたが自分の胸に聞くべきですよ」
「自分の胸にか。私が沢山の人に恨まれている。だから、誰かしら私に襲撃してくるのは想像つく」
「だから、恐くないんですね」
「恐くないんじゃなくて、恐さを理由に全てを失うほうが嫌よ。私はこの家に嫁いだとき、陸を失った。けれど、今はそれを後悔している。何が何でも守ればよかったって」

 磯貝は華子の気迫に負けて、唇をかみ締めた。華子はため息をつく。

「まあ。あなたも大変な思いをしたんでしょうね。悪いけど、それは私含む柿澤家、そして陸には何も関係ない。あなたが私に何かしよう者なら、次の手を考えている」

 華子は磯貝を牽制けんせいした。磯貝は何も言えず黙った。

「じゃあね。磯貝さん。陸。行くわよ」
「磯貝さん。さようなら」

 磯貝は二人に目もくれず、ライターを着火し、煙草に火をつけた。
 磯貝は煙草を乱暴に灰皿に押し付けた。華子たちはそれを目撃していないのだろう。
 二人は並んで店を出て行った。

琥珀の慟哭70 了
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