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Chapter3
6:落書き・対決3
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僕達とカニさん、それに作業員の皆さんはひっくり返った車の横で腰を抜かしている足柄さん達に合流しました。
「あ、あれは――何だ?」
足柄さんの言葉に、ヒョウモンさんが呆然とした声で呟きました。
「く、口がいっぱい出てきた……」
今思い返してみても、何で僕はあそこで実況を始めたんですかね? いや、ナイスだって人もいっぱいいるんですが、僕が僕に納得できないと言いますか……しかも、なんか妙な言い回しなんですよね。
「流動する盛り上がりの所々に裂け目みたいな物ができ、それらがこぞってぱくぱくと開閉しながら笑うのです! 笑うのです!」
笑うのです、じゃねーだろ! と委員長のツッコミをいただいた辺りで、その盛り上がりに形ができてきました。凹凸ができ、表面の油がぐるぐる回るうちに色がついてきて、蛇腹のように、ばぐっと割れた所が組み合わせた指になるまでに数秒。
「か、顔がっ」
ヒョウモンさんはいつの間にかひっくり返った車の横っ腹に乗ってカメラを構えていました。それ故か、現場で真っ先に事態を把握するのは全て彼女だったのです。そんな彼女の呻きに、僕達は視線を上げました。
いつの間にか盛り上がった肩ができており、その上に丸い、終わりかけの線香花火の先っちょのような膨らみが、ぶるぶると震えながら出来上がっていきます。
ドドメ色、と言う単語は小学校において、パレットに絵具を色々出して出来上がった色の事を指すと思うのですが、その混ぜる過程のごとく、どろどろとした色がもつれあい、絡み合い、混じり合うと、唐突に顔ができていました。
まるで風船に描かれたみたいに、張り付いた顔の造作。切れ長で真っ赤な目。耳まで裂けた口。寄せられたお気に入りコメントを引用するならば――
『モディリアーニとムンクが拷問されつつ共作して描いたような顔』
だけども、その頭から生えている髪の毛だけは、ざらりと立体で、うねうねと勝手に動き回っているのです。
また体の方も、柄入りの下敷きを曲げたような平坦ながらも、組み合わせた指、そして腕はぐんぐん立体化していきます。
トーガでしたっけ? ミュシャが描きそうな半裸の女性ってばーちゃんが言ってましたが、うーん、見た目はそうですがね、ミュシャに失礼じゃないかなって思いますけどね。
ところで、ここで二つの事が同時に起りました。
まずは雨です。ぽつり、と僕の頬にやけに冷たいしずくがついたのです。降ってきた、とばーちゃん。ヒョウモンさんはいつの間にか車の上から、近くのビルの庇の下に避難しています。
そしてもう一つ。スケート場から男が走り出てきたのです。
わあああっと悲鳴とも怒号ともつかない声があがり、田中さん達の後、スケート場から金属バットを振りかざした男が走り出てきました。僕達からは落書きを真ん中に、反対側の田中さんまで十メートル? 二十メートル?
まあ、ともかくカニさんが、安達だ! と大声で叫びました。
呆然としていた刑事さん達が振り返ると、安達はバットを振りまわしながら、よたよたとスケート場の門の所で歩き回っています。よく見れば、その体に黒い物が絡みついているのです。
助けてくれっと安達が叫びます。
しまった、と僕はそこで応援を呼んでいないのに気がつきました。慌ててスマホを取り出そうとするも、今まで僕達を見ていた落書きがぐうっと首を捻って振り返り、田中さん達の方を見るのを目にしました。
「逃げてぇ!」
僕は思わずそう叫ぶと、走り出していました。後で映像を見ると、ばーちゃんや委員長が止めようと手を伸ばすも、ぎりぎり間に合わなかったのでありまして、僕は勢いで落書きに突撃してしまったのです。
そのおかげ、と言うとなんですが、僕は落書きの髪の毛が紫色に輝き、その中をどう見ても血液としか思えない赤がゆっくりと伝わっていくのを見ることができました。これは映像には残っていませんが、再び見たいと思うものではなく、とてもおぞましかったです。
安達の悲鳴が激しくなり、コマのようにくるくると回るのが落書きの体の影から見えました。刑事さん達は動き回る髪の毛をどうしたら良いのか判らないようで、脱いだシャツで安達ごとバシバシ叩いています。
『無駄よ』
ごぼりとトイレが逆流するような音がして、目の前に目を閉じた女性の顔が現れました。その顔はアスファルトから突き出している落書きの胴体の表面に生えていました。目を凝らすと、体の影らしきものが微かに見えます。どうやら、顔を出して中をゆっくりと漂っているようです。女性は笑っていました。
とても気持ちよさそうでした。
「郷土史研究会部長、清水麗良……」
僕の呟きに女性は目を開けました。すぐ後ろで委員長のひっという声が聞こえました。女性の目はぽっかりと真っ黒い穴で、何も無かったのです。
「私を知ってる? 誰、あなた?」
背中を叩く音に少し振り返ると、追いついてきたばーちゃんと委員長が親指で、早く離れろと合図しています。
しかし、僕はそれを無視しました。
あの時、あの場所でなければ、もう話せないな、と僕は直感したからです。
「清水さん、あなたは何故このような事をしたのですか?」
なるべく声を抑え、なるべく感情を抑え、なるべく判りやすいようにした質問です。これは映像では遠目からの物だけで、音声はありません。辺りは落書きの笑い声と建物が軋る音等でメチャクチャだったからです。
だから、きっと、僕の思った通りの声は出ていなかったし、実際は僕の記憶とは違うかもしれませんが、とにかく話しましょう。
彼女は激怒しました。
「お前ら頭の悪い連中はいつもそうだ! なんで? どうして? 馬鹿め! バカバカバカ馬鹿ばっかだ!
