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トパーズの憂鬱
トパーズの憂鬱33
しおりを挟む私は一瞬、目を閉じ、見る。すると、その血は文芽のものではなかった。
文芽の前に美砂子が飛び出していたのだった。
「……っ」
美砂子はあまりの激痛に苦しそうにする。ナイフは美砂子の腹部に刺さった。遊作は思わず、ナイフから手を離す。
「うあああああ。どっどうして!」
遊作は声を上げ、美砂子を見る。美砂子は苦しそうに崩れ落ちた。
文芽は美砂子を支える。
「美砂子、どうしてこんなことをしたの?誰かぁ!救急車」
美砂子は刺された箇所から血を流血させた。赤い血がアスファルトを濡らして行く。和義も駆け寄る。
「美砂子っ!美砂子っ。み………さ…こ」
遊作は涙を流しながらつぶやいた。
その直後に「確保!」という大声が響き、警察官が三人掛かりで遊作を取り押えた。
一人の警察官が「2002年、2月6日。午後13:34。叶井遊作。殺人未遂、傷害、殺人教唆容疑で逮捕する」と言い、手錠をかけた。
遊作は抵抗することもなく、ぼんやりと空を見つめた。
文芽は美砂子を支える。文芽の目には涙があふれていた。
美砂子は苦しそうに顔をゆがめた。救急車が来る。
「美砂子。大丈夫?」
「……私が…死……んだら、由……利…亜を……」
美砂子は意識が朦朧としている中、とぎれとぎれに言った。私は見ていられなかった。
「何を言っているの?しっかりして。|由利亜ちゃんを立派に育てるんでしょう!?」
「もう……無理かも……しれない」
美砂子の出血は止まらなかった。文芽の手は血だらけだった。
二人のところに、救急隊員が近づく。
「大丈夫ですか。意識ははっきりしていますか?」
美砂子は救急隊員を見ると、首を振った。しかし、喋る気力は無く、目を閉じてしまった。
「美砂子っ!しっかりして!」
美砂子は目を閉じてしまった。救急隊員が美砂子の脈を図る。
動いているものの、ぐったりしていた。
救急隊員が文芽に「一緒に乗っていただけますか?」といい、文芽は頷いた。救急隊員は二人掛かりで、美砂子を担架に乗せ、救急車の中に運んだ。
「俺も付き添っていいですか?」
和義も申し出、二人は救急車に乗って行く。これまでの出来事が壮絶すぎて、息苦しくなった。
これが原因で、美砂子は死ぬのだろう。ぐるぐると眩暈が湧いて、私の意識は遠退いていった。
私はトパーズのネックレスから手を離した。
私の役目は終わった。由利亜の母親、美砂子は遊作に殺された。
だから、文芽は美砂子の死の原因を話すことに積極的になれなかった。
実の母親が、実の父親に殺されたということがどれほど、辛いことか。
私は朦朧とする意識の中、目に写り込んできた情景をぼんやりと眺めるだけだった。
ぼんやりと見えてくる。もうトパーズから手を離しているのに、何故、見えるのだろうか。
疑問より、自分の気力がなくなっているのが解った。ぼんやりとその先を見た。
ゆっくりと見えてきたのは、文芽と和義が病院の集中治療室の前にいる場面だった。
二人の前に、刑事がやってくる。刑事は五十代くらいの男性だった。
深いしわから、刑事の苦労が見えた。温厚そうに見えて、鋭さをなくさないその目は刑事たるものだと思えた。
「戸松文芽さんと、神坂和義さんだね?」
「はい。そうですけど」
文芽が返事をした。文芽の顔は青ざめていた。気力もなく、心ここにあらずだった。
「顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」
「はい」
「戸松さんの通報が無かったら、被疑者を逮捕できませんでした」
「いえ。でも、美砂子は……美砂子は」
文芽は嗚咽し始めた。どうやら、通報したのは文芽だったらしい。
けれど、それにより美砂子が死んでしまう。文芽は自分の所為で、美砂子が死んでしまったと思っているのだろう。
「ご協力をありがとうございます。今日はもう遅いので、また後日、事件についてお聞きしたいのですが、良いでしょうか?」
刑事は丁寧に言った。文芽は頷くだけで、和義が代わりに返事をする。
「大丈夫です。ねぇ。文芽さん」
「………」
文芽は涙を拭いながら、頷いた。刑事は心配そうにした。和義が刑事に質問する。
「あの。叶井遊作はその後、どうですか?」
「叶井は今、事情聴取中です。実はパトカー内で、あいつは舌を切って自殺しようとしました。|間一髪で止めましたが」
「そうですか」
文芽と和義は刑事の話に苦々しい表情を浮かべた。文芽が言う。
「叶井は人間性に問題のある人です。美砂子を何度も裏切りました。極刑を希望します」
文芽の言葉は強かった。親友の美砂子を傷つけた遊作を許せないのだろう。
「落ち着いてください。まだ事情聴取中ですので。ただ、これからお二人にマスコミ等々が押し寄せることがあります。くれぐれもお気をつけください。では、私はこれで」
刑事は二人に丁寧に会釈をし、帰って行った。
文芽と和義は沈黙した。静かに集中治療室の前の椅子に座っていた。
どのくらい経過しているのだろうか。集中治療室の電気が消え、担当医が出てきた。
担当医は少し疲れた様子で、暗い表情だった。
それはこれから告知される内容にリンクしているように見えた。
トパーズの憂鬱33 了
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