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第十二話
マフラーの女
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「はじめまして、伊藤です」
指定された喫茶店で待っていたのは背の高い女だった。
俺は鼻を啜ると、失礼とマスクをとって洟をかんだ。
「花粉症が酷くて――」
「別に構いませんよ」
伊藤と名乗った女性は、男物のゆったりとしたセーターにジーンズという姿だった。両手はだらりとテーブルの下に垂らし、室内だというのに茶色のマフラーを首に巻き、深々と顔の下半分を隠している。
演出、というやつか。
俺は某月刊誌の『怖い話』コーナーの担当である。創作から読者投稿まで緩く幅広く受け付けているのでクオリティにはバラつきがあるのだが、プロには書けない妙な生々しさがあり、人気がある。
今日はメールを貰い、取材に来たというわけだ。
演出を織り交ぜてくるというのは、つまり、こっちを怖がらせようとする気満々なわけだ。
ただ、この場で聞く分にはいいが、文章にしてしまうと怖くない場合がある。
伊藤嬢は体型はがっしりしているが、顔の見えている部分は幼く見える。
年齢不詳、怪談の語り手としては悪くないな。
そして漂っている異臭。
さて、どうなるか。
「何か飲みますか?」
「あ……コーヒーで」
俺は顔を顰めたウェイトレスにコーヒーを二つ頼むと、レコーダーのスイッチを入れた。
今から十年以上前の話です。
ある女子高生が殺されました。
犯人は年上の彼氏――大学生だったとも、新社会人だったとも言われています。
きっかけは彼氏の浮気で、それを知った彼女が激怒。親だったか、会社だったかにバラすと言いだしました。
後は坂を転がるように、彼氏はいつの間にか彼女の殺害を計画。
彼女を散歩に連れ出し、道の脇に隠しておいた大きな石で頭を一撃。それで森の中に死体を埋めて終わり――となるはずでした。
彼女は石の一撃を避けてしまいました。
彼女は彼を罵りながら、森の中に逃げます。彼氏は追いかけます。
しかし、彼女は足を止めました。
目の前に大きな、新しい穴があったんです。傍らにはシャベル。
自分を殺して埋める。
穴まで掘って、準備して、念入りに――
彼女は彼氏の散歩の誘いに応じたのは、よりが戻せるんじゃないかと小さな望みを持っていたからでした。
だから、彼女は彼氏が前にプレゼントしてくれたマフラーを巻いてきていたのです。
彼氏はそのマフラーを掴むと、後から彼女の首を絞めあげました。
あっけなく彼女は死にました。
目を飛びださせ、顔を赤黒くした彼女の顔は涎と涙でぐちゃぐちゃでした。下からも色々と漏らし、辺りには酷い臭いが漂い始めました。
彼氏は彼女を穴に落としました。
仰向けに落ちた彼女のどろりとした目が彼氏を見つめます。
彼氏は堪らず穴に飛び降りると、足で蹴って彼女をうつ伏せにします。
彼氏は穴の外に出ると、シャベルを取り、土をかけようとしました。
彼女の姿勢が変わっているように見えました。
彼氏は一度目を瞑り、それから再び目を開けました。
彼女の左手の指が伸びている気がします。
もう一度目を瞑り、開きます。
彼女の右肩が僅かに頭の方に寄っているように見えます。
彼はじっと彼女を見つめ続きました。
足が動いた気がしました。
二の腕が震えたような気がしました。
彼はゆっくりと穴に降りると、シャベルを彼女の盆の窪の辺り、マフラーの真ん中に当てました。そして、足をかけ、思い切り力を籠めました。
じゃぐっと土を抉る音が聞こえ、ごろりと彼女の首が転がりました。
首は二度転がると、左の頬を土に当てたまま彼氏を見上げました。
彼は目を逸らしながらしゃがみ、彼女の首を元の位置に戻し、マフラーできつく縛り上げました。
そのまま土をかけ、彼氏はその場を去りました。
次の日、彼氏のマンションの玄関前が泥だらけなのを大家さんが発見しました。
伊藤嬢が口を閉じ、俺は次の言葉を待った。
「……終わりです」
「は?」
俺は拍子抜けしてしまった。
怪談ですらない。
だが――
俺は不機嫌そうな顔を作ると、不機嫌そうな声で質問をした。
「……彼氏さんは、その後どうなったのでしょうか?」
「首を吊っているのが見つかりました」
そら来た。
つまりは、ここからが本番なのだ。
だから、マフラーをしている。ささ、どう着地するのか?