いいか、これは神なんだ! 私が作った私だけのこの世でたった一つだけの絶対的な凄い神なんだ! 私にはそれができるんだ!
私はこんな田舎にいるべき存在ではないんだ!
私には才能がある!
人を楽園に導き、神を作る才能っ!
神はこの世に一人だけ、ならば、他の全てはまやかし!
お前らも、糞みたいな世界もまやかし!
嘘ででたらめで汚い世界の中で、神に選ばれた私と、私を選んだ神の二つだけがあればいいんだ!
死ね死ね死ね! しねしねしねしねしねしねねねねねねねねねね――」
ごぼごぼぶくりという音がして、清水さんはずるっと落書きの中に引っ込みました。その顔は怒りながら笑っています。
と、落書きがぐうっとこちらを向きました。
げらげらという大きな笑い声が上から降ってきました。大量の濡れた洗濯物が落下したような音と共に、巨大な両腕が道路の両脇に落ち、じぇべべべっと粘着テープを剥しまくるような音を立ててこちらに迫ってきます。
ばーちゃんは僕と委員長に覆い被さると、目を閉じて、と叫びました。
いかん、これまでか、とそんな考えが頭を掠めた瞬間、落書きの腕を左から右へとひき潰しながらバスが突っ込んできました。
ばーちゃんがすかさず僕と委員長の背中を押しながら走り出します。
バスは一度、切り返しをすると、あまりにも場から浮いた『バックします』という音声と共に後退しました。
「あ、あれは――何だ?」
足柄さんの言葉に、ヒョウモンさんが呆然とした声で呟きました。
「く、口がいっぱい出てきた……」
今思い返してみても、何で僕はあそこで実況を始めたんですかね? いや、ナイスだって人もいっぱいいるんですが、僕が僕に納得できないと言いますか……しかも、なんか妙な言い回しなんですよね。
「流動する盛り上がりの所々に裂け目みたいな物ができ、それらがこぞってぱくぱくと開閉しながら笑うのです! 笑うのです!」
笑うのです、じゃねーだろ! と委員長のツッコミをいただいた辺りで、その盛り上がりに形ができてきました。凹凸ができ、表面の油がぐるぐる回るうちに色がついてきて、蛇腹のように、ばぐっと割れた所が組み合わせた指になるまでに数秒。
「か、顔がっ」
ヒョウモンさんはいつの間にかひっくり返った車の横っ腹に乗ってカメラを構えていました。それ故か、現場で真っ先に事態を把握するのは全て彼女だったのです。そんな彼女の呻きに、僕達は視線を上げました。
いつの間にか盛り上がった肩ができており、その上に丸い、終わりかけの線香花火の先っちょのような膨らみが、ぶるぶると震えながら出来上がっていきます。
ドドメ色、と言う単語は小学校において、パレットに絵具を色々出して出来上がった色の事を指すと思うのですが、その混ぜる過程のごとく、どろどろとした色がもつれあい、絡み合い、混じり合うと、唐突に顔ができていました。
まるで風船に描かれたみたいに、張り付いた顔の造作。切れ長で真っ赤な目。耳まで裂けた口。寄せられたお気に入りコメントを引用するならば――
『モディリアーニとムンクが拷問されつつ共作して描いたような顔』
だけども、その頭から生えている髪の毛だけは、ざらりと立体で、うねうねと勝手に動き回っているのです。
また体の方も、柄入りの下敷きを曲げたような平坦ながらも、組み合わせた指、そして腕はぐんぐん立体化していきます。
トーガでしたっけ? ミュシャが描きそうな半裸の女性ってばーちゃんが言ってましたが、うーん、見た目はそうですがね、ミュシャに失礼じゃないかなって思いますけどね。
ところで、ここで二つの事が同時に起りました。
まずは雨です。ぽつり、と僕の頬にやけに冷たいしずくがついたのです。降ってきた、とばーちゃん。ヒョウモンさんはいつの間にか車の上から、近くのビルの庇の下に避難しています。
そしてもう一つ。スケート場から男が走り出てきたのです。
わあああっと悲鳴とも怒号ともつかない声があがり、田中さん達の後、スケート場から金属バットを振りかざした男が走り出てきました。僕達からは落書きを真ん中に、反対側の田中さんまで十メートル? 二十メートル?
