四季怪々 僕らと黒い噂達

島倉大大主

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Chapter2

7:外来種

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「あれ、とは?」
 僕は立ち上がると、ゆっくりと委員長の前に出ました。
 委員長は眼鏡を押し上げ、一度目を閉じ、それから睨むような例の視線で僕を見ながら話しを始めます。

「三月二十四日。時刻は十一時二十分当たり。私は二階の自分の部屋で一度ベッドに入ったけど、妙に寝苦しくて、冷蔵庫に入っている緑茶を飲もうと階段を降りていた」
 委員長の言葉がやや速くなり、強くなりました。
「物音がした。何か重い物が倒れる音。私は階段の途中で足を止めたわ。お父さんが居間から顔を出して、お母さんを呼ぶ。返事が無い。私は階段を駆け下り、お父さんは居間を飛び出す。
 台所に――お母さんが倒れていた。私は吃驚して、動けなかった。
 お父さんはお母さんを抱き起し、すぐに寝かすと電話をかけた。
 救急車。
 私は何も考えられなくてずっと固まってた。
 その時……お母さんの声が聞こえた。とても小さい声」
「意識を回復したの?」
 僕の問いに委員長はゆっくりと頭を振りました。

「最初はそう思った。でも、お母さんは目を瞑ったまま、口は半開きのまま。
 なのに、はっきりと私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
 後ろで、今駆け下りてきた階段の方で何かが動いた気がした。
 だから、振り返った」
 委員長は目元を少し拭いました。一瞬、もう言わなくていいよ、と口に出そうになります。そんな事を言ったら、委員長に殴られていたでしょうね。
「真っ白いモヤみたいな物が廊下にあった。
 それは、多分それはお母さんだった。モヤの中に顔が見えた気がしたの。
 そして、そのモヤを『大きな手』が『掴んで』いた。
 階段の下にある窓、そこから手が伸びていて、モヤを掴んでじりじり窓の方に引っ張っている。私は、私はその……そこまで『歩いて』いったの。
 もっと速く走っていってれば、もしかしたらお母さんが救えたかもしれないのに、私は歩いて行ったの!」
 足を踏み鳴らす委員長。
 僕は一歩足を踏み出し、一度ためらってから、結局委員長の頭に手を置いてしまいました。
 しかも、ナデナデと子供をあやすようなことをしてしまいました。
 ヒョウモンさんが、お、おう、とリアクションに困ったような声を上げました。
 委員長はぶすっとした顔で、僕の手を掃いました。まあ、優しく掃ってくれました、と言い換えましょうか。

「……私がそこに行く前にモヤは手に掴まれたまま、窓に吸い込まれるように消えてしまった。
 私は窓から外を見たわ。そしたら……『アレ』がいたの」
「ど、どんな奴だったんですか?」
 オジョーさんが唾を飲みながら聞きました。

「とても大きかったです」

 僕はびくっと体を震わしました。
 大きい、という単語は何でこんなに怖いんでしょうか。
 どのくらいだ? とヤンさん。
「向かいの家の二階と同じくらい」
 ヒョウモンさんがうわっと絶句しました。ばーちゃんが質問をします。
「形は?」
「……人型です。手が長くて足が短い。腹がでっぷりと出てました。小さな目がぼやっと光っていて、表情とかはわからなかったです。
 あたしはぼうっと『アレ』を見てました。その間も、どこからかお母さんの、いや、確かそれだけじゃなくて、色んな人の苦しんでるような声が聞こえてきて……それで、私はその――」
 委員長は汗びっしょりになっていました。
 思わず頑張れって声が出てしまいました。
 委員長がはっとした顔で、まったくもう、と言いながら眼鏡を外してハンカチで顔を拭いました。

「大変失礼。それで、まあ、『アレ』は私も連れて行こうとしたんだと思いますね。
 『アレ』が手をこっちにぐっと伸ばし始めたんです。その時、救急車の音が聞こえてきて、『アレ』がさっと手を引っ込める。お父さんが私を呼んで、一瞬窓から目を逸らすと、もう消えてました。
 お母さんは、それからずっと昏睡状態です。医者は原因は判らない、と」
 委員長はふうと息を吐くと、やれやれと呟きながら僕の隣に腰かけました。ご苦労さん、と僕が言うと、やっと言えたわ、とぐったりしたような声を出しました。
 委員長の話している最中、全員が緊張していたのでしょう、皆が息を吐きながら姿勢を崩しました。
「マジで、とんでもねえ事になってんだな……」
 ヤンさんの言葉に、オジョーさんが顔を擦りながら、まったくです、と続きます。

「それにしても、一体全体、その大きな『アレ』とは何者なのでしょうか?」
 ヒョウモンさんが、ばーちゃんに、どうすか? と聞きました。
「判らない。恐らくは結界が弱まった所為で、外から入って来た、って事だけだな。あたしは長いことこの町に住んでるけど、そういう話は初めてだからね」
 外から、とは、先程言っていた向こうの世界? それとも、文字通りこの町の外? 
 僕の疑問にばーちゃんは判らない、と答えました。
「それこそ、判らない。ただ、まあ、そういう事は昔からかなりあった。通り過ぎていくだけの奴もいれば、しばらく留まっている奴、定住しちまう奴もいる。何にせよ、そいつは放っておけない。
 被害者が出てるからね」

 外から入ってくる。

 委員長は地方紙のコピーを振り回しました。
「私が見た『アレ』はまだいます。病院で他の患者さんの家族さんから聞きました。病院関係者は頻度が減ってきているから、この『伝染病みたいな物』は収束に向かっていると見ているらしいです。
 私は……全然収束しているように感じてないです。
 勿論、これは、その――ただの勘、なんですけど」
 委員長は勘、の辺りでバツが悪そうに下を向いてしまいました。だけれども、ここの誰よりも、そういう人たちに接触してきた委員長の勘です。無視する理由がありません。
「まったくだ。なんつーか、その……」
 ヤンさんがもどかしそうに両手をこねくり回しました。ヒョウモンさんが呟きます。
「力を溜めてる……みたいな?」
 それだ、とヤンさん。オジョーさんは、顎に指を当て、ううんと唸りました。
 どうしたよ? とヤンさん。
「ちょっと、違うように感じます。その、『アレ』は、人の魂みたいな物を抜き取って集めてるんですよね?」
 ばーちゃんが、まあ、そうだねと頷きます。
「そして抜き取られた人は数か月後に亡くなってしまう。何故集めてるんですか? どうしてすぐに死なないんでしょうか?」
 委員長が即答しました。

「すぐには、魂を食べないから」

 食べる、とヒョウモンさんは顔を歪めました。
「何故すぐに食べないのでしょうか?」
 オジョーさんの声が少し震えていました。
 ばーちゃんが体を硬直させ、僕を見ました。僕は頷きました。
「少食だから、じゃあない。人の形をしてるけど、こいつを動物と見るなら、冬眠とか最悪……出産」
 委員長が、うっと短い声を上げました。
 僕の頭の中には、委員長と初めて会った時、橋の上から眺めた鯉が浮かんでいました。

「外来種」

 僕の言葉に、皆が一斉にこちらを見ました。
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