俺は顔がニヤケないように、努めて真面目で不機嫌そうな顔をし続けた。
「ほう? あれですか、彼女を埋めた場所の近くの木で、ですか?」
伊藤嬢は頷いた。
俺は鼻をかむ。
異臭が強くなった。
物が腐ったような臭い。テーブルの下か、それとも服に染み込ませてきたのか。
まあ、ともかく――ベタなオチだ。だが、文字にするとなると、どうすべきか……。
「はい、そうです。彼女を埋めた場所に生えている木の枝にぶら下がっていたそうです。警察は事件として当時は捜査したそうです」
「なるほっどぉ……あれですか? マフラーで?」
伊藤嬢の目が細くなった。
「そうです、そうです。茶色のマフラーで首を吊っていたんです。酷かったそうですよ」
「ああ、彼女みたく色々と漏らして――」
伊藤嬢はマフラーの下からクスクスと小さな笑い声を出した。
「それもそうなんですが、彼氏の首がね」
「は? 首? ああ、伸びちゃってたんですか」
「はい。見つかった時には地面に足が着いていたそうですよ」
俺は、成程、と言葉を切った。
さあ、どう出てくる?
すると、伊藤嬢はマフラーを少し下げ、ずっとテーブルの下にあった手を挙げると、目の前にあったコーヒーを啜った。
あら? 口裂け女みたいに顔半分にメイクじゃなかったか。
じゃあ……。
俺は努めて真面目な顔のまま、首を捻った。
「お話は終わり、ですか? しかし、怪談と聞いていたのに、そのような部分が一切ないようですね? これでは残念ながら、記事にするのは――」
伊藤嬢はにこりと笑った。
「警察は事件として捜査したんですよ?」
「……は? それは――」
「彼氏のね、足は地面に着いていたんです。彼氏のジーンズには土の手形がべったりと付いていたそうですよ」
「……ああ~」
俺は耐えきれず頬を緩ませた。
「彼女、地面から出て来たんですね? そして、自殺のトドメとして彼氏の足を引っ張って――」
伊藤嬢は首を振った。
くきりと小さな音がした。
錆びたネジが木に擦れる様な音だった。
「マンション前の玄関は土で汚れていたって言ったでしょう? 彼氏のマンションまで行くと、彼女はコンビニ帰りの彼氏を掴まえ、そのまま森まで引っ張っていきました。マフラーを使ってね」
「ああ、そうかそうか! 成程ねぇ~。で、彼氏は抵抗したんですか? 助けてくれぇ、とか」
伊藤嬢は俺の顔をじっと見て、マフラーの前をはだけた。
首には予想通りの、『繋ぎ合わせた』メイクがしてあった。
「ええ。酷く取り乱しました。泣いて喚いて、殴ってきてまた頭が転がっちゃって、それで彼、おかしくなっちゃって、結局その場で首を絞めて気絶させて、後は森まで運びました」
「へえ………………終わりですか?」
伊藤嬢は困ったような顔ではにかんだ。
「はい。しかし驚かないんですね。参ったなあ、もうちょっと不気味がってくれたりするかと思ったんですけど」
俺は、いやあ、と苦笑してレコーダーのスイッチを切ろうとした。
まあ、よくある――というほどでもないが、最後まで読めてしまう話だ。
とはいえ、こういうオーソドックスな怪談も需要がある。
「いやいや、不気味だと思いましたよ。でも、少しだけインパクトが足りない気がしますので……どうでしょうか、こちらで少しアレンジして掲載という――」
彼女の首、『繋ぎ合わせた』メイクから茶色いしずくがつぅっと垂れた。
俺はそれから目が離せなかった。
まさか――コーヒーか。さっき飲んだ、コーヒー?
演出。
仕込み。
さっきマフラーをはだける時に、手で塗ったか?