まあ、ともかくカニさんが、安達だ! と大声で叫びました。
呆然としていた刑事さん達が振り返ると、安達はバットを振りまわしながら、よたよたとスケート場の門の所で歩き回っています。よく見れば、その体に黒い物が絡みついているのです。
助けてくれっと安達が叫びます。
しまった、と僕はそこで応援を呼んでいないのに気がつきました。慌ててスマホを取り出そうとするも、今まで僕達を見ていた落書きがぐうっと首を捻って振り返り、田中さん達の方を見るのを目にしました。
「逃げてぇ!」
僕は思わずそう叫ぶと、走り出していました。後で映像を見ると、ばーちゃんや委員長が止めようと手を伸ばすも、ぎりぎり間に合わなかったのでありまして、僕は勢いで落書きに突撃してしまったのです。
そのおかげ、と言うとなんですが、僕は落書きの髪の毛が紫色に輝き、その中をどう見ても血液としか思えない赤がゆっくりと伝わっていくのを見ることができました。これは映像には残っていませんが、再び見たいと思うものではなく、とてもおぞましかったです。
安達の悲鳴が激しくなり、コマのようにくるくると回るのが落書きの体の影から見えました。刑事さん達は動き回る髪の毛をどうしたら良いのか判らないようで、脱いだシャツで安達ごとバシバシ叩いています。
『無駄よ』
ごぼりとトイレが逆流するような音がして、目の前に目を閉じた女性の顔が現れました。その顔はアスファルトから突き出している落書きの胴体の表面に生えていました。目を凝らすと、体の影らしきものが微かに見えます。どうやら、顔を出して中をゆっくりと漂っているようです。女性は笑っていました。
とても気持ちよさそうでした。
「郷土史研究会部長、清水麗良……」
僕の呟きに女性は目を開けました。すぐ後ろで委員長のひっという声が聞こえました。女性の目はぽっかりと真っ黒い穴で、何も無かったのです。
「私を知ってる? 誰、あなた?」
背中を叩く音に少し振り返ると、追いついてきたばーちゃんと委員長が親指で、早く離れろと合図しています。
しかし、僕はそれを無視しました。
あの時、あの場所でなければ、もう話せないな、と僕は直感したからです。
「清水さん、あなたは何故このような事をしたのですか?」
なるべく声を抑え、なるべく感情を抑え、なるべく判りやすいようにした質問です。これは映像では遠目からの物だけで、音声はありません。辺りは落書きの笑い声と建物が軋る音等でメチャクチャだったからです。
だから、きっと、僕の思った通りの声は出ていなかったし、実際は僕の記憶とは違うかもしれませんが、とにかく話しましょう。
彼女は激怒しました。
「お前ら頭の悪い連中はいつもそうだ! なんで? どうして? 馬鹿め! バカバカバカ馬鹿ばっかだ!
いいか、これは神なんだ! 私が作った私だけのこの世でたった一つだけの絶対的な凄い神なんだ! 私にはそれができるんだ!
私はこんな田舎にいるべき存在ではないんだ!
私には才能がある!
人を楽園に導き、神を作る才能っ!
神はこの世に一人だけ、ならば、他の全てはまやかし!
お前らも、糞みたいな世界もまやかし!
嘘ででたらめで汚い世界の中で、神に選ばれた私と、私を選んだ神の二つだけがあればいいんだ!
死ね死ね死ね! しねしねしねしねしねしねねねねねねねねねね――」
ごぼごぼぶくりという音がして、清水さんはずるっと落書きの中に引っ込みました。その顔は怒りながら笑っています。
と、落書きがぐうっとこちらを向きました。
げらげらという大きな笑い声が上から降ってきました。大量の濡れた洗濯物が落下したような音と共に、巨大な両腕が道路の両脇に落ち、じぇべべべっと粘着テープを剥しまくるような音を立ててこちらに迫ってきます。
ばーちゃんは僕と委員長に覆い被さると、目を閉じて、と叫びました。
いかん、これまでか、とそんな考えが頭を掠めた瞬間、落書きの腕を左から右へとひき潰しながらバスが突っ込んできました。
ばーちゃんがすかさず僕と委員長の背中を押しながら走り出します。
バスは一度、切り返しをすると、あまりにも場から浮いた『バックします』という音声と共に後退しました。
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