「アレンジ大いに結構ですよ。
まあ、この話、そのまましても誰も信じてくれないんですよね。地味な割に、無茶苦茶荒唐無稽ですから……実は私、いい加減疲れちゃって、そろそろ火山にでも飛び込もうかしらって思ってたんです。偶々、こんな風になっちゃってね、最初は便利かなと思ってたんですが、もう色々と面倒になっちゃって」
伊藤嬢は両手の甲を俺に向けた。
「男性の身体ですから、腕力面では良いんですよ。でも、こんな風なのに毛が生えてくるんです。腕毛とか指毛とか、参っちゃいますよ。その癖、死臭がするんですから」
ごつごつとした、毛深い男性の手。
その手がゆっくりと持ち上げられていく。
俺は催眠術にかかったように、その手を見つめ続ける。
伊藤嬢の両の手は、彼女の両頬に添えられた。
「彼の首、完全に折れてましたから切るのは簡単だったんです。でも、ほら――」
指が頬にぐっと食い込む。
顔が
上に、伸びて――
「皮膚が伸びちゃってて、繋いだのはいいんですけどね、こうやってマフラーで固定しとかないと、赤ベコみたく、ぐらぐらしちゃって……」
悲鳴が上がった。
コップが割れる音、物がひっくり返る音。誰かが喫茶店から走りだして行く音。
彼女はそっと自分の頭を掴むと、それをゆっくりと前に運ぶ。
俺の目は、彼女の目をみつめたまま
上から――下へ
「まあ、つまらない話ですが、私の生きた証、みたいな? このまま消えていくのは、なんだか悔しいじゃないですか。どうでしょう、アレンジしてくださっても、穴埋めでも、短くてもなんでも良いので載せてもらえないでしょうか? そうしましたら、火山に行きますので」
テーブルの上で苦笑いする彼女の首を見つめながら、俺は小さく頷き口を開いた。
「善処しましょう……ところで、マフラーが下に落ちましたよ」
彼女は礼を言うと、マフラーを拾い、首を乗せるとぐるぐると巻いて、額を押さえて俺に会釈した。
「では、よろしくお願いいたします。……首を長くしてお待ちしておりますので」
彼女はそう言って照れくさそうな笑みを浮かべ、懐に手を入れた。
「……あ、あの、代金は経費で出しますので」
習慣で出た俺の言葉に、彼女は再び会釈をした。
ぐらり、と首が傾き、俺は遂に悲鳴を上げた。
了
指定された喫茶店で待っていたのは背の高い女だった。
俺は鼻を啜ると、失礼とマスクをとって洟をかんだ。
「花粉症が酷くて――」
「別に構いませんよ」
伊藤と名乗った女性は、男物のゆったりとしたセーターにジーンズという姿だった。両手はだらりとテーブルの下に垂らし、室内だというのに茶色のマフラーを首に巻き、深々と顔の下半分を隠している。
演出、というやつか。
俺は某月刊誌の『怖い話』コーナーの担当である。創作から読者投稿まで緩く幅広く受け付けているのでクオリティにはバラつきがあるのだが、プロには書けない妙な生々しさがあり、人気がある。
今日はメールを貰い、取材に来たというわけだ。
演出を織り交ぜてくるというのは、つまり、こっちを怖がらせようとする気満々なわけだ。
ただ、この場で聞く分にはいいが、文章にしてしまうと怖くない場合がある。
伊藤嬢は体型はがっしりしているが、顔の見えている部分は幼く見える。
年齢不詳、怪談の語り手としては悪くないな。
そして漂っている異臭。
さて、どうなるか。
「何か飲みますか?」
「あ……コーヒーで」
俺は顔を顰めたウェイトレスにコーヒーを二つ頼むと、レコーダーのスイッチを入れた。
今から十年以上前の話です。
ある女子高生が殺されました。
犯人は年上の彼氏――大学生だったとも、新社会人だったとも言われています。
きっかけは彼氏の浮気で、それを知った彼女が激怒。親だったか、会社だったかにバラすと言いだしました。
後は坂を転がるように、彼氏はいつの間にか彼女の殺害を計画。
彼女を散歩に連れ出し、道の脇に隠しておいた大きな石で頭を一撃。それで森の中に死体を埋めて終わり――となるはずでした。
彼女は石の一撃を避けてしまいました。
彼女は彼を罵りながら、森の中に逃げます。彼氏は追いかけます。
しかし、彼女は足を止めました。
目の前に大きな、新しい穴があったんです。傍らにはシャベル。
自分を殺して埋める。
穴まで掘って、準備して、念入りに――
彼女は彼氏の散歩の誘いに応じたのは、よりが戻せるんじゃないかと小さな望みを持っていたからでした。
だから、彼女は彼氏が前にプレゼントしてくれたマフラーを巻いてきていたのです。
彼氏はそのマフラーを掴むと、後から彼女の首を絞めあげました。
あっけなく彼女は死にました。
目を飛びださせ、顔を赤黒くした彼女の顔は涎と涙でぐちゃぐちゃでした。下からも色々と漏らし、辺りには酷い臭いが漂い始めました。
彼氏は彼女を穴に落としました。
仰向けに落ちた彼女のどろりとした目が彼氏を見つめます。
彼氏は堪らず穴に飛び降りると、足で蹴って彼女をうつ伏せにします。
彼氏は穴の外に出ると、シャベルを取り、土をかけようとしました。
彼女の姿勢が変わっているように見えました。
彼氏は一度目を瞑り、それから再び目を開けました。
彼女の左手の指が伸びている気がします。
もう一度目を瞑り、開きます。
彼女の右肩が僅かに頭の方に寄っているように見えます。
彼はじっと彼女を見つめ続きました。
足が動いた気がしました。
二の腕が震えたような気がしました。
彼はゆっくりと穴に降りると、シャベルを彼女の盆の窪の辺り、マフラーの真ん中に当てました。そして、足をかけ、思い切り力を籠めました。
じゃぐっと土を抉る音が聞こえ、ごろりと彼女の首が転がりました。
首は二度転がると、左の頬を土に当てたまま彼氏を見上げました。
彼は目を逸らしながらしゃがみ、彼女の首を元の位置に戻し、マフラーできつく縛り上げました。
そのまま土をかけ、彼氏はその場を去りました。
次の日、彼氏のマンションの玄関前が泥だらけなのを大家さんが発見しました。
伊藤嬢が口を閉じ、俺は次の言葉を待った。
「……終わりです」
「は?」
俺は拍子抜けしてしまった。
怪談ですらない。
だが――
俺は不機嫌そうな顔を作ると、不機嫌そうな声で質問をした。
「……彼氏さんは、その後どうなったのでしょうか?」
「首を吊っているのが見つかりました」
そら来た。
つまりは、ここからが本番なのだ。
だから、マフラーをしている。ささ、どう着地するのか?
俺は顔がニヤケないように、努めて真面目で不機嫌そうな顔をし続けた。
「ほう? あれですか、彼女を埋めた場所の近くの木で、ですか?」
伊藤嬢は頷いた。
俺は鼻をかむ。
異臭が強くなった。
物が腐ったような臭い。テーブルの下か、それとも服に染み込ませてきたのか。
まあ、ともかく――ベタなオチだ。だが、文字にするとなると、どうすべきか……。
「はい、そうです。彼女を埋めた場所に生えている木の枝にぶら下がっていたそうです。警察は事件として当時は捜査したそうです」
「なるほっどぉ……あれですか? マフラーで?」
伊藤嬢の目が細くなった。
「そうです、そうです。茶色のマフラーで首を吊っていたんです。酷かったそうですよ」
「ああ、彼女みたく色々と漏らして――」
伊藤嬢はマフラーの下からクスクスと小さな笑い声を出した。
「それもそうなんですが、彼氏の首がね」
「は? 首? ああ、伸びちゃってたんですか」
「はい。見つかった時には地面に足が着いていたそうですよ」
俺は、成程、と言葉を切った。
さあ、どう出てくる?
すると、伊藤嬢はマフラーを少し下げ、ずっとテーブルの下にあった手を挙げると、目の前にあったコーヒーを啜った。
あら? 口裂け女みたいに顔半分にメイクじゃなかったか。
じゃあ……。
俺は努めて真面目な顔のまま、首を捻った。
「お話は終わり、ですか? しかし、怪談と聞いていたのに、そのような部分が一切ないようですね? これでは残念ながら、記事にするのは――」
伊藤嬢はにこりと笑った。
「警察は事件として捜査したんですよ?」
「……は? それは――」
「彼氏のね、足は地面に着いていたんです。彼氏のジーンズには土の手形がべったりと付いていたそうですよ」
「……ああ~」
俺は耐えきれず頬を緩ませた。
「彼女、地面から出て来たんですね? そして、自殺のトドメとして彼氏の足を引っ張って――」
伊藤嬢は首を振った。
くきりと小さな音がした。
錆びたネジが木に擦れる様な音だった。
「マンション前の玄関は土で汚れていたって言ったでしょう? 彼氏のマンションまで行くと、彼女はコンビニ帰りの彼氏を掴まえ、そのまま森まで引っ張っていきました。マフラーを使ってね」
「ああ、そうかそうか! 成程ねぇ~。で、彼氏は抵抗したんですか? 助けてくれぇ、とか」
伊藤嬢は俺の顔をじっと見て、マフラーの前をはだけた。
首には予想通りの、『繋ぎ合わせた』メイクがしてあった。
「ええ。酷く取り乱しました。泣いて喚いて、殴ってきてまた頭が転がっちゃって、それで彼、おかしくなっちゃって、結局その場で首を絞めて気絶させて、後は森まで運びました」
「へえ………………終わりですか?」
伊藤嬢は困ったような顔ではにかんだ。
「はい。しかし驚かないんですね。参ったなあ、もうちょっと不気味がってくれたりするかと思ったんですけど」
俺は、いやあ、と苦笑してレコーダーのスイッチを切ろうとした。
まあ、よくある――というほどでもないが、最後まで読めてしまう話だ。
とはいえ、こういうオーソドックスな怪談も需要がある。
「いやいや、不気味だと思いましたよ。でも、少しだけインパクトが足りない気がしますので……どうでしょうか、こちらで少しアレンジして掲載という――」
彼女の首、『繋ぎ合わせた』メイクから茶色いしずくがつぅっと垂れた。
俺はそれから目が離せなかった。
まさか――コーヒーか。さっき飲んだ、コーヒー?
演出。
仕込み。
さっきマフラーをはだける時に、手で塗ったか?
「アレンジ大いに結構ですよ。
まあ、この話、そのまましても誰も信じてくれないんですよね。地味な割に、無茶苦茶荒唐無稽ですから……実は私、いい加減疲れちゃって、そろそろ火山にでも飛び込もうかしらって思ってたんです。偶々、こんな風になっちゃってね、最初は便利かなと思ってたんですが、もう色々と面倒になっちゃって」
伊藤嬢は両手の甲を俺に向けた。
「男性の身体ですから、腕力面では良いんですよ。でも、こんな風なのに毛が生えてくるんです。腕毛とか指毛とか、参っちゃいますよ。その癖、死臭がするんですから」
ごつごつとした、毛深い男性の手。
その手がゆっくりと持ち上げられていく。
俺は催眠術にかかったように、その手を見つめ続ける。
伊藤嬢の両の手は、彼女の両頬に添えられた。
「彼の首、完全に折れてましたから切るのは簡単だったんです。でも、ほら――」
指が頬にぐっと食い込む。
顔が
上に、伸びて――
「皮膚が伸びちゃってて、繋いだのはいいんですけどね、こうやってマフラーで固定しとかないと、赤ベコみたく、ぐらぐらしちゃって……」
悲鳴が上がった。
コップが割れる音、物がひっくり返る音。誰かが喫茶店から走りだして行く音。
彼女はそっと自分の頭を掴むと、それをゆっくりと前に運ぶ。
俺の目は、彼女の目をみつめたまま
上から――下へ
「まあ、つまらない話ですが、私の生きた証、みたいな? このまま消えていくのは、なんだか悔しいじゃないですか。どうでしょう、アレンジしてくださっても、穴埋めでも、短くてもなんでも良いので載せてもらえないでしょうか? そうしましたら、火山に行きますので」
テーブルの上で苦笑いする彼女の首を見つめながら、俺は小さく頷き口を開いた。
「善処しましょう……ところで、マフラーが下に落ちましたよ」
彼女は礼を言うと、マフラーを拾い、首を乗せるとぐるぐると巻いて、額を押さえて俺に会釈した。
「では、よろしくお願いいたします。……首を長くしてお待ちしておりますので」
彼女はそう言って照れくさそうな笑みを浮かべ、懐に手を入れた。
「……あ、あの、代金は経費で出しますので」
習慣で出た俺の言葉に、彼女は再び会釈をした。
ぐらり、と首が傾き、俺は遂に悲鳴を上げた。
了
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